第八幕


 第八幕



 啖呵を切り終えたマスター大山は手斧を構えた始末屋とBAR自動小銃を構えたボニー・パーカー、それに乳白色の牙を剥きながらごうごうと威嚇の唸り声を上げるクライドをじろじろと睨め回し、彼女ら二人と一頭の戦力を値踏みした。

「本当に貴様なのか、マスター大山?」

 重ねて尋ねる始末屋に、マスター大山は胸を張って答える。

「如何にも、このわしこそが『空手百段』の称号を世に轟かせた暗黒闇空手の使い手、マスター大山様よ!」

 ぼろぼろの空手着に身を包んだマスター大山はそう言うと、大口を開けながらかんらかんらと盛大な高笑いの声を上げた。

「あら、それはどうかしら? 我らが『大隊ザ・バタリオン』に所属する最強の執行人エグゼキューターであったマスター大山は今から三年前の冬の夜、永年の宿敵であり、また好敵手ライバルでもあったアマゾン仮面との死闘の末に相討ちとなって命を落としたと、あたくしは伝え聞きましてよ?」

 ボニー・パーカーがそう言えば、マスター大山はこの疑問にも答える。

「如何にも、わしは今から三年前のちょうどクリスマスイブの夜、雪深い冬山の頂上でアマゾン仮面と戦った。その筋では『地上に舞い降りた最後の覆面レスラー』として勇名を馳せたアマゾン仮面は滅法手強く、一進一退の攻防を繰り広げたわしと奴とは互いの肉体を絡め合いながら火山の火口に転落し、二人揃って行方知れずとなった事は事実に相違ない」

 つるつるに禿げ上がった頭と野放図に伸び放題の髭をたくわえたマスター大山はそう言いながら、一人得心するようにうんうんと頷いた。

「だがしかし、こうしてわしは生き延びた! 転落する最中に火口の亀裂に咄嗟に身を隠す事によって難を逃れ、溶岩の海が発する熱によって焼かれた岩肌を這う這うの体でもって攀じ登り、全身の皮膚と言う皮膚に重度の熱傷を負いながらも自力でもって下山したと言う訳よ!」

「その話が事実だとしたら、一命を取り留めた貴様は三年間も世人の前に姿を現さず、挙句の果てにはこんな場所で一体何をしている?」

 左右一振りずつの手斧を腰を落として構え直し、臨戦態勢を維持しながらそう言った始末屋の疑問にも、マスター大山は返答する。

「下山したわしは清流の水を飲んで喉を潤している最中、全身に負った熱傷から来る低体温症とショック症状が原因で気を失い、再び死の淵に立たされた。すると偶々たまたまそこを通り掛かったホァン財閥の山岳生態調査班のヘリコプターによって奇跡的に救助され、財閥が運営するフォルモサの病院に搬送された事によって、火山の火口に続いてここでもまた一命を取り留めたのである!」

「そして貴様は、それ以降は財閥のために働いていると言う訳か」

「如何にも! その通り! わしわしを助けてくださったホァン財閥と黄金龍ホァン・ジンロン会長へのご恩を返すため、こうして彼の用心棒を買って出たと言う訳よ!」

 そう言ってかんらかんらと高笑いの声を上げるマスター大山に、始末屋は手斧の切っ先を、ボニー・パーカーはBAR自動小銃の銃口を向けた。

「ならば貴様は、あたしの敵だ」

 そう言った始末屋が常人離れした跳躍力でもって眼の前の大男に飛び掛かり、同じく常人離れした膂力でもって振り下ろされた手斧の切っ先が、マスター大山の喉元を狙う。

「暗黒闇空手、回し受け!」

 するとマスター大山は一瞬にして体勢を整え直し、基本に忠実な教科書通りの回し受けでもって手斧の軌道を逸らす事によって、始末屋の一撃を完全に無力化してみせた。そして彼とは対照的に体勢を崩した始末屋の急所に照準を合わせると、腰を落として猫足立ちの構えを維持しつつ、間髪を容れずに反撃に転じる。

「暗黒闇空手、正拳突き!」

 それはやはり基本に忠実な、教科書通りの何の変哲も無い、只の正拳突きであった。しかしながら死をも厭わぬ永く苦しく人智を超えた修行の末に暗黒闇空手を極めたマスター大山の手に掛かれば、只の正拳突きすらも必殺の一撃へと変貌する。

