第14話

 翌朝、町を出る前にワックスに会いに行くと、大人四頭はまだのんきに寝ていた。


「残念、別れる前に皆をもう一度撫でたかったのに」


 起きていた子ワックスを抱え上げて頬ずりすると甘えた鳴き声を出し負けじと頬を擦りつけてくる。足元に降ろすと「行っちゃいやだ」と言わんばかりに足の上に乗ってくる、そして再び抱え上げるの繰り返しだ。


「本当によく懐きますね。未だにそれが信じられませんよ」


 エリーゼを観察するがごとくじっと見つめてくるクレヌが心底不思議そうにそう呟き試しに手を出して来た。クレヌが子ワックスに触ろうとすると首を最大限に延ばして拒否をするので、エリーゼがおもわず「この方は怖くないから大丈夫よ」と宥めると、渋々嫌々しかめっ面でクレヌに撫でられている子ワックス。その表情のせいか、クレヌは早々に撫でるのをやめて首を傾げた。


「ワックスか……」


 そう言ったキリ大人しくなってしまったクレヌ。何かを考えているようだがその思考の端はエリーゼには分からない。そんなクレヌが声を発したのは大人のワックスも起きてきてエリーゼがモフモフにまみれている時だった。


「馬車の時間が迫ってる。行こうか、『リゼ』」


(律義にお母様の用意したその設定守るのね、この人は……)




 滞在していたコナラとう町から直線でノアレ領に行くのではなく国の中央側に迂回して進む馬車を選んだクレヌ。馬車の中は盛況で賑やかだった。端に陣取ったエリーゼは誰にも邪魔されないように大人しく図鑑を見ている。すると隣でクレヌが舟をこぎ始めた。


「あの、眠いのですか?」

「いや、大丈夫」


 こめかみを押さえて笑ったクレヌ。よくよく顔を見て見ると目の下がくすんでいる。でもクレヌはエリーゼよりも先にさっさと寝たはず。そしてエリーゼよりも遅くまで寝ていたはずだ。


「あの、クレヌは昨日よく寝ていたのでは?」

「……そう見えていた?」

「まさか、寝てなかったのですか?」

「まあ。寝たら意味ないからね」


 そう言うと一度伸びをしたクレヌはエリーゼの本を覗き込んで来た。ちょうど肩のあたり、顔の隣にクレヌの熱が感じられ、「横を向いてはいけない、体がブレてもいけない」と、エリーゼの体は強張った。


(ち、近い!! 寝不足のくせに、無駄に距離感近いわよ!)


「寝ないように一緒に見させて。いま何を読んでるの? 柑橘系?」

「え、ええ、そうです」

「フィルセラかい? 紅茶で有名だね」

「はい! 紅茶のクリ・グレイの香りづけに使われる果物です。小さいわりに皮が分厚くて食用には向きませんけど、香りはとっても良いですし、上等な精油もとれますよ」

「それが、毒? 皮膚に付くと火傷をするって書いてあるけど?」


 クレヌがそう首を傾げると、エリーゼは頬を膨らませた。


「それは違うんです! 酷い偏見です。私後で著者に手紙を書かないと!」


 そうページをめくるエリーゼは「コレも! コレもよ!」と、柑橘系の記載内容に憤りを感じた。


「……何故そんなに怒るんだい?」

「だって、使い方が分かっていないんですもの。フィルセラの精油を皮膚に付けて日光に当たると確かに肌が赤くなるんです。だから服で隠すのが正解ですし、あとは香りを嗅ぐだけにするのが普通です。それを知らないで使って勝手に毒だなんだって酷いです。使い方を間違えればなんだって危ないに決まっています! そう思いませんか――あ」


 同意を求めてクレヌを振り向けば「そうだね」と、至極真面目な表情で納得した様に頷いていた。超至近距離で。


(わ、忘れてた!! ああ、もう距離感、いや、距離が近い!!)


 自分の顔が赤くなるのが分かる。エリーゼは何事もなかったかのように本に再び目を落とし無言でページをめくる。それを隣でクスクスと微かな笑い声を湛えてクレヌが見ているのが視線で感じられ、本どころじゃないエリーゼだった。


 道中、馬車が休憩のために停車したのは小高い丘の上を通る道。こじんまりした旅人用の商店が建つ場所の足元は一面が草原。その草の上で軽い昼食をとった馬車の一行。エリーゼも気楽なピックニック形式を楽しんでおり、クレヌはすでに食べ終えそよぐ風の中気持ちよさそうに寝そべっている。起きてはいるようで「これ美味しい!」と言うエリーゼの反応には笑い声で返して来た。そんなクレヌにエリーゼは少し気になっていたことを口にした。


「何故ノアレ領に行くのに少し遠回りをするのですか? 迂回ルートだと二日違いますよね?」

「普通の旅路だとこの後『フィルスカレント』と『ストーンレイク』を経由するんだけど、フィルスカレントは通りたくないんだよ」

「そうなんてすか? フィルスカレントはフィルセラを始め多くの植物の栽培と精油の製造で有名ですね! 行ってみたかったです……」

「うーん、まあ、今はやめておいた方がいい。諸々の件が落ち着いたらいいとは思うけど……」


 クレヌはそう言葉を濁した。この場で口にできない諸々の件とは、プロチウムとエリーゼの仮の婚約の話だろう。『それが落ち着いたら』という事は、『プロチウムの思い人が見つかって、エリーゼのお役目が終わったら』ということであり、プロチウムとエリーゼの仮婚約が破棄された時のことだ。


