第13話

(最大の試練だわ……。部屋が一緒だなんて!)


 部屋を取った時はそれほど気にもしなかった。近づかないようにすればいい、部屋を二分割するとか気にしないようにする方法はあるだろう、と、そう考えていたエリーゼは部屋に入って固まった。


(部屋狭すぎない!? これじゃあ、うちで働く皆の部屋より狭いわよ!)


 ベッドが二つあるから二人部屋だとかろうじて認識できるが、エリーゼの感覚ではこれは一人部屋、いや、クローゼットだ。そんな部屋にもかかわらず、クレヌはこの部屋に備え付けられているこじんまりしたクローゼットを開けて「ここは寝間着とタオルがついていますよ、良かったですね」とのんきにしている。エリーゼは気楽そうなクレヌを睨んだ。


「……エリーゼ様、何故私は睨まれているのでしょうか?」

「何故そんなに普通なのですか!? この狭さ、あり得ません! いつも旅の途中にとまる部屋は一人でこの三倍以上はありました!」

「それは伯爵家の方がお泊りになるとすればそうでしょう。ですが今は一般人だと自覚なさってください。宿の造りも、部屋の広さもこれが普通です。市井を知る良い勉強になるでしょう?」


 そうサラッと言いクレヌは「順番どうしますか?」と、エリーゼに尋ねた。


「な、なんの順番ですか?」

「シャワーです。私としては危険な物がないか調べたいので先に入りたいのですが、いかがいたしますか?」

「シャ!? な、そんなのどちらでも良いです! 入りたければ先に入ってどうぞ!」

「そうですか、ではお先に……、と、その前に」


 クレヌは窓と部屋のドアに触れて「よし」と、呟くとシャワー室のドアを開けた。


「外には出られませんから、私の目を盗んで変な真似しないで下さいね」


 それだけ言うとさっさとドアを閉めてしまった。


(なによ、平気な顔して!! 私一人で馬鹿みたいじゃない! フリーネのパーティーでのクレヌ様とはえらい違いだわ! あの日はずっと私の事気遣ってくださったのに……)


 クローゼットを開けて部屋着を取り出したエリーゼは、小さいドレッサーの鏡を見た。


(まあ、違うのは私もかしら)


 ワックスの小屋で餌を被った真っ白な粉まみれの状態は、クレヌが飛び散った餌を魔法で回収した時に綺麗になった。だとしても、一日経って服は汚れるし髪も乱れている。少しだけはたいている化粧はとれていて、とても令嬢とは言えない状態だ。


(フリーネのパーティーの時は皆が頑張ってくれた集大成だもの、違って当然よね。クレヌ様、もしかしたら、「こんなんじゃなかった!」って思っているかしら。それはそれで悲しいけど申し訳ないわ……)


 少し落ち着いたエリーゼはリュックから木箱を取り出し開けてみる。その中にはプロチウムから受け取ったヘアドレスがきちんと収まっており、少しだけエリーゼの気持ちが高揚した。だが、ふと思ってしまう。


(こんな格好ご覧になったらプロチウム殿下も「こんなはずじゃなかった」と思うかしら。変な相手に頼んでしまったと後悔なさらないかしらね)


 再びへこみ始めたエリーゼは丁寧に蓋を閉じた。すると、カサ、という音と共に何か視線を感じた。


「何? なんだかすごく嫌な予感――」


 顔をあげたエリーゼの視界を横切ったのは、ドレッサーの上の壁を横切る黒い物体。自分の屋敷では庭いじりをしているとたまに見つけては脱兎のごとく逃げだす羽目になるあの虫。黒くて生命力が強いあの虫。きっと、この世界で一番長く種を保っているだろうあの嫌悪感の塊の『ゴ』から始まるあの虫だった。


「――!? いっ!!!」


 叫びかけたエリーゼは驚いた拍子に椅子から転げ落ち、持っていた箱もろとも床になだれ込む、すると木箱が、バキ、と嫌な音を立てた。


「え、嘘でしょう」


 恐る恐る箱を開けてみると中のヘアドレスは無事だった。


「よかった――あ、ら?」


 持ち上げると繊細な細工の一部が歪んでおり少々形が崩れている。慌ててその部分に触ると、ピイン、と音がしてついていた宝石が一つ床に転がった。


「き、きゃぁああ!?」


 叫ばずにはいられない。黒い虫での驚きも込めたエリーゼの叫びで、脱衣室のドアが音を立てて開いた。


「エリーゼ様!?」


 エリーゼは慌ててクレヌを見ないように、クレヌから見えないように背中を向け箱を抱え込んだ。


(ま、まずいわ。クレヌ様にばれたら、プロチウム殿下にも知られちゃう……。どうしよう!!)


 後ろに迫った気配に、薄目を開けると、ドレッサーの鏡越しにクレヌが見える。シャワーの途中に慌てて出て来たのか、無造作に着た寝間着にブラウンの髪から水が滴り落ちている。それを見たエリーゼは再び箱を抱え込んで隠そうとした。だが、おかしい。一瞬だけ見た鏡越しのクレヌは違和感満載だった。


(ブラウンの髪?)


