第18話 希少な人魚

 そんな中、あやし亭でも甚八の依頼を遂行すべく、一葉、双実、睦樹の三人が伊作探しをしていた。

 だが、 この日も結局、何の収穫もなく隠れ家に戻った。

 もう数日江戸の町中を歩き回っているが、一向に見つかる気配がない。

 臭いを探し当てても、既にその場所には誰もいないのである。

 そんな日を、もう何日も繰り返していた。


「すぐに見つかると思ったのになぁ」


 ぼやく一葉の声は、あまり残念そうにも聞こえない。


「江戸って言っても広いしね。それに、もしかしたらもう江戸にはいないかもしれないわね」


 珍しく弱音を吐く双実を見て睦樹は驚いた。

 それを見逃すことなく、猫の目がきっと睨む。


「多分、江戸の町に、いる」


 睦樹に噛みつかんばかりの双実が動きを留めて、振り返った。


 隠れ家の入り口であるオンボロ小屋の隣には、かなり広い池がある。

 その池の中から聞いたことのある声がした。

 睦樹はきょろきょろと池周辺を見回した。

 ぱしゃん、と水音をたてて、きらりと輝く碧色の尾びれが翻った。

 舞い上がった雫が尾の色を反射して淡く水色に輝き水面に落ちる。

 いくつもの水の輪が重なり消える中を、するりと流れるように泳いで、三人の前に男が浮かび上がった。

 そのあまりに美しい顔と姿に、睦樹は息を飲んだ。

 真っ白い肌に色素の薄い髪、形の整った瞳は尾の碧色より少し濃い花色をして、まるで空の青を吸い込んだ宝石のようだった。


「五浦、泳いでいたんだね」


 池の畔に駆け寄る一葉に、五浦はこくりと頷く。

 一葉の後ろで固まっている睦樹を見付け、気まずそうに顔を逸らした。


「あ、そっか。睦樹は五浦が泳いでいる所を見るの、初めてだよね」

「う、うん。凄く綺麗で、見惚れた」


 すると五浦は吸い込まれるように、すぅっと下がって水に顔を隠してしまった。


「え? 五浦?」


 戸惑う睦樹に、一葉がこっそりと耳打ちする。


「五浦は綺麗って言われるのが、ちょっと苦手なんだ」


 驚いて一葉を振り返る睦樹に、反対側から双実が訂正する。


「ちょっと、じゃなくて、かなり苦手なのよ」

「それは、照れてるのか?」


 今度は双実を振り返り問うと、二人が同時に同じことを言った。


「違う」


 どっちの顔を見て良いかわからず目の前の五浦に目を向ける。

 相変わらず頭まで水の中に潜ってしまっている。


「えっと、うーんと」


 どうしていいかわからずに言葉を探していると、今度は双実が睦樹に耳打ちした。


「五浦は人魚、しかも希少価値の高い男の人魚よ。その美しさ故に全身が高値で取引されるの、鱗一枚までもね。勿論人の間でだけ、だけど。涙の雫は宝石になっちゃうし高価な扱いされるから、零になるべく泣くなって言われてるし」

「しかも目が合っただけで女人が恋に落ちる、みたいなこともあって、色々困ってるんだよ。五浦としては」


 左右からこそこそと情報を与えられ、睦樹は目を白黒させる。


「昔ちょっと悲しいことも、あったみたいだしね」


 一葉の言葉に、慌てた心が急に凪いだ。

 ここに居る者たちは過去に何かしらを失っている。

 五浦はきっとその辺りが原因でここに居るのだ。

 途端に自分の言葉が浅はかだったと感じて、睦樹は五浦に頭を下げた。


「五浦、ごめん。僕が無神経だった」


 すると今度は五浦の方が慌てたように水面から顔を出した。


「違う、睦樹は悪くない。素直に綺麗と言われたのが久しぶりで、少し驚いた。あと、少し照れた」


 今度は睦樹の両脇にいた二人が驚いた顔をした。


「照れたの?」


 双実の信じられないという意を含んだ声に、五浦は頷く。


「下心なく綺麗と言われたのは、久しぶり、だったから。零や参太は、たまに言うけど」

「ああ、確かに」


 と言う双実を見て遠慮したように笑うと、五浦は睦樹に向き直った。


「ありがとう、睦樹」


 にこり、と笑う顔は透き通るように美しくて、睦樹は頷くことしかできなかった。


「五浦が水垢離してるってことは、人の郷に降りたってこと?」


 首を傾げる一葉に、五浦は頷いた。


「零に頼まれて、調べ事、してきた」


 五浦が、ひょいと陸に上がる。

 美しい紺碧の尾は空気に溶かされるように二本の足に変わった。


「紫苑も何か掴んだみたいだ。伊作も、多分江戸に、いる」


 腰に手拭を巻き付けながら話す五浦の体は、人の形になってもやはり綺麗だった。

 整った顔は同じだが、撓り引き締まった筋や均等のとれた体躯は、体の小さい睦樹からすれば最早憧れだ。


「じゃあ、中に入って皆で話そう!」


 隠れ家に向かいながらも呆然と五浦を眺める睦樹に気が付いて、五浦は少しだけ照れたように笑うと、手を伸ばした。


「睦樹も、いこう」

「う、うん」


 笑みまでもが完成された美に見えてしまうのは、人心を惑わすという人魚の妖力なのか。

 よくわからないが睦樹は、少し不器用で純真な男が差し出した手を取ることを、躊躇わなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る