第11話

「別の場所とは、どこなのですか?」

 ミグロの問いかけにユリノイ王が僅かに目を伏せた。

「ジョブニアのはずれにある教会に安置されています」

「ジョブニアというのは聞いたことがあります。確か、ユリノイの従属国でしたな」


 ミグロはやはりこの世界のことをよく知っている。それにしても、ホルガルを、統治しているとはいえ別の国に任せているというのはどういうことだろうか。ユリノイに来てから、僕の頭の中には違和感の塊がいくつも出来上がっていた。荘厳な城門しかり、堅牢な建物しかり。しかし、奥歯に挟まったような感覚を吐露できるような雰囲気にもならず、僕は口の中でもやもやを噛み締めるしかなかった。


「ジョブニアにはすでに話を通しております。イスチグアの盾が、あなた方の光明になることを願っています」

 ユリノイ王は、応接机に置かれた小箱を開けた。そこには百合の紋章で封をされた手紙が入っていた。他にも、ユリノイとジョブニアを描いた地図もあった。イルミナリ国で渡されたものと同じように、簡略化された山や湖の絵柄が描かれていて、ユリノイ国の文字の下には百合の花が、ジョブニア国の文字の下には龍が描かれていた。


「結構遠いんですね」岬が地図を覗き込んだ。「イルミナリからここまでと同じくらい」

「道は、これまでよりも平坦で治安もいい。キルラキルのようなことにはなりません」

 ユリノイ王は岬を一瞥し、穏やかな声を出した。最初はあれほど狼狽した様子だったのに、僕たちに会って覚悟を決めた、そんな気配を感じた。

 ユリノイ王が立ち上がった。ミグロもそれに倣うように腰を上げ、書簡と地図を手に取った。僕と岬も後に続き、三人揃ってユリノイ王に礼を言った。


 宮殿を出る時も、僕たちは裏口からソルムに乗り、ユリノイの城門までまっすぐに連れて行かれた。

「道案内は、本当によろしいのですな」

 城門近くの路地裏でソルムを下された僕たちに向かって、ユリノイの従者が伺うような視線を向けた。

「はい。地図があれば問題ありません。ユリノイの方を、これ以上巻き込むわけにはいかないかと」

 ミグロが慇懃に答える。含むような物言いに、目前の従者がぐっと息を飲むように顔を伏せた。


「かしこまりました。ジョブニアに入りましたら、直接教会へ向かってください。くれぐれも、お気をつけて。イスチグアの盾を拝受されたら、ジョブニア国王に謁見されればよろしいかと存じます。最後のホルガルの場所はそこで」

 ソルムの袂で礼をする従者に、僕たちは別れを告げた。空に突き出している城門をくぐり、ユリノイの外に出る。門の衛兵が揃って敬礼をしていた。まるで戦場に赴く兵士を見送っているようで、場違いにも誇らしさが胸をついた。


「ブルー、ぼけっとしていると置いてくよ」

 岬に追いつくと、その傍らでミグロが立ち止まっていた。ちょうど道が二手に分かれていた。ミグロは地図と風景を交互に見て、進む道を考えている様子だった。僕はミグロの手元を覗き込んだ。ユリノイ王から渡された時点で思っていたことだったが、この手書きの地図はあまりに、なんというか、稚拙だった。

「まだわからないわけ?」岬が業を煮やしたようにミグロを責め立てる。


「地図にこの分かれ道が記されていないのです。先の地形と照らし合わせているから、もう少し」

「先の地形って……」僕は来た道からまっすぐ伸びる道の先を見て、次にそこから枝わかれするように左に折れる道を眺めた。「どっちも、向こう側は山だし、それに道が降っているからその先はよくわかりませんよ」

「静かにしていてください。気が散ってしまう」

 目を鬼のように釣り上げて遥か先の山を睨むミグロの顔をこれ以上見ていられず、岬とバツの悪い顔を突き合わせた。


「ねえ、ジョブニアに行くんでしょ?」

 不意に後ろから呼びかけられた。聞き覚えのある声に、僕と岬は揃って振り向いた。案の定、そこにはあの桃色のネコがいた。腰に手を当てて、僕たちに挑発的な視線を送っていた。

「あんた、さっきのピンク色」岬が棘のある声を発した。「まだいたの?」

「困ってるんじゃないの?」岬の言葉を受け流し、桃色のネコは瞬く間に僕たちの懐に滑り込んだ。甘い香りが僕の鼻をくすぐった。「私なら、ジョブニアに行く道を知ってる」


 ミグロがピクリと体を揺すり、僕たちの間に入ってきた。鬼の形相は相変わらずで、僕はその刃のような目にギクリとしたが、桃色のネコは全く意に返さないようにミグロの地図を覗き込んだ。

「こんなの見てたら着けるものも着けないって」

「見ず知らずのネコに道案内を頼む謂れもないし、どんな危険があるかもわからない場所に連れていくことはできない」

「そんなこと言っていられる状況なわけ?」凄むミグロに対しても、桃色ネコはどこ吹く風で、一人左の道を歩いていく。「ほら、早くして」



 桃色のネコはミーサと名乗った。カーキー色のリュックを背負い、首からコンパスを下げている姿は、旅行者というよりは探検家か何かのようで、僕はずんずんと進んでいくミーサの背中をぼんやりと眺めていた。

「ねえ、本当に大丈夫なの?」

 ユリノイ国を出てすぐに遭遇したミーサは、分かれ道の度に立ち止まる僕の髭をつかみ、こっちだと引っ張っていった。ミグロは最初の方こそ地図とにらめっこをしたまま抗弁をしていたが、もう今は地図をしまい、むすっとした顔を目前に向けるだけだった。


