第19話 途中経過

 ふんわりと湯気の立つ濃いめの緑茶、焼き立てのきんつばに栗饅頭。

 どちらを先に食べようか迷いながらもきんつばに手を伸ばし、ぱくりと頬張ると志念が幸せそうにほっこりと笑う。


「やっぱり扇屋のきんつばは絶品やねぇ」

「志念は本当に扇屋のお菓子が好きだね」


 同じようににっこりとして言う一葉に、志念は頷いた。


「甘いものはご馳走やもんねぇ。特にきんつばは扇屋の看板菓子なだけあって極上やなぁ」


 志念が菓子をじっくり味わっている所に、大広間の襖が開いた。


「悪ぃな、遅くなった」


 どかりと腰を下ろす零に、一葉が小首を傾げる。


「零がこんなに遅くなるの、珍しいね?」

「いつものことじゃない。別に珍しくもないわよ」


 にべもなく言い放つ双実をよそに、くんくんと服の匂いを嗅ぐ一葉の頭をひと撫でして、零は皆に顔を向けた。


「どぉれ、今回は随分と収穫があったみてぇだが」


 色違いの双眼がちろりと紫苑を覗く。紫苑は優雅な手付きで懐から一枚の紙を取り出すと、零に手渡した。


「本所の外れの方に無宿人が屯している場所があってねぇ。その中で最近やけに羽振りの良いのがいるって聞いたから声を掛けてみたのよぉ。なんでも、金色川ってところから砂金を取って持って行けば採取した砂金以上の報酬がもらえるって言われて、乗ったらしいわぁ」

「ほぅ」


 紫苑に渡された紙に目を落としたまま、零が相槌を打つ。


「砂金の採取に行ったのは数日。何人かで徒党を組んでやらされたと言っていたけれど、他の連中の行方は知れないらしいわぁ、そもそも赤の他人だし毎回知らない顔と組まされたって話だったけれど。ついでに森の中を滅茶苦茶に荒らしてくれたら報酬は倍にするって言われていたようよぉ」


