第36話 そして……。

 春休みが始まる頃に満開になった桜は、四月に入ると花びらを散らし始めた。

 去年はうつむいていて、桜を見た記憶がない。もったいないことをしちゃったなと苦笑いして、日菜はみんなに向き直った。


 おじいちゃんの家の前には、真央と千尋。和真と大地。そして、悠斗が来ていた。

 今日、引っ越す日菜を見送りに来てくれたのだ。


「向こうに行っても連絡してよ、日菜」


「夏休みにはこっちに来るだろ? そのときは知らせてよ」


 千尋はにかりと笑って、大地は自分のスマホを左右に揺らして言った。


「また、みんなで夏祭りに行きましょ」


「あと秋祭りもな」


 真央と和真が微笑んで言った。でも、和真はすぐに意地の悪い笑みを浮かべて、


「今年の秋祭りは白石も行くだろ?」


 となりの悠斗の顔をのぞき込んだ。悠斗は目をぱちくりとさせたあと、


「行くには行くけどさ。俺、日菜と二人で行くつもりなんだけど?」


 あっけらかんと言った。

 売り言葉でも、冗談でもなく、大真面目に言ってるとわかっているのだろう。和真だけでなく、真央もじろりと悠斗をにらみつけた。


「白石、お前……調子に乗るのも、たいがいにしろよ」


「日菜と遊びたいのはこっちもいっしょなのよ。絶対に邪魔してやるから」


「協力してやる、橋本」


「よろしく、平川」


 和真と真央は悠斗をにらみつけたまま、グータッチした。二人を見て、悠斗は首をすくめた。日菜と千尋、大地は、顔を見合わせて苦笑いした。


「そういえば、高校ってどこ受けるつもり?」


 千尋がそう尋ねたのは、悠斗と同じ高校に行く約束をしたと日菜から聞いていたからだ。恋愛話が大好きな千尋の目はキラキラと輝いている。

 日菜と悠斗は顔を見合わせて、


「ここと私の家の真ん中あたりにあるから、央高おうこうがいいかなって」


「うん、央高の普通科狙い」


 うなずき合った。と、――。


「普通科狙い……じゃ、ないだろ。白石」


 和真が低い声で言った。見ると和真だけじゃなく、真央も怖い顔をしている。その横で千尋と大地はあきれ顔だ。

 四人の表情を見て、日菜は困り顔で首を傾げた。どういうことだろう? と、思ったけど、


「お前、自分の成績わかってんのか!」


「国語以外、全っ然! 央高のレベルに届いてないでしょ!?」


 どうやら、そういうことらしい。

 和真と真央が、悠斗の肩をつかんで怒鳴った。


「なんで平川と橋本が俺の成績、知ってるんだよ!」


「問題はそこじゃない!」


「問題はそこじゃないのよ!」


 唇をとがらせる悠斗を、真央と和真が同時に怒鳴りつけた。


「日菜の成績なら央高は問題ないわね!」


「うっかりミスさえしなければ大丈夫です!」


 真央のいきおいに、日菜は思わず背筋を伸ばした。


「つまり問題は、やっぱりお前ってことだよ、白石!」


 日菜の返事を聞くなり、再び、二人は悠斗をにらみつけた。


「日菜、安心しなさい。クラス副委員長として、きっちり! 白石を合格ラインまで持っていってみせるから!」


「協力してやる、橋本。理科と数学は任せとけ」


「よろしく、平川。英語と社会は私がみっちり見てあげるから、覚悟しなさい」


 腰に手を当てて仁王立ちする二人を見上げて、悠斗はいきおいよく首を横に振った。


「やだよ、お前らに勉強教わるなんて! うるさいし、しつこいし!」


 和真に首根っこをつかまれて、悠斗は唇をとがらせた。

 野良猫みたいにツンとそっぽを向く悠斗に苦笑いしていた日菜だったけど、


「それじゃあ……真央、平川くん。悠斗くんのこと、よろしくお願いします」


 にっこりと笑った。ぎょっとしたのは悠斗だ。


「なんでだよ、日菜! 俺、一人でも勉強できるよ! 牧羊犬コンビ、うるさいし、しつこいし、怖いし、やだよ!」


「牧羊犬コンビ!?」


「牧羊犬コンビ、うるさいし、しつこいし、怖いしって……白石、お前……!」


 真央と和真ににらまれても、全然、気にしてない。

 遠慮なく文句を言って、あっけらかんとしている悠斗を見返して、


「悠斗くん」


 日菜は冷ややかな声で名前を呼んだ。悠斗はハッと目を見開くと、そろそろと首をすくめた。

 しばらく視線を宙にさまよわせたあと、


「よろしく……お願いします」


 観念したように、和真と真央に頭を下げた。それを見て、日菜はくすりと笑った。

 悠斗にはもうしわけないけど、日菜はどうしても。悠斗といっしょの高校に行きたいのだ。


「ちなみに私と真央も央高だよ。真央は特進科だけどね」


「俺と和真も同じ。和真は特進科、俺は体育科の推薦狙い」


 日菜の横にやってきた千尋と大地は、小声でささやいた。

 二人の言葉に、日菜はパッと目を輝かせた。うまくすれば、また高校で再会できる。よけいに落ちられない。

 決意をこめて、ぐっと手をにぎりしめる日菜の肩を、千尋が力強く叩いた。


「白石のことは平川くんと真央に任せておけば大丈夫。あと、私のことも!」


