5.サクラマツココロ

 まだ冬の名残りを残した肌寒い風が吹く。

 真っ白なお日さまは負けじと温かさを届けてくれる。

 あわい桃色の花びらを舞い散らせる桜は、風を使い花の香りを空の果てまで運んでいく。


 桜の木の下に立つわたしは、トンと幹へ背中を預ける。

 ふと上を見上げて木漏れ日の先にある空を眺めても、黒か白か分からない空っぽの心は変わらない。


「中学の入学式早々、桜の木の下で浮かない顔をする女の子。もう大事件だね、これは」

知秋ちあきちゃん。友達と一緒だったんじゃ無いんですか? ……あれ、でも知秋ちあきちゃんの友達を見たことが――」

「まるでアタシに友達がいないみたいに言わないで、ここちゃん! むしろ気を遣われて、行って来いって送り出されたから! ちゃんといるから!」


 両手を腰に当て、何やら誇らしげな表情をして現れたお団子ヘアーの女の子、桜居さくらい知秋ちあきちゃん。


 安定はしているが油断はできないとして、中学校の入学式が終わり次第、早急に帰宅したわたしを心配してくれたのは素直に嬉しい。

 いつまで経っても変わらない優しさは、何度季節が巡っても心に染み入る気持ちは同じ。


 ――思わず口元が緩んでしまう、秋の暖かさ。


「ふう。慣れない環境で体調を崩して無いかって思ったけど、大丈夫そうだね」

「うん、まあそうですね。ちょっと緊張はしました」

「本当に大丈夫? 熱が出てるの隠してない? 前にやらかしてるんだから、そこは信用しないよアタシ」


 わたしの額と自分の額に手を当てて、熱を測りだす知秋ちゃん。

 額に触れた手は少しだけ冷たくて、うーんとうなる彼女は目を点にして独りでに納得する。


「……うん! 大丈夫そうだね!」

「大丈夫って、まったく……。知秋ちあきちゃんは雑なんです」


 体温を軽く比べただけで人の体調が分かるのだったら、どれだけの人が病気から助かることができるだろう。

 わたしの場合は胸の奥に病気を抱えているのだから、どちらかと言えばそちらを気にするべきだと思う。


 トクントクンと動く、空っぽなこの心を。


「それで。知秋ちゃんの用事はそれだけですか?」

「それだけって。いやまあ、そうなんだけど」


 ジィーっとわたしの顔を見つめてくる彼女は、それ以上の言葉を続けなかった。

 ゆっくりと診療所へ振り返り、窓が開け放たれた病室へと目を向ける。


 簡単な喫煙所が側に作られている101号室。

 風に吹かれて舞う桜の花びらが入りこむ病室には、誰もいない。


「こうして待ってても、松永まつながさんは戻ってこないよ」

「別に待ってないです。そもそも診療所によく来る方が問題です」

「おおー? 嘘をつく口はここかなー?」


 知秋ちあきちゃんの口から彼の名前が出た途端に、わたしの心がトクンと息を吹き返す。

 胸の内に広がっていく温かさを隠そうと、わたしは慌てて目線をそらす。


 だけど顔に出ていたのか、無意識に膨らんでいた頬っぺたを知秋ちあきちゃんがプニプニと弄ってくる。


「なんですか」

「今更だけど、すっごい松永まつながさんを殴りたくなってきた。こんなにカワイイここちゃんを独り占めできるって、もう違法だよ。通報しよう」

「そんな事をしたら、わたし知秋ちあきちゃんと絶交しますからね」


 冗談なのは分かっているけれど、知秋ちあきちゃんが制服のジャケットからスマートフォンを取り出すところを見て、心がチクリと痛む。


「ふふーん。例えここちゃんが絶交って言っても、アタシはここちゃんのところに戻ってくるよー。こんな風にね!」

「……まあ、そうですよね」


 わたしを抱きしめて、これ以上に無いくらいの愛情表現をしてくる知秋ちあきちゃんに、思わず諦めのため息が漏れ出る。


 体から伝わってくる温かさも、彼女の振りまく明るさも。

 空に浮かぶお日さまみたいに、空っぽな心をわたしの好きな白色に染めてくれる。


 だから振り解かない。


「こんな風に、栄一えーいちさんも戻ってきて欲しいです」

「アタシみたいってのは、だいぶ無茶ぶりじゃないかな」

「そうですか?」

「……たまにここちゃんの中での松永まつながさんが、分からなくなるよ」


 ちゃんと知秋ちゃんみたいに、わたしに会いに来て欲しいと思って口にしただけだった。

 それなのに彼女は苦い顔をして、わたしとは違うことを考えている。


「なにか誤解していませんか? 知秋ちあきちゃん」

「んーどうだろう。アタシとしては一回ぐらいなら良いんじゃないかな」

「――……ふぅぇ!? 知秋ちゃん! いきなり何するんですか!?」


 脈絡もなく抱きしめながら、わたしの視界を両手で遮る知秋ちあきちゃん。

 当然ながら目の前は真っ暗で、焦りと分からない怖さで心がドクンドクンとなり始める。


 今わたしの中で分からないのは知秋ちあきちゃんの行動であり、両手を払おうとしても力の差は歴然で、ビクともしない。


 いったい何がしたいの?

 悪戯にしても、わたしの病気を知っている知秋ちあきちゃんらしく――


「その辺りどうですか? 松永まつながさん」

「出来る事なら、遠慮させて頂きたいですね」


 聞き覚えのある声が聞こえたと同時に、ようやく手を離してくれたのか視界が真っ白に開ける。


 目の前にいたのは、困った表情でわたしたちを見ている栄一えーいちさん。

 最後に会った時に比べて全体的に痩せているけれど、隈のない顔が浮かべる落ち着いた表情は変わっていなかった。


「えー、いちさん?」

「はい。さく……こころさん。駄目ですね。少し呼ばなかったら戻ってしまいました」

「えいっ……いちさん!」


 走ろうとした。

 彼の胸元に向けて飛び込もうとした。

 それは叶わない理想で、数歩進んだだけで足がバランスを崩し、浮遊感と一緒に体が前のめりに倒れ込む。


 熱を持った心は、一瞬にして冬の冷たさへと落ちていく。


「おっと……! 大丈夫ですか、こころさん」

「……は、はい」


 トンっと自分の体に迎い入れ、わたしの体を支えてくれた栄一えーいちさん。

 かすかに残るタバコの匂いと、消毒液の匂いがわたしの凍った心を徐々に溶かしてく。


「えへへっ。ありがとうございます、栄一えーいちさん」


 熱くなる頬。

 トクントクンと鳴り止まない心は、きっと彼にも伝わっているはず。

 だけど、だからこそあの日と同じように彼へ笑ってみせる。


 暗い心はもう無くて、甘くて熱い心がわたしを満たす。

 ずっとあなたと居たいって、桜を待つ心は花を咲かせた。

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サクラノココロ 薪原カナユキ @makihara

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