 恐る恐る顔をあげると、鏡に映るのはブラウンの髪と綺麗なスカイブルーの瞳の人間だ。


「エリーゼ様、どうなさいました?」と、慌てており、声も表情もエリーゼの記憶の中のクレヌとは似ても似つかない。その代り、思い当たる人物ならいる。あの印象的なスカイブルーの瞳はプロチウムだ。


(ど、どういう事!? まさか、クレヌ様のドッキリとか? 魔導師の方なら姿を変えるくらいやってのけるものね。いえ、でも、クレヌ様がプロチウム殿下の真似をして驚かそうとするような無礼な人には思えないわ……)


「エリーゼ様、ご気分が悪いなら横になられた方がよろしいですよ?」


 そうプロチウムの容姿でクレヌが喋る。「何ですかその格好」と指摘したい。だがエリーゼの手の中には、先ほど壊したばかりのヘアドレス。それを握りしめエリーゼは決心した。


「大丈夫です、虫が出て驚いただけなんです。私は平気ですから戻って大丈夫ですよ?」

「ですが……」

「クレヌ様シャワーの途中でしょう? 私いつまで目を閉じていればいいのかしら?」


 暗に、『今のあなたは見ていない』と、そう伝えると、クレヌは大人しくシャワーに戻って行った。

 そしてしばらくして出て来たのは黒目黒髪、見慣れたクレヌだ。入れ替わるようにして脱衣所に駆け込んだエリーゼは扉を閉めるとその場でへたり込んだ。


(先ほどのは見間違い……な訳ないわ!! なんでクレヌ様、プロチウム殿下の格好をしたのよ! 悪戯にもほどがあるわ!!)


 そう憤慨したエリーゼだが、何故クレヌがそんな悪戯をする必要があったのかは分からない。それに、慌ててシャワーから出て来たのに、悪戯を仕掛けるというのはいささか妙だ。


 そこで、エリーゼに「もしも」という思考が生まれた。


(まさか、プロチウム殿下がクレヌ様なの? いえ、そんなはずないわ! 王太子殿下が魔導師のふりして護衛任務にあたるなんてあり得ない。プロチウム殿下は魔法など使えないはずだもの! そうよね)


 エリーゼはいったん落ち着こうとした。

 だが、エリーゼは再び頭を抱えた。そして「まてよ」とものすごく大事なことを考え始めた。


(でも、もしも、万が一にでも、あの方がプロチウム殿下だとすれば……どうしましょう、怪我なんてさせられない!! 何かあったら私だけでなく、アブソリュートの存続にかかわってしまうわ! のんきに二人旅など決め込んでいる場合じゃない。ここは身分をばらしてでも王都から護衛をよばないといけないのでは!? ああ、でも、それじゃあ、折角の王都外の旅行が台無しだわ……)


 最終的に、『クレヌを危険な目には遭わせたらいけない、いざとなったら自分が守らなくては』と、漢らしい結論に至ったエリーゼだった。


 だが、そんなエリーゼにさらなる危機が待ち構えていた。シャワーを浴びて部屋を出ると、最悪の事態が目の前で起こっていたのだ。

 クレヌがプロチウムのくれた箱を開けていた。

 ドレッサーの上に置きっぱなしだった自分もいけないが、勝手に見るのもいかがなものだろうか。そんな正論を述べる余裕はエリーゼにはない。なんせ、クレヌの手には、先ほど自分が踏んづけて壊した装飾部分が握られているのだ。手のひらに大事に乗せた宝石を無言で見ていたクレヌが、ホカホカ温まったまま直立して動かないエリーゼを見た。


「エリーゼ様、これは……」

「そ、それは……さ、さっき、虫に驚いて椅子から転げ落ちたときに箱を踏んで壊してしまって……」

「箱をですか? エリーゼ様にお怪我は?」

「ないと思います、ほら」


 そう服の裾をめくると、膝のあたりに血が滲んでいた。気でも動転していたのか、シャワーを浴びても気づかなかった。どうってことない怪我だがそれを見たクレヌが血相を変えた。持っていた装飾を放り投げて「怪我しているじゃありませんか!」と慌てて近づくと、エリーゼをひょいと抱え上げてベッドに座らせた。その素早く手慣れた動きに「ええ!?」と動揺したエリーゼだが、覗き込んでくる少し眉間にしわの寄ったクレヌの顔にエリーゼは再び指先が震え始めた。


「わ、私の怪我なんてどうでもいいです……。プロチウム殿下にどう謝罪をしたらよろしいのか……」

「何もそこまで悩まなくても平気ですよ。壊したなら付けなくてもいいのですよ?」

「そういう訳にはいきません! だって折角のプロチウム殿下からの頂き物なのですよ? それなのに、プロチウム殿下の前で一度もつけず、挙句壊しただなんて知られたら私……。どうしましょう……、プロチウム殿下に嫌われてしまうわ!」

