第三十八話 上條の過去

 俺は物心ついた頃から目つきが悪かったらしい。そのせいで人付き合いが上手くできず、小学生の頃はほとんど友達がおらず、数少ない話せるクラスメイトも積極的に話せるような仲ではなかった。そんな小学生時代を過ごした俺は、中学に上がった時には立派なコミュ症になっていた。その頃には多少慣れていたが、やはり喋る人がいないのは俺の心を抉った。中学校の入学式当日、クラスでは小学校からの友人同士で喋るグループと、別の小学校から来た生徒たちのグループが混じり合って、新たなグループが出来上がっているのを椅子に座りながら退屈そうに眺めていた。やはり俺には中学でも友達と言える人間はできないだろうと諦めていた。

「君、どこの中学から来たの?」

 あんなに明るい声で話しかけられたのは家族以外で何年ぶりだっただろう。椅子に座って1人ボーッとしていた俺は不意に声をかけられて無言になってしまった。それが俺と翔太が初めて会った時のことで、俺は今でもその時のことを思い出す。

 翔太は無邪気という言葉が似合う奴で、教室で一人ぼっちだった俺に唯一話しかけてくれた。中学校は近くの小学校の卒業生がそのままこの中学校に入学するのが恒例のようになっているが、翔太は小学校の卒業を機に地方から引っ越して来たばかりだったらしい。よく地方の話をしてくれた。俺にとって彼は人生で初めて友達と言える存在だった。

 「いやぁ、田舎から引っ越して来たけど、上條君が友達になってくれてほんとに良かったよ。」

 彼は時々俺にそんなことを言ってくれたが、全く同じことを俺も思っていた。

「俺も、小学校で友達いなかったから……翔太と仲良くなれて助かってる……。」

 超がつく口下手だと言っても過言ではなかった俺は、彼の言葉ひとつひとつが新鮮で、嬉しかった。彼がいれば孤独を感じることもほとんど無かったし、中学校生活が段々と楽しくなっていった。

 二年生になり、クラスが違った俺たちは昼休みに一緒に遊ぶことが多かった。ある日の昼休み、教室に翔太の姿が無く、勇気を出して翔太のクラスメイトに彼の居場所を聞いた。

「枯澤翔太ってどこにいるか分かりますか?」

 話したことがない人に話しかけられたのは、俺にとって大きな成長だった。言葉にできた時は心の中で喜んだ。しかし、その喜びは不穏なものへと変わる。

「多分……屋上にいるよ。」

 聞いた男子生徒の声は暗かった。なぜそこまで暗くなるのか分からなかった俺はお礼を言って屋上に向かった。屋上に出るための扉のガラス越しに見えた景色は俺にとってよく分からなかった。フェンス近くに枯澤と一緒に円を描くように座る四、五人の男子生徒。俺はなぜ教室で聞いた男子生徒が不穏な雰囲気を出していたのか分からず、扉を開けて、彼らの方へ近づいた。俺に対して背を向けて座っていた生徒がこちらを向いてきた時、俺は彼が知っている人物だと分かった。そいつは俺と同じ小学校でクラスの人気者だった、才賀遼一という人物で、身長が高く、ツーブロックの黒髪で、キリッとしつつも怖すぎない目で、笑顔も綺麗という、いわゆるイケメンだ。なぜそんな人物が翔太と一緒にいるのか俺は分からなかったが、平静を装って翔太に話しかけた。

「翔太、今日は屋上で遊ぶなら、言ってくれればよかったのに。」

 俺は穏やかな声のつもりで言った。

「うん、ごめんね、急に誘われたんだ。」

 翔太の声にはいつも通りの声で安心した。

「そっか。」

 俺は安心して、翔太と男子生徒の間に座ろうとするが、男子生徒が翔太にくっつくように移動し、俺が入れるスペースは無くなってしまった。俺は困惑の表情を浮かべて翔太の方を見ると、翔太も驚いた様子で、何が起きているのかよく分かっていないでいた。

「どうして? 上條君とも一緒に遊ぼうよ。」

 翔太は現状を理解できず、才賀に頼んだ。だが才賀は笑顔で言い放った。

「翔太君、上條君とは同じ小学校だったんだけど彼はずっと一人ぼっちでね。彼と一緒にいたら、君も友達が出来なくなってしまうよ。」

 才賀は嫌味たっぷりに俺を時折見ながら翔太に言った。俺が小学校でそんなふうに思われていたことはショックだったが、それよりもそのせいで翔太との仲が消えてしまうのではないかという恐怖が俺を支配した。俺が逃げ出したくなる気持ちを抑えていると、不意に翔太が俺の手を掴んだ。

「そんなことないよ! 僕は上條君と一緒に遊ぶから、じゃあね!」

 簡潔にそう告げると、翔太は俺を引っ張って屋上の扉へと向かった。俺はその行動が堪らなく嬉しくて、泣きそうになっていた。だがそれと同時に去り際に見た才賀の視線がとても冷たかったのも感じていた。