 そう言った千尋の目には涙がにじんでいた。そう言えば、千尋もあまり成績がいいほうではなかった。

 苦笑いしていると、


「日菜、そろそろ行くわよ」


 お母さんに呼ばれた。

 おじいちゃんの家のななめ前にある駐車場に、軽自動車が止められている。

 お父さんは運転席の窓から。助手席側に立っているお母さんとおじいちゃんは、車のボンネット越しに日菜を見つめていた。

 もう行かないといけないのだ。


 日菜は唇を噛んだ。鼻の奥がツンと痛い。でも、一年前とは違う。グッと涙を堪えて、


「みんなに会いたいから、また、すぐに遊びに来るね。絶対。だから……またね」


 正直に、素直に、自分の気持ちを伝えて。日菜はみんなに手を振った。

 真央と千尋が当然、と言わんばかりにうなずいた。和真と大地が笑って手を振った。悠斗はにひっと歯を見せて笑った。


 もう一度、みんなに笑いかけて、日菜はくるりと背中を向けて走り出した。


「お待たせ!」


 そう言って車に乗り込もうとした日菜の頭を、


「……」


 おじいちゃんがそっとなでた。いつもどおりの無表情だ。

 でも、よく見てみるとおじいちゃんの細い目の端にほんの少し、涙がにじんでいた。


 ――もしかして……おばあちゃんが死んだときも?


 そのときも、おじいちゃんは本当は泣いていて。ただ、日菜も、お母さんも、誰も。気が付かなかっただけなのかもしれない。

 日菜はほほを緩めると、背が高くて、細いおじいちゃんの腰にしがみついた。


「また、すぐに遊びに来るね。おじいちゃん」


 おじいちゃんの手が一瞬、止まった。かと思うと、


「……っ」


 日菜の髪をくしゃくしゃとなでた。

 急なことに驚いて、日菜は首をすくめた。でもすぐに照れ隠しだと気が付いて、くすくすと声をあげて笑った。

 ちらりと見ると、お母さんもおじいちゃん見つめて微笑んでいて。日菜はますます、笑顔になった。


「それじゃあ、出発するぞ」


 日菜が車に乗り込むと、お父さんはそう言った。おじいちゃんは家の前に戻って、悠斗の後ろに立った。


 車がゆっくりと走り出した。

 駐車場を出て、左に曲がって――車はみんなに背を向けるようにして走り出した。

 後部座席にひざ立ちになって、次の角を曲がってみんなの姿が見えなくなるまで、日菜は手を振り続けた。


 おじいちゃんの家のまわりは細くて、入り組んだ路地が続いている。三回、角を曲がったところで、


「日菜、そろそろ座って。シートベルトをしなさい」


 お母さんに言われて、日菜はようやく座り直した。

 シートベルトをしめて、斜め掛けのカバンにしまっていたスマホを取り出すと、メッセージが届いていた。


『今日、こっちに帰ってくるんだよね』


『泣いてない? 日菜は泣き虫だから心配』


 奈々と彩乃からのメッセージだった。そのあとにおろおろしている動物のスタンプも届いていた。奈々はクマ、彩乃はハムスターだ。

 日菜はくすりと笑って、


『大丈夫、泣いてないよ』


 そう送った。

 窓の外を見ると、交通量の多い、大きな通りに出ていた。車はどんどんとスピードを上げていく。おじいちゃんの家も、東中も、どんどん遠ざかっていく。

 そう思ったら、急に泣きそうになってきた。日菜はきゅっと唇を噛みしめると、


『でも、やっぱりさみしい……!』


 正直で、素直な言葉と。インコが大泣きしているスタンプを送った。

 すぐさま奈々と彩乃からもスタンプが返ってきた。

 奈々はクマがインコの頭を撫でているスタンプ。彩乃はハムスターとインコが抱き合っているスタンプだ。

 泣きそうになるのをこらえて笑っていると、新しいメッセージが届いた。


『今日から日菜といっしょに夕飯食べれないの、さみしい』


 悠斗らしい正直で、素直な言葉だ。

 うそなんじゃないかなんて、疑う必要もない。単純で、真っ直ぐな言葉。


 一年前の日菜は言葉も、気持ちも、飲み込んでばかりで。

 悠斗に迷惑だと言われてケンカになってしまったけど。今はもう、大丈夫だ。


『私もさみしい。だから、またすぐに会いに行くね』


 日菜はメッセージを送って、微笑んだ。

 日菜の心は、指は。悠斗につられるように正直で、素直な言葉をすんなりとつむいだ。


『俺も、会いに行くから!』


 悠斗らしい元気いっぱいの言葉のあと。送られてきたスタンプの黒猫は、やっぱり元気いっぱいに拳を振り上げていた。

 スタンプの黒猫と悠斗の真剣な顔が重なって、日菜はくすくすと笑った。黒猫のスタンプを指でなでてから、そっとスタンプを送り返した。


 正直で、素直な日菜の気持ちだ。

 言葉で、文字で、何度、伝えたって足りない気持ち。

 次に会ったときには。ううん、今夜の通話でだって、言うつもりだけど。

 今は――。


 大好き――と、叫ぶインコのスタンプを、そっと悠斗に送って。

 日菜はくしゃりと笑った。



<完>

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