第三十五話 日常と非日常の狭間で

七月二十一日、ニュースでは先日武田さんが助けられなかった生徒がやはり骨折という大怪我を負いつつも、無事に帰ってきたというニュースが流れていた。その報道をまじまじと眺め、悔しい気持ちのなりつつも、期末試験は二十三日から始まるので勉強しなくてはいけなかったのだが、先日の件もあって一夜漬けのようになるのは必至だ。ありがたいことに授業はテスト前ということもあって、演習プリントだの自習だので授業時間を使ってくれたのでひたすら集中してシャーペンを走らせた。あんな戦いをしたばかりで冷静でいるのは大変だったが、これ以上周りの人に心配させるのは嫌だからか、いつも以上に集中して気を紛らわせている感じだった。

「藍澤、いつにも増して焦ってんな。」

 虹原にヒソヒソ声で言われてギクッとした。

「あんまり勉強する時間取れなくてね。」

 僕はシャーペンを顔の高さまで持ち上げて苦笑いした。紅さんや他の皆のみならず、学校の友達にまで心配されてしまっては申し訳ない気持ちで自分が押し潰されてしまうような気がした。でも、どうしても自分の中の議論に決着をつけなければならない気もしていた。

 休み時間になり、虹原と僕、鈴林で僕の机周りに集まる。

「試験だるいよ〜。」

 鈴林は顎を僕の机に乗せて、へこたれたような声を出す。

「安心しろ鈴林、今回は藍澤もヤバそうだ。」

 虹原はニヤケ顔で話す。

「え、藍澤が!?意外だなぁ、あの真面目な藍澤が。」

「ほんとに今回はマズいんだよねぇ。」

 ぐうの音も出ないので僕はただただ虹原の言うことを渋々肯定することしかできない。他のクラスメイトも試験の話をする者や、夏休み何をするか、という話が大半を占めている。僕はそんなことを考える余裕も無く、緊張しながらも2人に聞いた。

「ねぇ二人って、いじめを目の当たりにしたらどうする?」

 唐突な質問に二人はキョトンとしていた。

「俺だったら関わる勇気は無いなぁ、巻き込まれたら面倒だって気持ちが強いだろ。」

 鈴林からはサッパリとした回答が返ってきて、やはりそういうものかと、少しだけ落胆した。

「でもよ、やっぱかわいそうだし、助けられるなら助けたいよな。」

 そう言った虹原の顔を見ると、照れ臭そうな顔をしていた。

「まぁ理想はそうだよな。俺にも助けられるものなら助けたいって気持ちはもちろんあるさ。」

 鈴林も概ね思いは一緒らしい。それはそれでホッとはしたが、何か僕の中で変わるものがあるわけではなかった。

「まぁ、なんかこういう話すると理想と現実の差っていうの感じるよなぁ。」

 虹原がボソッと言った言葉がどういう意味なのか、僕には痛いほどよく分かった。いじめを止めるために加害者を傷つけて無理矢理止めさせることは違うという理想と、そうでもしないといじめを止められない場合があるという現実。ダイバー能力者の彼は現実側、僕は理想側からそれぞれの主張をしている、なら僕らは永遠に平行線なのではないかと思った。

「なんて言うか、最近そういう悩みが多くてね……。」

 僕は明確な情報を伝えないようにした。余計な詮索をされないようにするためだ。

「あぁ……。」

 鈴林はまた考え込む。

「まぁ現実的に考える方が失敗しにくいだろうな。」

 鈴林の結論は最もだが、それはダイバーで人を攫う彼の考えを肯定しかねない。僕は半ば諦めていたが、また現実を突きつけられた気がした。

「お前そんな面倒なこと考えてたのか?」

 虹原に聞かれ、動揺を隠すために演技する。

「まぁ、そうなんだよね。」

 二人とはそこから試験の話をして、また授業が始まる。今までガリガリ動いていたシャーペンの手はピタリと止まり、自分が何をすべきなのかを考えている。今日、鈴林と虹原と話して自分が理想を語っているだけのただの偽善者だという意識に変化は無かった。

