第8話 コンビニバイトと夜中のいじめられっ子【銀治郎サイド】

深夜10時のコンビニは、会社帰りの客も一段落して、静かだった。

「じゃ、こっからここまで、在庫取っておいてください」

「はい」

 オーナーの河合は言いながら区画を指し示すと、ゆったりと歩きながら奥の倉庫に戻っていった。在庫をとる部分は、冷蔵のものほとんど全部だった。時計を見ると、夜の十時だ。帰る直前に言わなくてもいいのに、と銀治郎は思う。河合は基本、実務作業はしない。倉庫に置かれた机で、事務作業をしつつ漫画や本を読んだり、携帯を見ている。

 銀治郎は在庫管理のための端末を左手に持ち、淡々と数を打ち込んでいった。同時に、賞味期限が切れた食べ物はべつの籠へと振り分けた。ここは、銀治郎が新しいバイト先に選んだコンビニだった。

 銀治郎はこの三日間で八件のアルバイトに応募していた。最初はとりあえず、今までの会社と同じようなことができる場所を探した。事務作業や、パソコンを使う仕事だ。でも高卒だとなかなか採用されない。時給720円の事務バイトにさえ受からなからなかったとき、次郎は就活の方向性を見直した。そして、とりあえず今、働けるところを探すことにした。しかし、それでも好みはある。例えば、警備員の仕事はたくさんあるが、ずっと立っているのは退屈そうだ。ドライバーもずっと運転をして、眠くならない自信がなかった。ラーメン屋は店主が厳しそうだったので希望から外した。文句ばかりつけながらも、銀治郎は焦っていた。早く職を見つけたくて仕方がなかった。仕事をしていないでぶらぶらしていると、今後の不安や今の状況の理不尽さに耐えられなくなるのだった。


 店の中には、立ち読みをする男子学生数人と、ゆっくりと菓子を物色するおばあさんしかいなかった。銀治郎が無心で在庫を調べていると、河合が横にやってきた。眉をひそめ、目線を立ち読みする少年たちのほうに向けた。大きめのスウェットを着た少年。フードをかぶっている少年そして、痩せぎすの猫背の少年たちをこっそりと指さす。

「あの子たち、万引きよ」

「え。そうなんですか」

「そうよ。なんかこそこそしてるもの。最近、漫画本の商品数が合わないの」

「ははぁ」

何の証拠もないのに、よくそこまで断言できるなと思いながら黙っていると、河合は我慢できなくなった様子で銀治郎の腕を叩いた。

「ははぁじゃないわよ。ちょっとあなた、声かけてきて」

「えっ、僕がですか」

「そのでかい図体なら威嚇になるでしょ」

 銀治郎は一瞬、河合に、何言ってるんですか、と言いそうになってはっとした。棚の金属部に映る自分と目が合う。180センチ近くある身長、筋肉の厚みのある身体。なるほど。たしかに河合の言うことももっともだ。むしろ、この外見で採用されたのはそういう理由だったのかも知れない。

しかし、それでも銀治郎には躊躇いがあった。

「でも…まだ何もしていないのに、何ていえばいいんですか」

「べつになんでもいいのよ。ちょっと失礼します、とか、何かお探しですかとか」

「はぁ…・・・」

 たしかに、少年たちは不自然ではあった。猫背の少年は、落ち着かない感じで少し離れたところにいる他の二人をチラチラと伺っている。上下スエットの少年とフードの少年は、時折首を伸ばし、レジの方を見ていた。銀治郎が外に目をやると、店の前で数人の学生がたむろしているのが見えた

 あいかわらず気が進まなかったが、河合が銀治郎を見つめたまま動こうとしないので、銀治郎は仕方なくゆっくりと少年達のほうへ向かった。何を言おうか、と考えていると、先に離れて立っていた少年たちのほうが次郎に気が付いた。

 とりあえず近くで本を片付けるふりをする。河合のほうをちらりと見ると、口をパクパクさせ、手で追い払うような仕草をしている。早くしろ、と言っているようだ。つまり、このくらいの威嚇ではまだ足りないらしい。銀治郎は仕方なく口を開いた。

「何かお探し…」

そう言いかけた瞬間、猫背が急に雑誌を放りだし、銀治郎の方に突進してきた。銀治郎が驚いて身体を硬くすると、肩の辺りに鈍い衝撃が走った。少年の方は銀治郎にぶつかった反動でバウンドし、商品棚に盛大にぶつかりながらも、必死でよろよろと走り、店を出て行った。スエットとフードの少年達は、しばらくあっけにとられていたが、顔を見合わせてにやついた後、店を出て行った。河合が棚の陰から出てきた。

「逃げられちゃったじゃないの」

 「ですねぇ」

 銀治郎は他人事のようにそう言いながらも、自分が人に与えた影響に、不思議な感覚を覚えていた。こんな風に、自分が人を怯えさせるなんて。 銀治郎は自分の手を見た。武骨で大きかった。


