第四十三話 決着

 まず自分の腕を見て思ったことは驚愕、そして焦り、絶望へと移っていった。

「な、なんだこれ……。」

 僕の精神状態としてはパニックしている。このままでは上條にやられる、はずなのになぜ彼は攻撃してこない。これは力を一気に解放した反動なのか?だとしたら治るものか、もしこのまま凍ったままだとしたら……、現状を悲観する思考ばかりが駆け巡っていく。

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……!」

 僕は過呼吸になり、何をどうすればいいか分からなくなっていく。だがそんな思考をしている間にも人影がこちらへと冷気を切り裂くように僕へと近づいてくる。

「……!」

 その人物はもちろん上條だった。だが何か違う、まず速度が今までよりも速かった、もしくはそう感じられた。さらに一瞬見えた彼の表情は鬼気迫るものがあり、今すぐにでも僕は殺されるかもしれないと思うほどだった。そこまで考えると、拳で殴られる衝撃とほぼ同時に僕の視界は一気に暗転した。ゴンッ!という鈍い音の後に目を開くとさっきまでいた場所から数メートル以上道なりに吹っ飛ばされていたのだと遅れて理解した。

「がっ、は……!」

 今回は顔面を殴られ、脳が振動するような感覚に陥り、視界がグラグラと揺れる。その間も彼はこちらに近づいてくる。

「藍澤、能力を解放したのか?」

 上條の質問の意味は理解できた。

「俺は能力の制御が出来ていないと分かってからは全力を出さないようにしていた……と言っても今日は違うがな。」

 能力の解放、それは僕がさっきやったことだろう。だがその代償に僕の両腕は凍った、いや氷に覆われたように見える。最初にこれを見た時、もう腕は一生動かせないんじゃないかと不安に襲われたが、冷静になって考えればこの腕は治るものだと分かったが、これを治すには紅さんの炎が必要だろう。それに加えて気になるのは彼の言葉だ。『今日は違う』ということはやはり彼も能力を解放させたということであり、それゆえに三人を倒した。僕も今はその状態だが、完璧には使いこなせていない。僕は今までいかに能力を上手く使うかを考えてきたが、まずすべきだったのは使える能力の最大値を上げることだと今更ながらに思い、後悔の念に晒されていた。

「お前はやはり厄介だ。お前と1対1の状況に無理矢理にでも持ち込んで正解だったよ。」

 彼はもう勝ちを確信したかのようなセリフを吐いた。だが彼は霧島さんの治癒能力のことを知っているはずだ。そうだというのに彼の余裕はどこから来るのか。

「あぁ、そういえば霧島と言ったか、彼女なら皆を治せるんだったな。」

 ドクンと心臓が高鳴る。すると彼はクククと笑った。その笑い方は彼と会ったことが数回しかない僕でもらしくないと感じられるほどに不気味だった。

「ということは俺はまだまだこの能力を試せるってわけだ。」

 彼は心底楽しそうに笑みを浮かべる。だがそれは悪魔の笑いというに相応しい醜さがあった。そこで僕は二つのことに気づいた、一つ目は彼が正気を失っているということ、二つ目は能力の解放の副作用のようなものが原因で彼がああなったということだ。二つ目に関しては証拠は無いが、彼の豹変ぶりから可能性として十分考えられるものだろう。そして同時に冷静さを失いつつ彼にこそ勝ち筋を見い出せるのではないかと考えられた。

「だったら……!」

 僕は力を振り絞り、未だ腕をだらんとさせながらも立ち上がった。

「……?」

 彼は呆気に取られた様子で僕を見てくる。

「尚更君に勝たなくちゃならない!」

 僕の顔は苦痛によって歪んでいるはずだが、そんなことを吹き飛ばすように声を張り、能力を解放して見せた。そんな僕を見て彼は鼻で笑ったが、そんなことを気にかけている余裕は無い。それは疲労のせいで体力が限界だからか、圧倒的戦力差の前に恐怖で慄いているからか、どちらも違った。こんな虚勢とも言える態度を取って彼の気を引いているのはこの状況をひっくり返せる唯一とも言える手段がまさに今、僕らから離れた場所でとられているからだ。



