「転生した世界は臭かった」

『めんどくせぇ』

泥水の飛沫を吹き上げる

『なんで俺がレースなんぞ出にゃならんのだ』

殺気立った奴らから離れ、チアキは後方をちんたら走っている

『だだっ広い荒野を一人で突っ走るのが一番楽しいのに』


二輪車数台の溜まりが見えてきた

黄色のチョウチョがヒラヒラ踊る 

『狭めぇコースにわざわざ集まって走る意味がわからん

うっとーしぃったらありゃしねぇ

作られた道を 全員同じ方向に進んで群れて 何が楽しい?

小魚の群れか 俺はスイミーか

ボクが目にナロウッ!!』

転倒者はまだ愛車を泥沼から救出できずに奮闘している

『おっし 一気に加速して 群れに突っ込んで全員弾き飛ばして 俺はコースをぶち破って地平線の果まで行って でけぇコースでも一周したら走った気がすっかな』

亥年生まれのチアキは一瞬、そんな突進衝動に駆られたが、欲望に反して手足はブレーキをかける。

いったん止まって 泥まみれの転倒者を避けながら のろのろ進む

『仲間は死んだ 俺だけ生き残った 

今度は俺が目になってやっから

でっかい魚を追い出して それで好きなように泳げんだろ』


4時間前


チアキには、物心ついた頃から通い慣れているレーストラック。

空が広く開放感あるこの荒野も、大会の日は人間でごった返していて狭く感じる。

普段は殺風景な駐車場 テントや車が仲良さそうに並び、和やかに夢と情熱を語り合う。空高く突き立ったいくつもの原色の旗 ハイテンションの洋楽 屋台の美味しそうな匂い すべてが声援を送り合っている。

チアキはひとり仏頂面 赤い魚の群れで孤立する黒いスイミーである。

大会当日は複雑に入り混じった匂いがチアキの機嫌をさらに悪くする。父親と違う銘柄のタバコ、肉が焼ける煙はまだいいが、そこに香水とよそん家の洗濯物の匂いがふわっと混じる・・フローラルな香りを嗅いでもチアキはハミングする気になれないし ソフトでランランな香りにもチアキの気持ちはゴツゴツするばかり。幸せの形は人によりけり、チアキのハピネスはオヒサマの香りでは作れない。太陽に匂いがあったとしたら太陽系は何もかもオヒサマ臭で 宇宙人が鼻をつまんで逃げ帰るほどだろう「このホシ ニオウよ!!」

宇宙人じゃないが俺も早く家に帰りたい。・・というか一人で走りたい。

ふと、うちの近所のチビどもが、串焼きの列に並んでるのが見えた。ちょっかいを出しに行く。カンチョーと膝カックンのどっちにしようか。「いってぇ!クソチアキ!」「あ!ヘビライダーチアキ!」「ヘボライダーチアキ!」チアキはチビたちの反撃を交わしながら、無意識に右腕を掴んで周囲を見渡した 長袖着てるから大丈夫 蛇のタトゥーはバレてない

「ヘビとヘボを一緒にすんな!」チアキはチビたちの脇腹を突っついてくすぐった。悲鳴同然の笑い声に耳をつんざかれるが、嬉しそうなので全員に順番にやってやる。

おっと人にぶつかる チアキは間一髪チビのシャツを掴んで引き寄せた。

「すいません。おまえも謝れ」「チアキが悪りんだろ!?」まぁそうだけど。

ん?今のお姉さんスタイルキレッキレじゃね?「すみませんでした。お先にどうぞ」チアキはチビたちを連れて列の後ろに移動した。「後ろから串刺しにしてあげましょうか」と言ってナンパするのはレースが終わってから・・大人になってからにしよう。


