第二十二話 新しい日常の始まり

 七月十一日朝、この日は日曜日で、僕は昼まで寝ていた。普段なら休日でも午前には必ず起きる僕だが、武田さんとダイバーを倒したことによる興奮からうまく寝付けなかった。昼食をとってる最中に居間のテレビからはある美術館の近くの道のアスファルト部分がゴッソリ削られていたというニュースを聞いた時は飲んでいた味噌汁を吹き出しそうになった。昼食を済ませスマホを見ると武田さんから先ほどのニュースの映像を撮った写真がすまん、という一言を添えられて送られていた。僕は特に気にしてなかったので、大丈夫ですと返した。

 七月十三日、武田さんと共にダイバーを倒して二日たった日だ。僕にはダイバーを倒したという余韻はまだあったが、いつも通りの日常が始まる。ダイバーによる誘拐事件は誰も知らぬ間に収まり、世間からは忘れ去られ、僕は能力を隠す必要はあるが、もうダイバーに狙われることはない。考えるだけで僕は安堵し、自分が行ったことへの誇らしさから、もの凄く上機嫌だ。僕はいつものテンションの五割増しで学校へ行った。

 教室に入ると、やはり虹原が席についていた。

「おはよう、藍澤。」

「おはよう、虹原。」

軽く挨拶をすませ席につくと、教室は週末を挟んだこともあり、友人同士で様々な話が交わされていた。昨日見たテレビの話、オンラインゲーム中にあったこと、動画サイトで見つけた面白い動画のこと、徐々に近づくテストについて…などなどグループによってバラバラだ。それは僕と虹原も例外ではない。

「なぁ、藍澤ぁ、聞いてくれよぉ。」

虹原はやけに悲しそうにこちらを向き、僕の机の上に両腕を置いて頬杖をついた。

「最近思うんだけどよぉ、この学校共学だってのに俺あんまり女子と関わることないよなぁ。」

虹原の言う通り、僕の通っている学校は共学だが、僕は女子の友達はあまりいない。授業で同じグループになることもあり、普通に会話は出来るのだが、あくまでクラスメイトで関係は止まっている。

「まぁ、そんな話すことも無いし。」

僕は半分諦めているが虹原はあまり納得いかないようだった。

「どうせなら女子の友達もっと増やしたいって思わねぇの?」

「どっちでもいいかなぁ。」

僕のそっけない反応に虹原はうなだれた。

「藍澤って女子にそんな興味無いのかぁ?」

虹原は頬を僕の机につけ、不思議そうに僕を眺めてくる。

「いや、そういう訳じゃないけど…」

僕は言葉に詰まり、腕を組み天井を見上げた。簡単に言えば話す機会が無いのだ。話せなくて困ることは無く、最低限話せばもうそこまでだった。こんな思考をしているから未だに女子の友達というのがほとんどいないのだろう。

「おーす。」

自分を顧みていると、後ろからまた声が聞こえた。鈴林だった。

「なんだ、虹原はまた彼女がいないことを嘆いていんのか?」

鈴林はうんざりしながら虹原に聞いた。

「鈴林だって欲しいって思うだろ?」

そう聞かれると鈴林は眼鏡をクイっと持ち上げると、胸を張って

「そもそも彼女なんてそんな無理に作らなくていいって。いなくたって生きていけるよ。」

親指を立て、笑顔で言う。虹原は一度ため息をつくと、

「いーや、彼女は欲しいね、これは間違いない。鈴林は彼女が出来たことないからそんなこと言うんだよ。」

片手を顔に当て、首を横に振りながらやれやれといったように鈴林に反論した。二人の軽い口喧嘩を眺めながら、僕は能力者になってからはあまり感じることのなかった普段の日常の幸せを噛み締めていた。すると、僕のスマホがピロンと鳴った。画面をつけると通知があり、武田さんから今日大門地の家に来て欲しいという旨の連絡が来ていた。僕は特に予定は無かったので行きますとだけ返した。