「ちぇすとぉっ!」

 薩摩示現流由来の気合いを込めた掛け声と共に放たれた、マスター大山の正拳突き。その拳の速度は優に音速を超え、衝撃波が生じ、更に腕全体に素早く捻りを加える事によってまるで竜巻トルネードの様に衝撃波が渦を巻く。そして眼にも止まらぬ速度でもって放たれたそれはタングステン鋼にも匹敵するマスター大山の拳の硬さも相まって、まるで大砲の砲弾さながらの破壊力を内包しつつ、始末屋の土手っ腹に直撃した。拳の直撃と同時に、急激な断熱圧縮によって生じた1000℃を超える高熱と凄まじい破壊力そのものが一個の塊となって、始末屋の全身を襲う。

「ごふっ!」

 手斧の斧腹でもって防御する間も無く正拳突きを喰らってしまった始末屋の喉から、彼女らしからぬ苦悶の声が漏れた。肋骨と背骨がぎしぎしと軋み、腹筋と背筋、それに内臓とそれを包む腹膜に想像を絶するほどの激痛が走る。そして長身を誇る始末屋の体躯が渦を巻く衝撃波に翻弄されながら宙を舞ったかと思えば、一拍の間を置いた後に、広壮なリビングの窓際までその体躯が吹っ飛ばされた。

「始末屋!」

 吹っ飛ばされた始末屋の体躯が宙を舞い、リビングの壁に激突するのを目の当たりにしたボニー・パーカーが、彼女の身を案じながらBAR自動小銃を構える。

「クライド、やっておしまいなさい!」

 愛銃であるBAR自動小銃のコッキングレバーを引いて弾倉マガジン内の初弾を薬室チャンバーに装填しつつ、ボニーが命じた。すると猛獣使いたる主人に命じられたクライドもまた跳躍し、身の丈四mにも達する巨体を唸らせながらマスター大山に襲い掛かる。

「暗黒闇空手、上段回し蹴り!」

 するとマスター大山はまたしても一瞬にして体勢を立て直すと、こちらへと飛び掛かって来るクライドの急所に照準を合わせながら、上段回し蹴りを放った。そしてこの上段回し蹴りもまた基本に忠実な、教科書通りの何の変哲も無い只の上段回し蹴りであり、それ故に一分の隙も無く回避も出来ない。

「きゃいんっ!」

 軸足が一㎜もブレる事の無い完璧な上段回し蹴りを横っ面に喰らってしまったクライドが、まるで大型トラックに撥ねられた子犬の様に不格好な悲鳴を上げ、リビングの床をのたうち回って悶絶した。勿論この蹴りもまた音速を超えて衝撃波を伴い、断熱圧縮によって生じた高熱がクライドの毛皮を瞬時に焼き焦がしたかと思えば、ヒトのそれよりも遥かに頑丈な筈の獣の頭蓋骨に亀裂が走る。

「クライド! よくもクライドを!」

 頭蓋骨を蹴り割られ、文字通りの意味でもって頭が割れるような激痛に悶絶するクライドの身を案じながら、怒り心頭のボニー・パーカーがBAR自動小銃の照準をマスター大山の眉間に合わせた。頭に血が上って紅潮した彼女の顔に、過去の戦闘で受けた古傷が蚯蚓腫れとなって浮き上がる。そして引き金を引き絞ったボニーが銃撃戦の火蓋を切るも、自動小銃の銃口から射出された銃弾は素早く身を屈めたマスター大山によって全て回避されてしまった。

「暗黒闇空手、後ろ蹴り!」

 するとクライドの頭蓋骨を蹴り割った上段回し蹴りの体勢からくるりと身体を半回転させ、軸足一本でもって数mの距離を一気に跳躍すると、一切無駄の無い完璧に型通りの後ろ蹴りがボニーを襲う。

「ごふっ!」

 やはり超音速の後ろ蹴りが衝撃波と断熱圧縮による高熱を伴いながらボニー・パーカーの腹部に直撃し、その衝撃に耐え切れなかった彼女の体躯が、始末屋が吹っ飛ばされたのとは逆方向の窓際まで吹っ飛ばされた。

