エピソード六 高校の頃

 高校はブラスバンド部に入部するために選んだ。高校は京急三崎口近所の県立初声はつせ高校で今は三浦初声高校と呼称している。県立三崎高校と合併したからだ。ちなみに三崎高校は一時期、学校のスタジオとして映画やドラマの舞台に使われていたようだ。令和三年現在は建物も取り壊されたらしい。

写真説明:旧初声高校の正門、右奥の椰子の木は三十年たっても残っていた

 勉強はできないというか、やらなかったのだ。頭にスッと入る理科や化学とそれ以外の科目で違いがありすぎたからだ。今思うと学習障害も少しあったのではないだろうか?単に頭が悪いというには回転が早いというか、興味ある事にはすさまじい集中力を発揮したりしてたし。ムラっ気というには病的すぎた。

 部活のために入学したはずだったが、ブラスバンド部の顧問の柳下先生と相性が悪すぎた。ボーイスカウト(高校生だから厳密にはシニアスカウトだ)を続けつつ吹奏楽をしたい俺に、それは認めないと却下されてしまった。仕方なしに俺は部活を辞めた。

 結局ボーイスカウトも辞めてしまうのだけど、こうして高校へ行く意味もなくした俺は、大学デビューした人のように、自由勝手に活動しはじめた。酒タバコ女、ギャンブルはやらなかったが図書室にこもって読書にはげんだのであった。

 読書は乱読で、科学辞典を好んで読んだり、ハヤカワSF文庫や創元SF文庫を好んだ。いわゆるライトノベルの萌芽の時期でもあり、スレイヤーズの初版を読んだのもこの頃だった。文庫読みは図書室を離れて横須賀中央駅そばの古本屋通りによく出入りをして、官能小説も読み始めた。

 この頃ゲームブックというパラグラフを追いかける一人遊びの文庫が流行っており、その延長線でファンタジー小説や民話やギリシャ神話なども読んだ。令和三年三月にはこの頃よく読んでいたファンタジー小説「トロール牙峠戦争」が三十年ぶりに翻訳され新刊として出版されるそうだ。英字版はペンギン・ブックスのをアマゾン・コムから取り寄せたが英語がすっかりわからず困っていたのでありがたい。

 生徒会へも所属し、なんかいろいろな事に手を出してみた気がする。勉強以外は。

 宗教とボーイスカウト活動が主だった小中の抑圧から開放されて、高校デビューした訳だ。タバコも酒も中学生からはじめていたがそれはそれ、これはこれだ。

 父親も確か殴りはしなくなっていた気がする。しかし、寝起きに俺を足蹴にしてきたのはこの頃だった気がするんだがなあ。

 学校は三浦市と横須賀市の境目くらいにあって、どういう事かというと実家の汐入より叔母の長井の家の方が近かったのだ。おかげで週末は帰宅せず昼飯を食べに叔母の宅へお邪魔する等の機会も増えた。自宅はなぜか嫌だったのだ。

 叔母に俺の高校生当時の話を聞いたが、意外にも「長井の大叔母がボケてしまって、徘徊はする、うんちの垂れ流しもする、バスに乗ってどこかへ行ってしまう等で手がかかり、俺にかまってる暇がなかった」と述懐するのであった。記憶違いに俺も驚いたが、腑に落ちた。なぜなら適度にほっぽってくれてたおかげで、長井が居心地よかったからなのであった。そういえば、叔母に頼まれごとを何かされたかも知れないが、些細な出来事なので詳しくは記憶にないのだが。米を研いでおけとか、そういう事ではなかったはずだ。

 その一方でバイトしたため汐入駅までもどる日々もあった。短い期間だったけど、別稿で触れている。

 初めて恋人ができたのも高校に入ってからだ。今まで好きになった娘がいなかった訳じゃないが、ちゃんと告白してお付き合いしたのもこの頃がはじめてだ。思い出して計算したら、高校一年から三年まで、約八〜十ヶ月に一人の割合で恋人がいた事になった。