 その日は結局二人でさっきのことが何も無かったかのように色々話した。遊ぶというよりかは教室で話すこと自体が俺たちにはとても楽しかったのだろう。

 それからも変わらず二人で休み時間に話していたが、あの日から少しずつ翔太と話す機会が減ったように感じられた。授業と授業の合間に翔太のクラスに行ってもいないことが多く、昼休みですらいないこともあった。

 ある日の放課後、翔太の教室に行くと、翔太が1人で教室の掃除をしていた。俺は不思議に思って話しかける。

「翔太、どうして一人なの?」

 僕は素朴な疑問をぶつけたつもりだったが、なぜか翔太はビクッとして、ぎこちない笑顔をこちらに向けた。

「皆用事があるらしくて、先に帰っちゃったんだ。」

 普通ならその時点で何かしら心配に思うのが当然なのだろうが、人間関係というものに疎かった俺はそんな時もあるか、と流してしまった。

「そうなんだ。じゃあ俺も手伝うよ。」

 俺は純粋な気持ちで翔太の掃除を手伝った。一人でやるよりも二人でやるほうが早く終わるのは必然だし、早く一緒に帰りたかった俺は掃除を手伝うのは特別なことをしているつもりは全く無かった。そして翔太とは二人で授業であった出来事や、昨日見たテレビの話など、いつも通り喋りながら帰った。

 それからの日々は俺にとって変わらず楽しいものだった。翔太と話すようになってから少しずつ周囲の人と話せるようになり、友達と言える人も増えた。それでも昼休みはやはり翔太のクラスへ行った。俺がまともに人と話せるようになったのは翔太のおかげだという自覚があったし、翔太と話す時間は一番面白かった。翔太は俺と話すたびに笑顔で、何も変わっていないように感じられた。このまま卒業して、運が良かったら同じ高校に行くかもしれないなんてことも考えていた。だから、あの事件は俺に一生引きずる傷をつけた。

 夏休みが明けた直後だろうか、翔太が亡くなったということを担任から言われた。俺はそれを聞いた時、何も考えることができず、クラスメイトの目を気にせずに泣き叫んだ。先生に止められるまでずっと泣いていた気がする。死因は自殺で、理由は分からないということだった。俺はそれが納得できずに放課後は翔太の家に走って向かった。

 翔太の家は中学校から徒歩で行ける場所で、両親と3人暮らしだと聞いており、実際に行ってみると一軒家だった。緊張しながらもインターホンを押す。

「どちら様ですか?」

 インターホン越しに聞こえた声は酷く憔悴しており、俺も辛くなってしまった。

「翔太君と同じ中学の上條京輔です。」

 俺の声は弱々しく、恐らく聞き取るのも相手は大変だっただろう。ガチャリという鍵が開く音の後、ドアがゆっくりと開いた。出てきたのは翔太の母親とおぼしき人物で、顔はやはりやつれていた。

「上條君ね、いらっしゃい。」

 そう言って俺を出迎えてくれたが、やつれた表情に加え、痛々しい声も相まって見ていられなかった。

 一旦食卓へと通され、椅子に座った状態で待っていると、翔太の母親はジュースを出してくれた。

「今日は来てくれてありがとうね。」

 母親も俺の反対側の椅子に何かが入った袋を椅子の足の部分に立てかけてから座るなりそう言った。

「翔太が自殺したって聞いて、信じられなくて……。」

 なんとか言葉を出そうとするが、上手く繋げられない。何か喋るごとに涙が出そうになる。

「私も信じられかったんです。どうして自殺したのか……。」

 翔太の母親も手で口を覆い、なんとか涙を堪えているように見えた。

「あなたのことは翔太から聞いていたわ。友達ができたって喜んでいたわ。」

「友達……?」

 友達という響きが嬉しかったが、こんな状況では素直に喜べない。友達ならなぜ何も言わずにこの世を去ったのか、やるせない怒りが込み上げてくる。

「でもね、遺品整理をしていたら、これが見つかって……。」

 そう言って彼女が先程椅子の足に立てかけた袋から取り出したのは一冊のB5サイズのノートだった。

「これは……?」

 表紙には何も書いてなく、ページをめくると書かれているいたのは日記のようなもので、日付がページの左端に書かれており、その隣には翔太のその日の出来事などが書き記されていた。俺はそのノートのページをめくる度に、翔太の言葉が重苦しいものになっていくのが見てとれた。それはあの昼休みの屋上での才賀とのやり取りの後からだった。そこからは翔太のクラスで彼への仕打ちがつらつらと書かれていた。そしてそれが才賀からの指示で、他のクラスメイトが逆らえないということも。小学生の時に感じていたが、才賀はカリスマ性があったと思う。才賀はそれを中学校でもいかんなく発揮し、クラスカーストのトップに君臨していたのだろう。案の定才賀は翔太のことを不愉快に感じ、いじめを始めた。そして彼を不愉快にさせた原因は言うまでもなかった。