「なんだなんだ、どうしたお主ら、この程度でくたばったとでも言うのかぁっ! 未だ未だわしは戦い足りんぞぉっ!」

 始末屋にボニー・パーカー、それにクライドの二人と一頭を手玉に取ったマスター大山がかんらかんらと高笑いの声を上げながら彼女らを挑発し、早く立ち上がって来いとばかりに手招きする。

「言ってくれるじゃないの……」

 未だ幼さの残るその顔に、怒りと苦悶が入り混じった表情を蚯蚓腫れと共に浮かび上がらせながらそう言って立ち上がったのは、腹部に後ろ繰りを喰らったボニー・パーカーであった。だがしかし、がたがたと震える膝に鞭打って立ち上がった筈の彼女は胃袋がひっくり返るような猛烈な吐き気と共にひざまずくと、真っ白なギザ歯が生えた口から真っ赤な鮮血と吐瀉物とをげえげえと吐き出してうずくまる。どうやら今しがたの一撃でもって、ボニーの内臓の内の幾つかは破裂してしまったらしい。

「どうやら、お主は既に致命傷を負ってしまっているらしいな。ならばこのまま悶え苦しみながら死ぬ様を、黙って傍観するのも忍びない。今すぐこの場で、このわしがとどめを刺してくれよう」

 そう言ったマスター大山が、ひざまずいたまま吐血し続けるボニー・パーカーの元へと歩み寄ろうと踵を返した、次の瞬間。激突した壁の瓦礫の中から身を起こした始末屋がこちらへと駆け寄って来ると、渾身の力でもって手斧を振るい、マスター大山に背後から襲い掛かった。

「死ね」

 その一言と共に床を蹴って跳躍した始末屋は空中で身体をくるりと一回転させ、常人離れした膂力に遠心力を加算した左右一振りずつの手斧の必殺の一撃を、マスター大山の無防備な首の付け根目掛けて叩き込む。

「暗黒闇空手、三戦さんちん!」

 するとマスター大山は瞬時にして臍下へそしたの丹田に意識と呼吸を集中させながら、内股の姿勢でもって脚を開き、両腋を固く引き絞めた。そして琉球空手の型の一つである三戦さんちんの構えを維持しつつ、全身の筋肉と言う筋肉に力を込めてこれを迎え討つ。

「!」

 琉球空手に於いて最大最高の防御力を誇る三戦さんちんの構えを維持したマスター大山の首の付け根に、剃刀同然の切れ味になるまで研ぎ上げられた始末屋の手斧の切っ先が直撃するも、ほんの僅かに刃先が食い込んだだけでもって弾き返されてしまった。やはり人智を超えた修行の末に会得したタングステン鋼並みの強靭さを誇るマスター大山の肉体には、いくら始末屋の手斧と言えども、そうそう簡単にはダメージを与える事が出来ない。

「ちぃっ!」

 自らの手斧による一撃が通用しない事を悟った始末屋は、冷静沈着を旨とする彼女にしては珍しく舌打ちを漏らしつつ、一旦飛び退ってマスター大山から距離を取った。すると彼女の手斧の刃先が食い込んだマスター大山の首筋に小さな裂傷が刻まれ、そこからつついっと一筋の鮮血が滴り落ちる。

「ほう? たとえかすり傷とは言え、三戦さんちんの構えを取ったこのわしに手傷を負わせるとはな。そこの手斧の黒き御仁よ、お主、なかなかの手練れたとお見受けするぞ」

 マスター大山はそう言って始末屋を褒め称えるが、まるで見下されているかのような誉め言葉でもって称えられたと言う事実すらも、当の始末屋にとっては屈辱以外の何物でもない。

「如何かね、始末屋とやらと、その仲間達よ? わしの用心棒であるマスター大山氏と彼が会得した暗黒闇空手の妙技は、大層手強かろう? なにせ彼はこの三年間、このわしの命を狙ってこのビルを訪れた無礼者や不埒者どもを、ことごとく討ち滅ぼして来た当代きっての空手の達人なのだからな」

 壊れた大型液晶ディスプレイのスピーカー越しにそう言ってマスター大山を称賛したのは、彼を用心棒として雇い入れたホァン財閥現会長、黄金龍ホァン・ジンロンその人であった。

