第11話 娘とデート【銀治郎サイド】

 天気は快晴。空は澄み切っていて、雲はほとんどない。

「こんにちは」

「あ、ああ、こんにちは」

 紘子は少しはにかみながら、銀治郎に挨拶した。状況だけ見れば初々しいカップルのようだ。銀治郎はむりやり笑顔を作り、それに答える。 銀治郎は娘の紘子と、その友達の麻美、そしてその彼氏の新田君の計四人で、大型テーマパークの入場口にいた。開場直後だというのに、すでに長蛇の列ができている。よく晴れた三月、第一週の土曜の朝八時だった。

 銀治郎はちらりと紘子を見る。ゆるく巻かれた髪が、クリーム色のPコートの肩にかかっている。コートの裾からは茶色の膝丈のスカート、そして焦げ茶のブーツがのぞいている。どれもパリッと新しく、もしかしたら今日のために新調したのかもしれない。

 銀治郎は胸にチクリとしたものを感じた。娘が好きな相手だと思っている人間は、実は自分の父親なのだ。デートは始まったばかりだというのに、銀治郎は逃げだしたい気持ちになった。しかし、娘を将来辛い目に合わせたくないという思いが、銀治郎をその場に踏み留めさせた。

 テーマパーク内での移動はスムーズだった。紘子も麻美も慣れていて、そこまで並ばずに乗れるアトラクションを案内してくれた。麻美は元気なタイプで、彼氏の新田くんはおっとりしたタイプだった。紘子もよく笑い、よく気を利かせている。家での仏頂面とは大違いだ。銀治郎は最初こそギクシャクしていたものの、時間がたつにつれ、だんだんとその場になじんでいった。

 洞窟の中を探検するアトラクションを終え、レストランに向かっている途中で、麻美があ、と思い出したように言った。少し離れたところにある売店に、限定のキャラメルポップコーンがあると言う。買ってくるから、先にレストランに行ってて、という麻美に、銀治郎はすぐに声をかけた。

「僕が行って買ってくるよ」

「え、でも」

「大丈夫。その代わり、レストランの席の確保をお願いしてもいいかな。それに、ぼ・・・俺は、ちょっと外で風に当たりたいから」

 それは本心だった。健吾は記憶喪失だということにしているので、彼らもあまり昔の話はふってこない。だが、他人のふりはやはりつかれる。麻美と新田はそれでは納得してくれくれたが、紘子は銀治郎のほうに歩み寄った。

「私も行きます」

 銀治郎は焦った。

「宮内さんも先にレストラン行ってていいよ、みんなと」

「いいです。それに、ポップコーン、すごく大きいんですよ。みんなの分買ったら、持ちきれません」

 銀治郎は紘子の申し出をうまく断ることができず、紘子はそのまま銀治郎について来た。紘子のこういう積極性には、いつも感心する銀治郎だが、今はそうは思えない。

 紘子と歩いていると、あちらこちらの花壇に、鮮やかな花の色彩が見えた。三月の爽やかな風が銀治郎の頬をなで、つるりと舗装されたアスファルトの固さを足下に感じる。

 銀治郎は一瞬、タイムスリップしたような感覚を覚えた。銀治郎はここで、今日のようにデートをしたことこそなかったが、ここには、紘子がまだ小学生だった時に数回来たのだ。テーマパークの中を歩くにつれ、昔の思い出があふれるようによみがえってきていた。紘子が、前日から妻と一緒にスケジュールを立てていて、それを夜、仕事から帰ってきた銀治郎に見せてくれたこと。当日は、はしゃぎすぎて噴水に落ちたこと。まだ遊びたい、と言っていたのに、遅い昼食を食べたあと疲れすぎてすぐに寝てしまったこと。紘子は中学からは友達と行くようになってしまったので、一緒にここに来たのは数回だけだった。

「千八百円です」

 店員にそう言われて、銀治郎は現実に戻った。せんはっぴゃくえん?ポップコーンが?銀治郎は戸惑いつつも金を支払う。そして、渡されたポップコーンを見て少し納得する。キャラクターの人形がついたケースのなかに、ポップコーンが入っていた。銀治郎はそれを手に乗せて眺めた。

「今はこんな凝ったケースに入ってるんだね」

「季節で変わるケースみたいですよ。あと売ってる場所も限られてるって麻美が言ってました」

「へぇ。そうなんだ。昔はこんなのなかった気がするよ。面白い」

そう銀治郎が感心したように言うと、紘子が少し笑った。

「よかった」

「え?」

「あ、えっと・・・・・・少しは楽しんでくれたのかなって思って。よかったなって。誘ったのは私ですけど、病み上がりだし、いいのかなって思ってたんで」

「ああ」

 確かにそうだった。銀治郎は少し気恥ずかしくなって、地面に目線を向ける。正直に言うと、船に乗るのも、アトラクションを見るのも、実は楽しんでいた。この年になってテーマパークを楽しめるとは思ってはいなかったが、昔とは様変わりしたアトラクションの建物や人形はとても凝っていて、見ているだけで面白い。

