第七幕


 第七幕



 始末屋ら三人と一頭を乗せたエレベーターは、ホァン財閥本社ビルのレセプションホールから続くエレベーターシャフトを順調に上昇し続け、次第次第に最上階へと接近しつつあった。

「それで始末屋、何か作戦はあって?」

 ボニー・パーカーが尋ねれば、彼女の隣に立つ始末屋はトレンチコートのポケットに両手を突っ込んだまま、ぶっきらぼうな口調でもって答える。

「そんなものは、無い。このまま真っ直ぐ最上階を目指し、途中で邪魔が入れば力尽くでもってこれを排除しつつ、可能な限り迅速に俊明ジュンミンを救出するまでだ」

「つまり、無策って事ですのね? 呆れた。……でもまあ、それでこそ始末屋らしいと言うべきなのかしら?」

 溜息交じりにそう言ったボニー・パーカーが呆れ果てながらも得心していると、彼女らを乗せたまま上昇し続けていたエレベーターが不意に停止した。

「ど、どうしたんでしょうか?」

 がくんと言う軽い振動と共に停止したエレベーターの籠の中で、度の強い眼鏡を掛けた郭文雄グォ・ウェンションがそう言うと、額に玉の様な汗を浮かべながらおろおろと狼狽する。

「どうやらあちらさんも、このまま真っ直ぐ最上階へ行かせる気は無いようね?」

 そう言ったボニー・パーカーを他所に、エレベーターの扉へと歩み寄った始末屋はその継ぎ目に左右の手を掛け、常人離れした膂力でもって力任せに抉じ開けた。しかしながらエレベーターはちょうど階層と階層の狭間で停止しており、眼の前にはコンクリートの壁が立ちはだかるばかりで、このままでは外に出る事が出来ない。そこで始末屋は、頭上に眼を向ける。

「え? もしかして、そこから出るつもりですか?」

 やはりそう言いながらおろおろと狼狽する郭文雄グォ・ウェンションには眼もくれず、始末屋はエレベーターの籠の天井に設けられたメンテナンス用のハッチを、その長身を生かした上段蹴りでもって蹴り開けた。

「ひいっ!」

 始末屋による上段蹴りでもって頭上のハッチが弾け飛び、その際の音と衝撃にビビった郭文雄グォ・ウェンションが子犬の様な悲鳴交じりに身を竦めるも、そんな気の小さな男に始末屋もボニーも興味を示さない。

「行くぞ、貴様ら。ついて来い」

 そう言った始末屋が先陣を切って籠をよじ登り、鉄とコンクリートに覆われたエレベーターシャフトが一望出来る真っ暗な天井裏に出てみれば、大型犬サイズにまで収縮したクライドを連れたボニー・パーカーとへっぴり腰の郭文雄グォ・ウェンションもまた彼女の後に続く。

「さて、ここは何階だ?」

 エレベーターの籠をよじ登ってから天井裏を移動し、手近な階層の扉を内側から抉じ開けた始末屋が、周囲を見渡しながらそう言った。すると抉じ開けた扉を潜って新たに足を踏み入れた階層のエレベーターの操作パネルに『69』と書かれていたので、どうやらここは、ホァン財閥本社ビルの六十九階らしい。

「とりあえず、階段を探すぞ」

 冷静沈着を旨とする始末屋はトレンチコートの襟を正してからそう言うと、六十九階のエレベーターホールから続く廊下を堂々とした足取りでもって歩き始め、最上階を目指すための階段を探す。

「人の気配はありませんし、随分と暗くて寒々しい雰囲気ね。一体ここは、何をしている階層なのかしら?」

 駱駝色のトレンチコートのポケットに両手を突っ込んだまま脇目も振らずに歩き続ける始末屋とは対照的に、そう言ったボニー・パーカーは興味深げに周囲の様子を窺いながら、手近な扉のノブに手を掛けては解錠を試みた。しかし当然の事ながらどの扉も内側から電子ロックされており、解除キーを兼ねたセキュリティカードを持つホァン財閥の関係者しか入室が許されず、高慢で高飛車な態度を良しとするボニーはその事実こそが気に喰わない。

