第10話 報告会【銀治郎サイド】
きっかり十一時。銀治郎と健吾は、二人の家の中間にある駅のファミレスで向かい合って座っていた。机の上には大きなイチゴのパフェと、ブラックコーヒーが乗っている。銀治郎が健吾に、おごるから何でも頼んでいい、と言うと、本当ですか、じゃあ、と健吾はこのパフェを選んだのだった。自分の顔をしたおっさんが、イチゴのパフェを一心不乱に食べている様子を見るのは、なんとも形容しがたい感情を銀治郎に抱かせたが、銀治郎は自分の気をそらすように口を開いた。
「仕事ををみつけたんだ」
「何すか」
「コンビニ」
「ほほう」
「仕事は、まぁまぁうまくやっていると思う。覚えることは沢山あるけど。君が戻ったときは、また覚え直さないとな」
「了解っす」
健吾は相変わらず無表情だ。だが、健吾は元に戻ったらすぐコンビニの店員を辞めるつもりだろう、と銀治郎はふと思った。銀治郎は健吾といる時に、健吾の言葉以外の気配を察知してしまうことがままあった。健吾もそうなのかも知れない。しかし、銀治郎は健吾のことをまだ完全に信用したわけではなかった。銀治郎は気を取り直し、ひとつ咳払いをしてから言う。
「君の仕事の方はどう」
「なんとか」
「なんとかって?」
「日村さんに世話になってます。事務の手伝いとか、仕事のやり方を教えて貰って」
銀治郎はなるほど、と平静を装って頷いたが、心の底ではかなりショックだった。そして今一度、銀治郎は自分の状況を認識させられた。健吾の話を聞く限り、かろうじて首になってはいないが、いま自分は完全に会社のお荷物だ。
銀治郎は先日、健吾に持ってきて貰ったパソコンとUSBを使い、仕事の資料を開いた。当たり前だが、未読メールがたくさん入っており、かつすべての業務のメールは昨日で止まっていた。きっとすべての案件が、昨日今日ですべて他の人に振られたはずだ。しかし、あのメンバーで、これらの仕事がすべて処理できるとは到底思えない。
銀治郎は深いため息をついた。自分はここに存在している。それなのに、すべきことは何一つできない。銀治郎はつい、もどかしさでいっぱいになった。
「さーせん」
「ん?」
健吾の声で、銀治郎は我に返った。
「いいんだ。君のせいじゃない・・・・・・」
「いや、そっちの話ではなく」
健吾は銀治郎の目の前に、自分の携帯を突き出した。
「これ。見てください」
「何か大事なことかい」
「そっすね」
そう言って、銀治郎は健吾の塗装がはげたケータイを受け取る。そもそも、必要なメールは互いに転送されることになっている。それなのに、今、わざわざ見せなければならないものとは何だろう。どうせくだらないことだろうが。
しかし、銀治郎の予測は、早々に打ち砕かれた。そのメッセージの送り主の部分に表示されているのは、娘の名前だった。いつの間に、と銀治郎は一気に頭に血が上る。そしてさらに次の言葉に衝撃を受ける。
「娘さんがデートしてくれって言ってます」
「は?!」
銀治郎は思いもかけなかった台詞に、机にあったコーヒーを倒しそうになる。
「ていうか、いつ連絡先を」
「後輩から急に連絡が来ました。運動会の応援団の時に――――」
「それはどうでもいい」
「銀さんが聞いたんじゃ」
「それはそうだが・・・・・・・いやデート・・・・・」
銀治郎は少言い淀んでから、また口を開いた。
「デートって、君とかい?」
「いや、四人で。テーマパーク回るそうですよ」
「そうか。君も行くのかい」
健吾は一瞬きょとんとした顔で言った。
「銀さんが行きたければ」
「そういうことではなくて」
「そういうことです。『俺』は今、銀さんです。だから、銀さんがどうしたらいいか、決めてくれればいいです」
その台詞に銀治郎は反射的にちょっとむっとする。
「君はどうしたいんだい」
健吾は表情を変えずに言う。
「うーん。娘さんのことはよく知らないですけど。でも会ってもいいんじゃないすか。会いたいって言ってるんだし」
「君はうちの娘と付き合う気があるのか」
「いや、だから、わかんないです。話したこともないし。どういう人か知らないし」
銀治郎は複雑な気持ちだった。娘が健吾と付き合うのは嫌だが、相手にされないのはもっと腹が立った。銀治郎は落ち着くためにコーヒーを少し飲んだ。
「まぁ、僕が行っても仕方が無いし、ここは断って…」
そう言いかけて、銀治郎ははたと気がついた。これは紘子に、健吾を諦めさせる絶好のチャンスなのではないか。
「いや・・・・・・じゃあ会おう」
「え」
健吾はきょとんとした顔で銀治郎を見た。今はまだ、健吾は紘子のことをなんとも思っていない。これはチャンスだ。
「いや、バレンタインも、娘や君には悪いことをしちゃったから。これで娘の気が晴れれるなら安いものだよ」
銀治郎は自分の言葉が言い訳のように聞こえないかとヒヤヒヤしながら言った、。健吾は少し黙ってから言った。
「銀さんは俺が彼女と付き合うのは嫌っすよね」
「いやそんなことは」
「はっきり言ってください」
銀治郎は少しの沈黙の後、小さな声で答えた。
「まだ早いよ」
「そっすか?俺の姉貴は十九で、もう子供いますけどね」
今はどこにいるかしらないっすけど、と無表情で言う健吾を見ながら、やっぱりこの男と娘を付き合わせてはいけない、と銀治郎は心に固く誓った。
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