第17話 勇気があるのは【銀治郎サイド】

いや、じぶんじしんではない。それは、自分の姿をした健吾だった。少年は驚いて手を振り払う。

「何だお前」

「その人を離せ」

 リーダーにそう堂々という健吾の勇気に、銀治郎は心底感動し、同時に心底絶望した。

 ぽっちゃりと太った身体。スーツに合わせた派手なネクタイ。ウニ頭。その存在は、強いという概念からはかけ離れすぎている。助けてくれたのはありがたかったが、この状況で、自分の体が、状況解決の役に立つとはどうしても思えない。

 せめて、今だけでも体が入れ替わればよかったのに、と銀治郎は泣きそうになりながら思った。

「なんだよ。おっさんの出る幕じゃねーよ」

腕を掴まれた少年も、最初こそ驚いていたが、その姿を視認して安心したのか、すっかり半笑いになっている。周りの男たちも声を出して笑っている。

それも仕方ない、と銀治郎は思った。小さな小太りのおっさんが、頭一つ大きい、いかにも強そうな少年と顔を付け合わせ、メンチを切っているのだから。


しかし、健吾は一向に態度を変えなかった。まっすぐにリーダー格の少年を見つめている。

「何睨んでんだよ」

がつっと嫌な音がした。銀治郎はひっと息を吸い込んで身を縮める。見ると健吾は鼻血を出していた。しかし、しっかりとその場に仁王立ちしている姿は変わらない。

「健吾君」

銀治郎がそう声を上げたときだった。健吾は蹴りを入れようとした少年の足元を逆に払い、見事に転ばせた。周りの少年も驚いて、目を丸くしている。

「ふっざけんなよ!」

リーダーは立ち上がりざまにそう言って、少年は健吾の胸ぐらをつかんだ。

「お前ら、西高だろ。大したことねぇのに、いきってんじゃねぇよ」

少年はそう言われて、何とも言えない表情をした。無理もない。小太りのおっさんに、学生の喧嘩の時に言うようなセリフを言われたのだから。

「関係ねぇよ」

リーダーは考えるのをやめたようだ。二人は互いに睨みあった。


 その時、銀次郎が叫んだ。

「弁護士に言うぞ」

怯えて言葉が出ないところを、無理やり絞り出したので、声は裏返っていた。

張り詰めた雰囲気にそぐわない頓狂な声に、全員が銀次郎に注目する。銀次郎はつっかえながらも話を続けた。

「あー……そのおじさんには、お抱えの弁護士がいる!君たち、少年院に入りたくないだろう!就職先だって探すのが難しくなるぞ!いいのかい!お袋さんもいるんだろう!家族も!そんな若いうちから、将来を決めちゃいけない!それに……」

銀治郎は無我夢中で喋り続けた。それがこの状況を変えられると信じているように。しかし、我ながら効果があるのかないのか、わからない台詞だった。


少年達のひとりが銀治郎の演説に辟易し、「うるせえ」と言ってつかみかかってきたその時だった。公園の外でパトカーの音が聞こえた。公園のわきの、見通しのいい道を通っている。

リーダー格の少年と、銀次郎の左右の手を抑えていた二人の少年たちは一瞬目を合わせ、舌打ちした。そして、銀次郎を突き飛ばすようにして走り去った。銀次郎はその勢いで地面に転がった。

 健吾が銀次郎の手を引いて走り出す。銀治郎は痛みでどうにかなりそうになりながら、一生懸命に走った。


「大丈夫っすか」

「あ、うん、ははは、なんか腰が抜けちゃったよ」

公園から二百メートルほどの、違う公園で、銀治郎はベンチに座り込んだ。健吾が自販機でファンタを買って渡してくれた。水がよかった、と銀治郎は思う。

動悸がひどい。銀次郎は自分の手が震えていることに気が付いた。声も。

いたっ、と銀次郎は顔を歪めた。気が抜けたら体中の痛みが増してきたのだ。顎や腹だけでなくて肩や首まで痛い。殴られた時、 緊張してたからひねったのかもしれない。しかし、銀治郎は健吾を見つめてはっとした。

「健吾君、大丈夫かい。鼻血が出ているけど」

「大丈夫っす」

袖で鼻血を拭こうとする健吾に、銀治郎はハンカチを渡した。

「それにしても、健吾くん、どうしてここに」

「ちょっと家に取りに行きたいもんがあって。そんで、家に行く途中に見つけたんです」

「そうか……」

健吾は鼻を拭きながら答えた。やおら、銀治郎の胸に不安が襲ってきた。

「なあ、目をつけられたのかな、僕ら」

「さぁ……」

「また会っちゃったらどうすれば」

「逃げます」

銀治郎はやっぱり、とおもって絶望的な顔になる。健吾はそれを見て少し笑った。

「人の多いところ歩いてれば大丈夫ですよ」

「そうかなぁ」

「そう思うしかないっすね」

健吾が笑いながら立ち上がり、銀次郎に手を差し出した。銀次郎は立ち上がりながら、自分の体を持つ、違う人間の顔を見上げた。

 それは、見慣れた自分の頼りない姿だ。しかし、喧嘩を止めてくれたのは、まぎれもなく彼だった。そして、いじめを止めることもできず、あまつさえいじめっ子に殴られたのも、間違いなく自分だ。

銀治郎が下を向いて呟いた。

 「情けないな」

 「え?」

 「いや……姿は強そうなのに、何もできなかったから」

銀治郎は苦笑した。健吾はじっと銀治郎を見て、唐突に言った。。

 「銀さんは、こわがりっすよね」

 「なに?」

その言い草に、銀治郎は少しむっとしたが、言い返せなかった。健吾は続けた。

 「だから、すごいっす」

 銀治郎は怪訝な顔で健吾を見た。

 「怖がりなのに抵抗するのは、すごいことです。それに、かっこよかったっすよ。うぉーって」

 健吾は大きくかぶりを振って、パンチを繰り出す仕草をした。銀治郎はなんとも言えない、くすぐったい気持ちになった。かっこいい、なんて、今までの人生で言われたことがない気がした。それも、自分の勇気を認めてもらった事なんて。銀治郎はそれだけで、今日のすべてが報われたような気さえした。

 「見てたのかい」

 「はい。声がデカかったので、振り向いたら銀さんでした」

 「そうか」

銀治郎は健吾としばらく目を見合わせた。そして、思わず吹き出した。。銀治郎は笑うたびに腹の激痛で、うぐっ、と呻いた。それを健吾が可笑しがって笑う。すると、健吾の鼻からまた鼻血が垂れて、それを見た銀治郎もうぐうぐと声を出しながら笑った。

 こんなに笑ったのは、大学生の頃以来な気がした。

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