(まあ、その予定だったんだけど、当たり前のように言われると、ちょっと辛いわね)


 また胸がツキンと軋む。

 先ほどまで美味しいと思っていた昼食も味がぼやけてきた。食べかけのサンドイッチをかじっても味が微妙だ。食べ進める気になれず、でも、どうしても気になることがあるエリーゼは意を決して口にした。


「あの、その……、『あの方』がどなたの事をお好きなのか、クレヌはご存知なのですか?」

「それは……。リゼが気にすることじゃないよ」


 やれやれ、といった感じで起き上がったクレヌは、笑いながらエリーゼの頭を撫でた。


「そんなこと気にしなくても、リゼは十分可愛い――」

「おふざけにならないで、私は真剣に聞いているのです」


 エリーゼが頭を勢いよく横に振れば、クレヌの手が慌てて外された。そして打って変わったように一切の感情を消した顔で慎重に口を開いた。


「……まさかとは思うけど、本気で好きになったのかい?」


 クレヌに真剣に見つめられて答えに窮したエリーゼは、昨日の夜、ベッドで思い至った答えを口にした。


「あの方をお慕いするのは私の家の立場としても、国民としても当然のことです。それ以上のことなどございません」


 長閑な昼食とは思えない重苦しい空気が二人を包み込んだ。

 それを吹き飛ばしたのは、勢いよく丘を駆け下りるように吹いた風だ。思わず目を覆ってしまうような強さの風。それをクレヌはエリーゼを抱え込むようにしてやり過ごした。目を開けたエリーゼの目の前を他の馬車の乗客の持ち物が転がっていく。それを追いかける持ち主は慌てながらも結構楽しそうだ。

 丘を撫でていった風のおかげで視野が少し広くなったエリーゼが風景を見ていると、クレヌが指を指した。その指のずっと先には森がある。


「向こうに見える森が分かる? あの森が『硲の森』だ。滅多に色づくことのないあの森が十年前に色づいた。その森を色づかせた少女を探している」

「え、その子、私会ったことあります」

「本当!?」


 エリーゼの肩を凄い力で掴んで来たクレヌ。その顔は無表情から一転驚愕と歓喜が入り乱れるもので、本当に会いたかったのだと思わざるを得ないものだ。


「どこの子だい!?」

「あ、えと、私は会ったことがあるだけで、名前とかは知らなくて……。でも、多分うちの両親なら知っているかと思います」

「そうか、ならやはり、リゼのご両親には是非とも協力していただかなくては……!」

「両親にですか?」

「昔、硲の森はアブソリュート領の飛び地だった。今となっては国の土地になっているけど、その管理のほとんどはリゼの家が担っているだろう。だからこそ『植物公爵』の異名を持っているはずだよ。決して植物に詳しいというだけの理由じゃない」

「両親に協力して欲しくて、私の家に声をかけたんですか? いい条件を提示したら、父が動くと思って?」

「……そうとも、言えるかもしれない。リゼも協力してくれるかい?」

「え、ええ、そのつもりで聞きましたから……」


 でもまた胸がツキンと軋む。


(そのつもりで聞いたんだけれど、聞いたことを後悔したわ)


 エリーゼだってもう一度会ってみたいと思っていた少女。それがまさかプロチウムの思い人だったとは思いもよらなかった。


(どんな子だったかしら。プロチウム殿下がそこまで思うだなんて、一体何があったのかしら)


 疑問に思う。そして気をよくしている今のクレヌに聞けば簡単に答えを教えてくれそうだ。だが、真実を聞くのが怖くてエリーゼは手に持ったまま食べる機会を逸していた残りのサンドイッチを口に放り込んだ。


(パサパサしてて美味しくないなぁ……)


 飲み物を一気に飲み干して、「ぷは」と息をしたエリーゼ。さて、どうこの場を乗り切るかと片付けながら考えあぐねていると、「お客さんがたー、ちょっといいかーい?」と馬車の主人の声が降ってきた。

 至極申し訳なさそうにしている馬車の主人が言うには、この先山の間を縫うルートに落石が起きてしまい通行ができなくなったのだという。その為、少し戻りフィルスカレントの町で別の馬車に乗り継ぐ必要があるらしい。


「これはちょっとまずい……」

「何故ですか?」

「フィルスカレントの町は精油の生産地としても有名だ。そして、フルーエルト公爵家が金銭的援助をしているんだよ。他家の領地にもかかわらず、実権はフルーエルト公爵家にある」

「フルーエルト公爵家……」


 プロチウムの婚約者の座を奪われたことでアブソリュート伯爵家を妬ましく思っているだろうフルーエルト公爵家。そして、パーティーでエリーゼに煮え湯を飲まされたリチェルーレ。その息の根がかかった町などエリーゼも御免だ。


「でも、通らないわけにはいかないのですよね」

「ああ。他のルートだと指定の期日までにノアレ領に間に合わない。仕方ない、絶対に素性は知られないように行こう」

「勿論です!」

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