第28話 優しい白羽と人鬼

 隠れ家の入り口である山小屋近くにある檳榔樹の大木。

 太い枝の上に、大きな影と小さな影が並んで月に照らされていた。


「ぼっこぼこにされた睦樹……。あぁっと、蒼羽を、巌は何で連れて行かなかったのかね?」


 零の問いに、深影は小さく笑った。


「手が出せなかったんだよ、蒼羽のたった一枚の羽根が作った結界にね。それ程に、蒼羽の力は強い。本人は全然、意識していないけれど」

「へぇ。そいつぁ、また」

「蒼羽らしいでしょ。あ、ここでは睦樹、か」


 折り畳んだ膝を抱えて、深影は無邪気にくすくすと笑う。

 すぐに笑みを仕舞って、もの悲しげな顔をした。


「零、蒼羽を助けてくれて、ありがとう。僕は、間に合わなかったから」


 里の異変に最初に気が付き、焼き殺されそうになっていた白羽の仲間や他の一族の救援に行ったのは深影だ。

 深影が長に伝えるのが少しでも遅れていたら、白羽だけでなく一族そのものが消えていたかもしれなかった。

 巌たちが里山の北側に鳥天狗の結界を無効化する法を掛けていたため、神風でも火を消せなかったのだ。

 結果、北側のみならず里山全体と隣村までをも巻き込む大惨事となってしまった。

 総てを終えた深影が蒼羽を迎えに行った時には既に、零が連れ帰った後だった。


「過激な野郎だなぁ、巌って奴ぁ」


 膝を抱えたまま、深影は俯く。

 深影の報せで焼ける里山から逃げ遂せた一族は今、仮の住処に身を寄せている。

 その段取りを組んだのも深影だ。

 結果、巌たちは逆賊扱いとなり、一族を追われる立場に成り下がった。

 巌たちが火事の後も佐平次の対談方として近江屋に身を置いていた理由の一つは、それである。


「巌の事だから、あの火事から黒羽の皆を救い出す算段は事前にしていた筈だよ。彼が目の敵にしているのは白羽だけだからね。でも結果的に里が燃えて無くなっちゃって巌は一族に戻れなくなっちゃったし、僕が余計な事をしたせいだと思うだろうなぁ。前よりもっと、嫌われちゃっただろうねぇ」


 困った風に笑うのは深影の癖だ。零はぽんぽんと、その頭を撫でた。


「そんで? なんでお前ぇは、伊作を匿ってやっていたんだ?」


 佐平次の指示という名目で巌の幻術に操られ里山に火を放った伊作。

 そんな彼と妻の松を匿って場所を転々とし、最終的に愛宕神社に身を寄せて結界を張ったのは、深影だ。


「そこまでしてやる義理は、お前ぇには、なかったろ」


 深影は同じように微笑んだまま、目だけを伏した。


「何だか、放っておけなくて」


 自分の欲の為に里山と村を焼き払い平然と慈善家振る佐平次が、伊作を放置する筈がない。

 亡き者にするか総てを伊作の所業に仕立て上げるか、どちらにしても只では済まさないだろう。

 しかも佐平次の元には、その企てを利用して自身の思想を実行した巌がいる。


「守らなきゃって、思っちゃったんだよね。ふふ、こういうの、僕らしくないね」

「そうでもねぇだろ」


 自嘲気味に笑う深影に零は、にべもなく答える。

 深影は表情を変えて、また俯いた。


「でも、そのせいで巌に僕の気配を付けられちゃって、逃げ回る羽目になっちゃったんだよね。伊作さんや松さんも大変だったろうし、零たちにも迷惑を掛けちゃった」

「それも、そうでもねぇなぁ。むしろ、お前ぇのお陰で、さくっと済んだぜ。まぁ、欲を言やぁ、まちっと早く報せが欲しかったくれぇだなぁ」


 沈んだ顔に、先程と同じ困った笑みが戻る。


「そうだね、ごめん」


 大きな手が深影の頭を、がっしりと掴む。

 突然の行為に、深影が目を丸くして零を見上げた。


「お前ぇは、どうも考えが後ろ向きで、いけねぇや。もっと弟を見習いな。あいつはどんな時だって前ばっかり見ているぜ」


 自分の名を思い出すために迷いなく行動していた睦樹。

 一度は捨ててしまう程に辛い記憶を取り戻すことを躊躇わなかった姿を、零は黙ってずっと見ていた。


「蒼羽は、強い子だから」


 切り離すような言い方をする深影に、零がむっとしたように切り返す。


「兄弟なんだろ、あんまり似ちゃいねぇが……」

「僕は白羽だからね」


 被せてそんなことを言う深影の頭を、もう一度強く掴んでぐりっと引き寄せた。


「そういうこと言ってんじゃぁねぇんだよ、人の話は最後まで聞け。見目は似ちゃぁいねぇが、お前ぇら兄弟そっくりだぜ、心根の部分が特にな」


 無理に引き寄せられた近すぎる顔に驚いていた深影の目に、薄らと涙の膜が張る。


「あっはは。零って、やっぱり優しいよね。昔から、ずっと変わらない」


 やっと素直に笑った深影に安堵した手が、掴んでいた頭を開放する。


「あいつを拾った時は、まさか深影の弟だとは思わなかったがなぁ。これも縁ってやつかねぇ」


 しんみりとする零に、深影は睫毛を伏した。


「そうかも、しれないね」


 零は空高く昇る小さな月を見上げた。


「前にも言ったが、深影。あやし亭に来ても、良いんだぜ。どうせ新しい里にも、戻る気はねぇんだろ」


 深影が伏していた目を上げる。

 零は振り向くことなく、月を眺め続けている。

 その横顔が優しすぎて、深影は思わず目を逸らした。


「紫苑は、元気?」

「ああ、相変わらずだ」

「そう、良かった。会えなくて残念だけど、またねって、伝えてくれる?」


 すっと立ち上がり、真っ白い羽をふわりと広げる。

 月白を吸い込んだ羽が、きらきらと静かな粒子を零して舞い上がった。


「零、蒼羽をよろしくね。苛めたりしたら、僕が仕返しに来るからね」


 ふふっ、と淡い微笑を残して、深影は夜の蒼黒い闇に溶けて行った。


「大好きな弟には会って行かなくていいのかよ。ったく、相変わらず不器用な野郎だなぁ」


 独り言のように呟いて、零はまた月を見上げる。

 色違いの双眼が月の灯に照らされて、少しだけ潤んでいた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る