 上條京輔は能力の使い方に才があり、常に冷静に物事を俯瞰できる人間である。だからこそ相手が藍澤たちのように複数人の能力者たちであっても遅れをとることなく、ダイバーを駆使しながら一対五にならないよう立ち回ってきた。だがそれはあくまで冷静である時に限る。今の彼は能力に酔いしれ、戦いを楽しんでしまっていた。彼が能力を解放した時、彼の脳内には自分の使命を果たすためにより多くのいじめの加害者を捕らえなければならないという考えが浮かんでいた。普段なら世間に能力のことをバレてはならないという半ば義務のような考えと、このままでは根本的な解決にはらならないため大きな事件を起こす必要があるのではないかという相反する2つの意志が反駁していた。そしてそれが今日、後者の考えを優先することにしたのである。普段なら持ち前の冷静な思考により、能力のことが世間に知られずかつ己の目的を果たす良い方法を考えたのかもしれないが、能力に溺れ、支配された彼にはそんな理性は残されていなかった。だからこそ彼は自分の能力の限界を知るために藍澤たちと対峙していると言えた。そして同時に彼には絶対に負けることはないという慢心があった。その油断があるからこそ、目の前で自分に立ちはだかる藍澤以外の気配に気づくことはなかった。




「藍澤ぁ!」

 彼は狙いを定めるかのように僕の名前を叫ぶとまた彼の足元からこちらへと伸びてくる触手と円錐型の何かぎ地面から生えてきたかと思うとまた新しいものが僕に向かってどんどん現れ、最初は距離があったがすぐに僕の足元から生えてくるまでになっていた。僕は一度後方へと下がりながら先ほどよりも力を抑えて迫り来る攻撃を凍らせた。ズキンと既に氷で覆われた腕が痛み、手首ほどまでだった氷の侵食は手首と肘の間まで伸びる。ピシィ――ッと触手と円錐型のそれらは凍り、動きを止めた。僕は素早くステップすると次の攻撃に備える。腕を満足に動かせない分動きにくいが、確実に相手の攻撃を防げていた。だが彼も攻撃の手を緩めることはなく、新たな触手たちで僕を追い立てる。この戦いに勝つには彼の動きを止めればいいのだが、それには彼に近づかなければならない。しかし僕は彼との距離は引き離される一方だった。

(一か八か距離を詰めるか?)

 最早ギャンブルをするかのような思考をするも、僕がやられては元も子もないため、すぐに頭から振り払う。そしてそんな思考もままならないほど彼からの攻撃は激しさを増してきている。僕は四方八方から放たれる地面を抉るほどの威力を持つ攻撃を凍らせたり、避けたりして必死に凌いでいた。だが彼からの攻撃の激しさは勢いを増していき、僕はまたもや呼吸すら忘れるほどにまで追い詰められた。

「ッ……!」

 能力が強化された僕は先ほどよりも戦えている実感はあったが、根本的な解決には至らない。そして僕が賭けに出る余裕も与えるつもりは無いのか、上條の攻撃は僕を囲み、確実に僕の体力と精神を削っていく。先ほどよりも早く息が荒くなり、能力の行使にも支障が出てきている。

 このままでは負ける、そんな考えが脳裏を何回もよぎる。そんなことは百も承知だが、それと同じようにある意志も間違いなく僕の中にはあった。

 負けられない、二つの相反する考えを内包している僕だが、すぐに後者が前者を押しつぶす。僕は負けられない。彼に僕の意見を通り越して伝えたい信念めいたものがある、そして僕のわがままに付き合ってくれた仲間たちのためにも。

「おぉぉぉおあぁ!」

 僕は声を張り上げた。今までで最も濃いオーラが出ているような気がする。そして僕に向かってくる攻撃を脚から生み出した氷で全て凍らせた。初めて生まれた一瞬の隙、脚の痛みを忘れ僕は駆け出した。距離にして数十メートル、凸凹になった走りにくい地面をなんとか走り抜ける。距離にして残り十メートル、だが上條も馬鹿ではない。すぐに僕の動きを止めるための攻撃を繰り出してくる。前方から向かってくる触手、そして勢いよく伸びる地面の一部、それらの一つでも僕の動きを遅らせればこの好機は二度とやってこないのだと直感するほどに彼の必死さが感じられた。

 僕はそれらの攻撃がいつもよりも粗いものだと気づいた。彼の必死さの表れなのだろうが、そんな急造品と言えるそれらをすんでのところで躱す。後数メートル、彼の表情がはっきりと見える。長い時間見たわけではないが、彼の表情からは焦りが感じられた。いける!と心の中で叫ぶ。一か八かの賭けは僕を勝利に導いてくれると確信した。