「よりにもよってこんな奥の手を隠し持っていただなんて、黄金龍ホァン・ジンロン、あなた、少しばかり卑怯なのではなくて?」

 既に内臓が破裂してしまっているボニー・パーカーが床に膝を突いてうずくまったまま、真っ赤な血反吐を吐きながらそう言って黄金龍ホァン・ジンロンを嘲笑しようと試みるも、彼女の惨状を鑑みればその言葉は負け犬の遠吠えでしかない。

「卑怯、か。わしの様な売春婦の私生児がたった一代でもって、なりふり構わずあらゆる手段を講じて財界の頂点に上り詰めた者にとっては、そんな言葉すらも誉め言葉に聞こえるよ」

「詭弁ですこと……」

 ボニー・パーカーは黄金龍ホァン・ジンロンに抗弁しようとしたが、口を開けた途端に破裂した内臓からの出血とその内容物とが逆流し、おびただしい量の鮮血と吐瀉物をごぼごぼと吐き出してしまった。

「それではマスター大山氏、そいつらの処遇はお前に任せた。好きにしろ」

 最後にそう言い終えると、スピーカーの向こうの黄金龍ホァン・ジンロンは大型液晶ディスプレイと接続されたカメラの電源を落としたのか、もう彼の声は聞こえない。そして全てを一任されたマスター大山は「御意」と言ってから三戦さんちんの構えを解き、再びの猫足立ちの構えでもって臨戦態勢へと移行したかと思えば、始末屋らに追い討ちを掛ける。

「さあさあさあ! お主ら身の程知らずの奸物どもの内の、誰からとどめを刺してくれようか? ん?」

 この勝負が己の勝利でもって終結する事を微塵も疑っていないマスター大山はそう言うと、彼が生殺与奪の権利を握っている三人と一頭の顔をぐるりと順繰りに睨め回し、始末屋らを挑発した。

「そう簡単に、あたしやクライドがとどめを刺されるとでもお思いなのかしら?」

 顔面に真っ赤な蚯蚓腫れを浮かび上がらせながら強がってみせたボニー・パーカーは腰を上げ、破裂した内臓に走る激痛を押して駆け出すと、後ろ蹴りを喰らった際に取り落としたBAR自動小銃を拾い上げようと手を伸ばす。

「小賢しいわ、この小童こわっぱめ!」

 しかしながらマスター大山はそう言って跳躍すると同時に右脚を高々と蹴り上げ、瀕死のボニー・パーカーの手が届くよりも一瞬早く、彼女のBAR自動小銃の銃身に踵を蹴り下ろした。

「暗黒闇空手、踵落とし!」

 マスター大山が放った踵落としによって床板ごと蹴り潰されたBAR自動小銃は銃身が折れ曲がり、機関部がひしゃげてしまっては銃火器としての用を為さず、それは只の鉄屑でしかない。

小童こわっぱめ、覚悟!」

 得物を破壊されてしまったボニー・パーカーに、マスター大山の足技が迫る。

「暗黒闇空手、横蹴り!」

 マスター大山の、硬く、重く、それでいて音速を遥かに超える速度でもって迫り来る鈍器の様な足刀。もはや立っている事すらも儘ならないボニーは、その足刀を回避出来ない。

「!」

 それはマスター大山の足刀が、ボニー・パーカーの頭部を壁に叩きつけたトマトの様に粉々に破壊する寸前であった。彼女の下僕であるクライドが頭蓋骨が砕けた状態であるにもかかわらず身を起こし、ごうごうと天をも震わせるような唸り声を上げながら、主人に仇なす空手着の大男に襲い掛かったのである。

「ええい、この畜生めが!」

 鋭利な牙と爪を剥き出しにしたまま吠え狂うクライドと、必殺の横蹴りを中断したマスター大山。彼ら一人と一頭の鍛え抜かれた肉体同士が真正面から激突したかと思えば、腕と前足とを絡め合いながらがっぷりと組み合い、プロレスで言うところの手四つの力比べの体勢のまま互いの力が拮抗した。しかしながら身の丈四mにも達するクライドの全身の筋肉は血管がくっきりと浮き出るほど膨張し、全体重を乗せて力比べに応じていると言うのに、体格では劣る筈のマスター大山の表情には未だ未だ余裕の色が見受けられる。

