第12話 娘とデート2【銀治郎サイド】

 二人がたどり着いたのは、小さな広場だった。中心に、小さな噴水があり、その周りでいくつかのグループがが思い思いに休憩している。銀治郎は紘子にオペラグラスを渡す。昨日、今日の準備にと買ったものだ。

「小さくて、よく見えないかもしれないから」

「え?」

紘子が顔に疑問符を浮かべていると、銀治郎はある方向を指さした。少し遠いが、何かがキラキラと光っている。そこからは小さくだが、夜のパレードが見えた。

「わあ」

 そう言って、紘子は夢中でオペラグラスを覗いた。

「わたし、この時間のパレード見るの初めてです」

「そう」

 銀治郎は心の中で、小学校の時の娘と、今の娘を重ねた。たしかに大人になった。でも、優しくて勇気のあるところは、昔から変わらない。銀治郎は、紘子が小学校のころ、かけっこで転びながらも最後まで走った姿を思い出した。

 紘子がオペラグラスを外して、ふいにこちらを向いた。

「姫城さんも見ませんか?」

「ぼ・・・俺はここで十分」

「でも、楽しいですよ」

「いや、いいよ」

 二人はオペラグラスを真ん中に押し問答をした。そのうちに、銀治郎は周りの様子に気がついてはっとした。噴水の周りのロマンチックな光に照らされたカップル達が、幸せそうに体を寄せあっているではないか。銀治郎は狼狽し、とりあえず関係のない話をしようと、口を開きかけた。すると、花火が打ち上がった。と同時にカップル達は、次々とキスを交わし始めた。銀治郎は目を白黒させた。こんな公衆の面前で、何をやっているんだ。ここは夢の国だから、何でも許される、そういう法律なのか?いやいや。

 紘子も周囲の行動に気づいたらしく周りをチラチラと伺っている。紘子は下を向き、しばらくうつむいていたが、ちらりと上目遣いで銀治郎を見た。

 銀治郎はますます慌てた。こんなに慌てたことは人生でもないというレベルだった。プロポーズの時、レストランでクレジットカードを忘れ、現金が足りないと焦ったとき以来の慌てぶりだった。

 そんな銀治郎の焦りを知ってか知らずか、紘子はゆっくり瞳を閉じた。どうしよう。無視するか。でも、無視してしまったら娘は傷つくかも知れない。銀治郎はさっと辺りを見回す。すると、先ほど土産物屋で買った、ぬいぐるみのキーホルダーが目に入った。鞄につけていたのだ。銀治郎は目を瞑っている紘子の唇に、ぬいぐるみの顔を一瞬だけ触れさせた。そして咳払いをし、言葉を発した。

「あー、紘子・・・さんは、海外だったら、どこに行きたいの?」

 紘子は閉じていた目を開け、きょとんとした。

「え?」

「海外に行くためにバイトしてるって言ってたよね。昼間」

「ああ」

 紘子は頬を赤く染めながら、髪を耳にかけた。

「ブラジルですかね」

「ブラジル!?」

 銀治郎が大きな声で叫んだので、周りでいちゃついていたカップルが全員振り返った。

「ブラジルってブラジル?地球の裏側?」

「当たり前じゃないですか。あとは・・・・・・アフリカの国とか、他の南米の国とか。フィリピンとかもいいですね」

 銀治郎はクラクラしてきた。ブラジル?アフリカ?フィリピン?どこも治安が悪い国ばかりだ。

「あの・・・・・・余計なことを言うようだけど、わざわざそんな治安の悪い国に旅行しなくてもいいんじゃないかな」

「あ、えっと。私・・・・・・ボランティアに行きたいんです」

 紘子は小さな声で言った。毎日日銭のために仕事をしている健吾に対して、少し遠慮しているのかもしれない。銀治郎はいちゃいちゃしている周りのカップルの圧力に負けじと会話を続けた。

「ボランティアって・・・・・・具体的には何をするんだい」

 紘子がぱっと顔を上げ、きらきらした目で話し出す。

「メイクです。メイクで、途上国や、難民の女性をハッピーにしたいんです」

「メ、メイク?」

「はい。途上国ってまだ男尊女卑が強くて、女の人は自尊心が低かったりするじゃないですか。だから、メイクで自信を持ってもらいたいんです」

 『働いてもいないのに、そんな夢みたいなことを言って』という言葉を、銀治郎は喉から出かかる寸前で飲み込んだ。理性だ。理性的に説明するんだ。紘子は馬鹿な子ではない。ちゃんと説明すれば理解できるはずだ。銀治郎は、顔を引きつらせながらかろうじて言った。