 ボコッ、と後ろから音がした。

「……!」

 それは後ろの地面から伸びてくる円錐型の攻撃だと予想できだが避けられるものではない。しかし身体は反応してしまう。

「ク……ソッ!」

 最早この時点で勝利という確信めいた何かは敗北へと色を変える。ここで動きを止めてしまった時点で彼に接近するチャンスは潰えた。後ろを振り向く刹那で彼の攻撃が甘かったのは僕を誘い込む罠だったのではないかとさえ考えられた。ゆっくりとそして確実に僕に近づく敗北というその二文字を嫌というほど思い知らされた僕にはもう諦めることしかできないのだと悟った。急に力が抜け、身体が宙に浮くような感覚を勝手に想像し始める。あぁ、もう勝てない……。

「諦めんなぁ!」

 誰かの声が聞こえた。その声が聞き覚えのあるものなのかは一瞬では判断出来なかった。だがその声は何故か僕の闘志に火を再び灯した。

「藍澤ぁ!」

 僕の名前を呼ばれたかと思うと、巨体が僕と円錐型の攻撃の間に飛び込んできた、正確には僕よりも背が高い男とその身長を超える斧だったが。スパーン、という音がしたかと思うとその円錐型の攻撃は真っ二つに割れ、僕に当たることはなかった。呆気に取られた僕をお構いなしにその男、武田さんは僕に背を向けたままたった一言を僕にぶつけた。

「走れ!」

 その言葉は僕の背中を押した。もう一度全身に力を入れる。身体の痛みなどほっておけと僕の中で誰か、恐らく僕自身で叫んだ気がした。武田さんに返事することはなく行動で示した。

 武田さんの思わぬ登場により呆気に取られたのは僕だけではなく、上條もそうだったようだ。彼と目が合う。

「……!」

 彼は怒り、そして焦りをあらわにして僕にまた攻撃をしてくる。それは怒りでヤケクソになったのか、触手を無造作に何本も発生させ僕に向けて鞭のように放ってくる。唐突に現れた十本ほどの触手、それら全てをこの距離で避けるのはほぼ不可能だ。だが僕にはいけると予感させる何かがあった。ドスッ、ドスッと数本の触手が何本も形が崩れていった。上條は驚きの表情を浮かべるが、僕はそれが四条さんの矢だと瞬時に理解できた。僕は氷を纏った手刀で残りの数本を砕くと陸上競技のラストスパートをかける瞬間のように地面を蹴った。彼はもうとれる手段が無いのか、もう触手や地面からの腕の攻撃をする気配は無い。

「フンッ……!」

 そう力を入れるような声の後に彼の両手をそれぞれ覆うように彼の周囲の地面から土やアスファルトの欠片が彼の右手に集まっていき、それは一瞬で剣のような武器へと変化していった。僕は地面を蹴った直後で、手刀以外に攻撃手段は無い。しかしそれでも僕は臆することなく彼へと迫った。

「うおお!」

「はぁっ……!」

 お互いの叫びが交わる、まさに死力を尽くしてという言葉が似合うだろうか。彼は剣を振り上げたかと思うともはや人間離れした速度で振り下ろしてきた。僕は死を覚悟しながらもブレーキを掛けて回避しようとはしない。ここで回避をすれば、やはりもう二度と倒すチャンスは訪れないという考えに揺るぎはなかった。だがここまでの武田、四条さんの援護があったからこそ、彼女の助けが必ず来ると分かっているような気がする。本来であれば彼の剣が僕に命中するのが先だが、彼の行動を遅らせるかのように火球が飛び込んできた。そのサッカーボールほどの大きさの火球は僕と上條の間を横切っていく。その火球が誰かに当たることはないにしろ、唐突にメラメラと輝く火球が眼前に現れ、動揺しない人間などいるのだろうか。

「なっ……!」

 火球が通り過ぎた直後、上條の動揺した表情がはっきりと見て取れた。さらに重心が後ろへと移動していた。

「これが目眩しよ!」

 勝ち誇ったような声が聞こえたがそれが紅の声だということは最早確認するまでもなく、感覚で理解できた。

「上條ぉ!」

 彼の名を叫び僕の左手が彼の衣服へと伸びる。

「これで終わりにする……!」

 その言葉と共に彼の下半身を氷で覆い、倒れたところを見計らって両手を氷で覆い、能力の使用を封じた。

「僕らの勝ちだ。」

 何が起こったか理解できずに目を見開き、言葉が出てこない上條を見下ろしながら僕はこの戦いが終わったことを告げた。



 



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