 が、どうも恋愛というのはよくわからない。好きになるのは良いとして、繁殖したいとかその辺の機微がよくわかってない。キスですらまともにできなかった。臆病な俺である。

 このあたり、母子の関係性が不十分だと恋愛行動もうまく行かないようだ。何をしたらいいのか混乱してしまうのだ。

写真説明:西城さんと(左)

 一年の秋頃が同級生の西城さん、二年の夏頃には同級生の塩田さん、三年は下級生の栗村さん、そういえば三年間で四人だったのを忘れていた。二年の冬頃に短い期間だが上級生の穂苅さんとお付き合いしてたのを忘れていた。ちょうど昭和天皇が崩御して、クラシックすら流さない衣笠商店街のモスバーガーでお茶してたのだ。お茶の途中からBGMが流れはじめ、店を出たら新元号が「平成」になったと商店街の張り紙で知ったのを思い出した。

 穂苅さんとのお付き合いは苦い記憶がある。彼女の家で妙に盛り上がってキスから愛撫に進み、そのまま……といかず俺はパンツの中に射精してしまったのだ。気まずかった。苦い記憶なので記載しておく。若かったんだよ!触れずに射精って敏感で早漏だったんだな俺も若い頃は。

 一方でその数ヶ月前に別れたはずの西城さんと修学旅行先のスキー場で盛り上がってしまい、宿泊していたホテルでキスなぞしてしまったのも記憶している。あれは甘かった。なんで女子は別れてから魅力的になるの?と相変わらず衝動のコントロールができてない俺なのであった。下半身に行動が支配されてんな。

写真説明:栗村さんと(右)

 高校二年の夏にお芝居に目覚めた、何がきっかけかは覚えていないのだが大阪を活動拠点にしているリトミックのような活動をしている墨田さんという夫妻がいて、名前は忘れてしまったが関内ホールでピーターパンのミュージカルに出演させてもらった。合宿や打ち上げも楽しかった。酒を飲みすぎて初めての事件・事故もこの時だった。野島公園のキャンプ場でバーベキューをしたのだが、しこたま酒をのんだ高校生の俺は早々にダウンして悪夢をみていたが、俺は意識をなくしても暴れていたらしい。塩田さんに襲いかかって「やらせろ!」と怒鳴っていたそうな。酒乱じゃんか怖い、意識不明になった初がコレらしい。やらせろて、本音かもしれないが、他の大人たちも参加してる最中にいうもんじゃねえよな。(問題はそこではない)

 結局その件はうやむやになった。ほんと調子に乗ってすみませんでしたとしか言いようがない。この一件がきっかけかもしれないが、俺は泥酔する事を覚えてしまう。酩酊を通り越すのはやらかした気持ちもあったがそれ以上に楽しかったのだ。黒い楽しみだ。自分を壊す事につながるとは考えてなかったが、二十年くらいを経て背中や全身への痛みへとつながる飲酒生活のはじまりだった。

写真説明:ミュージカルピーターパンでの海賊役(中央)

 酒・タバコ・女友達、そして薬物になるのだけど、シンナーは同級生の野崎のウチが防水屋を営んでいる関係で、バイトでいつでも吸えていたのであえて吸引したいとは思わなかった。単純に気持ち悪くなったし。バイトで吸う分にゃ「給与もらってシンナー吸うなんていい環境じゃんか」等と軽口をたたいていたが、中学の時に先輩の不良少年だった三好さんがシンナーで、ラリラリして京急線の汐入・逸見間にある踏切で自殺して以来(事故死だったかも知れないが俺は自殺だと思う)シンナーは俺的に駄目になったのだ。どうしても死んだ三好さんの美青年面(そうでもなかったかも知れないが俺には美青年に見えた)がシンナーという言葉にリンクして忘れられないのだ。そんな事もあったが大麻を吸った事を思い出した。

