第15話 バイト先に妻が来た【銀治郎サイド】

朝起きて、朝食を食べ、コンビニにアルバイトに行き、家に帰って簡単な夕食をとり、調べ物をし、寝る。入れ替わって一ヶ月。銀治郎の生活にもようやく秩序ができつつあった。身の回りの世話をしてくれる人は居ないので、慣れるまでは大変だったが、その自由さは何物にも代えがたく、一瞬感謝したほどだ。結婚して二十年ほど、ずっと一人の時間を持つことは難しかった。それは家族が居るという喜びでもあったが、誰にも気を遣わないで過ごしているうちに、自分の時間はこんなに潤沢にあったのだ、と言うことに銀治郎は気がついた。

 生活の質を高めるために、まず銀治郎がしたことは、ワイシャツを買いに行ことだった。健吾の着ている服は、なんというか挑発的で、威嚇的だ。原色の生地に白や赤の文字で、意味の通らない英語が書いてあるトレーナー、テラテラ素材のスカジャン、穴の空いたズボンなど、銀治郎にとっては落ち着かない服装ばかりだった。

 服の量販店へ行き、適当なものを選ぶ。考えてみれば、自分で服を選ぶのも久しぶりだった。銀治郎は十数年前に買ったシャツやチノパンをまだ履いていたし、ここ最近、新しい服を買っていない。家から出ない銀治郎を見かねて、伊吹が買ってきたものを着るのが当たり前になっていた。

 銀治郎は焦げ茶のチノパンとワイシャツ、それに合わせた茶色のセーターを持ってレジに並ぼうとした。そのとき、棚のわきに設置されている鏡に自分の顔が映り、さすがに歳不相応すぎると気がついた。二郎はもう一度売り場に戻り、焦げ茶のチノパンを濃いブルーのジーンズと交換し、茶色のセーターも、紺色に換えた。そして、丈直しをしてもらう際に、サイズが違うから、ズボンそのものを変えた方がいいと言われ、結局試着までした。


次の日、銀治郎が新しい服を着てバイト先のコンビニに行くと、さっそく河合に、今日の服いつもと違うわね、と言われた。似合うのか似合わないのかハッキリしない評価だ。はぁ、と気の抜けた返事をかえすと、見た目より覇気がないから、そっちのほうが似合っている、と河合は言いなおした。やはり褒められたのか、そうでないのか、よくわからなかった。

 コンビニの朝のラッシュが終わったあと、銀治郎は店の在庫を取ったり、次のラッシュに備えて在庫を補充したりしていた。河合は奥の部屋で、来月のシフトを練っている。

 レジの金額合わせの時間になったので、レジの鍵を回した時に、客が入ってきた。

「いらっしゃいませ」

 そう言って、入り口を振り向いた銀治郎は固まってしまった。白髪染め代わりの茶髪に、ゆるくパーマをかけたボブスタイル。膝下の、ふんわり体に沿うスカートと、黒いニットのトップス。妻の息吹だった。

 銀治郎は銀治郎はケータイを操作しながら、ゆっくりと店内を歩く息吹から目が離せなくなった。胸が締め付けられるような懐かしさを感じる。この生活で、妻と娘に会えないのが一番つらかったからだ。しかし、それと同時に狼狽した。まさか、入れ替わりがバレることはないだろうが、それでも緊張してしまう。

 息吹の着ているコートは、銀治郎が一緒に、去年ショッピングモールのセールで買った薄いブルーのコートだった。しかし銀治郎が一番気になったのは、そこではなかった。息吹が今手に持っているのは、ブランドに疎い銀治郎も知っている高級ブランドのモノグラムのバッグだった。銀治郎は今まで、伊吹がそれを持って出かけるのを見たことがなかった。

 息吹はコンビニの中を少し歩き、レジに立った。今、レジに立っているのが娘の想い人だということには、気が付いていない様子だった。

「コンビニ支払いをお願いします」

息吹はそう言って伝票を出す。銀治郎は伝票を受け取って、あやうく声を出しそうになった。

「・・・・・・三十二万六千五百円のお支払いになります」

こんなのコンビニで払うな、と銀治郎は声を出しそうになった。息吹は平然と財布から10万円の万札の束を三つと、バラで3枚万札を出してレジに並べた。札の枚数を確認する銀治郎の手が震える。コンビニのレジ合わせをするときに、もっと多い金額を数えることもある。しかし、これはなんというか、自分の金だ。わけがちがう。

「はい、たしかに三十三万円お預かり致します」

銀治郎は手に汗をかいていた。この三十三万はどこから出てきたんだろうか。息吹が、二人で積み立てている老後の資金に手を出すことは考えられなかった。少なくとも、そういうことをするような女性ではない。最近、息吹になにか変わったところはあったかと、銀治郎は最近の妻の様子を振り返る。そういえば、息吹は三ヶ月ほど前、何かの勉強会に通いだした。そして、それに伴い、ずっとリビングのパソコンに張り付いているようになった。しかし、銀治郎の知っているのはその程度のことだ。

 妻の服装が最近派手になってきたな、ということは何となく感じていたが、まさかこんな高い買い物をしているとは思っていなかった。


 支払いを終えると息吹はほっとした顔で、銀治郎に向かってありがとう、と言った。そしてはた、と銀治郎を見た。銀治郎は一瞬ぎくりとする。 あら、と言いながら息吹は銀治郎を見つめた。

「この前は夫が失礼しました。その後お怪我は大丈夫ですか」

 如才ない言葉とは裏腹に、息吹は健吾をじっと見た。銀治郎は冷や汗が出てくるのを感じた。

「あ、はい。大丈夫です」

「ならよかった。何かあったらまたうちに連絡ください。それではお大事に」

 息吹はそれだけ言って、コンビニを後にした。


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