「どうした畜生め! それがお主の限界とは、わしを落胆させる気か!」

 そう言ったマスター大山はがっぷりと組み合った腕を内側に捻り上げ、そのままクライドの前足の関節を捩じ切った。捩じ切られた関節の内側の皮膚が裂けて乳白色の骨と腱が飛び出すと、あまりの激痛にクライドが悲鳴を上げる。

「!」

 するとクライドが囮となってくれている今この瞬間を好機ととらえた始末屋が手斧を振りかぶり、何度失敗しようとも決して諦める事無く、マスター大山に背後から襲い掛かるべく駆け出した。彼女の手斧が僅かながらも手傷を負わせる事が可能であった以上、最大最高の防御力を誇る三戦さんちんの構えさえ取らせなければ、未だ勝機は見出せるかもしれない。

「良い判断だ! しかし、遅い!」

 そう言ったマスター大山は無情にも、がっぷりと組み合ったクライドの両前足を完全に捩じ切り、まるでフライドチキンの骨と骨とを関節の継ぎ目から引き千切るような格好でもって捥ぎ取ってしまった。両前足を捥ぎ取られたクライドが皮膚や肉や腱が引き千切られる際の激痛に喘ぎ、膝の断面から真っ赤な鮮血を噴出させながら、ペルシャ絨毯が敷かれた床の上でばたばたと身をよじってのたうち回る。

「暗黒闇空手、胴回し回転蹴り!」

 捥ぎ取ったクライドの両前足を放り捨てたマスター大山は素早く踵を返し、駆け寄って来る始末屋と相対すると、その巨体を縦方向に一回転させながら彼女の頭部目掛けて胴回し回転蹴りを放った。そして始末屋は、この蹴りを敢えて避けない。

「くぅっ!」

 やはり基本に忠実な、あまりにも教科書通り過ぎて何の変哲も無いものの、それでも衝撃波と断熱圧縮とを伴いながら超音速で迫り来る胴回し回転蹴りが始末屋の頭部に炸裂し、それをまともに喰らってしまった彼女は苦悶の声を上げた。

「ぐぁっ!」

 しかしながら、苦悶の声を上げたのは始末屋だけではない。自らが胴回し回転蹴りの直撃を喰らうのと引き換えに、始末屋は彼女の手斧による一撃をマスター大山の顔面に叩き込む事によって、彼の右の眼球を真っ二つに切り裂く事に成功したのだ。

「!」

 手斧による追撃を警戒したマスター大山が器械体操で言うところの後転から身を起こすと背後に飛び退り、猫足立ちの構えを維持しながら体勢を立て直しつつ、始末屋から距離を取る。ところが千載一遇の追撃の好機にもかかわらず、始末屋は頭部に喰らってしまった胴回し回転蹴りの衝撃によって頭蓋骨内の脳が揺れ、その場に膝を突いて足を止めたまま立ち上がる事が出来ない。

「このわしに一矢報いるとは、見事だ、手斧の黒き御仁よ! しかしながら一矢報いたところで、その一撃が肉を切らせて骨を断つ結果となるか、それとも骨を断たせて肉を切る結果となるか、その結末をとくとその眼に焼き付けるが良い!」

 真っ二つに切り裂かれた右眼を瞼の上から押さえながら、マスター大山が興奮気味にそう言った。瞼を押さえる右手の指の隙間から、眼球の中から漏れ出たゼリー状の硝子体がどろりと滴り落ちる。

「それにしても黒き御仁、お主、わしの蹴りの直撃を喰らっておきながら即死はおろか昏倒もせぬとは、何たる堅牢堅固かつ金剛不壊、そして銅牆鉄壁なる肉体の持ち主である事よ! 恐れ入ったわい!」

 マスター大山はそう言って褒め称えるが、褒め称えられた始末屋は頭部に喰らった一撃によって脳震盪の様な症状に見舞われ、立ち上がろうにも膝が笑って立ち上がれない。するとそんな始末屋に照準を合わせつつ、猫足立ちの構えを取ったマスター大山は呼吸を整える。

「暗黒闇空手、正拳突き!」

 そう言ったマスター大山が、膝を突いたまま立ち上がれない始末屋の頭部目掛けて二発目の正拳突きを叩き込もうとした、次の瞬間。牙を剥いたクライドがごうごうと唸り声を上げながら後ろ足だけでもって跳躍し、背後からマスター大山に襲い掛かった。

