後編

 中三の秋ごろ。


 卒業がそろそろ見えるころ。


 進路をどうするか、少しずつ実感として見え始めるころ。


 俺は一つ実験をしてみた。


 疑惑を確証に変えるために。


 眼を閉じる。


 想像する。


 女子の身体。


 クラスの女子の顔。


 その痴態。


 身体が反応する。


 よし、正常。


 想像する。


 母親の裸体。


 ばあちゃんの裸体。


 ねえちゃんの裸体。


 反応……しない。


 うん、しねえぞ。


 一瞬、反応しかけた気もするが、理性をハンマーに変えて叩き潰した。


 オーライ、オーライ、問題ない。


 




 想像する。






 刀祢を。



 触れる身体を。



 体温を。



 手を。



 背中を。



 肩を。







 反応した。



 確かに、明確に。



 つまり、そういうことらしい。









 -----------


 ある日、いつも通り刀祢がうちに来ていた。その日は試験勉強をお互いして、疲れたからいつも通り泊っていくことになった。


 そう、そんないつも通りの日。


 「俺、お前に性欲湧いてるわ」


 「はあ……、はあ?」


 告げた。


 ベッドで寝っ転がって、お互い天井を見上げているときに、そう告げた。


 刀祢をちらりと見ると、眉根を寄せてこっちを見ていた。茶化されるのかなと思ったけど、思いのほか刀祢の目はなんというかマジだった。


 「本気で言ってんの、お前」


 「うん」


 できるだけまっすぐ伝えた。余計なものが混ざらないように。


 伝えるべきことははっきりと、まっすぐ伝えるというのが、俺が両親の離婚にぶちぎれた姉ちゃんから学んだことだった。


 刀祢は相変わらずじっと俺を見ている。それから寝ころんだ身体をぐいと起こして胡坐をかくと俺を見た。


 「冗談じゃねえんだな」


 「うん」


 伝える。そう、まっすぐに。


 「俺の見解、言っていいか?」


 「ああ」


 「多分な勘違いだぞ、母ちゃんのブラジャーに反応すんのと変わらん。たまたま触れる機会が多かったから、そう思ってるだけだ。俺も一回気になって調べたが、俺らくらいの年齢のやつが同性に反応するのはよくあることらしい」


