第2話 依頼②

 雪姫が起きてきたのは、俺がホットケーキを焼き終える寸前だった。

 片面を焼き終えたホットケーキを木べらで押し付けつつ、声をかける。


「おせぇぞー」

「れでぃの支度は時間がかかるものだ、と以前、教えただろう? これだから、彼女いない歴=年齢の長遠唯月君は困る」

「……それ、お前にも突き刺さってね? むしろ、俺よりも年上の分、自分へのダメージが多いんじゃ」

「ふっ……この、飛鷹雪姫は『作らない』だけ。作る気になれば、すぐにでも作れることを忘れないことだなっ!」

「…………」


 毎朝恒例の戯言を聞きながら、俺は無言で火を止めた。

 フライパンをひっくり返し、大皿にホットケーキを出し、確認。うむ、我ながら上手いもんだ。

 一年前、此処に来るまで家事なんて一切してこなかったが、人間、必要に迫られれば成長するという良き事例だ。

 後方から不満そうな声。


「むむむ……唯月、どうして無言なんだっ! ここは肯定した上で、『そ、そんなぁ……ゆ、雪姫お嬢様に彼氏なんか出来たら、お、俺……俺っ!』と言いながら、涙目で私へ縋りつく場面だろう!? はいっ! やり直しっ!!」

「寝言は寝てから言え、ぐーたら引き籠り魔女。小説の読み過ぎだ。……つーか、お前が野郎と話しているのを、この一年の内で見たことがないんだが? 女の人で考えても、片手で足りるんじゃ」

「あーあーあー! きーこーえーなーいー!!」

「……朝からうるせぇなぁ」


 呆れつつ振り返ると、俺とお揃いのトレーナーとジーパン姿で、寝癖のままの雪姫が地団駄を踏み、拗ねていた。恐ろしく似合っている。

 確かに外見だけなれば、すぐさま男の一人や二人出来るだろう。

 ……根をあげるのも早いだろうが。生活能力絶無かつ、性格もひん曲がってるし。

 視線で訴えてくる。


『自分で着替えたよ? さ、この後は??』。


 ……こいつ。

 テーブルへ大皿を置き、冷蔵庫からバター。棚から蜂蜜の瓶を取り出しながら、適当に褒める。


「お~自分で着替えられたか。偉い偉い」

「ふっふ~ん。そうだろう、そうだろう! 私はやれば出来る子なんだ!! ただ、やろうとしないだけっ!!!」

「典型的なダメ人間の台詞だぞ、それ? いやまぁ……お前は基本、ポンコツ中のポンコツお嬢様ではあるが……」

「? そっち方が可愛い、と唯月は思うのだろう? そして、こう考える。『俺がいなくちゃっ!』って。ふっふっふっ……君は! もうっ! 私の術中に嵌っているんだよっ!!」

「……お前、俺と出会うまでよく一人で生きてこれたよな。そこにお前宛の封筒。中身は何時も通り読んでねぇ。あと、新聞な」

「ん~♪」


 雪姫は上機嫌な様子で椅子に座り、ナイフすら使わずホットケーキを綺麗に切り分け、一切れ口に咥えた。なんつー無駄な超絶技巧を。


 ――基本的に『魔術』は、小さく発動させることを前提としていない。


 魔術師が相対するのは『異形』であり、同職の連中であり、近代火器で武装した連中だからだ。躊躇すれば……自分が死ぬ。

 その為、『使い魔』についても殺傷性が高い種が好まれる。

 雪姫のように、ホットケーキを切り分ける為に魔術を使えるのは、熟練した魔術師のみなのだ。……まぁ、此奴の場合は、単に『面倒くさい』が先に立っているだけなんだが。

 雪姫は封筒を乱雑に開けながら、俺へ再び視線。


「唯月~切り分けたぞ? さ、褒めてくれ」

「えらいなー。それ、誰からだ?」


 珈琲をカップへ注ぎ、雪姫の前へ置く。角砂糖は二つ。ミルクは少な目。

 切り分けられたホットケーキにバターと蜂蜜を落とし、冷蔵庫へ。

 二切れ目を摘まんだ雪姫が、封筒を放り投げた。

 ――瞬時に消失。

 魔術なんだろうが、原理は俺程度じゃ推し量れない。


「君は知らなくていいし、私がどうこうすることじゃない。ま、近況と注意喚起、ってところかな」

「……近況と注意喚起、ねぇ」


 作っておいたサラダを取り出し、これまた手製の胡麻ドレッシングをかける。

 ――飛鷹雪姫の人間関係は、恐ろしく狭い。

 一年間、一緒に暮らしてきて、こいつが面と向かってまともなコミュニケーションを取ったのは……下手すると俺だけ。

 客人が訪ねて来ても、大半は会わず、後日の手紙か電話で済ませてしまっている。

 電話の場合も、短い言葉の受け答えのみで……外出すらもしていない。

 そもそも『飛鷹』という姓自体が著名な魔術師一族の姓ではなく、また、『二宮八家』を除けば数える程しかいない『特級』であるにも関わらず、まともに働いてもいないのだ。

 ……つくづく、謎な女だな、こいつ。実力は規格外なんだが。

 長い脚を組み、新聞を読み始めた雪姫の前にサラダボウルを置く。

 すると、嫌そうな顔をした。


「……唯月、野菜はいらないよ。ホットケーキと珈琲さえあればいい」

「駄目だ、喰え」

「くっ! わ、私は君のご主人様なんだぞっ!? く、口答えする気なのかい?」

「――そしたら今後、お前の分の飯は一切作らない。一年前と同じ、栄養食品オンリーにするか? 料理の味を知ったお前が、今更味気ない固形バーとかに戻れると?」

「!?!!! き、汚いっ! そ、それは汚いだろう、唯月っ!! 世界で唯一人、この私をここまで篭絡しておいて――……も、もしかして、お昼のチキンライスも?」

「作らない。確かに、昨日は助けられたが、この約束はそれより前の約束だしな。『俺がいる限り、滅茶苦茶な食生活はさせない』。お前、一年前この条件を呑んだよなぁ? 飛鷹雪姫ぇ? 腐っても魔術師ならば、約束は守らねぇ筈はねぇよなぁ?」

「うぐぐぐ……」


 雪姫が端正な顔を歪ませ、逡巡。新聞裏表紙が目に入った。

『都市部での失踪事件相次ぐ。新種の『異形』が関係か?』。

 俺は、銀製のフォークをお嬢様の前へ置き、目の前の椅子に座った。


「ほら、食べろ~。気づいてるか? お前、一年前よりも随分、顔色も良くなったし、健康的になったんだぞ? ――俺は今のお前の方がいいと思ってるよ」

「! ふ、ふ~ん……仕方ないなぁ。なら、食べてあげるよ。ふふふ♪ 本当に唯月は、私の扱い方が巧くなったね☆ ああ、言っておくけれど」


 雪姫が新聞を畳み、頬杖をつき俺を見つめた。

 そこにあるのは――まぁ、愛情なんだか、慈愛なんだかだ。


「この世界の誰であっても、私へ命令出来るのは君だけなんだからね? そのことを決して忘れないでおくれよ?」

「……命令しても、十の内、九以上は聞かねぇだろうが。ほら、食べろ。9時には事務所、開けるからな」

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