「なんと!」

 頭蓋骨が割れ、両前足を膝関節から捥ぎ取られながらも決して諦める事無く奮闘するクライドの姿に感嘆の声を上げたマスター大山であったが、彼とても獣の牙の餌食になるのは本意ではない。そこでマスター大山は踵を返して素早く身を翻すと、振り向きざまに必殺の一撃を放つ。

「暗黒闇空手、貫手突き!」

 クライドの牙がマスター大山の頭部を噛み砕く寸前、彼が放った超音速の貫手突きが衝撃波と断熱圧縮を伴いながら、分厚い毛皮と筋肉に覆われたクライドの胸を容易く刺し貫いた。そして胸の内部へと侵入したマスター大山の右手は胸筋と肋骨、それに胸骨をも刺し貫き、どくどくと激しく脈打つクライドの心臓をその野太い指でもって鷲掴みにしている。

「御免!」

 最後に神妙な面持ちでもってそう言ったマスター大山は、無情にもクライドの心臓を握り潰した。心臓を握り潰されたクライドは鼓膜が張り裂けんばかりの声量でもって断末魔の悲鳴を上げ、背中を仰け反らせながら全身を痙攣させたかと思うと、その場にどうと倒れ伏したままぴくりとも動かない。

「大人しく気を失っておれば、お主の様な畜生の命までは取らなかったものを」

 マスター大山は合掌しながらそう言って、クライドが往生するべく天に祈りを捧げる。

「クライド!」

 だがしかし、マスター大山が合掌しようともしなかろうとも、そんな事はボニー・パーカーにとっては何の意味も為さない。彼女からしてみれば眼の前の空手着の大男は、幼少のみぎりから寝食を共にした命よりも大事な愛すべき下僕、自らの分身とも言える唯一無二のパートナーを殺した憎むべきかたきに過ぎないのだ。

「よくも、よくもクライドを! マスター大山! あたくしは決してあなたを許しませんことよ!」

 クライドを殺された事によって改めて燃え上がった怒りを胸に、ボニー・パーカーはマスター大山目掛けて駆け出そうと試みる。しかしながら破裂した内臓に走る激痛は想像を絶し、その足取りは覚束無く、更には彼女の得物であるBAR自動小銃は既に破壊されてしまっているのだ。つまり、伝説の執行人エグゼキューターにして暗黒闇空手の使い手であるマスター大山に対して、何の得物も持たぬままの徒手空拳でもって挑む他に手段が無い。

「哀れ、片割れを失った比翼の鳥が大地に落ちてもがき苦しむ姿など、見守るだに忍びない」

 沈痛な面持ちでもってそう言ったマスター大山は腰を落として腋を絞め、肘と膝を軽く曲げながら右手と右足を後方に引き絞り、猫足立ちの構えでもってボニー・パーカーの闘志に応える。

「暗黒闇空手、中断回し蹴り!」

 よろよろと覚束無い足取りでもって駆け寄って来るボニー・パーカーの無防備な急所目掛け、やはりマスター大山は無情にも、超音速の中断回し蹴りを完璧かつ完全無欠なタイミングでもって叩き込んだ。勿論その蹴りは基本に忠実かつ教科書通りの何の変哲も無い回し蹴りであったが、それ故に凄まじいまでの衝撃波と断熱圧縮を伴う。

「!」

 マスター大山の右足の背足がボニー・パーカーの側頭部に直撃したかと思えば、彼女の頭蓋骨が中に詰まった脳髄ごと破裂し、一拍の間を置いた後に頭部を失った首から下だけが力無く崩れ落ちた。

「南無三! あの世で比翼の鳥の片割れとも言うべき畜生と再会し、いつまでも仲睦まじく絆を深め合うが良い!」

 そう言いながら合掌するマスター大山の足元に、破裂した頭部から零れ落ちたボニー・パーカーの薄灰色の脳漿と真っ赤な鮮血、それに頭髪交じりの皮膚が張り付いた頭蓋骨の骨片がぼとぼとと降り注ぐ。

「さて、残るはお主ら二人だけか」

 ボニー&クライドの一人と一頭を弔い終えたマスター大山はぐるりとこうべを巡らせ、頭部に受けた胴回し回転蹴りの衝撃によって立ち上がる事が出来ない始末屋と、壁際の安全地帯で事の推移を見守るばかりの郭文雄グォ・ウェンションとを交互に睨め回した。

