第二十話 初戦

 七月十日深夜、僕は眠れずにいた。そろそろ家族全員が寝る時間だ。あらかじめ玄関から靴を自分の部屋に持ってきていたので窓から降りる算段だ。寝る前は少し仮眠を取るべきかと思ったが、いざベットで横になると、今からやることへの高揚感、緊張から全く眠ることが出来なかった。電気を消し、真っ暗な部屋の天井を見ていても、寝れないため段々目が慣れていき、周囲の物を鮮明に捉えられるようになった今、武田さんと合流する時間に間に合うようにするにはそろそろ家を出なければならない時間が迫ってきていた。僕は意を決してベットから起き上がり、手早く着替えて窓を開けた。自分の部屋は二階にあるため、飛び降りる形になるが、能力者の自分にとっては造作もないことだ。自分の靴を履き、さらに予め用意していた水道水で満たした二リットルのペットボトルを一本手に持ち、両足を窓の開いた部分の下側にのせ、手で窓の横側をガッチリと掴んだ後、体を丸めながら頭を窓の外に出し、降りる際に体が窓に引っかからないことを確認すると、僕はひらりと窓から飛び降りた。感じた風は一瞬だったが、普段は絶対やらない行動であったためか心が踊った。難なく着地すると武田さんとの集合場所へとむかった。

 武田さんとの集合場所は家から歩いて二十分程の大きな公園のような場所だった。確かに人通りは全くなく、近くには美術館などの施設があり、近くにはコンクリートでできた道がありさらに道の面積を遥かに超えるほど広大な芝生だった。僕が着いた頃には武田さんはすでに来ていた。僕は半袖の水色の無地のTシャツと、膝くらいまである半ズボンを履いていた。武田さんは半袖のTシャツに薄手のパーカー、僕と同じく膝まである半ズボンで、二リットルペットボトル一杯に入れた水を数本持ってきていた。

「俺がダイバーと戦う時に感じることなんだけど、ダイバーは俺との戦闘を記憶していないように感じるんだ。」

武田さんが持論を展開する。

「てことは、能力者がこんな深夜に二人で周りに誰もいない状況にいればほぼ確実に襲ってくる…ってことですか?」

 仮にダイバーが僕らのことを記憶しているならば、何度も負けている武田さんに挑み続けるのは不自然だ。

「恐らくな。毎日ダイバーが存在を感じている訳じゃないが、今日はいる感覚がする。」

「そうですね、僕もうっすらそう感じます。」

 武田さんとは感じ方が違うかもしれないが、僕は確かに前に感じた胸騒ぎや息苦しさを感じていた。それはダイバーが近くにいることの合図だと大門地に教わった。それは家を出た時から感じており、段々と近づいてきていた。

「後五分てとこだな。」

 武田さんはそう呟くと僕の方を向いた。

「藍澤の能力は物を凍らせる能力だろ?でもただ物を凍らせるより、濡れた物を凍らせるほうが早いからダイバーを濡らすのが良いと思ったんだ。」

「でもペットボトルの水をかけるのは時間かかりませんか?」

「あぁ、だから事前にこの地面一帯に水をばらまいて、なおかつ藍澤の手を濡らしておくんだ。」

そうすればこの前武田さんで試した通り早く凍らせることが可能だろう。だがそんなに上手くいくのだろうか。初めての戦闘ということもあり、不安が押し寄せてきた。

「上手くいきますかね?」

漏れ出た僕の疑問に武田さんは少し微笑んで普段の軽快なテンションでスパッと答える。

「失敗しても大丈夫さ。何せ今日は初日だ。上手くいかなかったとしてもまた俺が追い払えばいい話だからな。」

 そう言いいながら武田さんはペットボトルの蓋を開け、周囲に撒き始めた。武田さんから伝わってくる雰囲気に僕はいまだ一抹の不安を抱きつつも、自分の能力で戦うことへの子供じみた好奇心が湧いていた。

 あらかた水を撒き終わると直感はダイバーの気配はもうかなり近くまできていることを知らせていた。武田さんも同様に感じているのだろう、斧を出現させ構えている。

「正確な位置は俺の方がわかるだろうから、最初に奇襲される時は俺が教える。」

 普段より語気の強い緊張感のある声に僕も気を引き締める。感覚を研ぎ澄ますとダイバーは真っ直ぐにこちらに向かってきている。唾をゴクリと飲み込み足を肩幅より広く開け、姿勢を低くする。すると、、、

「来るぞ!前方約十メートル!」

 武田さんの声が夜空に響く。そしてズルズルと地面から"ソレ"、いや、ダイバーが現れた。今の時間帯が深夜であるからか、最初に見たあの日より黒いように見えた。改めてダイバーを見て僕は後退りした。