 銀治郎は話題を変えた。

「ひ・・・宮内さんこそ、学校はどう?忙しいんじゃない?」

「いや、暇ですよ。バイトは忙しいですけど」

 そういえば、最近紘子はもっぱらアルバイトに精を出していた。毎日遅くまで働いていて勉強の方は進んでいるのか、銀治郎は心配だった。でも、そう聞いても、そんなのはお父さんには関係ないでしょ、と言われるのが関の山である。銀治郎は探りを入れてみることにした。

「何でそんなにバイトしてるの?」

 紘子はちょっと躊躇ってから言った。

「えっと・・・・・・海外に行きたいんです」

「旅行?」

「まぁ、そんな感じです」

 ファッション、メイク、その上海外旅行という趣味ができたら、いくら金があっても足りないんじゃないか、と銀治郎は心の中で思った。


 四人はお昼をレストランで食べ、その後いくつかアトラクションを回ると、あっという間に夕方になった。解散は五時を予定していたので、三時半には土産物屋に移動した。土産物屋もやはり混んでいた。四人でおそろいのぬいぐるみのキーホルダーを買った後、銀治郎は他の人たちがレジに並んでいる間、一足先に土産屋の外へ出た。壁により掛かり、ひとつあくびをする。とりあえず何事もなくイベントは終わりそうだ。

 そのとき、通りの向こうから柄の悪そうな男が大股で歩いてきた。なんだか健吾に似た感じの服を着ている。スカジャンに、ぼろぼろのジーンズ。銀治郎は無意識にそれを見つめていたらしい。ふいに男と目が合った。その瞬間、あ、まずい、と銀治郎は思った。そのまま、男は銀治郎に向かってずんずんと歩み寄ってくる。

 銀治郎は男をよける間もなく、ぶつかった。衝撃はそれほどでもなかったが、男は銀治郎に聞こえるように、大きく舌打ちをした。

「邪魔なんだよ」

「あ、はぁ、すみません」

「すみませんじゃねえよ」

男は酒気をはらんだ息を吐きかけてきた。ここはアルコールが禁止だったはずなのだが。銀治郎は目線を左右に彷徨わせた、

「ええと、あの、すみません」

「馬鹿にしてんのか」

そう言うと、男は急に銀治郎の胸ぐらをつかみ、下からのぞき込むように睨み付けた。まただ。夜の公園でいじめっ子たちに睨まれたときと同じように、銀治郎の体はすっかり固まってしまう。身体は入れ変わったというのに、心は小学校の頃にいじめられていた時のまま、何も変わらない。

「あ!」

 誰かの叫び声が聞こえ、一瞬だけ男の手が緩んだ。それと同時に、誰かが急に銀治郎の手を引っ張る。銀治郎はよろめきながら、その手の引っ張る方向へ向かって全力で走り出した。男はとっさに銀治郎に手を伸ばしたが、それもすんでのところで躱す。

 浮かれた人たちの間をかき分け、二人は全力で走った。銀治郎がちらりと後ろを振り向くと、男は追ってきてはいなかった。

 しばらく走り続け、人気の無い道まで出ると、二人はようやく止まった。

「大丈夫ですか」

「ひろ・・・宮内さんこそ」

「え?私は大丈夫です」

と言いつつ振り向いた紘子の髪はぐしゃぐしゃで、コートに紫のシミがついていた。多分、走っているときに、お菓子を食べている人にぶつかったのだろう。銀治郎がそれを見ていると、紘子もあっと気がついて苦笑した。

「ごめん」

「姫城さんのせいじゃないです」

 そう気丈に言ってみせたが、紘子の膝は震えていた。

 紘子はコートを洗いに、手洗いへ行った。銀治郎はふうとため息をついて額を撫でる。携帯のメッセージを確認すると、麻美から連絡が入っていた。用事があったのを思いだしたので、一足先に帰る、と書いてあった。若干恣意的なものを感じたが、銀治郎はそれを無視した。しばらくして、紘子が手洗いから小走りで戻ってきた。

「すいませんお待たせしちゃって。麻美達、帰っちゃったんですね。私たちも帰りましょうか」

「うん・・・」

そうだね、言いかけて、銀治郎ははっとした。

「宮内さん、ちょっとまだ時間あるかな」

「えっと・・・・・・すみません、門限が」

「大丈夫、お父さんも今日は多分許してくれるから」

そう言って銀治郎は、紘子の返事も聞かず歩き出した。

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