第9話 小さな親切大きなお世話ってやつか……【姫城サイド】
健吾はバス停に向かって歩いていた。銀治郎は職場へは車で通っていたが、今はお互いのために、車はとりあえず使わない約束になっていた。なので、健吾は家から電車とバスを乗りついで通っている。幸い、電車とバスを使っても、通勤時間は1時間以内だった。
健吾は携帯の時計を見る。午後五時。今日も定時退社だ。すこしパソコンを打てるようになったとはいえ、仕事がないことには変わりないので、作業はすぐに終わってしまう。首を切られると困るな、と思いつつ、健吾にはどうしようもなかった。ふと、銀治郎の苦しそうな顔が脳裏に浮かび、罪悪感ですこしモヤっとした。健吾は、 家に帰ったらブラインドタッチの練習をしようと思った。
練習のお供にポテトチップスを買おうと思い、薬局に入ると日村がいた。両手にスーパーの袋、そしてさらにおむつと五個セットの箱ティッシュを持っている。健吾は日村が店から出るタイミングで思わず声をかけた。
「それ、持ちますよ」
「わっ」
日村は驚いて声を上げた。小さな声で、びっくりした、と言う。健吾は驚いている日村からさっとオムツを取り上げ、駅に向かって歩き出す。
「え、あの」
「駅の方でいいですか」
「え? えっと、はい、駅ですけど・・・・・・え、課長、車通勤ですよね?」
「電車にしたんです」
そう言いながら健吾はスタスタと早足で歩く。日村は何度も大丈夫ですから、と言ったが、健吾は荷物から手を離さなかった。二人で電車に乗り込み、気まずそうに下を向き続ける日村を見て、健吾は自分がいささか強引だったかもしれない、とようやく気がついた。しかし、乗りかかった船だ。日村は言い訳のように下を向いてぼそぼそと呟いた。
「あの、いつもはこうじゃないんです。ネットスーパー注文しそびれちゃって、おむつが足りなくなっちゃって。あの、もういいです、ここで」
「駅からどれくらいかかるんですか」
「十五分ぐらいなんで大丈夫です」
「遠いですね。持ってきますよ」
「あの、本当にいいですから」
「リハビリになるんで。歩くの」
日村は釈然としない顔をしながらも、この言葉には反論することができなかった。健吾と日村は、急行で二つ目の駅で降りた。駅前の託児所に行き、子供を引き取る。
日村の子供は、三歳の娘と、0歳の息子だった。娘のほうは桜花といい、社交的でよく笑った。健吾は桜花の保育園の話を聞きつつ、ベビーカーに乗せられて泣きわめく息子の道生をあやした。健吾が顔をチラリと見てから、急にばあっ!と顔を近づけると、息子は泣き叫んだ。それを見た日村は今日初めて、声を出して笑った。
駅から十五分ほど歩くと、日村の家に着いた。ベージュに塗られた木造アパートの一階で、表面はきれいだが、築年数はかなり経っていそうだった。健吾が玄関の前で荷物をおろすと、日村はようやくほっとした顔になる。ありがとうございます、と日村が言い、子供たちがおじさんバイバイ、と笑顔で手を振りながら家の中に入っていく。おじさんか。生まれて初めて言われた。悪くない、と健吾は思った。というか、歩いているだけで喧嘩売られるよりは、よっぽどいい。
子供が家に入った後も、日村は玄関先で何度も頭を下げた。
「すいません。本当にご迷惑おかけしました。もうこういうことのないようにしますので。それであの・・・・・・もうこういうことは本当に、結構ですので」
「わかりました。えーと。すいません」
「いえ、こちらこそ・・・・・・」
二人はお互いに黙り込んだ。やっぱり、ちょっと強引すぎたんだな、と健吾は反省し、頭をかいた。前もこういうことがあった。おばあさんを抱きかかえて、長い横断歩道を渡ったときだ。おばあさんはとても恥ずかしそうにしていた。どうも、自分には物事をやり過ぎてしまうきらいがある。
健吾は気まずさをごまかすように、それじゃ、と頭を下げ、階段を降りる。後ろから、いえ、今回は助かりました、という日村の声が聞こえた。もうすっかり辺りは真っ暗だった。
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