 放課後になり、その日はすぐ帰宅して試験内容を必死に頭に叩き込んだ。武田さんたちとは、試験期間に入る学校が多いから暫くはダイバーと戦うことはしないという結論に至った。内心では助かったと思う反面問題を先送りにしているように感じて歯痒かった。自分の部屋の窓から太陽の光がギラギラと差し込み、冷房をつけて暑さを和らげる、だが頭の中ではダイバーや、その能力者のことがこびり付いている。彼から負わされた怪我のことを思い出すと、その時の恐怖心が蘇り、痛みをも思い起こしてしまい、冷や汗が全身から流れ呼吸が荒くなる。僕はなんとか気を紛らそうと、手を動かしていく。なんとか落ち着きを取り戻し、一度深く深呼吸する。こんな自分でも戦うべきなのだろうか、今戦えば皆の足手まといになってしまうのではという不安が頭から離れない。それでも彼を止めたいという気持ちは消えていない、それだけでも戦う理由としては十分だとも感じていた。僕はシャーペンを置き、両腕を上げて、伸びをした。

「まぁ、今は試験に集中するか……。」

 僕はまたシャーペンを持ち、机に向かった。

 こんな調子で期末試験が始まる二十三日を迎えた。普段よりも直前に詰め込む量が増えてしまった分、解いてる間はヒヤヒヤしていた。

 七月二十七日、最後の試験の終了チャイムが鳴り、クラスの皆はテストが終わったことを喜んでいた。僕も例外になることなく、これまでとは違う緊張感が漂っていた試験を終え、僕は一息ついた。他の能力者の仲間も大体が試験は今日までだと聞いていた。なので、また大門地の家に集まらないか、という話になっていた。下校がてら、僕は大門寺の家に向かった。

