第3話 依頼➂

「「ごちそうさまでした」」


 二人で手を合わし、食後の挨拶。

 幼い頃、祖母ちゃんに散々叩きこまれた『挨拶だけはちゃんと出来るようにねぇ』は、最早完全に習慣化されている。

 雪姫が新聞を広げ、足を組んだ。


「唯月、珈琲のお代わり。あと、髪直してほしいな」

「へーへー。お嬢様の仰せのままに」


 俺は食器を食洗器へ入れ、雪姫のカップへ珈琲を注ぐ。

 魔術師だろうとも、近代文明の利器は有難く使う。

 時刻は既に8時30分。

 開所まで後30分しかないのだ。急がねば。

 雪姫の前へカップを置くと、特級魔術師様は満足気。


「うんうん。唯月も分かってきたね。素晴らしい!」

「言ってろ。早く櫛を出しやがれ」

「了解だよ」


 そう言った瞬間、俺の手に古い櫛。

 ――飛鷹雪姫の魔術。

 曰く『私に出来ない魔術なんて、この世界に殆ど存在しないよ』。

 とんでもねぇ……。

 後ろに回り、寝癖を直していく。

 一年前、こいつと出会った時はショートカットだったが随分と伸びたもんだ。

 あと、不摂生しているとは思えないくらい、綺麗なんだよなぁ。

 雪姫が振り返った。


「? 唯月、どうしたんだい?? 手が止まっているよ」

「――おう」


 いかんいかん。バレたら、何を言われるか分かったもんじゃない。

 髪梳きを再開。

 すると、新聞の内容が目に入ってくる。


『魔術師協会会長選挙、改革派が優勢か』


 俺は思わず声を発した。


「へぇ……改革派が勝ちそうなのか。やっぱり、例の事件の影響だよな?」

「だろうね。何せ保守強硬派は、あろうことか――『二宮八家』に列なる『百障子』家を使って、怖い怖い『十乃間』を排しようとしていたんだ。いいかい? 唯月。君も魔術師ならば、私がいない時にあの家へ喧嘩を売ってはいけないよ? 今の当主は穏健らしいけれど、何せ周囲が過激だからねぇ……敵対すれば、肉片も残らない★ 百障子の残党が国外へ逃亡出来たのは、連中がヴァチカンと強い繋がりを持っていたからに過ぎないのさ」

「……どう足掻いても、俺には関わりない話だな」


 苦笑する。

 俺は出来うる限りの努力をして五級魔術師。『使い魔』も使役出来ないし、これ以上の上がり目はなさそうな。『十乃間』幕下である『長遠』の家からも棄てられた落ち零れ。

 ……それでも、こうして魔術師の世界にしがみついているのは、我ながら情けない話ではあるんだが。

 雪姫の寝癖を直し終えた。


「ほら、終わったぞー」

「ありがとう。お礼に膝枕をしてあげよう♪」

「……その前に、部屋へ戻って洗濯物を出せ」


 俺は櫛を渡しながら、冷たく特級魔術師の提案を拒絶。

 すると、雪姫は櫛を虚空へ消し、腕組み。……普通、胸が強調される筈なんだが。


「なっ! 唯月、君はこの私の膝枕を拒絶するのかい!? 世が世がだったら不敬罪で生涯蟄居の身だよ? ――あと、何だい? その目は?? はは~ん。ようやく、私の年上の色気に気が付いて」

「残念ながらお前に19歳相応の色気はない。とっとと部屋で脱ぎっぱなしになっている寝間着を洗濯機に入れろ。話はそれからだ」

「ええ~。やだやだやだやだぁ~。私とお喋りをしようよぉぉぉ」


 ジタバタジタバタ。

 この、ぐーたら引き籠りお嬢様めっ!

 時計を確認。8時45分。まずい。

 嘆息する。


「……分かった。どうせ、今日も客なんかこないだろ。後でお喋りしてやるから、今は仕事をしろ」

「……本当だね?」

「俺がお前に嘘をついたことがあったか?」

「あり過ぎるよっ!!!! 私へ此処まで嘘をついたのも、唯月だけだよっ!!!!!」

「……お前の実家がどういうところか知らんし、あんまり興味もねぇが、甘やかされ過ぎだろうが? 好き嫌いは出来る限りしないっ! 自分の服くらいは洗濯機へ入れるっ! 不規則な生活も少しずつ直すっ! えーっと……あと、何だっけ?」

「長遠唯月は飛鷹雪姫に生涯付き従う!」

「――……退職届、書いてもいいか?」

「嘘、嘘、嘘だよ。小粋なジョークさ☆ 洗濯物、取ってくる♪ その後、歯磨きするね」


 戯言をぬかした特級魔術師様の姿が掻き消えた。転移魔術だ。

 ……魔術に関して言えば、間違いなく天才なんだがなぁ。

 転移魔術など、あいつが使う以外で見たことはない。余りにも差があり過ぎて参考にもならん。教えるのも病的に下手で、擬音で説明してやがるし。

 転移魔法はびゅーん、ってなんだ、びゅーん、って。

 俺は肩を竦め洗面台へ。開所までに、準備を整えておかないと。


※※※


 歯を磨き終えた俺は、屋敷を出て外へ。

 雪姫は自室から戻って来ていない。どうせ、読みかけの恋愛小説にでも捕まっているのだろう。あいつに、娯楽小説を教えたのは失策だったかもしれん。

 この一年、せっせと世話をし整えてきた庭を抜け、正門に向かう。

 敷地の外へ出て、木製看板を裏返す。


『飛鷹魔術師事務所 営業中』


 携帯が震えた。

 案の定、雪姫からだ。


『唯月、今日はお休みにしよう。そして、私とお喋りをしよう。昨晩、私はとても働いた。魔術協会の連中も数ヶ月は何も言ってこない筈だ!』

「……黙れ、引き籠り。世の中を舐めるな。魔術師であろうがなかろうが、仕事をしなければ、美味しいご飯が食えんのだ。あと、事務所としては真っ赤だからな?」

『大丈夫っ! だって、私、百回くらい転生しても大丈夫なくらい、お金持ちだしっ!! 事務所と名乗っているのは、協会の連中に泣きつかれただけだからねっ!!!』


 ……こいつには何れ世間の荒波を経験させねばなるまい。

 俺が固い決心をし、身を翻そうとした――その時だった。

 後方から女性の声。


「あ、あの……」 

「?」


 振り返ると、そこにいたのはスーツ姿で、手に革製の鞄を持つ若い女性だった。

 年齢は二十歳前半。スタイルがよく、目を引く容姿。ただ、魔力は感じない。

 ……うちの事務所に辿り着くからには、魔術師の筈なんだが。

 訝し気に眺めていると、慌てた様子で言葉を続けられる。


「あ、貴方が特級魔術師の、飛鷹さん、ですか? あの……依頼したいことがあって、来たんですけど……」 

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