 紫苑の言葉に、参太は神妙な顔をする。


「成程、無宿人を使って砂金を搾取し里山をわざと荒らしていたんですね。無宿人なら用済みになって消しても誰も気が付かないし気にもしない。周到な計画性を感じますね」

「そうなのよぉ。その話をしてくれた彼に次の日また会いに行ったら、もういなくなっていたわ」

「それは、どうして?」


 睦樹が不安げな顔でおずおずと問いかけると、紫苑はにっこりと小首を傾げた。


「どうしてかしらねぇ、宿替えさせられちゃったのかしらね。この世じゃなくて、あの世に」


 ぞっとする睦樹を、眉を下げた顔で眺めてから紫苑は零に手渡した紙を指さした。


「で、無宿人の彼に指示を出していたのが、その男のようよぉ」


 零が眺めていた紙を卓の上に置いた。


「あたしが六ちゃんと村に行った時に見た、佐平次お抱えの対談方の男に、すごぉく似ているのよねぇ」


 全員がその似絵に見入る。

 身を乗り出した睦樹の心臓がドクン、と鳴った。

 知らない顔なのに、どうしてか鼓動が早くなる。

 顔色の悪くなっていく睦樹を眺める零を横目に、


「随分と絵心があるわよね、この彼。無宿人なんかやめて絵師にでもなったら宿替えなんかしなくて済んだかもしれないのにねぇ」


 紫苑の視線に気が付いて、零はすっと目を逸らした。


「これはもう、佐平次がごろつきを使って砂金を搾取し里山を荒らしていたことは確定ですね」


 参太の言葉に全員が無言で頷く。すると今度は五浦が珍しく自分から口を開いた。


「佐平次の行動を数日間追っていた。敷地内の離れで不審な集まりをしていたから天井裏から覗いてみた」

「天井裏?」


 睦樹が不思議な顔をすると、五浦がいつもの顔でこくりと頷く。


「五浦は忍者みたいに人目を忍んで動くのが得意なんだよ」

「!」


 あまりに意外で、思わず五浦を見上げる。

 先程見た人魚の五浦はとても綺麗で、そこに居るだけで、その存在感は隠しようもない程に強かった。

 しかし今の、いつもの真っ黒な服で目だけを顕わにしている五浦はまるで、隠しても滲み出てしまう雰囲気を封印しているように感じた。


「そう、なんだ」


 それしか言えずに黙ってしまった睦樹にこくりと頷くと、五浦は佐平次の離れの天井裏で聞いたことを話して聞かせた。

 話の中に出てきた巌、という名に、睦樹の心臓が先程より大きく跳ねた。とくとくと鼓動が少しずつ速くなっていく。


「これ以上にない決定的証拠、ですね」


 そんな睦樹を置き去りにして、参太が呟く。


「つまり纏めると、二代目近江屋佐平次は初めから芽吹村と里山に目を付けていた。庄屋や長百姓に話を付けても頓挫したので作戦を切り替え、裏から手を廻して砂金を搾取しわざと里山を荒らして村の混乱を誘発、利用し放火した。その後に慈善家然とした顔で村の再建に名乗りを上げた。更に策の何処かに伊作さんが絡んでいて、口を割られては困る事実を知っている、ということですね」


 参太の的確な纏めに、皆が沈黙を持って同意する。

 すると志念が菓子を食う手を止めて、ふうと小さく息を吐いた。


「結局、最初に話したようなことになってしもうたねぇ」


 しゅんとした空気が漂う中で、参太が危機感を含んだ目を零に投げた。


「このままでは伊作さんと甚八さんが、危ないですね」


 一葉が頷きながら困った顔をする。


「伊作の居場所、全然見つからないんだ」

「そこに居たって残り香はあるのに、行ってみると居ないのよ。そんなことがもう何回も続いてる。きっと逃げ回っているんだと思う」


 双実の言葉に、紫苑が続く。 


「伊作さんの奥さん、火傷していて動くのも難儀なようなのよぉ。そんな奥さんを抱えて隠れる場所をころころ変えるのって、とっても大変だわぁ。親切な何処かの誰かさんが、手引きでもしているのかしらねぇ」


 ちらりと覗く意味深な紫苑の視線をさらりと躱して、零は突然話題を切り替えた。


「それはそうと、五浦の話からすりゃ、佐平次の真の目的は砂金の大元、金山てぇ所だな」


 不自然さを感じながらも五浦が頷く。

 零の目が睦樹に向いて、びくりと肩が震えた。


「金山は鳥天狗の里山の中に、あったんだろ?」


 睦樹は逃げるような心持で目線を下げ、俯いたまま頷いた。


「小川の源流である水が湧き出る岩場が、沢山の金を含んでいる大きな岩石で、鳥天狗の長が代々、それを護っていたんだ」


 沈んだ声が含む意味をあえて無視して、零が質問を続ける。


「小川を辿って源流近くの金山を探すのは、人だけじゃぁ、ちぃと難しいだろうな」

「鳥天狗が、護っているから……」


 そこで睦樹は、言葉を詰まらせた。

 紫苑の持ってきた人相書き、五浦の説明に出てきた巌という名の鳥天狗。

 人に化けているせいか人相書きは似ていなかったが、気付いてしまった。

 彼が、同じ里で暮らしていた仲間だということに。

 黙ってしまった睦樹を促すでも急かすでもなく、誰も何も言わない。

 ここ数日あやし亭で暮らしている睦樹には感じ取れた。

 もし、ここで自分が何も語らなくても、彼らはきっと睦樹を責めない。けれど。


「巌は、僕の従兄だ。昔から頼りになる兄さんみたいな存在で、凄く仲が良かったんだ。だけど……」


 ある時から、巌は変わってしまった。


(どうして、だっけ……?)