「誰から連絡来たの?」

鈴林に聞かれ、僕は一瞬返答に詰まったが

「母さんからだよ、今日ゴミ捨て行くの忘れてたっぽくて…ちょっと小言がね。」

咄嗟に嘘をついたことに多少の罪悪感はあったがここで武田さんたちのことを話せば余計な詮索をされるかもしれないという恐怖が同時に入り混じり、僕はぎこちなく苦笑いして見せた。

「あーあ、やっちゃったな。」

虹原はそれをネタにして笑い飛ばし、それに続くように鈴林もドンマイと笑いながら肩をポンと叩いてきた。それからも少し虹原と鈴林と会話した後、朝のホームルームが始まった。担任からの伝達事項、試験が近いから勉強しておけという話、ありきたりな退屈しそうな話だが、他人には無い氷の能力があるという事実をもってすれば本当に些細なことだった。この能力は自分にとって日常に刺激を与える劇薬であり同時に誰にも知られてはいけない秘密という諸刃の剣だった。だが、この事を考えれば考えるほど武田さんや紅、大門地に四条さんに霧島さんは僕の秘密を知っている数少ない仲間だと再認識する。大門地の家は僕にとって唯一この能力の話ができる場所だ。だからこそ、今日大門地の家に行くことは僕にとってとても楽しみだった。そんな子供じみたウキウキした気持ちを押し殺しながら今日の授業が始まった。

 放課後に楽しみがあったので、その日の学校の時間はとても長く感じる。気分的には二日分の授業を受けた僕は終礼が終わると同時に虹原に別れを告げると足早に校門へと向かった。下駄箱からは帰宅する生徒がたくさんいたが、生徒たちの間をすり抜けながら校門を抜けた。夏の熱い日差しが照りつけ、汗だくになりそうな天気だが、能力者の僕は体力が恐らく一般人よりもかなり高いため、疲労はそこまでは感じずに、早く行きたいという気持ちが僕の体をさらに後押ししていた。

 大門地の家に着く頃には太陽はだいぶ西側にあっが、真夏ということもあり、まだまだ明るかった。インターホンを押して、相変わらず私服の大門地に迎え入れられて居間に入ると、制服姿の紅と霧島さんがいた。

「みんなぁ、功労者のご登場だぞお!」

大門地が僕を居間に通すと叫んだ。紅に霧島さん、四条さんも僕を見るなりそれぞれの言葉をかけてくる。

「やったね藍澤君!まさかダイバーを倒すなんて!」

「本当にすごいね、これでもう夜歩くのが怖くないよ。」

「さすがウチが見込んだ能力者だな!藍澤ならやってくれるって分かってたぞ!」

立て続けに感謝されたり、褒められたりしたが、僕がやったことに比べれば武田さんがやったことの方が遥かに感謝されるべき事だと思った。

「いやいや、武田さんのおかげだよ。武田さんがいなかったらダイバーを倒すなんて絶対出来なかっただろうし。僕はあくまで動きを止めただけだから…。」

僕は自虐と謙遜が混じったような返答をしたが紅は首を横に振り、

「違うよ藍澤君、藍澤君がすごいのはダイバーに立ち向かう選択をしたことだよ。私たちは怖くてずっとひっそりと生活してきた、夜に外を極力出歩かないようにしてね。だからそれで家族や友達に嘘をつかなくちゃいけない時もあったわ。」

 紅は寂しそうに能力者として生きていくことの辛さを語った。霧島さんも、そうですよね、と紅に同調する。

「でも、藍澤さんがダイバーを倒して下さったのでもうそんなことをしなくて良くなりました。本当にありがとうございます。」

霧島さんは穏やかな声ではありつつも、その口調からダイバーを倒したことへの感謝が感じられた。やはり皆ダイバーを恐れていたことを実感した。だからこそ、ダイバーを倒したことが彼らの役に立ったのだと、僕は嬉しくなった。

