第4章 緑

第10話

 ユリノイ国の城門は、差し渡し十メートルはあろうかという巨大なものだった。高さも同じくらいあるように見えた。果たしてどうやって建造したのか想像することもできなかった。人間の世界でもそれだけ大きな門は必要ないだろうに、その五分の一ほどのサイズ感であるネコにとって、十メートルというのは体感できる最大径に近かった。

 呆然と見上げる僕と岬をよそに、ミグロは城の門番と話をしていた。イルミナリ王の信書を見せながら、正式な謁見を申請しているのだろう。ユリノイ国の手前まで僕たちを送り届けてくれたイルミナリ王の従者に渡されたのがその信書だった。


「それを渡すのを忘れていました。それで追いかけていたのですが、今を思えば怪我の巧妙でしたな」得意げに言う従者はソルムを操り、元来た道を帰っていった。

 従者には、それを見せればユリノイに入れるとしか聞いていなかったし、それ以外に身分を示せるものは持ち合わせていなかった。

 ミグロがこちらに戻ってきた。肩をすくめ、首を横に振っている。


「確認する、の一点張りです。少し時間がかかるかもしれません」

「しょうがないよ。セキュリティーっていうのはそういうものだろうし」

「少しって、どのくらいでしょうね」

「わかりません。仕方がありませんから、向こうの茶屋で時間を潰しましょう」

 ミグロの差す先には、時代劇で見るような、軒先の縁側に椅子があって、暖簾のかかった入り口の脇に幟が立つ、一目でそれとわかる建物がこぢんまりと佇んでいた。


 店は比較的混雑していた。板張りの床を鳴らして、店員がひっきりなしに駆け回っていた。それでも空いている席を案内してくれた。通路を進む。テーブル同士の間隔が狭く、座る途中で反対側に座るネコにぶつかりそうになった。ちらっと横目で様子を伺う。桃色の毛並みが綺麗な、品の良さそうなネコだった。気に留めていない様子にほっとして、僕は席についた。右隣には岬、正面にミグロが座った。


「ご注文は?」すかさず店員が近寄ってきた。

「コーヒーを三つ」

 まだメニューも見ていないのに、ミグロはまるで喫茶店で注文するような場慣れした態度で店員に答えた。

「コーヒーなんかあるんですか?」

 猫の飲み物と言えばミルクか水くらいだと思っていた。キルラキルの食堂でも水と謎のスープくらいしかなかったから、人間らしい飲み物など口にできるとは思っていなかった。


「ネコが飲んでいいの?」岬も僕と同じタイミングでミグロに詰め寄った。「カフェインは猫にあげちゃダメなんだよ」

「この世界のコーヒーはカフェインレスですから、大丈夫ですよ」

「そんなに都合よくできるわけ?」

「人間も、猛毒のフグを食べるではありませんか。適切に処理をすれば……」得意げに表情を緩めたその目が瞬間鋭くなる。ミグロはすっと僕から視線を外し、「何か、御用かな。御仁」と尖った言葉を発した。


 ミグロの視線は、僕の左、通路を挟んだ隣のテーブルの方に注がれていた。僕も声を向けられた側に顔を向けた。桃色の毛並みのネコが、じっとミグロを見つめていた。

「あなたたち、イルミナリから来たって本当?」目を細め、詮索の眼差しを僕たちに向けた。「噂になってるから」

「だとしたら、どうなのだ?」ミグロの険のある声が低く響いた。

「いいえ。でも、あまり猫の話はしないほうがいいんじゃい。人間の世界から来たこと、この世界で広まると厄介だから」


 桃色のネコは一息に言った。言葉が鼻先に絡みつくような感覚になる。厄介ごと、僕たちがそれを引き寄せているとでもいうのだろうか。ミグロが何か言い返そうとしたが、すぐに桃色のネコは席を立って、バッグを肩にかけて店を出てしまった。

「何あれ、感じ悪い」岬が唇を尖らせる。「ピンク色だからってお高くとまっちゃってさ」

「色の問題なの?」僕は思わず言い返した。ミグロはじっと考える素振りを見せていたが、それ以上その桃色のネコのことは話さなかった。


 しばらくしてコーヒーが運ばれてきた。

「ちょっと物足りないけど、何か懐かしい感じ」岬が声を弾ませた。

「ヴェルトでもこの味が出せるとは驚きです」ミグロは、先ほどの緊張が嘘のように、カップを大事そうに持ち上げて、コーヒーを味わっていた。

「味も分からずに頼んでたの?」


 ミグロが苦笑いを浮かべ、再びコーヒーに口をつけようとした時、店の軒先から呼びかける声がした。

「ミグロ殿の一行はいるか」

 軍服にサーベルを帯びた、見るからに門番の兵士がそこにいた。話がついた、ということだろう。

「ここです」

 ミグロが立ち上がり、僕と岬も続いた。



 門番に先導され、僕たちはユリノイの豪奢な門をくぐった。土埃の舞う外とは打って変わって、石畳の通りがまっすぐ続いていた。

「静かなんだね」広い通りは、ネコ通りこそ多かったが、黙々と歩く姿があるばかりで、イルミナリ国で見たような活気ある雰囲気ではなかった。国のイメージはそれぞれということかもしれないが、城門の荘厳で落ち着いた気配が、街全体を覆っているようにも見える。