「そちらの眼鏡の御仁は、どうやら無力な非戦闘員とお見受けした。このわしがわざわざ戦うまでも無かろう」

 マスター大山はそう言って、戦力外と判断した郭文雄グォ・ウェンションからそっぽを向く。

「それでは手斧の黒き御仁よ、改めて、お主とわしとの決着を付けるとしよう。さあ、死地に赴く武士もののふの如く立ち上がってみせるが良い」

 そう言ったマスター大山は猫足立ちの構えを維持しつつ始末屋が立ち上がって来るのをジッと待ち、一方の始末屋はふらふらと覚束無い足取りながらも意を決すると、左右一振りずつの手斧を構えながら這う這うの体でもって立ち上がった。

「見事だ、黒き御仁よ。それではその不屈の闘志に敬意を払い、我が奥義によってとどめを刺してくれよう」

 その言葉を死刑宣告としたマスター大山は膝を曲げ、重心を落としてから摺り足でもって距離を詰めると、手負いの始末屋に奥義を放つ。

「暗黒闇空手奥義、地獄拳極楽突き!」

 そう言ったマスター大山が放った技は、傍目には右の拳による、何の変哲も無い只の正拳突きであった。その正拳突きが始末屋の腹部に直撃し、彼女の身体が衝撃でもって浮き上がる。するとマスター大山は構えの左右を入れ替えて一歩前進すると、今度は左の拳でもって正拳突きを放ち、これもまた始末屋の顔面に直撃した。そしてそのまま構えの左右を交互に入れ替えながら前進しつつ、絶え間無く次々と正拳突きを放ち続ける。つまり暗黒闇空手の奥義『地獄拳極楽突き』とは、必殺の威力を秘めた正拳突きによる終わり無き連撃に他ならないのだ。

「どうした、黒き御仁! 我が奥義の前に手も足も出ぬか!」

 超音速の連撃を放ち続けながらマスター大山が挑発し、悔しいかな挑発された始末屋は彼の言葉通り手も足も出ず、次々と繰り出される正拳突きの前に只々翻弄されるばかりである。

「もう後が無いぞ、黒き御仁!」

 そして遂に、始末屋はリビングの最奥の、防弾処理済みの強化ガラスが嵌め込まれた窓際まで追い込まれてしまった。追い込まれた彼女の背中が室内と室外とを隔てる窓ガラスに押し当てられ、マスター大山の正拳突きが始末屋の腹に直撃する度に、その背後のガラスに蜘蛛の巣状のひびが入る。

「これで終いだ!」

 最後にそう言ったマスター大山は一段と腰を落とし、日本古来の呼吸法である『息吹』によって肺と筋肉の隅々にまで新鮮な酸素を行き渡らせると、一際眼を見張るべき威力を秘めた超絶無比なる正拳突きを始末屋の胸板に叩き込んだ。

「ごふっ!」

 浅黒い肌に覆われた乳房に胸筋に胸骨に肋骨、更には肺や心臓と言った内臓までをも叩き潰された始末屋は苦悶の声を上げ、また同時に彼女の背中が押し当てられていた強化ガラスが粉々に砕け散る。そして超音速の正拳突きの衝撃を吸収してくれていた強化ガラスを失った始末屋は窓枠の向こう側、つまりホァン財閥本社ビルの外へと叩き出された。勿論言うまでも無い事だが、ここは八十八階建ての高層ビルの八十五階である。そこから叩き出されてしまっては、後は何の支えも無いままに、およそ250m真下の地面まで垂直落下する以外の選択肢は無い。

「南無三! 南無八幡大菩薩! 阿耨多羅三藐三菩提! 骨は拾ってやるから成仏するが良い、手斧の黒き御仁よ!」

 そう言って合掌するマスター大山の眼前で、ホァン財閥本社ビルの外へと叩き出された始末屋がトレンチコートの裾をばたばたとなびかせながら垂直落下し続けたかと思えば、やがて地面に吸い込まれるようにしてその姿が見えなくなった。強化ガラスを失った窓枠の向こうに見えるフォルモサの街は宵闇に包まれ、今夜もまたしとしととそぼ降る雨にけぶっている。

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