 「俺もそんくらい調べたよ」


 「それを踏まえたうえで?」


 「うん、それを踏まえたうえで」


 刀祢は顎に手を当てて、しばらく困ったような考え込むような仕草を取った。


 「で、悠馬はどうしたいんだよ」


 「ん? いや、わかんねえ。ただ思って気づいたから、報告しただけだ」


 「その、なんだ恋人的なことをしたいとはならんの?」


 「んー、どうなんだろ。そこまで想像しなかったからわからんな」


 言われて、恋人っぽいことを想像してみた。いや、わからん、男同士の恋人ってなにするもんなんだ。そもそも俺、普通に女子とも恋人になんてなったことないし。


 考えを切り替えて、刀祢とやりたいことを想像してみる。やりたいこと、やりたいことねえ。


 「唐突に失礼しますわよ」


 ふと思いついてベッドから跳ねた。適当にふざけて刀祢が驚いてるうちに、胡坐かいている刀祢の足の間にすとんと収まった。


 うん。


 「いや、でけえよ。顔じゃまだ」


 「だよなあ、俺ももう170あるしな」


 いわゆる恋人的なスキンシップにも挑戦してみたが、どうにもダメだった。手をにっぎたり、顔を寄せても、刀祢のやつがすぐ恥ずかしがったり文句を言った。


 あーでもない、こーでもない、と10分くらい試した。


 「あ、これよくねえ?」


 「あー、うん。いいんじゃねえか」


 俺たちはお互いに背中を預けて座った。お互いの顔は見えないが、背中の体温は感じられた。うん、なんというか納まりがいい。


 「うんうん、いいな。これ」


 「はあ、これで満足なのか?」


 「ああ、これがいい感じだ」


 俺は上機嫌になって指をパチンとならした。


 背後で刀祢がうんうんと唸っている。


 「……さすがに困らせたか?」


 「お前に困らされるのなんていつも通りだよ」


 刀祢はそういって、ため息をついた。


 「いつも悪いな」


 「悪いと思うんなら、その思い付きで行動する癖直せ」


 「はは、性格だからなあ」


 「ま、急に思慮深くなられても怖いがな」


 「なんじゃそりゃ」


 「はあ、ったく」


 背後から響く愚痴をニヤニヤしながら聞きながす。


 「とりあえず一か月だ」


 「何が」


 「お前の性欲のお試し期間だよ。一か月、一か月色々とやってみよう。で、それが本物になるかお互いの気持ちを確かめる」


 「……ん、ありがと」


 「一か月終わったら、ジュースでもおごれ」


 「りょーかい」


 俺はそう言って頷いた。背中の体温を感じながら。



 ------------


 一か月はあっという間だった。


 家で手を握ったり、抱きしめてみたり、触れ合ってみたりした。


 キスは最後まで刀祢の奴は嫌がった。嫌がる割にはあいつからするのはOKらしく、俺側からするからそれで満足しろと言われた。よう、わからんやつだ。


 普段、触れることのない距離感。近づくことのない部分。そんなものを触れ合わせた。


 色々したが、やっぱり一番落ち着くのは背中合わせでいる時だった。


 刀祢もそれが一番納まりがいいようで、長い時間そうしていた。


 一か月はあっという間だった。


 本当にそんな時間があったのか、後から考えれば疑わしくなるほどに。


 願いが、欲望が、かなっている時間のはずなのにびっくりするくらい、高速で過ぎていったように思えた。


 記憶をたどると、再生されるイメージは鮮明なのにあやふやに見えた。我ながら、矛盾してる。


 もしかしたら、ずっとずっと熱に浮かされていたのかもしれない。


 そうして一か月がたった。


 





 ーーーーーーーーーー


 「悪い、やっぱり無理だった」


 「おう、そっか」


 一か月が過ぎたころの帰り道そう告げられた。


 なので俺は約束通り、ジュースをおごることにした。


 告げられても不思議と動揺はなかった。


 途中からなんとなくこうなることはわかっていたからかもしれない。


 自販機がある場所に向かいながら、俺たちは歩いた。


 「ちなみに理由、聞いてもいいか?」


 「……理由は、色々だな。周りにどう思われるか気になるとか、母さんに心配かけるとか、まあそういうのもるんだが」


 「ああ」


 「多分、一番の理由は俺はお前と友達って距離が一番良かったんだ」


 「うん」


 「恋人ってのも悪くないのかもしれない、でもな俺にとってお前との一番いい距離は友達だったんだ。お互いのことを知れて、お互いのことを理解して、遠くも近くもなくて、それくらいの距離が俺にとっては一番良かったんだ。性欲も正直、多少わいた。でもな、やっぱそれくらいの距離が俺にとっては一番良かったんだよ」


 「……そっか」


 自販機に着いた。


 ブラックコーヒーを買って投げて渡した。


 「俺、微糖のほうがいいんだけど」


 「せめてもの意地悪だ受け取れ」


 「へいへい」


 俺は自分の分のカフェオレを買った。ブラックは飲めない。身体はでかくなったけど、まだまだ舌は子どものままだ。


 「……傷ついたか」


 そう、問われた。


 「んー……どうだろうな。まったく暗い部分がないって言ったら嘘になる」


 「そうか……」


 「でもな、そこまで落ち込んでもない。お前が最大限してくれたのは知ってるし、真剣に考えてくれたのもわかる。だから、これはこれでいいんだ。なんというか、そもそも歯車がかみ合ってなかったんだ。努力でどうにかなるもんじゃない。それでも、俺はちゃんと伝えたし、お前は最大限応えてくれた。だから、それでいい」


 指が震えた。


 背中に刀祢の体温が触れた。背中合わせだ、一番、納まりのいい場所。


 「だから、気にすんな」


 声が震えた。


 「悪い」


 「謝んな、お前は悪くない」


 カフェオレがしょっぱい。なんでだろうな。


 「それでも、悪い」


 「うっせ」


 目を伏せた。


 「苦いわ、これ」


 「はは、ざまあみろ」


 歯車はかみ合わなかった。俺が持っているものとあいつが持っているものは、かみ合わなかった。


 ただ、それだけだ。


 そう、本当に。


 たった、それだけなんだ。


 もう一度、カフェオレを喉に流した。


 涙の味は甘さが溶かしていった。



 



