第18話 行動が早すぎる【銀治郎サイド】
次の日も銀次郎は出勤だった。また同じように八時に起きて、コンビニに行く。朝の道を歩いていくと、バスに乗るサラリーマンや、健吾と同じくらいの年の高校生と擦れ違う。 昨日と比べ、銀治郎を取り巻く状況は何も変わってなかった。しかし、銀治郎は今朝の晴れた空を見てふと、きれいだな、と思った。そして今回は、そんな事を思う自分を責めることもしなかった。しばらくの間は、なるようになる、と考えてみることにしよう。
今日は河合に用事があり、銀治郎一人で店番だった。十一時頃、銀治郎は人がはけた頃合いを見計らって店の奥に入った。食事の時間だ。
銀治郎は店の奥にしつらえられている休憩用の白い机に、グラタンとオムライスとカフェラテ、それにガトーショコラを並べた。自然に顔がほころぶ。銀治郎はコンビニのバイトの時間の中で、この時間が一番楽しみだった。
最近銀治郎は、自分の好きなものを食べるようになった。なにせ、何を食べてもほとんど太らないのだ。たしかに元の健吾に比べると、すこし顔が丸いのは否めない。しかし、少し動けば体重はすぐに元に戻った。それに今なら、運動もできるかもしれない、と銀治郎は思った。以前の銀治郎は、走っているところを人に見られるのが嫌だったのだ。こんな自分が走っていても、みっともないだけだと思い、恥ずかしかったから。でも今は違う。
それにしても、と銀治郎はオムライスを頬張りながら思った。健吾は会うたびに顎の辺りがシュッとしていく。銀治郎がなぜかと訊くと、体を動かすことが習慣になっているのと、酒が冷蔵庫にないから自然に痩せてくんじゃないすか、と健吾は答えた。銀治郎は続けて訊いた。
「体を動かすって?スクワットとか?」
「そうっすね。あと腹筋とか。ほかにも、会社帰りに、駅から家までダッシュしたり――――」
銀治郎はぎょっとした。
「ダッシュ?」
「はい。でもスーツが破けそうになったんで、もうやめます」
「よかった」
健吾ははっと気がついた顔をした、
「そうだ。今後はそれ着て走ろうと思って、家にスエット取りに来たんだった」
「スエット」
銀治郎の脳裏に、タンスの上に投げてあった、どピンクのスエットがフラッシュバックした。自分がパツパツのどピンクのスエットで走る姿を想像して冷や汗をかいた。自動は無言で財布を出して、素早く数千円を健吾の手の上に乗せた。
「よかったらこれで買って」
「え?いっすよ。服ありますから」
「いいから」
「よくないっすよ」
「じゃあお年玉って事で」
「時期じゃないっす」
「いやいや。ちょうどトレーニングしたかったんだ。僕の身体、返すまで鍛えておいて」
健吾は、銀治郎と手の中のお札を交互に見てから言った。
「ありがとうございます」
そのとき、銀治郎は、自分も、健吾のためになるような身体の使い方をすべきではないかとふと思った。いつ元に戻るかわからないけど、この体でしかできないこともきっとあるだろう。やけっぱちではなくそういうふうに思っている自分が、銀治郎は少し不思議な気がした。
急に携帯が鳴った。銀治郎ははっと回想から覚め、机の上に置いておいた携帯の音を慌ててオフにした。いつもはサイレントモードに設定しているが、今朝誤って設定しまったらしい。ふと画面を見ると、SNSのメッセージ通知が着ていた。たまに息吹がスーパーでの買い物を頼むときがあるから、それかなと思ったが、名前を確認して驚いた。メッセージは、娘の紘子から送られてきたものだった。
紘子からの個別のメッセージなんて何年ぶりだろうか。一応家族LINEはあるが、あまり使っていない。そわそわしながらメッセージを開いた銀治郎だったが、読み進むうちに、だんだんと眉間のしわが深くなっていった。携帯を両手で持ち直し、画面を食い入るように見つめる。
そのとき、ピンポン、という来店時の音が鳴り、誰かが店に入ってきた。
銀治郎は反射で店の奥からレジに出た。いらっしゃいませ、と言いかけ、来店したのが客ではないことに気がつく。
入り口に、猫背で痩せぎすの少年が立っていた。栗本と呼ばれていた少年だ。相変わらず薄ら笑いをうかべている。栗本は銀治郎の顔を確認すると、店の中に人がいないのを確認してから、レジの方へふらふらと歩いてきた。銀治郎は身構えた。もしかすると、昨日のやり直しを命じられたのだろうか。栗本は銀治郎の前に立った。銀治郎が体を硬直させた次の瞬間、すごい勢いで栗本の頭がカウンターに振り下ろされた。
「ごめんなさい」
栗本は頭を下げたまま言った。背中が丸いので、まるで前屈しているように見える。ぽかんとしている銀治郎に対して、栗本はぼそぼそと喋り始めた。
「昨日のこと、本当にすみませんでした。だから、弁護士を通すのはやめてくれませんか」
「え?」
銀治郎は一瞬戸惑った。弁護士?ああ、そういえば昨日、健吾を助けるために、弁護士がどうとか口走った気がする。だが、もちろんそんなものはハッタリで、お世話になっている弁護士などいない。
「あいつらに言われたからとはいえ、僕はあなたを殴りました。そのことについては謝罪しますし、僕にやれることなら補償します。」
少年の必死の訴えに、銀治郎は彼が今日なぜここに来たのかをやっと理解した。一瞬だけ相手を懲らしめたい気もしたが、それと同時に、紘子から貰ったメッセージの内容を思い出してはっとする。今はそれどころではなかった。
「うん、わかった。今日はちょっと忙しいから、その話は今度・・・・・・」
「じゃあ、許してくれますかね」
栗本はほっとした顔で言う。じゃあ、というのはおかしい気がしたが、面倒くさくなったので、銀治郎はいいよと言おうとした。しかしそこで、はたと気がついた。銀治郎は薄ら笑いの少年をまじまじと見つめる。渡りに舟、と言う言葉が頭によぎった。
「君、なんでもするって言った?今」
少年は一瞬、困った顔で笑った。
「え。は、はい」
「君コンビニで働いたことある」
「え、ないです」
「じゃあレジ打ったことある?」
「それは・・・あります。学祭で、ですけど」
銀治郎は時計を見た。ギリギリだが、今から走って行けば多分間に合う。銀治郎がじっと栗本を見つめる。栗本は心配そうに笑いながら、こちらを伺っている。
「本当に申し訳ないんだけど、すこしだけ僕の代わりに、店番しててくれないかい」
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