 意識の奥に掛かる霞の向こう側に、何かが薄らと見える感覚。

 今まであった厚い壁が薄くなっていくように、失くしたものが少しずつ戻ってきている。そういう感覚があった。


『忌み羽!』


 頭の中で一際大きく響いた巌の声に、体が硬直した。


『白い羽は忌み子だ!』

『古来より漆黒の羽を象徴としてきた歴史深く誇り高い鳥天狗を穢す存在だ!』


(僕は、それを聞いて、泣いたんだ)


 そう、泣いて怒った。

 どうしようもなく悲しくて悔しくてやりきれなくて、どうすることも出来ない自分が情けなくて。

 ふわり、と目の前を真っ白い羽が包んだ気がした。


(あれは……)


 忘れてはいけない、とても大切な……。

 そう感じた瞬間、睦樹の目からボロボロと涙が溢れた。

 どうして泣いているのかわからないのに、とても胸が痛い。

 止めようと思う程に溢れる涙を自分ではどうすることも出来ない。


「睦樹!」


 隣に座っていた五浦が睦樹の肩を包みこむ。

 何の躊躇いもない仕草で膝の上に乗せられて顔を抱き締められた。

 普段なら恥ずかしくて離れようと思うのに、今は五浦の胸に縋っていたかった。

 五浦の膝の上で泣く睦樹を眺めていた零が、ふぅと息を吐いて顔を上げる。


「一先ず、今の最優先は伊作と甚八の保護だ。参太と五浦は甚八を、一葉と双実は伊作を守ってやれ」

「了解しましたよ」


 困ったように笑う参太と頷く五浦の前で、双実は「はぁ⁉」と声を上げた。


「見つからない奴を、どうやって守るのよ」


 じっとりした視線に、零はばつが悪そうに頭を掻いた。


「それなぁ、居場所は何となくわかったから、明日ここに行ってくれ」


 紙切れを受け取り開く双実の隣から一葉が覗き込む。


「愛宕神社?」


 声を合わせる二人の視線から、あからさまに目を逸らして零が小さく返事する。


「おぅ」


 繕うように、参太が早口で補足をした。


「それなら伊作さんの方がまだ安心ですね。寺社仏閣の境内は殺生禁止と人の法で決まっていますから」

「何で零がこれを知ってるわけ? なんで教えるのが今なわけ? 私たちが必死に伊作を探し回ってるの知ってるのに」


 参太の取り繕い虚しく、双実が更にじっとりとした視線で零を問い詰める。零は思い切り顔を逸らして小声で答えた。


「さっき、古い知り合いが教えに来てくれたんだよ。だから今なんだ」


 零の目がちらりと睦樹を覗く。五浦に抱かれてボロボロ泣いていた睦樹は、いつの間にか眠りこけていた。まるで気を失ったかのように。


「あっそ」


 零の視線に滲む色に気が付いて、双実はそれ以上の詮索をやめ、席を立った。


「じゃあ明日はこの愛宕神社に睦樹も連れて行く、ってことでいいわけね」


 双実の言葉に、零がほんの少しだけ目を丸くした。申し訳なさそうに笑う。


「ああ、よろしく頼む。頼りにしているぜ、双実、一葉」

「うん! 任せて!」


 元気よく返事する一葉の隣で、双実が零にあっかんべぇと舌を出して見せた。


「零の、ばーか。もっと上手く仕切りなさいよね」


 プイっと顔を背けて大広間を出て行ってしまった双実とその背中を追って出て行く一葉を見送って、志念がくくっと笑った。


「零も遂に双実に叱られるように、なってしもたねぇ」

「双実ちゃんが成長しているのよ。嬉しいわねぇ、零」


 志念とは違う顔で微笑む紫苑。二人に挟まれて、居心地悪そうに零は目を泳がせた。


「確かに零にしては強引な仕切りでしたけど、良かったんじゃないですか。睦樹君、もう少しで何かを掴みそうですからね」


 優しそうで優しくない参太の言葉に難しい顔をする零を敢えて無視して、皆の視線は寝息を立てる睦樹に向く。


「この件も、睦樹の事も、ちゃんと決着すると、いいな」


 眠る睦樹の頬を優しく撫でる五浦を眺めながら、皆はそれぞれの思いを胸に微笑んでいた。

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