第1話 依頼①

「ん~…………」


 目を閉じたまま手を伸ばして、俺は携帯のアラームを操作し止める。

 まだ、ねみぃ……だけれども、起きねば。

 身体を起こし、ベッドから降りる。

 携帯で時刻を確認――6時45分。

 昨晩、深夜まで『異形』と対峙したにも関わらず、何時も通りだ。


「……大分、毒されてきたか?」


 若干、物悲しく思いつつ頭を掻き、部屋を出て洗面台へ向かう。

 ――此処は、都内某所。閑静な住宅地内にある古い邸宅兼事務所。

 暮らしているのは、俺――長遠唯月ながとおゆづきと、この屋敷の主人であるぐーたら引き籠り魔女、飛鷹雪姫ひだかゆきひめのみ。

 なお、俺達の関係性はたった一言。『雇用関係』で言い表される。

 十六で実家を放り出された、落ち零れ魔術師の俺を拾ってくれた恩は、まぁ……多少感じてはいるものの、今の立場は何か違うんじゃね? と思わなくもない。

 冷水で顔を洗い歯を磨いていると、意識が覚醒してきた。

 ――昨晩、討伐した三級『異形』の件、午前中の内に魔術師協会に正式報告しておかねば。それと、冷蔵庫の中身や、雪姫が飲む珈琲がそろそろ乏しくなってるから買い出しも。ああ、天気が良いなら、諸々洗濯をもしたい。

 他は――……はっ!


「な、何を絆されているっ、長遠唯月っ! お前は本来、今日初めての有給を取るつもりだっただろうがっ!? 何の為に一年間、頑張ってきたっ!! それを阻止されたにも関わらず……甘っちょろいっ、甘っちょろいぞっ!!! 今日という今日は、強く抗議しなくてどうするっ!」


