第19話 さよなら【銀治郎サイド】
いつの間にか、朝見えていたの青空は消え、空にはもやのような灰色の曇がかかっていた。銀治郎は店から弾丸のように飛び出すと、大通りにあるバス停に向かった。時刻表を確かめると、次に来るバスは二十分後だった。銀治郎はタクシーを探したが、こんな田舎道を都合よくタクシーが走っているわけがない。タクシーを呼び出す方法もあるが、タクシーにここまで来て貰う時間さえも勿体ない。銀治郎は自宅にある車を取りに戻ろうかとも思ったが、さすがに諦めた。この身体でそんなことをしたら捕まってしまう。
銀治郎は矢も盾もかまわず、駅まで走リ始めた。身体が持つかわからなかったが、思ったよりずっと早く走れた。
銀治郎は丁度ホームに着いた電車に飛び乗り、目的の場所を目指した。席に座らずに立ったまま。銀治郎は何度も確認した娘からのメッセージをもう一度読み直す。
「お父さん
この前、海外に行ってもいいんじゃない、って言ってくれてありがとう。
私ずっと、お父さんは反対してるって思ってたから、意外だったけど、嬉しかった。
アルバイトして、お金貯めて、
(お母さんがちょっと支援してくれたけど)
今日やっとアフリカに出発です。
お父さんに言ったら、見送りに来るとか言いそうと思ったから
言わなかったけど、今日十三時四十分の便で出発です。
頑張ってきます。
しばらく会えないけど、元気でね
あ、自分でも、防犯とかいろいろ調べたから、心配しなくて大丈夫だからね。」
勉強はどうするんだ。お父さんはいいなんて一言も言ってない。早まるな。どうして、急に行くことにしたんだ――――
ホームから電車に乗り込もうとする人たちが、銀治郎を電車の奥へと押し込む。銀治郎は吊革をつかみ換えながら、何度も自分の書いたメッセージを読み、何度も消した。
最後にかろうじて、話し合おう、というメッセージだけを送った。しかし、メッセージには一向に既読が着かない。銀治郎は今度は電話をかけた。しかし電話もつながらなかった。
銀治郎は朦朧とした頭で考えた。前回、テーマパークで話したときは、すぐにどこかに行くなんて話はなかった。それに僕は、行ってもいいなんて一言も言っていないはずだ。
銀治郎は携帯を持った手を額にやり、大きなため息をつく。頭の中で、紘子に言いたかった台詞だけが大きくこだましている。しかし、もうすぐ飛行機で出発しようとしている娘を、文面や電話だけで止められるとはとても思えない。
でも、もし会えたら。そうしたら、無理矢理にでも娘を止めることができる。その思いだけを頼りに、銀治郎は空港へと向かった。
*
空港に着くと、すでに十三時十分だった。紘子は既に搭乗口にいるはずだ。
パネルの案内を見て、アフリカ方面行きの飛行機を探した。十三時四十分の便ということは――――405便、タンザニア行き。これだ。十四ゲートだ。
銀治郎はすぐに適当な航空チケットを買って、空港の中に入った。ネットの情報では、後でチケットの払い戻しは可能であると書いてあったが、相手を騙しているようで、銀治郎はすこし気が咎めた。
搭乗手続きを済ませたと同時に、銀治郎は一四ゲートに向かって走リ出した。紘子はもう、飛行機に乗り込んでしまっただろうか。
銀治郎が方向転換するたび、スニーカーが床に擦れてキュキュッと鳴った。銀治郎は息せき切らせて走りながらも、なぜか自身の初めての海外旅行のことを思い出していた。大学の卒業旅行で、ベトナムだった。友人である黒沢君と大野君と一緒に行ったはずだ。現地の人は、日本人に顔が似ているのに、日本語を喋っていないことに驚いた。それに、お米の味が違うことにも驚いた。ああそうそう、初日に財布を盗られたりもした――。
銀治郎は十四ゲートにたどり着き、時計を見上げた。すでに十三時二十二分を回っている。しかし、ゲートの側の椅子では、数人のビジネスマン風の人たちが、のんびりと新聞を読んだり、ノートパソコンを広げている。ゲートに設置されているカウンターにも人がいない。銀治郎は困惑しながら、受付に人が居る十二ゲートまで戻って尋ねた。本気で走ったせいで、話そうとすると喉が渇いて声が掠れた。
「あの、十四ゲート、の、タンザニアの、十三時時三十分の、もう行っちゃいましたか」
二郎は息を整えながら、前のめりに訊いた。
「少々お待ちください。お調べ致します」
「お、お願いします」
受付の女性は何かをパソコンに打ち込ンだ後、女性は真っ赤な唇を上品に動かしながら言った。
「その便でしたら、五十二ゲートに移動になりましたね」
五十二ゲート。銀治郎は唖然とした。つまり、今と反対側の建物だ。銀治郎は一秒も無駄にできないというように、ありがとうございましたと言いながら全力疾走で走り出した。ゲートの番号が振られている支柱を一つ一つ確認しながら。紘子に会えることを祈りながら。
四十九、五十、五十一、五十二ゲート。
ここだ――。
喉が肩を大きく上下させながら、銀治郎は五十二ゲートの周りを見回した。しかし、五十二ゲートには、すでに誰も居なかった。時計を見ると、十三時三十三分を指していた。
次郎はしばらく、ゲートの前に立ち尽くしていた。キャリーケースが床をこするガラガラという音が響く。走りすぎて、喉が焼けるように痛い。銀治郎は咳き込んだ。他のゲートから、搭乗口にお並びください、というアナウンスが聞こえた。外に目をやると、ガラス張りの窓のむこうで、今にも雨が降り出しそうな雲の下、飛行機が数台並び、ゆっくりと滑走している。 銀治郎は無言でそれをぼんやり眺めたのち、空気が抜けたように、どさっとベンチに座った。
娘を、止めることはおろか、別れの挨拶さえできなかった。
これからどういう場所に向かうのか、何をするのかも知らないまま行かせてせてしまった。
銀治郎はこの先、遠くない未来に、もう娘を守ることはできなくなるのだということは、わかっていたはずだった。でもそれは、今ではないと思っていた。
銀治郎は無力感でいっぱいになった。顔を両掌で覆い、涙がにじむ目頭をぎゅっと押す。
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