「扉と言う扉にこそこそと鍵を掛けて回るだなんて、一体この財閥と黄金龍ホァン・ジンロン会長は何を隠しているのかしら? その隠蔽体質を、このあたくしが矯正して差し上げてもよろしくてよ?」

 ボニー・パーカーは嫌味ったらしい口調でもって皮肉を込めてそう言うと、彼女がずっと背負っていた楽器ケースを開け、その中から何やら長大なる鉄の塊を取り出した。そしてその鉄の塊、つまり通称『BAR』ことブローニングM1918自動小銃の銃口を手近な扉の電子ロックの操作盤に向け、引き金を引き絞る。すると耳をつんざく銃声と眩いマズルフラッシュと共に口径7.62㎜の小銃弾が射出され、操作盤の電子部品を完膚なきまでに破壊する事によって、扉のロックが解除された。それは何とも豪快で、この上無く野蛮な解錠方法である。

「さあ、黄金龍ホァン・ジンロン会長と彼の財閥の秘密を暴いてやろうじゃないかしら?」

 そう言ったボニーはBAR自動小銃を楽器ケースに納めて背負い直し、電子ロックが破壊された扉のノブに手を掛けて押し開け、室内へと足を踏み入れた。

「これは……何かしら?」

 彼女が足を踏み入れた部屋は広壮だが照明が落とされているために薄暗く、部屋の奥に行けば行くほど視界が効かなくなるが、そんな暗闇の中に何やら薄緑色の光でもって照らし出されたガラスの筒が見て取れる。

「まさかこれって……」

 胴回りが十mばかりはあろうかと言う巨大なガラスの筒に歩み寄ったボニー・パーカーはそう言って、透明な液体によって満たされたその筒の中に浮かぶ巨大な獣の死体を凝視した。そしてその獣の死体、つまりホルマリンか何かの薬品に漬けられた何らかの生物の標本は、彼女の下僕であるクライドが巨大化した姿に瓜二つである。

「クライド!」

 ボニー・パーカーはそう言ってガラスの筒に駆け寄るが、勿論その中に揺蕩う標本は彼女の下僕たるクライド本人ではなく、彼によく似た全く別の個体に他ならない。そしてそのクライド本人もまたボニーに続いて入室すると、自分とよく似た獣の標本が揺蕩うガラスの筒を神妙な面持ちでもって見上げながら、くうんくうんと悲しげな泣き声を上げて同胞の死を悼む。

「やはりクライドは、ホァン財閥によって作り出された事に、間違いありませんのね……」

 独り言つようにそう言ったボニー・パーカーが改めて周囲を見渡してみれば、暗闇に慣れて来た眼に映る室内の様子から推測するに、どうやらここは医学か生物学に関与する何らかの研究施設の一つだと思われた。

「おい、ボニー。クライドがホァン財閥によって作り出されたとは、一体どう言う事だ?」

 研究施設と思しき部屋に遅れて入室した始末屋が尋ねると、ボニー・パーカーは大型犬サイズにまで収縮したクライドの頭や背中を優しく撫でてやりながら、彼女ら一人と一頭の身の上話を語り始める。

「あたくしはここ常雨都市フォルモサの、健全なる市民社会からドロップアウトした落伍者達の吹き溜まりであり、人生の最終処分場とも呼ばれた貧民窟の外れで生まれ育ちましたの。つまり、俗に言うところの浮浪児の一人でしてよ? 物心ついた時には一人ぼっちで身寄りも無く、住む家も無いままふらふらと貧民窟の内外を放浪し、毎日毎日フォルモサ中に捨てられるゴミを漁って食べられる物を探しながら、辛うじて生き永らえていましたの」

 そう言ったボニー・パーカーの眼は悲しくも寂しげな愁いの色を帯びていたが、また同時に、己の出自に関して絶対的な自信と誇りを抱いているかのような力強さにも満ち満ちていた。