公式練習を終え昼飯を堪能したあと、チアキはスポーツドリンクを飲みながら怪しげな曇天を見上げた

午後から降ってくるかもな マディは好きだ・・

2008全日本モトクロス選手権第2戦関東大会 1日目

チアキはジュニアクラスで走る。

朝から不機嫌であったが、弁当を食べて機嫌を直した。

チアキは我が家の天才料理人に、空にした弁当箱と水筒をつっ返す。

「何か言うことないの?」

「くそ旨かった」

「他には?」

「あんた天才」

「それで?」

「さんきゅー ナルさん ありがとな」

「どのおかずが一番旨かった?」

「ぜんぶ」

「やったぁ 何日も前から仕込んだからねぇ。

これで決勝は本気出る?」

「さぁな」

「まったく、才能あるんだから頑張りなよ。

今年こそ昇格しようよ。

アメリカ行こうよアメリカ。英語得意なんだし」

ナルミはいつも、のんびりした猫の口調で言う。

「賞金バカ稼げんならやるぜ?」

「まったく子供なのにお金にしか興味ないんだから。青春はないの?青春は」

「青春?

無意味な勝敗に執着すんのが青春なのか?」

「何かに夢中になるのは、良いことだよ。大人になってもね」

「ただのゲームだろ かったりぃ。

少年マンガみてーなの期待してんなら、よそのガキにしてくれ」

子供扱いすんな、と子供らしい発言でもしてくれれば、少しは安心できるのに・・とナルミは思う。

「殺しやった方が稼げんぞ?

俺がバカ稼いだら、あんたが行きたがってるとこ連れてってやるよ。

しみったれたウチの店で働かなくていい」

また始まった・・慣れっこではあるが、ナルミは意識して冷静を保つ。

「チアキん家が好きで働いてるんだよ」

「ふーん」

チアキは、まだ柔らかいほっぺたをナルミに向けて、何か考えているようだ

「俺は、好きで殺し屋やってたわけじゃない」

「そうなの?」

ナルミは優しい声で、思春期のチアキの妄想癖に付き合う。

「じゃあ、なんで?」

「奴隷は嫌だった。他にどうすればよかった?どうにもなかっただろ。

バカどもをぶっ殺すのは楽しかった。でも、めんどくさかった。だからたまにヤバいのやってバカ稼いで、うまいもん食って昼寝してた」

「そうなんだ?」

そろそろ病院に連れて行きたいのだけど絶対嫌がるだろうな。ナルミは心配しながらも、チアキの話しを否定せず受け止める。

「奴隷が嫌んなったから 俺を買った奴ぶっ殺して金盗んで逃げた。家帰ったのに全員死んでた。一人になった。敵だらけだった。敵も全部ぶっ殺した。

他に生きる方法があったか?」

「そっか」

そういう物語の映画か漫画でも見て自分もそんな気になっているだけか・・それとも・・

「ねぇチアキ」

変に大人びているのも、心が壊れているのも・・

「もしチアキが好きなことで頑張ってたら、天国のお母さんが見て、喜ぶとしたら?」

母親に甘えたことがないからだろうか・・

チアキは黙った。

「だとしたらどうする?」

「なんで俺が頑張ってると死んだ母ちゃんが喜ぶんだ?