 衛兵の背中が動きを止め、道路の脇に退いた。立ち止まった僕たちの前に、いつの間にかこちらに歩いてくるネコの姿があった。緑色のベストを着て背筋を伸ばして近づいてくるネコは、まっすぐ僕たちの前まで進むと、深々と礼をした。

「ミグロ殿、そして旅の方々、お待たせして申し訳ございませんでした」

 ミグロが礼を重ねる。成り行きからして、ユリノイ王に仕える従者と知れた。従者はすぐに体の向きを変えた。衛兵から先導する役割を交代するようだ。


「ユリノイ国王がお待ちです。こちらへ」

 従者は正面ではなく衛兵の横を通り抜け、道路に面する建物の間に伸びる路地にその歩を進めた。ミグロが戸惑いの視線を衛兵に向けたものの、直立姿勢を崩さない彼らは何も言葉を発しようとしなかった。

 仕方なく、ミグロを先頭に従者の後を追いかけた。石造りの建物は城門と同じく堅牢だった。これも、ネコが住むにしては大きすぎるきらいもあったが、人間の世界でいえば超高層マンションの類なのかもしれない。路地はネコがすれちがえる程度の隙間しかなく、いつの間にか後ろについた従者に挟まれ、逃げ道はなかった。さすがにキルラキルのようにはならないだろうと思いながらも、僕は背中のバッグを腹に回し、ハルタの短剣を探った。


 湿っぽい路地を抜けると、一台のソルムが止まっていた。イルミナリ国で見たものと同じような形をしていたが、台車を引く馬は背が高く、頭にはトサカのような形をした甲冑が乗っていた。見るからに強そうで、このまま戦いにでも繰り出していけるような、勇猛な姿だった。

 従者はソルムの扉を開き、僕たちを案内する。席に座ると、後ろから付いてきた従者がソルムの前につき、手綱を引いた。馬の嘶きが周囲の建物に反響する。

「この道はユリノイ国宮殿までの最短ルートです。すぐに到着しますから、しばしご歓談を」


 従者はそう言い残すと、ソルムの最前列に収まった。

「まるで連行されているみたい」

 岬が窓の外を見ながら言った。その窓にしても、ガラス窓の向こう側には鉄格子がはめられていて、とても穏やかな歓迎とは言えない雰囲気だった。

「彼らからは殺気を感じませんでした。注意は必要ですが、これにもきっと理由があるのでしょう」

「だといいんだけど」

「岬、大丈夫だよ。ミグロの言う通り、大丈夫」


 僕は自分の不安な気持ちをぐっと押し殺し、岬に向かいあった。長いまつげがはらりと揺れて、岬が僕を見た。表情がふっと和らいだ。

「うん。わかった」

 隣でミグロが面白くなさそうな顔をしたのがおかしくて、僕の気持ちも少しだけ落ち着いてきた。

 蹄鉄の刻む音が次第に小さくなり、そろそろとソルムが止まった。従者が立ち上がり、僕たちを乗降口に招く仕草をする。

「宮殿に着きました。足元に注意してください。段差がありますから」


 ソルムの止まった場所は、どうやら宮殿の裏手のようだ。ステップのように張り出した石段が目の前にあり、奥には小さな門とドアが見えた。僕たちは再び一列になり、宮殿の中に入っていった。

 宮殿は見るからに頑丈そうだった。大きすぎる門といい街の建物といい、ユリノイの建築物はいちいち大仰だ。まるで何かに怯えているようにも見える。僕たちは宮殿の裏手から石階段を登り、王様の控える執務室に通された。途中には簡単なボディーチェックもあった。申し訳なさそうに告げる従者の声はしかし断定的で、僕たちは逆らう理由もなければそんな気分にもなれず、指示に従った。


「遠路はるばる、よくおいでになりました。ユリノイに入ってからここまでの非礼を、まずはお詫びいたしたい」ユリノイ王は、僕たちを握手で迎えソファーに座らせると、開口一番にそう言った。「イルミナリ王から話は伺っています。あそこに行くということも」

 ユリノイ王が目を伏せ、深く息を吐いた。あまり乗り気ではないということだろうか。ここで断れてしまっては今までの苦労がすべて無駄になってしまう。僕はソファーから体を起こし、ユリノイ王を正面に見据えた。


「はい。岬を、人間の世界に帰してあげたいんです。ユリノイ国には、その鍵となる神具が保管されていると聞きました。僕たちに、少しの間で結構ですからお貸しいただきたいのです」

「あなた方の事情はよくわかっております。ついにこの時が来たと、昨晩は眠れませんでした。我が国の所有するホルガルは、イスチグアの盾と呼ばれています。しかし、それはここにはありません。別の場所に保管されています」

 すぐに手に入ると思っていたのに、これはまた大変なことになりそうだ、と僕は少し身構えた。

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