 「俺な、県外の高校行くわ。受かったらだけど。なんか自由そうな高校らしい」


 「そっか、俺はここの高校だな」


 「ああ、知ってる」


 「なあ、俺らもう友達じゃないんかな」


 「わかんね、縁が切れちまうのはちょっと寂しいけどな」


 「ああ」


 「でも近すぎると、ちとつれえかな」


 「だな」


 「だから、お前んとこのおばさんには悪いけど、泊りに来るのはこれっきりにしろ」


 「おっけ」


 「ああ、頼む」


 「……なあ、今度どっか遊びに行かないか。受験終わったらさ、中一のころやったみたいな探検にさ」


 「……はは、なつかし。そういや最近やってなかったな」


 「ああ、どっか行こうぜ」


 「……ああ」


 「…………まだ、俺らは友達でいいのか、悠馬?」


 「ああ……いいよ」


 「そっか、ありがとな」


 「気にすんな」


 「ああ、そうする」


 「……なんか腹立ってきた。やっぱ目一杯気にしろ」


 「はは、やだね」


 「……ったく」


 「なあ」


 「なんだよ」


 「悠馬は俺以外の男も気になるのか?」


 「さあ、わからん。俺は、結局たまたま好きになった奴が男だっただけだ。女の子も普通にエロいと思うしな」


 「そっか」


 「なんだよ」


 「いや、いつかちゃんと出会えるといいな。なんというか、噛み合う人と」


 「そーだな。……いやお前、人の心配してる暇あったら彼女でも作ったらどうだ?」


 「はは、違いない」


 「……」


 「……」


 「なあ、悠馬」


 「なんだよ」


 「俺はお前が友達でよかったよ。お前なら、大丈夫だ。ちゃんとどっかで前向いて生きていける」


 「ははは」


 「……なんだよ、笑うなよ。これでもちゃんと気持ち込めていったぞ?」


 「知ってる。……ありがとな、ちゃんと伝えてくれて、ちゃんと聞いてくれて」


 「ま、お礼はもらったからな」


 「缶コーヒー一本だぞ? やっすい男だな」


 「ははは」


 「……帰るわ」


 「ああ、気いつけて帰れよ」


 「お前もな、


 「ああ、また明日」











 こうして、俺と刀祢の関係は終わった。


 もちろん、その後もなんだかんだと連絡は取りあっているけれど、前のようにはいかない。


 お互い、少しだけ距離がある。


 触れていた背中はもうくっつかない。


 でもまあ、仕方ない。


 しっかり考えた。


 しっかり感じた。


 その結果なのだ。


 誰が悪いというわけでもない。


 そう、仕方ないのだ。


 ふうと息を吐く。


 自分のことを考える。


 俺は男に性欲を抱く。


 女にも性欲を抱く。


 そういう奴だ、あれから、刀祢以外の人間を観察していたが、ある程度かみ合えば多少性欲が湧いた。


 ただ、刀祢の時ほどじゃない。


 多分、今のところあいつほど、俺の心の深い部分に触れてきた奴がいないからだろうか。


 そう。やっぱり俺は。たまたま好きになった奴が男だった。


 ただそれだけなんだな。



 ーーーーーーーーーーーー


 季節が回って、高校に入学した。


 自由な校風だとは聞いていたが、噂にたがわず変な奴が多い。


 ロックバンドをやってる片割れと、そのロックバンドのファンをやってる双子。突然、仏教の教えについて科学的に語りだす寺っこ。教師は数学の授業中に関数の理論はぶっちゃけこうだといって、独自解釈の理論を展開し続ける。しかもそれが分かりやすいのだが、途中で教科書を投げ捨てだしたので色々と物議をかもした。


 「山川はぶっちゃけ没個性よね」


 ある日、近くの席になった漆原という女子にそんなことを言われた。


 ちなみに漆原は変人たちに対して、一切の容赦なくツッコミをいれることに定評があった。どぎついツッコミを入れる割には、どことなく根の優しさがにじみ出ているので、皆嫌いになれないのだが。


 しかし、没個性。没個性ねえ。


 「いや、俺バイだけどな。男にも性欲湧く」


 告げた。ま、こいつらなら引かないだろう。


 「「「ええーーーーーー!!!」」」


 ……と、思っていたが思いっきり驚かれた。あれやっちまったか? と頬をかく。


 困ったなと驚いた双子や寺っこを見て最後に漆原を見た。


 ……笑ってる?


 「っぷははは! 何よそんな面白い要素あるならさっさと言いなさいよ。もったいぶっちゃってまあ」


 面白がっていた。こいつは……。苦笑いでそんな漆原を眺める。


 「「まじでまじで! 悠馬そっち系の人だったの」」


 「ああ……」


 「「推せる!!」」


 双子は何故か色めき立っていた。


 「ちなみに仏教的には衆道というのはねーーーー」


 「あーーー、それ長いやつか?」


 「長いね」


 「じゃあ、また時間あるときな」


 寺っこは肩を落とした。


 漆原は最後までニヤニヤと笑っていた。


 俺はため息をついて窓の外を見た。


 ピロんと音がする。


 スマホを見ると、刀祢から連絡が来ていた。


 『そっちは楽しくやってるか』


 思わず笑った。


 『ああ、騒がしすぎてやかましいくらいだ』


 そんな返信をした。


 視線を戻すと、まだ双子は騒いでいて、寺っこは気を取り直していて、漆原は笑っていた。


 教室の扉が開いて、担任が教室に入ってくる。

 

 「授業始めんぞー」


 「「「「「はーい」」」」」


 窓を眺めた。


 いつか俺と噛み合う人は現れるのだろうか。


 こんな悩みもいつか忘れてしまうだろうか。


 そんなことを考えながら、眼を閉じた。


 そんな時が来るのかはわからない、わからないが。


 今はとりあえず楽しいわけで。


 まあ、こんな自分も悪くないさ。


 そう、思えた。

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好きになった奴が男なだけだよ キノハタ @kinohata

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