「それでね、今日は皆でお祝いしないかって話になったのよ。今武田さんが色々買いに行ってるところよ。」

「ウチは今のうちに軽くなんか用意しとくぞ。」

そう言って大門地はキッチンへと向かい、戸棚の中をごそごそと探り始めた。

「そういえば、四条さんは今どこにいるの?」

「四条さんは飲み物とかお菓子を買いに行ってるわ。もうすぐ帰ってくるとは思うけど。」

「四条さんてあんまり話したことないんだけど、どんな人なの?」

今この場にいない二人のうち、四条さんには寡黙な印象を抱いただけで、ほとんど喋った事がなかった。

「あー、四条さんはね、私たちにもよく分からないわ。別に冷たい人じゃないから、今日話してみると良いよ。」

紅は最初キョトンとしていたが僕の質問の意図を察したのか、少し笑って答えた。霧島さんも、そうですね、と微笑んだ。

「そういえば霧島さんは治癒の能力を持ってるんだよね?普段の生活で使うことってあるの?」

僕は四条さんと同様あまり話したことのない霧島さんに聞いた。霧島さんは少し考えると、

「私は普段からあまり頻繁に怪我をするわけではないのですが、使おうと思えば出来ます。でも骨折みたいな大怪我や病気には上手くいくかわかりませんね。」

「でも基本的に私たちは能力を日常生活に持ち込むことは無いわね。身体能力についてはあるかもしれないけれど。」

「それは僕もあるよ。今日だって能力使って来たし。」

「結構便利なのよね。力が強くなるのって。」

「私も新品のビンの蓋が簡単に開くので助かってるんです。」

霧島さんは笑顔で嬉しそうだったが、僕と紅は顔を見合わせ吹き出してしまった。2人同時に吹き出したので霧島さんは顔を赤らめ、あたふたしている。

「あ、あの、私何か変なこと言いましたか?」

恥ずかしそうにしている霧島さんを見て僕は一旦笑いを堪えて話す。

「いや、やけに実用的な具体例を出してきたなぁと思って。」

「ごめんごめん、蓋を頑張って開けようとしている花凛ちゃんを想像したら笑っちゃったわ。」

「べ、別に良いじゃないですかぁ。私は普段は力が弱いんです!」

霧島さんは顔を真っ赤にしたまま体をジタバタさせ笑う僕らに抗議した。そんな時、インターホンが鳴った。

「武田さんたちが来たんじゃないかしら。」

紅がインターホンに答え玄関へと向かう。来客はやはり武田さんと四条さんだったようでたくさんお菓子や飲み物を買ったのだろう、レジ袋か擦れるような音がした。武田さんと目が合うと、彼は僕にいつもより元気に声をかけてきた。

「おぉ、もういたのか。」

後ろには同じくお菓子や飲み物がいっぱいに入ったレジ袋を持つ四条さんがいた。二人は食卓の上にレジ袋をドサっと置くと中からポテトチップスやクッキー、コーラ、サイダー、さらにジュース等、様々なお菓子や飲み物を食卓に広げた。

「もしかしたら買いすぎたかもしれないですね。」

苦笑いしながら四条さんが言うが、武田さんはかもな、と笑いながら袋を開けていく。

「おいおい、それだけだと思わないでくれよ。ウチだって色々作ったんだからな。」

いつの間にか大門地がキッチンから出てくると、両手で持った大皿には二十枚ほどのクッキーがのっていた。

「この量は、食べ切れるのでしょうか?」

「ま、まぁ残ったら武田さんが全部食べてくれるわよ。」

霧島さんと紅は苦笑いしながら席についた。大門地が人数分のコップを持ってくると各々が飲みたい飲み物を注いでいく。全員が椅子に座り、コップを持つと、待ってましたと言わんばかりに武田さんが声を張った。

「そんじゃあ!俺と藍澤のダイバー討伐を祝して、乾杯!」

「カンパーイ!」

全員がコップを掲げ、高らかに叫んだ。そしてゴクゴクとジュースを飲み切ると、各々が歓喜の声をあげる。そこからはダイバーと戦った時のことや、最近学校であった面白いこと、お互いの趣味の話、放課後はどう過ごすかなどを喋りながらテーブル上のお菓子を食べた。僕はこの友人達と話すことが心底楽しく、能力についての悩みなど無かったかのように忘れられた。こんな時間がずっと続けばいいと思った。

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