「藍澤、俺が動きを止めたら合図を出す。それで俺が退くからその間に離れたところから凍らせるんだ。」

 武田さんの声で冷静になった僕ははい、と大きな声でこたえた。武田さんはおう、と親指を立てる仕草をするとダイバーへと向かっていった。ダイバーは拳を振り上げ、武田さんに振り下ろした。それを斧の柄の部分で攻撃を受け流したまま横に移動した。振り下ろされたダイバーの拳はドゴゴゴとアスファルトの地面へと食い込んだ。その隙を見逃さずに武田さんは戦斧の刃の反対側に付いている鉤爪をダイバーの背中に思いっきり刺した。ダイバーは武田さんの戦斧の威力に耐え切れず、ドドーンと音を立て、うつ伏せ状態になった。武田さんを戦斧を刺したままダイバーをなんとか押さえつけようとした。

「藍澤今だ!」

 武田さんの声にはい!と威勢よくこたえ、僕はダイバーに走って近づき、五メートルまで近づくと、先程水をかけていたアスファルトの道に両手をつき、思いっきり力を込めた。一瞬で氷は生成され、ピシーーッとダイバーの方へと僕を中心に円を大きくしていくように向かっていく。武田さんは氷が届くところでダイバーを踏み台にして高く跳び上がった。ダイバーの体が少しずつ氷で覆われていく。ダイバーは氷から脱しようともがいているように見えるがすでに遅かった。ダイバーの動きは数秒で沈黙した。僕は氷がダイバーの体を完全に覆うのを見計らって両手を地面から離した。辺りを見回すと自分の能力を十全に使えていないことを痛感した。地面に広がった氷は自分の後方にまで広がっていた。ダイバーだけを凍らせれば良かったのにも関わらずだ。僕は呆然と自分の両手をまじまじと見た。僕は今日渾身の力を込めて能力を使った。実感したのは能力を使いこなせていないという自分の未熟さだった。

「藍澤、こっち来てくれ。」

 武田さんに呼ばれ、滑らないように氷の地面を一歩、また一歩と歩く。地面に辿り着くと武田さんは戦斧を振り上げた。

「ダイバーを倒すなんて初めてだなぁ。」

 武田さんは誇らしそうに言った。たしかに、武田さんはダイバーを追い払ったことは幾度となくあるだろうが完全に倒すことは初めてだ。それが武田さんにとっては嬉しいのだろう。

「やっちゃって下さい、武田さん。」

 僕も笑顔で返し、少し武田さんから離れた。おう、と応えた彼は思いっきり戦斧を振り下ろす。ダイバーはそれを覆う氷もろとも真っ二つに切断され、体はボロボロと崩れていき、原型がもはや分からなくなった。

「この氷だが、今は夏だし朝には溶けると思う。一応今から砕いてはいくけどな。」

「すいません、やること増やしちゃって。」

 僕は自分の後始末を武田さんにやらせることに、少し申し訳なくなった。

「いいって、いいって。今回ダイバーを完全に倒せたのは藍澤がいてこそだ。砕くくらいならすぐ済む。」

 そう言って彼は戦斧を地面に掘り下ろし、僕が生成した氷を砕いていった。僕はそれを眺め、氷を生み出すことができても、氷を消せないということを理解し、やはり武田さんに申し訳なかった。

「こんな深夜に悪かったな。今日のところはもう帰ろう、氷は朝には溶けてるだろ。」

 あらかた氷を砕き終わった武田さんは戦斧を消すと、僕と一緒に帰り始めた。

「氷砕いてくれて、ありがとうございます。僕の能力じゃ氷を消すのは出来ないみたいで…。」

「なぁに、気にすんなって。藍澤のおかげで初めてダイバーを倒せたんだ、お安い御用さ。それに、」

 武田さんはそこで少し言葉を区切ると、また元の明るさを取り戻して言った。

「紅の炎があるじゃないか。」

「え…。」

 意外な言葉だった。紅はダイバーと戦うつもりなのだろうか。もしそうなら何故今夜の話に紅が来るかどうかが話題に上がらなかったのだろう。もしくは武田さんの願望という可能性もある。街灯に照らされて見えた武田さんの横顔は何か寂しそうだった。だが、どちらにしろ、紅の炎なら僕の氷を溶かしてくれるので、相性はいいと思った。

「一緒に戦えたらいいですね。」

 僕は彼を励ますようにぽつりと呟いた。武田さんはそうだな、と頷き、二人で帰路についた。だが、僕はまだ解っていなかった。ダイバーを倒すということが一体何を意味するのかを。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る