「……仮のご婚約です。好かれてなくても良いのでは?」


 冷静なクレヌのその言葉に、エリーゼの目から涙が伝った。


「え、エリーゼ様!? 嘘です! プロチウム殿下はそのようなことでエリーゼ様をお嫌いにはなりません」

「何故クレヌ様がそう言い切れるのよ! 勝手なこと言わないで!」


 そう言ってエリーゼは青ざめた。先ほど理解したばかりだ。目の前のクレヌはもしかしたらプロチウムかもしれないと。非難していい相手ではない。仮にプロチウムでなかったとしても、慰めてくれる相手に対して酷い口の利き方だろう。どちらにせよ、クレヌはエリーゼよりもプロチウムの事を分かっているはずなのだから。

 だがクレヌ本人はそんなエリーゼの態度など気にもしていない。「えっと……」と少々バツが悪そうに頭をかくと、「こほん」と咳ばらいをした。


「あー、エリーゼ様、良くお聞きになってください。これは予想ですが……」

「何でしょうか?」


 エリーゼが見上げると、クレヌは真剣な顔で、それはそれは仏頂面で、でも優しい声音で話し始めた。


「プロチウム殿下は怒りません。むしろ『壊したことをそんなに気にしてくれたのか』と、喜んで代わりになる物を用意するはずです。ノアレ領の晩餐会でプロチウム殿下に見せようとしてくださったんですよね? そのお気持ちはプロチウム殿下も嬉しいに決まっています」

「本当に?」

「ええ、嘘じゃありません。絶対に」


 そこまで慰められ、エリーゼは「ほ」と安堵の息を漏らした。すると、「それに」と、クレヌが手を目じりに添えて来た。


「エリーゼ様は泣いても愛らしいですが、花や動物に囲まれた笑顔の方が素敵ですよ」

「な!? ごご、ご冗談を!」

「何故冗談だと思うんですか? そうだエリーゼ様、髪を乾かして差し上げますよ、向う側を向いてください」

「髪?」


 大人しく従ったエリーゼは数分後歓喜の声をあげた。クレヌが魔法で髪を乾かしてくれたのだ。今まで経験したことのない出来事にエリーゼは上機嫌。先ほど泣いていたとは思えないくらい溌溂とした笑顔になった。


「すごいわ!」

「エリーゼ様は本当に魔法がお好きですね」

「ええ!」

「そうだ、エリーゼ様。持っていらした本を見せていただけませんか? 気になっているんです」

「勿論です! クレヌ様、本当に興味がおありだったのね。私に気を使って話を合わせてくれたのかと思っていました」

「そんなこと致しませんよ。それでエリーゼ様、先ほどワックスに使われそうだった植物はどれですか?」

「それはですね――」


 ベッドの上に置いた本を覗き込み嬉々として話すエリーゼと相づちを打つクレヌの声は、日付が変わる頃まで続いた。




(まずいわ、非常にまずいわよ)


 ベッドの中でエリーゼは悶えていた。

 アブソリュート家の自分のベッドとは違って少々硬いのも寝られず思考が冴える原因になっているのだろう。エリーゼは被っていた布団から目を出し隣のベッドをチラ見した。クレヌはベッドに入ってほどなくして寝息を立て始めた。部屋に何か魔法を仕込んでいるのかどうかは知らないが、随分と警戒心が薄い。じっと見つめていると、クレヌが寝返りを打ち、顔を向けて来たので、エリーゼは慌てて布団を被り直した。そして、先ほどお姫様抱っこされたところから振り返った。クレヌがプロチウムは怒らないとエリーゼを慰めたときの事だ。


(クレヌ様は距離感が近いしグイグイ来るから思わず赤面してしまうけど、プロチウム殿下のことをしゃべる時は無表情になるんだもの。でも声音は優しいのよね、それがプロチウム殿下そっくりで、すんなり言葉が入って来て落ち着くのよ……)


 エリーゼはクレヌに乾かしてもらった髪の毛を触った。


(どうしましょう、私、クレヌ様にドキドキしているのかしら、それともプロチウム殿下をお慕いしているのかしら……。でも、クレヌ様とプロチウム殿下が同一人物だとするならば、どちらをお慕いしても駄目なのでは?)


 万一、二人が同一人物ならばプロチウムの思い人はクレヌの思い人になる。わざわざ仮の婚約者を用意し有力公爵家との婚約を延期させてまで探し出したい相手がいるのだ、自分がプロチウムたちと見知らぬ女性の間に入るのは無粋だろう。そう思うと、胸がツキンと痛む。


(いいえ、プロチウム殿下をお慕いするのは貴族として、家臣として当然のこと、そう思うべきよ、うん。でも……)


 エリーゼは再びクレヌを見た。


(プロチウム殿下のお好きな方、一体誰なのかしら)

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