 鏡に映る自分へ訴える。

 ――黒髪黒目。容姿は平凡。身長は170手前で停止したまま。

 せめて、せめて、もう少し背が伸びれば……。

 いや待て待て。未だ俺は成長期。これから、これからだ。うん。

 自分を鼓舞し、ラフな私服に着替える。

 『勤めている』とは言っても毎日、依頼があるわけでもなし。

 今日の魔術師としての仕事は、精々昨日の報告書を作成するくらいだ。

 なお、俺は高校に通っていない。

 一昔前ならいざ知らず、今時の魔術師で中卒というのも稀だろう。

 ……通う金も、行く気もないから良いんだが。そもそも、雪姫が許してくれんし。

 トレーナーを着て、リビングへ。

 窓を開け空気を入れ替える。初夏の風が心地いい。

 次いで超高級珈琲メーカーを作動。一度だけ、値段を調べてみて絶句したのは良い思い出だ。

 その間に外のポストへ向かう。業界新聞を取らねば。

 雪姫は現代っ子だけれど、紙の新聞を読むのも好きなのだ。

 ポストを開けると入っていたのは新聞と雪姫宛の封筒。差出人の名前はないが、珍しいこともあるもんだ。

 さて、今日の新聞の一面は――


「は~……『藤宮ふじのみや』の倉庫から盗みねぇ……すんげぇ、命知らずもいるもんだなぁ……」


 俺は思わず呟き、重厚な玄関を閉める。

 ――『二宮八家にきゅうはっけ』。

 日本の魔術界を牛耳っている十の名家で、その中でも二宮――『藤宮』と『櫻宮さくらのみや』は別格。

 残る八名家をそれぞれ四家ずつ統べている、貴種の中の貴種の御家柄だ。

 そこの倉庫から何かしらを盗み出す……つまるところ、日本魔術界全体を敵に回したといっても過言じゃない。

 リビングへ戻り、ポットへお湯を入れて沸かし、封筒はテーブルの上へ。

 冷蔵庫を開け、諸々を確認。取り合えず、ホットケーキの材料はありそうだ。

 お湯が沸いたので、やたら上品な珈琲カップへお湯を注ぎ温める。

 『飛鷹』という姓を魔術師関連で見たことはないが、どうやらあのぐーたら魔女の実家はとんでもない資産家らしい。

 一年前、此処で住み込みを始めた時は、毎日冷や汗をかいていたもんだ……何もかもが懐かしい……。

 珈琲が出来上がったので、お湯を捨てて注ぐ。

 椅子に座り、新聞を読んでいく。


『藤宮家大倉庫に窃盗。犯人は逃亡中』

一夜いちよ十乃間とおのま当主、歴史的会談迫る』

百障子ひゃくしょうじの残党、国内に潜入か』


 世間は今日も剣呑だ。

 ま、『二宮八家』を除けば、国内で数える程しかいない特級魔術師である雪姫はともかく、俺みたいな木っ端魔術師には関係ない話ではある。

 珈琲を飲み干し、席を立ち屋敷奥へと向かう。

 階段を登ると少しだけ軋む音。何でも、東京大空襲にも耐えたらしい。

 廊下を進み、重厚な扉の前に立つ。

 かかっているのはクッションを抱きしめたデフォルメ魔女の看板。


『寝てるよ! 起こすのは、覚悟を持った人だけだよっ!!』


 ……無駄に可愛いのが腹立たしい。

 あと、一年前の俺よ。何でもかんでも契約書に拇印を押すんじゃねぇっ! 

 結果、俺は朝、ぐーたら引き籠り魔女を起こさないといけないんだからなぁ……。

 ドアノブを回し、室内へ。

 中には巨大な天蓋付きベッドが置かれ、布団が上下している。案の定、まだ寝ているのだ。

 一先ず、窓へ近づきカーテンを開け放つ。

 後方のベッドからぽわぽわした声。


「――……ん~ま、眩しぃぃ…………すなになるぅぅ…………」

「はんっ! 捻りがねぇなっ! 7時半だ、起きろっ!!」

「やーだぁぁぁぁ……まだ、ねむたぃぃぃ……」


 振り返ると、雪姫は布団に潜り込み顔半分だけを覗かせていた。

 寝癖のついたやや長い黒髪。半分寝ぼけているらしく、やや子供っぽい表情でとても19には見えない。

 ……が、とんでもなく整っている。初対面の人間は、飛鷹雪姫の外見にどうしても騙されがちだ。

 近くの椅子には、トレーナーとスウェットが投げ捨てられている。……こいつ。

 俺は箪笥から着替えを取り出しながら、細目で言い放つ。


「……言っとくが、9時開業、年中無休を決めたのはお前だからな? そして『飛鷹魔術師事務所』の所長もお前だ。とっとと起きて、着替えろっ! 朝飯の時間がなくなるだろうがっ!!」


 雪姫が頬を膨らました。

 この一年で随分と髪が伸びた。


「朝から酷いよ、唯月っ! そんなんだから、女の子にモテないんだよ? それに、此処で着替えてもいいのかなぁ? 私は今――」

「はいはい、下着姿なんだろ? 分かった、分かった。――着替え、此処に置いておくからな。その後、顔洗って、歯を磨け。ホットケーキは焼いておく」

「ぐぬぬぬ……唯月、違うだろうっ! そこは『や、止めろよっ! お、俺だって、男なんだぞ?』って慌てる場面じゃないかっ!? それとも、私の身体に興味がないと言うのかいっ!?!!」

「! バカっ!!」


 止める間もなく、雪姫はベッドの上で立ち上がり、布団が滑り落ちた。

 ――華奢で美しい肢体と純白の下着。そこへ散らばる輝く黒髪。

 雪姫は目をぱちくりさせ「~~~!!!!!」声なき悲鳴をあげ、布団を羽織った。恨めし気に俺を見てくる。


「ゆ~づ~き~ぃぃぃ………………」

「俺のせいじゃないだろうがっ!?」

「私のミスは君のミス。君のミスは君のミスだっ! 罰として、美味しいホットケーキを焼いておくよーにっ!!」

「り、理不尽の極み!? ……まー分かった。あと、郵便届いてたぞ。朝飯の時に読めよ」

「分かったよ。――……ああ、それと」

「あん?」


 雪姫が言い淀む。

 俺は、部屋の入り口の前で立ち止まる。


「私の下着姿、どうだった? 欲情したかい??」

「――……もう少し色気、っと」


 扉を閉めると、枕が叩きつけられるでかい音。怖い怖い。

 中からは呪詛の言葉が聞こえてくる。

 ……いや、お前くらいの魔術師だと、本気で呪われそうなんだが?

 俺は肩を竦め、その場を離れた。


 さて、あいつが起きてくるまでに、美味いホットケーキを焼いておかないとな。

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