「確かに街道のようですから、今はついていくしか」

 ミグロは諦めの色を濃くした目を岬に向けた。岬はふんと息を吐き、じとっとした視線をミーサに送った。

「髭を引っ張られるのは勘弁してほしいんですけどね」僕はひりひりと痛む頬をさすった。ミーサは僕たちがひそひそと話しているのも全く意に介さない様子で、数歩先の世界を眺めていた。そんなミーサが腰に手を当てて振り向いたのは、勾配を登りきった先、ちょうど視界が開けた場所だった。


「あれがジョブニア」

 緩やかに曲がる街道の行き止まりに四角く縁取られた土地が見えた。眺望を見る限り、イルミナリやユリノイよりも小さい国だと知れた。

「間違いなのですな」ミグロが刺々しくミーサに詰め寄る。

「信じてないなら、確かめてみれば」

 つんと鼻を尖がらせ、ミーサが丘を降っていく。挑発的な言い方にミグロがぐっと息を飲む気配がした。岬も「いやな感じ」と鼻息が荒く、僕は二人をまあまあと宥めた。


 ジョブニアの門番にユリノイで渡された手紙を見せると、中身の確認をすることなく門が開かれた。話が通っているというのは本当らしい。

「教会は街のはずれ、西の区画になります」

 門番は僕たちに視線を合わせることなく、それだけを言うと城門の警備に戻った。これ以上の情報はここでは得られそうもなかった。


 ミーサがまた先頭を歩く形にあり、僕たちはジョブニアに入っていった。

 国の規模が小さくても、城門からまっすぐに続くメインストリートはそれなりに活気があった。所々に露店が開かれ、野菜や果物が売られていた。イルミナリでも見た、〈腰の抜けないイカ〉も売っていた。ユリノイ国とは違う。この違いは何なのだろうか。あまりに閉鎖的で何かに怯えていたようなユリノイの国と、その属国たるジョブニアの平穏な空気、僕にはそれが何に起因するのかわからなかった。


 考えていても仕方がないことなのかもしれない。ホルガルを譲り受けることができれば、この世界の国々が抱える問題など関係がないとも言える。それが正しい理解なのかもしれない。僕は疑問を頭の隅に棚上げにした。

「教会ってあれじゃない?」岬が指差す先に、その建物はあった。周りの建物が白色を基調にした石造りなのに対して、その建物は赤茶色のレンガで造られていた。西の区画のはずれ、場所も符合していた。


「じゃあ、入るわよ」ミーサが扉に手をかける。

「もう少し周囲の確認を」ミグロが制止しようと手を伸ばすが、間に合わなかった。ぎぎぎっと、木のきしむ音が響いた。光が中に差し込む。ミーサが隙間から体を滑り込ませる。

「大丈夫。誰もいないし、怪しいところもないから」

 ミーサの声が中で反響した。僕たちも続けて教会に入った。真ん中に通路があり、その脇に机と椅子が並んでいた。ミーサの言うように、そこには誰もいなかった。祈っている人も、祭司もいない。建物の上にある明かり窓から差し込む光は柔らかく、確かに教会然とした雰囲気だった。


「ここにホルガル、イスチグアの盾があるのですか」

 僕の問いかけに、ミグロは小さく頷いた。

「探しましょう」

 ミグロの号令で僕たちは教会の中を捜索した。居並ぶ机を一つずつ見て回る。作り付けの机はただ板を張り合わせただけの簡素なもので、何かを保管できそうなスペースはなかった。

 礼拝堂を一通り捜索した後、僕たちは祭壇に登った。向かって左側には祭司が立つ講壇があり、正面の壁には龍のレリーフとともに百合の文様が描かれていた。僕は手を伸ばし、レリーフの埋め込まれた石板の隙間に爪を立てた。外れそうな気配はない。僕は岬の姿を探した。岬は講壇の裏側に首をつっこんでいて、傍にはミーサもいた。


「岬、ありそう?」

「うん。なんか、底の板が外れそうなの」

 足元に保管するというのはどうなのだろうとも思ったが、盗難の危険を少しでも軽減するためだろう。ミーサが岬の手元を見ながら、もう少しと声をかけていた。

「あ、取れた」

 岬が講壇から顔を出した。10センチ四方の板をミーサに渡すと、ライトもない中、岬は腕を底板のあった場所に腕を突っ込んだ。

「あ、これかも」嬉しそうな声がした。岬がゆっくりと体を起こした。


 岬の手に、差し渡し20センチほどの盾が握られていた。百合のモチーフがふんだんにあしらわれた様子はハルタの短剣と同じだった。ずしりと重い盾は、当然だが硬い素材でできていた。金属でもないし、プラスチックとも違う。

「これが、イスチグアの盾」

 僕は岬から盾を受け取った。岬はよかったと顔をほころばせていた。僕は照れ臭くなって、鼻の下をかいた。

「間違いなさそうですね」

 後ろからミグロが覗き込んできた。

「ええ。結構すんなり行きましたね」


「それは私のおかげでしょ」ミーサが胸を張った。

「そうでしたな。世話になった」

 ミグロがミーサに礼を言った。ミグロがまとっていた緊張感はすでになかった。雰囲気が和む気配がして、僕はお尻を床につけた。

 その時、ふと明かり窓から差し込む光が弱まったように思えて、僕は天井を見上げた。唸るような不気味な音が聞こえたのは、そのすぐ後だった。

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虹の音 長谷川ルイ @ruihasegawa

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