「お! 藍澤、なんか久しぶりな気がするぞ。」

 出迎えてくれた大門地は前に会った時よりも嬉しそうだった。リビングに行くと、先に着いていたであろう霧島さんがいた。

「なんか、霧島さんだけここにいるって珍しいですね。」

 予想外な状況に僕は彼女に声をかけた。

「そうですね、今日は紅さんも来る予定ですよ。」

 彼女は穏やかな声で話す。

「そういえば、この前は傷を治してくれてありがとうございました。」

 僕は忘れないうちに彼女に礼を伝えた。

「いえいえ、それだけが私に出来ることですから……藍澤さんはダイバーと戦うんですか?」

 彼女の問いに僕はきっぱりと答える。

「はい、能力者を止められるのは能力者だけですから。」

 彼女は少し間をおいて、また話始める。

「そうですか……。私の能力で大抵の怪我は治せますので、思いっきりやっちゃって下さい。」

 彼女は僕らに協力してくれると分かり、嬉しかった。

「出来れば怪我はしたくないんですけどね……。」

 僕は苦笑いした。

「そういえば、この前、ロストシティである能力者に会ったんですよね?」

 僕は続けて質問をする。

「あぁ、そうなんですよ。能力までは分からなかったんですけど、ダイバーの能力者の仲間という感じでした。」

「そうですか……。」

 まだまだ謎が多く、悩みの種だ。

「最近、ダイバーによる誘拐事件は起きてませんね。」

 今度は霧島さんが話し始めた。

「彼も期末試験だったんですかね?」

 僕は冗談のつもりで言った。

「でも期末試験の時に誘拐すれば私たちの邪魔は入りにくいのに、どうしてでしょう?」

 案外彼女は真に受けていた。

「もしかしたら、もうすぐ再開するのかもしれませんね。」

 彼女の声には不安が込められていた。

「そうですね、でも最近誘拐事件が多かったですし、世間でもまた大きな話題になってきましたから、あちらもやりづらいと思います。」

 僕は励ましになるか分からない推測を述べた。

「確かにそうですね……。」

「はい、クッキーできたぞ!」

 大門地が僕らの少しシリアスな雰囲気を打ち消すようにクッキーを持ってきた。

「ありがとうございます、大門地さん。」

「ありがとう、大門地。」

 その時、ピンポーンとインターホンが鳴った。

「お、紅が来たかな?」

 大門地が玄関へ向かっていく。そして玄関からは聞きなじみのある声が聞こえてきた。

「あ! 二人とももう来てたんだ。」

 紅は爽やかな笑顔で現れた。

「はい、試験お疲れ様です。」

「お疲れ様です。」

 僕らは互いの試験について労う。

「霧島さんも藍澤君もお疲れ様。」

「そうだ、今藍澤さんと話してたんですけど、もしかしたら数日中にまたダイバーが動くかもしれません。」

「え!?ほんとに?」

 紅が声を上げた。

「ま、まぁあくまで憶測ですから。」

 僕は慌てて捕捉した。

「だったら、これから一週間くらい日替わりで夜中にダイバーの動きを感知するっていうのやらない?もし感知したら全員に連絡して、皆で行くというのはどうかな?」

 それでも紅は万が一に備えるようだ。

「それならダイバーの後を追って能力者の元へ辿り着けるかもしれませんね。」

 霧島さんも乗り気だ。

「では、四条さんと武田さんには僕から言っておきます。」

 僕は二人にそう告げた。

「うん、よろしくね。」

 そこから、僕ら四人はいつも通りお互いの学校のことを話したり、夏休みのことを話したりして、夕方になって僕らは大門地の家を後にした。霧島さんとは最寄り駅で別れ、紅さんとは同じ電車で途中まで一緒に帰ることになった。

「藍澤君て、ダイバーとまた戦う決意をしたけど、本当に大丈夫?」

 先日に引き続き彼女は僕の心配をしてくれた。

「え?大丈夫ですけど……どうしてですか?」

 本心とは少し異なるが、余計な心配はかけまいと強がった。

「だって、あんな怪我したのにもう一度戦おうとするなんて、普通だったら出来ないじゃない?でもそれをしようとする藍澤君には、特別な理由があるんじゃないかなって。」

 当然の考えだろう。だが僕には譲れないものが生まれていた。

「……なんて言うか、彼とは話さなきゃいけないことがあると思ったんです。あれだけの執念があるのには、なんらかの理由があるはずです。それを知らずにいるのは、良くないと思うんです。」

 僕はいつになく真剣だ。

「藍澤君、すごいお節介なんだね。」

 紅さんはくすっと笑った。

「は、はは……。」

 僕は図星を突かれて、力なく笑った。

「でも、僕たちは彼の名前すら知らないですし。」

「名前……?」

 紅さんがきょとんとした声色で伺ってくる。

「僕は、事情も知らずに物事を解決するのが嫌なんです。お互いの言い分をしっかり聞いてからじゃないと、駄目だと思うんです、名前さえ知らないなら、なおさら話し合うべきです。」

 僕はふと紅さんを見ると、ボーっとこっちを見てきているので、何か恥ずかしくなった。

「こ、これが僕の理想だよ。ただ理想を並べてるだけですけど……。」

 慌てて、言葉を付け足した。

「理想を並べること自体は悪いことじゃないよ。実現するのが難しいだけで。」

 紅さんは優しい声で僕を励ます。

「藍澤君は優しいお節介さんだね。」

 紅さんの言葉に僕は平常心を取り戻し、穏やかな気持ちになった。やはり自分を認めてくれる仲間がいるということは心の支えになるものだと実感した。

「……はい。」

 途中で紅さんは電車を乗り換えるために下車していく。

「じゃ、藍澤君、またね。」

「うん、さようなら。」

 紅さんと僕はお互いに手を振って別れた。紅さんのいなくなった車内で彼女との会話内容を思い出す。理想を語るのは悪いことじゃない、彼と話をすべきだ、だから僕はもう一度彼と戦う、その決心は固くなっていった。

 家に着いてからはエアコンの効いた自室で武田さんと四条さんに、夜中に交代制でダイバーを感知するのはどうかと連絡したら、二人とも快く了承してくれた。その後皆と相談して、今日は僕が担当することになり、これまでのダイバーの出現時間から、ひとまず深夜二時まで感知することになった。夕方から夜になり、部屋の電気を消してベットの上で横になり、ダイバーの存在を感知しようとしてから、寝ないようにスマホを見る。ネットニュースでは連続誘拐事件についての記事が増えてきていると感じる、前にもこの事件が流行った時は様々な憶測が流れていた、ロストシティを生み出したあの隕石には実は地球外生命体が隠れていたとか、快楽犯がやってるとか、被害者が犯人について口を割らないのは彼らの自作自演だからだとか、身も蓋もないようなことばかりが載っていた。僕はそれをスクロールして読み続けていた。そんなこんなでスマートフォンの時計を見ると二時を回っていたので、何も無かったことに安堵しつつ、眠りについた。




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