俺がガンバって大金稼いだところで、天国に送れるわけじゃないし、そもそも天国で金が使えんのか?」

「いや、お金じゃなくてね・・?親心わかんないかぁ・・」

「喜ぶのはお前らだろ・・親父と・・近所のやつらと・・」

「今チアキのそばで生きてる家族が喜ぶとしたら?どうする?」

「・・・べつに」

「おう、チアキ、食い終わったか?」

息子の愛車を再点検していた父親が低い声で言った

「今年の冬休みはぁ、おめぇが言ってたアレ、食い行ってみるか」

「アレ?!」

「シリーズチャンピオン獲ったらな」

「まじかよ楽勝」

「予選、見に行くべ」

「ん!」


関東の桜はとっくに散って、柔らかく若い葉が勢いよく輝いている。

タイヤが巻き上げる砂埃も排気ガスも、もろに吸い込める観客スタンド。

チアキは父親と並んで、450ccの車体が次々と空高く飛んでいく迫力を間近で見ている

「おめぇも、来年にはラージホイールに替えられんべ」

「何食えば背ぇ伸びる?親父くらいデカくなりてぇ」

「おめぇは足だけは、バカでけぇかんなぁ。ひぃじいちゃんぐれぇデカくなんべ」

「ふぅん」

チアキは遠くに走る国道を眺めた 今日もトラックがバンバン走る

「俺のひぃじいちゃんてどんな?」

「写真で見たべ。覚えてねっか?」

「うーん どれの?」

「軍服着たアメリカ人だがな」

「ああ・・」

ぼやけた白黒写真 家族の中で一人だけノッポの男を思い出した。俺は全然似てない。「何人ですか」と聞かれて一言では答えられないが、見た目はどっからどう見ても日本人なのでそんなことを聞かれたことは一度もない。黒が好きだから自分の黒すぎる目も髪も好きで、バイクも黒がよかったのにといつも思うが 外側のボディデザインなんぞどうでもいい。俺は俺だ。

どんな体に産まれても どうせすぐ死ぬ無意味な短い人生。せめて旨いモンたらふく食って死にたい。

でもせめて・・しょぼいバイク屋に産まれて親の期待に答えてレースに出てやるくらい、ささやかなサービス精神があってもいいだろう。死ぬまでの良い暇つぶしだ。


頬にピチリと冷たい刺激を感じた

「降ってきたな」

競技場に不安と緊張、そしてスリリングな期待が漂い始めた


ゴーグルのレンズ越し 燃える夕空の代わりに 世界には冷めた白い縦線が降っている

『めんどくせぇ』

ガツンとキックペダルを蹴りはじめる すぐにエンジンがかかった 黒く冷めたライダーを乗せて赤く燃える本田さんはヤル気満々なようだ。

雨対策は万全にしてやった コケたらイナゴと一緒に唐揚げにしてやるぞ!


右手をひねる 聞き慣れた4ストロークの低音

反射的にテンションも集中力も跳ね上がる。

サポートの大人たちがパラパラと スタートラインから離れていく。


前方には、ボードを掲げたお姉さんが立つ。

『ふとももきれいだな』とか考えてる場合じゃない。

ボードの数字が変わる。

前傾姿勢で構える。

爆音も緊張も最高潮の5秒前。

3・・2・・

『優勝したら北京ダックーー!!!!!』


「その気んなりゃあできんべ、3歳から跨ってんだから」

「鼻面に人参、いや、肉をぶら下げないと走らないけどねぇ」

ナルミが構えるカメラが濡れないように、父親はたくましい腕で傘をさしかけながらニンマリすると、温かい雫が滴った。


スタート直後のコーナーを抜けるとチアキは4番手

ぬるぬるの路面で誰もが慎重に走っている ジャンプは高く飛ばず地面を這う

チアキは低く飛んだあとの直線で3番手を追い越した

2番手にひっつき、抜かすタイミングを狙う


コーナーで鋭角に内側を回り、外側を行った2番手を引き離す


1番手に追いついた。お、おまえも本田さんか。

飛んで飛んで飛んで飛んで ほとんど横に並ぶ ジャンプジャンプジャンプ 水面を走る2頭のイルカのように波線を描いていく

一瞬チアキがタイヤ一個分前に出た きついカーブの前でブレーキをかける 転倒を恐れいつもより低速で慎重に回る でも追い抜かれたくない 短い直線で加速するがまたすぐ減速しカーブの連続 ブレーキとアクセルをタイミング良く繰り返して くねくねと巨大蛇が腹をこすって這った跡を忠実になぞる タイヤの溝を深く刻み込んで次々と美しい円弧を描いていく 加速のたびにエンジンがテノールで歌う

