第27話 あの日の記憶
火事があったあの日、今思えば何かが変だと感じていた。
勘違いかと思う程度だが、里の雰囲気が妙によそよそしい。
更にこの時、白羽の仲間の姿が見当たらないことに、この時点で蒼羽は気が付いていなかった。
蒼羽が違和感の正体に気付く前に、滅多に話をしなくなっていた巌が、しばらくぶりに声を掛けてきたのだ。
「里の南側を流れる小川から上流に向かい里に侵入する者がある。見張ってくれ」
要件は、それだけだ。
最近そういった不穏な話は聞いていたから、特に違和感もない。
あるとすれば巌の纏う気配だ。怪訝に思いながらも、蒼羽は言いつけられた場所に向かい、待機していた。
陽もとっぷりと暮れて、辺りが夜の闇に飲まれる。
数刻そこで見張りをしていたが、特に何も起こらないので戻ろうとした時、
「蒼羽!」
血相を変えて飛んできたのは、深影だった。
「深影? そんなに慌てて、どうしたの?」
深影は蒼羽の腕をがっしりと掴み、強く抱き締めた。
「深影? 一体、何が」
「蒼羽!」
まるで縋るように必死に蒼羽を抱き締める深影の尋常でない様子と普段は決して発しない緊迫した大きな声に、蒼羽は息を飲んだ。
「蒼羽、しっかり聞いて約束して。この後、何があっても絶対に、ここを動かないって。誰も傷つけないって」
言葉の含む意味がわからず返事が出来ない蒼羽を抱く腕を解いて、深影はその顔に向き合った。
「約束して、お願いだから」
泣きそうな顔で必死に懇願する深影に、只々圧倒されて、蒼羽はこくりと頷いた。
深影はほっとしたように、今度は優しく小さな体を包み込む。
「必ず僕が、迎えに来るから。それまで、ここに居て」
「うん、わかった」
優しい気に包まれて、その温かさに安堵する。
すると突然、深影の纏う気が殺気立った。
「深影?」
ばっと蒼羽から身を離し、深影がその場から消え去る。
「蒼羽」
入れ替わるようにやってきたのは、巌だ。巌もまた殺気立った気配を纏っていた。
「今、ここに居たのは、深影か?」
どきりと心臓が下がって、鼓動が速くなった。
とても嫌な予感がする。返事をしない蒼羽に、巌が続ける。
「お前は深影の存在を知っていたのだな、蒼羽」
「巌も、知っていたのか?」
この問いを投げていいのかさえ、戸惑う。
しかし、聞かずにはいられなかった。
「当然だ。あいつを里から追放したのは、俺だからな」
どん、と胸に強い衝撃が落ちた。
徐々に早まっていた鼓動が更に速くなる。
巌は鼓舞するでもなく嘲笑するでもなく、当然のように言葉を放つ。
「異端の中でも、これ以上ない程の異端児である真っ白の羽を殺さず追放など、やはり甘かった。あんな穢れが、お前と会っていたなど」
「深影は穢れてなんかない!」
突然、大声で怒鳴った蒼羽に、巌が言葉を止めた。
「深影は真っ白で綺麗な鳥天狗だ。それがどうして穢れなんだ。巌はどうしてそんなに白い羽を嫌うんだ。深影は優しくて強くて、僕らと何も変わらない。なのに、どうして!」
涙を流して必死に訴える蒼羽の姿に、巌は堪らず深い溜息を吐いた。
「こうなることが、嫌だった。深影に接触し感化されたせいで掟の重要性を軽視し、否定したくなったのだろう」
同情的な視線に、蒼羽の悲しみは怒りに転化した。
「違う! そうじゃない。僕はただ深影が好きなだけだ。巌は深影のことを知っていたんだろ? なのにどうして、わからないんだ」
同じ里で兄のように共に過ごしてきた巌に、言葉が全く受け入れられないことが悲しくて悔しくて涙が止まらない。
巌はそんな蒼羽を気にも留めずに、もっと驚くことを、さらりと言った。
「ああ、良く知っていた。だからお前の物心がつく前に里から追い出した。長の嫡子が真っ白い羽で生まれるなど、一族の恥だ。こうしてお前が穢れた兄と出会ってしまう可能性は当然あったのだから、やはり早々に間引いておくべきだった」
時が止まった気がした。
吹いていた風も、すぐそこに流れる小川のせせらぎも、木々の騒めきも、何もかもが聞こえなかった。
「兄? ……て、何? 深影が、僕の兄様、なの、か?」
巌が不思議そうな顔で首を傾げる。
「何だ、知らなかったのか。そうか、深影はお前に、兄だと名乗らなかったのだな」
思案顔になってしまった巌を眺めながらも、蒼羽の胸中は複雑だった。
大好きな深影が兄であることはとても嬉しい。
何かを見て感じる気持ちも考えもとても近しい深影が兄であることが。
しかし、そうなれば次代の長を継ぐべき本来の者は深影だ。たとえ白羽であろうと、長があの掟を廃止した以上、長を継ぐべきは深影なのだ。
(だから父様はあの掟を撤廃して……。だから深影は、わざと僕に兄だと名乗らず、里にも戻らずに……)
様々な思いが交錯し、視界がぐらつく。
頭の中がぐちゃぐちゃで思考が纏まらないのに、胸の中だけがとても痛くて苦しい。
「僕だけが、何も知らなかったんだ」
ぼそりと零れてしまった言葉に、巌が頷いた。
「お前は知る必要がなかった。鳥天狗一族存続の為に、そうすることが必要だった」
気が付けば視界だけでなく体が傾いていた。
その腕を取り、巌が強引に蒼羽を立ち上がらせる。
「俺たちは白羽を根絶し鳥天狗の新しい里を作る。新しい長として、お前が最も相応しい。蒼羽、俺と共に来い」
巌の声がぼやけて、とても遠くに聞こえる。
「嫌だ、行かない。そんなもの、僕は望まない」
体に力が入らず、巌の手を振り払えない。
(どうして、こんなことに、なったんだ。よくわからない、もう、嫌だ……)
思考を放棄しようとした時、下の小川で人の声がした。
松明を持った数名の人間と、それに囲まれる童の姿が目に入った。
「ちっ、北側に行けと指示した筈が、何故ここに」
巌が舌打ちして、蒼羽の腕を離した。
「そこで待っていろ。あれを始末してくる」
すっと飛び降りて行った巌の言葉が、頭の中をぐるぐると回る。
(始末? 始末ってなんだ? あの童を、殺すのか?)
「何だ、このガキは」
「見られた以上、殺すしかないだろう」
聞こえた声が人間の声なのか巌の声なのか、もうわからない。
けれど、どちらでもいい。
(助けなきゃ、あの子を)
その一心で、蒼羽は羽を広げ、人の群れの中に飛び込んでいった。
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