「俺……?」

「……?」

 思わず口に出してしまいハッとしたが、翔太の母親はなんのことか分からずにいるようだった。才賀が翔太をいじめるようになったのは、あの屋上での出来事が原因だというのは明白だった。もし息子の死の原因が俺のせいだと知ったら母親はどんな行動を取るのだろうか。俺はその行動を脳内で思考したが、結論は単純なもので、俺のことを殺したいほど憎むだろう。俺は罪悪感と後悔からいてもたってもいられなくなっていた。

「あの、俺帰ります。」

「あら、もう帰るの?」

 相手の声はまるで病気を患ったかのように弱々しかった。

「はい。翔太のことは本当に残念です。」

 俺は震える声で、急いで帰ろうと思っていた。翔太の母親も、無理に俺を引き留めるようなことはしてこなかった。

 家を出てからは全力で走った。もう二度と翔太の家には行かない、行ってはいけないと思った。なぜなら翔太が死んだのは俺が原因だからだ。あの日記には才賀のクラスが何を彼にしたのかが詳細に記されていた。クラスメイトによるシカト、何かをクラスで発言する度に送られる冷たい視線、机への落書き、本人に聞こえる陰口、所持品を隠されるなど、直接の暴力はなくとも陰湿で卑劣ないじめだった。あのノートが証拠となれば、才賀たちは何かしらの制裁を下されるだろう。悪いのはいじめをした奴らで俺じゃない。

 ――本当にそうか?

 内なる自分が話しかけてきているような感じがする。

 俺は何も悪くない。

 ――いじめが起きたのはお前が原因だ。

 違う、違う、違う、違う違う違う……。

 ――なぜ翔太のいじめに気づかなかった。

 自分で自分を責める。翔太の友達だというなら、あいつを助けてやれたんじゃないか、という未練が俺にこびりついて離れない。半泣きの状態で我を忘れて走っていた気がする。

 自宅に着く頃には疲れ果て、リビングのソファーに倒れ込んだ。親に何か声をかけられた気がしたが、何も耳に入ってこなかった。

 それから日数が経ち、翔太へのいじめはクラスで問題になった。話に聞く限り、ホームルームでたっぷり叱られたようで、泣き出す生徒もいたという。そして主な加害者は担任と一緒に翔太の母親に謝罪するということで決着したらしい。賠償金についても加害者の生徒とその親が翔太の母親に誠心誠意謝罪したらしく、示談という形で終えたらしい。ニュース等で報道される可能性もあったが、それは学校側、加害者側、それに翔太の母親が望まなかったため、報道されることはなかった。翔太の母親はこう学校側に伝えたという。

「そっとしてほしい。」

 ということだった。俺は才賀、そして自分のことが許せなかったが、翔太の母親の意思を汲み、この怒りは心の内に留めておくことを決めた。

 翔太の自殺、そして一応の解決から一ヶ月ほど経った頃だろうか、行き場のない怒りを心の奥にしまい込むことにだいぶ慣れていた。翔太の件は学校中でタブーのように扱われ、誰も話さなくなり、才賀もクラスでの存在感がかなり薄れていたという。だが俺は才賀のことがどうしても気になってしまい、時折才賀のことを観察していた。なぜそんなことをしていたのか、今思えば惨めになった才賀の姿を見たかったのかもしれない。

 ある日の放課後、学校で才賀の姿を見つけた。才賀は帰るところなのか、下駄箱へと向かっていた。俺は奴にバレないように後をつけた。下駄箱に着いたかと思うとガン、という物を蹴る音がした。俺は柱の影からそっと物音の方向を見ると、才賀が下駄箱を蹴った音だと推測できた。ただ下駄箱を蹴っただけなら俺は何も思わずその場を立ち去っただろう、しかしそれは俺にとって看過できないものだった。

「お前のせいで俺の中学校生活は滅茶苦茶だ。お前が自殺なんてしなけりゃ、こんなことにはならなかったんだ……!」

 才賀が蹴っていたのは翔太の靴が入っていた場所だった。奴は時々ここに来てこんな風に鬱憤を晴らしていたのだろうか。俺は呆然と才賀の行いを見ていた。

「てゆーか、元はと言えば上條が悪いんだ。あいつが小学校の時みたくしょうもない奴だったらそれで良かったんだ……!」

 俺はこいつの言っていることが信じられなかった。謝罪の言葉をお前は言うべきではないか。

(こいつは何を言っている?)

 憎悪の声と下駄箱が蹴られる音が除夜の鐘のように延々と繰り返す中、俺は心の中で斎賀への怒りを募らせていった。

(お前は謝らなきゃならない立場だろう……!)

 足は動かなかったが拳を強く握り締めていた。動けないのは、動けば俺が彼を殴ってしまうから理性が止めているのか、それとも勇気が無いからか分からなかった。そんなことを考えている間も翔太の下駄箱を蹴る音は続く。

(こいつは何も変わっちゃいない……!)

 憎しみや怒りという液体が俺の中から溢れ出てきてもう口の中から流れ出てきてしまいそうだった。

「お前なんか、いなきゃよかったんだ……!」

 才賀が今までよりも大きく下駄箱を蹴った。そしてそれはその日一番の悲鳴にも似た音だった。そこで何か、俺の中で大事なものが砕けた気がした。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る