上半身は常に進行方向を見つめ ライダーは視線という見えないレールを数メートル先まで常に敷き続け、車体はそれをなぞっていく


わだちに雨が降って後続のタイヤが泥水の飛沫を吹き上げる 溝はどんどん深く掘られ水が集まってさらにぬかるんでいく


少し登って大きなジャンプ台 泥がまとわり付き車体が重くなってきた 高く飛べないまま、急カーブ ゆっくり回るが少し滑ってグラつく


長めの直線 ゲートをくぐり2周目に突入 1周目よりさらに水を含んでもうすぐ田植えができそうだ

わだちだらけのコーナー 1番手が内側を回る進路を取ったので外側から攻めようとチアキは車体を大きく寝かせる コケるかコケないかギリギリのところ・・・今度こそ追い抜けるか・・・

横から衝撃が来た

体が変に跳ね上がる

頭が真っ白になる

2人のライダーと2台のマシンは泥に突っ伏した


慎重に回りながら追い越していく3番手 コーナーの端で泥団子になっている彼らにさらに泥水をかけながら通る。

チアキは痛みに構わずすぐ起き上がった。泥でよく見えない ゴーグルのフィルムを剥がして視界を確保する。

俺の相棒・・死んでる!車体を起こそうと必死になるが、手も足もなにもかもが滑って力が入らない。

その間に後続にどんどん追い抜かれていく。

くそぉ!コケやがったな!アホがぁ!ド素人がぁ!

倒れるなら自分だけで倒れろよぉ!

足が滑って地面に手をついたが、その手も滑って顔面から突っ伏す

くちゃくちゃぬるぬる もがく バイクも自分も全身泥まみれ 泥色のペンキを頭からかぶったようで ウエアのロゴも誰も読めない。

気合を入れてなんとか車体を起こしたが、後輪が空回りして動かない。

何度やっても、押しても引いても動かない。

チアキはヘルメットの中で笑った。蒸し暑い 息が苦しい。

さてどうするか。こういう時は冷静になるのが一番だと心得ている。

隣の奴を見ると、まだ愛車を起こせないでいる。

大人の助けを呼ぶのも、諦めるのもまだ早い。

自分でもなぜだかわからない。チアキはライバルの愛車に手をかけた・・力づくで車体のケツを持ち上げる。相手は驚いた様子で呆然としている。何をしてんだよ手伝えよ おまえの相棒だろ。いや、何をしてんだは俺の方だよ 何をしてんだよ俺は。

ライバルはチアキの顔を不思議そうに見ながら本田さんに跨った。チアキのよりもタイヤが大きい。エンジンをかける。

戸惑うそいつにチアキは進行方向を指差す。そいつは軽くうなずいて走り出した。

さて俺の方はどうするか。うーん。いっそ相棒をこのまま置いて、自分の足でゴールまで走るのも悪くない 大注目を浴びること間違いなし。完走したら拍手喝采 伝説になるだろう チアキはクラウチングスタートの姿勢を取った。

じゃなくて。

もう一度、車体を エンジンをかけるとバッタはすんなり復活した

泥で重くなった車体と 滑る手足で再びトップを目指して走り出す なんだか脳ミソまでぬるぬる滑りそうだ


親父とわざわざ雨の日に何度も練習してきたかいがあった。

先を行っていた奴らもコケて泥まみれになっている 泥団子どもを次々と追い越していく。


学校で馴染めないチアキは、放課後はまっすぐ帰って毎日ランニング筋トレ、週末は必ずバイクを走らせる 

レースで勝ちたいわけじゃない 顔も知らない天国のお母さんもどうでもいい

ただ、好きだ

意のままに操ってどこにでもどこまでも走って行ける無敵感が

空を飛ぶような自由さが

世界が自分のものになった気がする


ぬるぬる滑る最悪の路面でも、チアキは大きく飛んだ

再びトップにつく

どんな路面でも 上手く走って生きていかなければならないのだ

この世界は泥レースだ

簡単にコケるし 自力じゃ起き上がれないこともある




チアキは最下位の29位



前方に誰もいない 広大な大地が広がっている

気持ちいい

コース脇にやかましい観客がいるが、俺の前には、どれだけ速く走ってもいい道が伸びている



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

A Dancing Universe-3 せき みわこ @Meaya

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