第32話 睦樹の決意

 あやし亭の面々が甚八、伊作、惣治郎の用心棒をしている間にも、芽吹村は村として着実に軌道に乗りつつあった。

 ただ、小川の源流が湧き出る金岩を囲う蔵の建設だけが頓挫している。

 その状況に、佐平次は業を煮やしているようだった。


「今、一番危ねぇのは惣治郎さんだ」


 甚八の言に、皆が納得した。

 先代の息子である惣治郎の指示で蔵の建設が差し止められている。

 いくら二代目を襲名しているとはいえ、元々余所者の佐平次に勝手は出来ない。

 人目を気にする佐平次なので尚の事だ。

 必死に惣治郎の懐柔にかかっているようだが、惣治郎は頑として意見を変えない。

 そうなればあの佐平次の事、いつどこで秘密裏に殺しの魔手を伸ばしてもおかしくはない、と考えるのが妥当であった。

 唯一の救いは、巌をはじめとする鳥天狗たちが揃って近江屋の対談方を抜けたことだ。

 此度の企ては失敗に終わった。だが既に次の企てに目標を切り替えた彼らが、あの場所に留まる理由はもうなかった。

 そんな折、零が突然、睦樹を呼び出した。

 殺風景な部屋で二人、向き合って茶を啜る。


(そういえば、零と二人きりで話すのって、初めて会った時以来かな)


 拾われてきた時こそ二人だったが、それ以降は色んな人が現れて、常に誰かと一緒だった。


(もう、凄く昔の事みたいに感じる)


 睦樹がここに来て、それ程長い時は経っていない。

 なのに、とても長い時が流れてしまったように感じた。


「これが、お前宛に届いた」


 何の前触れもなく、ぶっきらぼうに手渡されたのは、一通の手紙。


「お前の、父親からだ」


 どきん、と心臓が高鳴った。

 自分がここに居るということを伝えてくれたのは、きっと深影だ。

 皆はどうしているのか、深影は里に戻れたのか。

 色々なことが頭の中を駆け巡り、睦樹は逸る気持ちを抑えきれずに手紙を開いた。

 真剣な顔で文面にかじりつく睦樹の表情を、零は何も言わずに眺める。

 必死とも取れる表情は徐々に色を落として、睫毛が下がっていく。

 かじりついていた手紙を膝の上に置いて、睦樹は俯いた。

 零が茶を啜る音だけが部屋の中に響く。

 しばらく黙っていた睦樹が、ぼそりと口を開いた。


「鳥天狗の一族は今、高尾山の鴉天狗たちが保護してくれているって。広い山だから、当面そこで共に暮らすことを提案してくれたみたいだ」


 高尾山の鴉天狗との交渉役となったのは深影だった。

 しかし深影は一族の元に戻っていない。

 また『忌み羽』として諍いの種になることを恐れたらしい。

 巌たちもまた、一族から離れ、新たな里を作ることを企てているようだった。


「そうか」


 睦樹の話に、零は短く返事する。

 部屋には再び、静寂が戻った。


(零は何も、言わないんだ)


 ここに居ろとも、一族の元に戻れとも。

 最初に会った時から、零はずっとそうだ。

 何も言わずに自分で考えて答えを出せるように、見守ってくれる。

 悩んでいれば、きっかけになる言葉や行動をくれる。そんな、優しい鬼だ。


「零」


 睦樹は顔を上げ、真っ直ぐにその顔を見た。

 色違いの双眼が、睦樹を見詰め返す。


「僕はまだ、ここに居たい。ここで、里では学べなかった色んなことを沢山学びたい。だから僕のことを、ここに置いてください」


 しっかりと頭を下げる睦樹に、零の静かで低い声が響く。


「一族の無事が確認できた、居場所がわかった。お前は名も記憶も取り戻した。ここに居る理由は無くなっちまっただろ」


 ばっと顔を上げ、再び零に向き合う。


「だからだ。一族は長である父様が束ねてくれる。だったら僕はここで、深影と巌を探して、その先どうするのが一族の為なのかを考えたい。深影の本当の気持ちも、巌がどうしてあんなに白い羽を嫌うのかも、僕にはまだよくわからない」


 話すうちに俯いてしまった顔を上げて、睦樹は声に力を籠めた。


「里の中に居るだけじゃ、駄目な気がするんだ。ここに来て、知らなかったことを沢山知った。嬉しいことや楽しいことも辛いことも悲しいことも。僕は、もっともっと沢山、知りたい。どんなに大変でも、それでも、知りたいんだ。だから」


 必死に話す睦樹の頭に大きな分厚い手がぽん、と乗る。


「居りゃぁ、いい」


 頭に乗った手が、小さな睦樹の頭をぐりぐりと撫でた。


「お前ぇが居てぇと思うなら、いくらでも居りゃぁいいさ。ここは、そういう場所だ」

「ぅっ」


 思わず漏れそうになった泣き声を堰き止めたら、涙が勝手に流れた。

 零の大きな手を掴んで、それを隠す。


(僕はこの場所が、ここの皆が、好きだから)


 それはまだ照れくさくて言えそうにない、けれど。


「ありがとう」


 精一杯の気持ちを乗せて、それだけは言葉にできた。

 ふん、と鼻を鳴らして手を離した零の顔は、少しだけ嬉しそうに見えた。

 だが、そんな表情は不穏に上がった口端に、すぐに掻き消えた。


「お前ぇが、ここに残るってぇんなら、相応に役割を振り分けねぇと、いけねぇなぁ」


 顎を擦りながら、にやりとした零に、潤んだ涙が引っ込んだ。


「此度の一件で、お前ぇにはまだ、やり残したことが、あるんじゃねぇのかぃ」


 まるで見透かしたような零の言葉に、睦樹は頷いた。


「一族の里を焼くのに結界を解いたのは、巌たち鳥天狗だ。火を放つ手助けをしたのも。僕はそれを許せない。だけど同じくらい、最初に火付けを企てた佐平次のことも、許せない」


 一族の里の結界が解かれ、野晒しになった状態に実際に火付けをしたのは佐平次の手の者だ。

 しかも未だに、甚八や惣治郎たちが危険な状態にある。それを放置はできない。


「この件は、僕が終わらせる。その為に、皆の力を借りたい。だから僕が、あやし亭に依頼する。僕を、手伝ってほしい」


 ははっと、零は楽しそうに笑った。


「手伝う? 馬鹿を言うんじゃぁねぇよ。こいつぁ、仕事じゃぁねぇ。仲間の弔い合戦だ。沢山の友を失った俺たちの仲間の、な」


 大昔から里山に居た大樹や草花、動物や虫たち、皆が友達だった。

 彼らは皆、逃げることすらできずに焼かれていったのだ。

 睦樹は潤む目を堪えて、力強く頷いた。


「ここからが、あやし亭の本領発揮だぜ、睦樹」


 零の手がすっと目の前に伸びる。

 睦樹はその手を強く、握り返した。


「ああ、そうだ。言っておくが、ここに居る以上、お前ぇは睦樹のまんまだぞ」


 睦樹は照れを隠すように眉を下げて笑った。


「最初は格好悪いと思ったし、まだ少しそう思うけど、この名前も今は気に入ってる」


 睦樹の表情を眺めていた零が、くすりと笑う。


(似た顔で笑いやがるなぁ)


 深影の困った笑みを思い出し、零は掴んだ小さな手を強く握りしめた。

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