「でも・・・・・・食べるものや、生活することにも事欠いてる人たちが、そういうことをする余裕はあるのかな」

「それはそうなんですよね」

 よかった。わかってくれた。銀治郎はほっとしたが、その後に続いたのは予想の斜め上を行く答えだった。

「みんなそう言うんですけど、私はそうじゃないと思うんです。貧しい国だからこそ、メイクやスキンケアは女性が自分たちを大切にする一助になるはずなんです。だから―――」

 紘子ははっとして話すのをやめた。うつむいて、小さな声でつぶやく。

「ごめんなさい。興味ないですよね」

「いや――――」

「よく言われるんです。夢物語だって」

 ふいに、紘子の瞳の光が消えた。周りにも、止められているのだろう。当然だ、そんな酔狂なことは考えるな、と銀治郎が言うのは簡単だった。しかし、自分の口から出てきたのは、意外な言葉だった。

「それは――――たしかに突拍子もないけど」

 銀治郎は息を吸い、はっきりと言った。

「すばらしい考えだと思う。諦めずにいたら、きっとかなうと思う。僕も、紘子のやりたいことは心から応援したい」

「え」

紘子は少し驚いた表情になったあと、ふと表情を和らげた。

「ありがとうございます」

 それは今日一番の笑顔だった。銀治郎は目を細めた。その笑顔をずっと見ていたい、と思った。いきいきと夢を語る紘子の瞳の中には、自分には見えていない未来がある。

 確かに、メイクで国際協力なんて、子供の夢かも知れない。突拍子のないことかもしれない。志半ばで終わる可能性の方が高いだろう。しかし、自分で決めたことに対して努力することが無駄なわけはないのだ。そして、あるいは、もしかしたら、この子なら何かができるかもしれない。我ながら親馬鹿だな、と自分でも思った。

 

 しかし、それだけが銀治郎の言いたいことではないのも事実だった。銀治郎は和やかな空気を一掃するように大きく咳払いをした。

「で?」

「え?」

「具体的にどうやって、メイクで女性を助けるんだい」

「え?ええと・・・・・・それはまず、現地に行きます」

「現地に?コネがあるのかい」

「コネって言うか、そういうボランティア、もうあるんじゃないですかね?探せば」

「なかったらどうするんだい」

「それは……それっぽいところに行って、自分でメイクさせて貰います」

銀治郎は冷静な声で娘に尋ねる。

「もし現地に行けたとしても、身の危険はあるよね。対策はあるのかい」

「それは・・・・・・」

「用意しなきゃいけないのはお金だけじゃない。現地の環境や、犯罪を避けるために何をすればいいのか、考えること」

紘子は話の成り行きがおかしな方向に進んでいることを察したのか、戸惑った表情で頷く。

「そもそも、ボランティアに行ってもできることはないかもしれない、ということを覚悟しているかい。むしろ現地の人にとって、そういうボランティアの気持ちは高慢に映るかもしれないよ」

 紘子もさすがにこの言葉にはショックを受けたようだった。口を堅く引き結んで、感情を出すのをこらえている。少しだけ目に涙をためていた。銀治郎も、落ち着いて話そうと努力していたが、手に汗をかいていた。こんなにはっきりと自分の思いを娘に伝えたのは、子供の時以来、初めてかも知れなかった。銀治郎は緊張を解くために、一息ついてから言った。

「それって……迷惑って事ですか」

「そうだ。それでも今行きたいのか、よく考えてごらん」

紘子は小さな声ではい、と言った。そして続ける。

「でも、行きたいです、夢だから」

銀治郎はため息をついた。でも、そこまでの気持ちなら。

「そうか。じゃあ一度、ご両親に相談してみたらいい」

「そうですね。あ、でも・・・・・・うち、お父さんが厳しいからなぁ」

「わからないけど、お父さんは僕と同じ考えなんじゃないかな。基本的には、紘子さんを応援していると思う」

銀治郎はそう会話を締めくくった、つもりだった。

「あ、それは絶対にないです。頭かったいんで」

紘子はにっこりと笑いながら、そこだけはやけに確信めいた声で言い放った。

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