 同じ野崎の家でバイトした同窓生の梅井君がアンダーグラウンドに精通しており、酒の飲み方から薬物やパソコンや、ロリコンまでなんでもござれのスーパーマンだった。男ぼれである。親友気取りである。ジャイアンとスネ夫の間がらみたいなものである。そんな梅井君からある日「大麻は焼きししゃもの味がするのだが知っているか?」と何かの機会に言われた俺、そんなバカなというと銀紙を巻いた何かを取り出して器用にキセルに入れ始めた。野生の麻だそうで。実際吸って呼吸を止めて胃に呼気を送り込んでみたが、特に何もおこらずだった。彼は気持ち良さそうにしていたが。考えるに、その時点でハードドリンカーになってた俺にゃ、大麻のようなライトなドラッグは効果をあげなかったのだろうと思う。たしかこの時点で高校2年とかそんなだった気がする。ワルだったのか?友人とは群れていたがワルの自覚はなかった。そうだ思い出した。イキっていた俺は学校でうるさい下級生に黙らないとタバコで根性焼きするぞと言い出して停学を食らったのであった。アホすぎる。

 高校の頃の写真が残っているのは図書室によくきた青木先輩が写真部のOBだったからだ。それと体育祭で女装して合う人から「和田アキ子みたい」と言われたがそれはほめことばなのか、けなす言葉なのか未だに謎だ。文化祭では女装はしなかったが、フリルがかわいいエプロンを身につけた俺に、女子の先輩の方々からやたらウケがよかった。花とゆめ(という漫画雑誌がある)男子の俺としては多分そういう事なのだろうと勝手に納得していた。お姉さま方の妄想のオカズにされたのであった。誰とのカップリングかはわからんし聞きたくない。美少年だったから仕方ないね。

写真説明:体育祭で女装もした(右)

 確か高校二年の事だ。授業中に背中へチクチク刺さる痛みに気づいて後ろを振り向くと、名塚という浅黒いテニス部の男がマチ針で俺の背中の肩甲骨の間らへんを刺してきた。止めさせようとしたが、振り返ると視線の先には中学でこっぴどく振った波多野さんの目が。

 なんとなく俺は「これは罰にちがいない」と思い込んでしまい止めるのをやめてしまった。おかげでプチいじめの標的になってしまった。というかテニス部陰湿すぎるだろ名塚。運動部の陰湿さはよくわかった。というか名塚何様だクソが。

 他に、高校に入ってすぐの事を思い出した。席の前後にいる男子と仲良くしたいなと話しかけたのだ。丁度俺の隣の席の女子の名前が早見優で、芸能人と同姓同名だったからそれを話題に話しかけた。実際の早見優は超デブスの性格ワル子だったのだけれども。それがきっかけで三井、鳥海、飯島の三人と仲良くなって高校卒業後もその関係はつづいた。それぞれクセのある人物だが多分「お前が一番クセが強いぞ」と言われるだろう。鳥海と飯島とは三年間同じクラスだった。

 ある日体育の単位が足りていない事に気づいた俺たち三人は、前日飲み会をしたにもかかわらず、健気にマラソン大会へと出場したのだ。高校生で飲み会に出たがほとんど寝てなかった。まあそれは昔の出来事なので令和の今は駄目ですが、結果ゲロ吐きそうになりながらも完走した。というかその辺の記憶はあいまいで、前日の飲み会でジャックダニエルの黒ラベルか何かを飲んだとか、そっちの方が記憶されている、ダメじゃん。

 流行っていた曲はパラダイス銀河。とはいえ聖飢魔Ⅱやレベッカかデッド・オア・アライヴのCDをポータブルCDプレイヤーで延々聞いていた。音楽の趣味はこの頃からたいして進化していない。MDというメディアもこの頃流行った。音楽そのものへの興味というより耳馴染みのいい聞き慣れた音楽が好きだった。この同じ音楽を延々と聞いていられるある種の才能は自閉症というかADHD(注意欠如・多動症)傾向によくあるのだというのも大人になってから知って納得したものだ。

 思い出したので追記。大阪在住の墨田さん夫妻に誘われて、高校2年生の夏に、大阪までトラックの荷台に乗り、東名高速を横浜から西へ遠征したのだった。帰りの新幹線代をエサにお芝居の勉強と称して墨田夫妻にこき使われただけだったのだが、琵琶湖の湖畔にあるキャンプ場で合宿したり、横浜の舞台での踊りを披露したり、関東(横須賀)なまりを笑われたりと、楽しい思い出しか残っていない。

 写真撮影しておけばよかった。夢のように楽しい夏休みだった。

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