 勤務時間が終わり、店の外に出た瞬間、ほっとして緊張が解けた。銀治郎は時計を見た。十時三十六分。十一時には健吾と会って、今日のことを確認し合う約束だ。

 銀治郎は、待ち合わせ場所のファミレスを目指し、住宅街を歩いていた。たしかここからなら、この先の広い公園を突っ切って駅に向かうのが近いはずだ。

穴の空いたジーンズの隙間から、冷たい空気が侵入してくる。健吾の藍色のスカジャンが、歩くたびにシャカシャカと不思議な音を立てる。ぴゅうと吹いた風に一つ身震いをして、スカジャンのファスナーを首まで上げた。日中は暖かかったが、日が沈むとやはり寒い。

 銀治郎の右手は、廃棄でもらったパンのずっしりとした重さを感じていた。普段の銀治郎なら、コンビニの惣菜パンなどはけして食べない。年齢もあるし、カロリーや添加物なんかが心配だからだ。しかし、今、健吾の身体に入ってみて、仕事後のパンは、あらがい難いほどうまそうに見えた。銀治郎はゴクリとつばを飲み込む。健吾は若いから、少しくらいなら平気だろう。銀治郎は今すぐチョコクリームパンを今すぐ食べたかったが、さすがに食べ歩くのは辞めておこう、と思った。

 それにしても、このパンが残っててくれたのはうれしい――――

 銀治郎ははっと我に返る。自分は何を、菓子パンくらいで浮かれているんだろうか。銀治郎が頭をふりながら、自分の脳天気さをたしなめた。


 銀治郎が公園を通ろうとすると、数人の笑い声が聞こえてきた。それは人を馬鹿にするような声で、銀治郎は条件反射で公園の植え込みに身を隠した。自分が笑われているような気がしたのだ。すぐに、そんなことあるわけないと気づいたが、それでも普通に歩いて出て行くのは躊躇われた。銀治郎は昔から、こういう場面に遭遇して得をしたことがなかった。さっさとこの場を離れようと、小さくなってこそこそ歩いていると、彼らの会話が自然に耳に入ってきた。

「棚にぶつかりながら店飛び出してったんだぜ」

「だって・・・・・・店員に見つかりそうだったから」

「バカか」

 会話の内容に思わず銀治郎が振り返ると、四人の少年が、一人の少年を囲んでいる。その顔に銀治郎は見覚えがあった。コンビニで銀治郎にタックルした、猫背の少年だ。それにスエットと、フード。後の二人は、外でたむろしていた少年かも知れない。

 猫背の回答に、他の少年がせせら笑った。

「グズだな」

「度胸がねぇ」

そう言って一人が、猫背の向こうずねを蹴った。猫背はうっ、と言って足を引っ込める。その反応が面白かったらしく、他の少年も笑いながら蹴りを入れ始めた。そして、それはだんだんエスカレートし、猫背はバランスを崩し、膝を折り地面に座っているような体勢になる。

 猫背がとっさに顔をカバンで隠した。

「止めて、やめて…」

その鞄を、スエットがまた強く蹴った。少年は今度は仰向けに倒れ、ゴロンと地面に転がった。

「おっ、寝ちまったのか」

 他の二人も笑いながら、転がった男の子を蹴り出す。

 銀治郎は怖くなり、そこから立ち去ろうとした。しかし、あろうことか踏み出したとたん、地面に転がっていた缶を蹴ってしまった。ガランガランと大きな音がたつ。銀治郎が転びかけた体勢をおっとっと、と立て直すと、そこはちょうど電灯の真下だった。スポットライトに照らされたように、いじめっ子たちと目が合う。

 銀治郎は一瞬のうちに逡巡した。今ここでなら、逃げられないこともない。しかし、あのいじめられている少年は、自分が盗みを妨害したせいでいじめられたとも言える。銀治郎は猫背のおびえたような目を思い出した。

「おい気にするな」

 スエットが目をそらし、他の少年達に声をかけた。他の三人はすぐにその言葉に従う。スエットはこちらをチラリと見る。その目は、邪魔をするな、と言っていた。

 銀治郎はとっさに打てる手を打った。携帯をさっと耳に当てる。そして大きな声で言う。

「もしもし、警察ですか。M山公園で、暴力行為をしている人たちがいるんですけれども」

 少年たちは一瞬顔を引きつらせた。とくにスエットはすごい形相で、銀治郎を射るように睨み付けた。銀治郎は蛇に睨まれたカエルのように、耳にケータイを当てたまま、しびれたように動けなくなった。まずい。このままだと僕がやられる。銀治郎は、はい、はい、と精一杯通話を続けているふりをした。

 ちっ、とスエットは舌打ちをし、早足で公園の反対側へ去っていった。他の少年もそれに続く。銀治郎はほっとして、その場にうずくまる。しびれていた手足の感覚が戻ってくる。銀治郎は固まった身体を緩めるように、息を深く吸い、飛び出しそうな心臓を落ち着けて、公園の中に入った。猫背の少年は呻きながら立ち上がろうとしていた。

「大丈夫かい」

「あ、どうも」

 背の少年はそう言いながら、微妙な笑顔を銀治郎に向けた。もともとこういう顔なのかも知れない。銀治郎は手を差し伸べたが、少年はその手を取ることなく立ち上がり、少しだけ会釈をして、逃げるように去って行った。遠ざかる少年の丸まった背中を眺めていると、そこに昔の自分の姿が重なって見えるような気がした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る