「そして、そんなゴミ漁りでもってどうにかこうにか食い繋いでいた、ある日の事じゃないかしら? とある企業の産業廃棄物の集積場に侵入した浮浪児のあたくしは、そこで一匹の子犬を拾いましたの。その子犬は今にも餓死してしまいそうなほど痩せ細り、自力で立ち上がる事も出来ず、おびただしい数の蚤とダニと寄生虫によって全身を蝕まれていた事をよく覚えていましてよ?」

「成程。そしてその拾った子犬と言うのが……」

「ええ、その通りでしてよ、始末屋? その瀕死の子犬と言うのが、未だ幼い頃のクライドですの」

 ボニー・パーカーはそう言うと、彼女の隣に座る大型犬サイズのクライドに眼を向けるが、当のクライドはガラスの筒の中を揺蕩う彼によく似た獣の標本をジッと凝視し続けている。

「あたくしはクライドと名付けたその子犬を、まるで我が子を慈しむ母親の様に可愛がりましてよ? ゴミ山の中から必死で掻き集めた僅かな食料を惜しみなく分け与え、寒い冬の夜には一枚の毛布の中で互いの心と身体を温め合い、文字通りの意味でもって寝食を共にしましたの。すると成長するに従って、只の小犬だと思っていたクライドの肉体に、顕著な変化が見て取れるようになったのではないかしら?」

「つまり拾った時には只の小犬だと思っていたのが、グォを取り押さえた時やグレイブキーパーの手足を噛み千切った時のように、巨大な猛獣に変身するようになったと言う訳か」

 そう言った始末屋もまた、首を縦に振りつつ「ええ、その通りでしてよ」と言って彼女の言葉を肯定したボニーの隣に座るクライドに眼を向けるが、やはりクライドはガラスの筒の中の標本から眼を離さない。

「クライドと言う名の最強かつ最愛のパートナーを得たあたくしは、フォルモサの街の貧民窟の浮浪児達を一手に束ねる、ある種のリーダーにも似た存在となりましたの。昼となく夜となく繁華街に出没しては商店や銀行を襲い、強奪した金品を浮浪児達に配って回るあたくし達二人は英雄的に扱われ、一時はフォルモサ中の新聞紙面を騒がせたものでしてよ?」

 そう言ったボニー・パーカーは過ぎ去りし栄光の日々を思い出してか、ホオジロザメを髣髴とさせる真っ白なギザ歯を剥きながらほくそ笑んだ。

「そしてすっかり成長したあたくしとクライドは揃って貧民窟を抜け出し、非合法組織たる『大隊ザ・バタリオン』の執行人エグゼキューターとして、強者が弱者を食い物にする裏稼業の世界へと進出しましたの」

「それが『猛獣使いとその下僕』と呼ばれる、獲得報酬ランキング第十二位のボニー&クライドの生い立ちと言う訳か。……それで、そんな貴様らの過去とホァン財閥とは何の関係がある?」

 始末屋がそう言えば、ボニー・パーカーは天を仰ぎながら肩を竦める。

「まったくもう、呆れ果ててしまいましてよ、始末屋! あなた、鈍感にも程があるのではなくて?」

「と、言うと?」

「浮浪児だったあたくしがクライドを拾いました『とある企業の産業廃棄物の集積場』と言う件の『とある企業』と言うのが、ホァン財閥系列の医薬品会社でしたの! そのくらいの事は、たとえあなたが無学無教養なならず者だったとしても、察して然るべきではなくて?」

「ああ、成程」

 始末屋がそう言って首を縦に振りながら得心すれば、ボニー・パーカーは深く嘆息せざるを得ない。

「ですからあたくし達はクライドの正体と、何故にホァン財閥がそんな彼を廃棄物として捨てたのか、その理由を黄金龍ホァン・ジンロン会長に直接問い質さなければなりませんの」

「そのために貴様ら一人と一頭は、黄美玲ホァン・メイリン黄冠宇ホァン・グァンユーの手によって誘拐された俊明ジュンミンを保護したあたしと共闘したと言う事にして、ここホァン財閥本社ビルまでの同行を申し出たと言う訳か」

「ええ、まさしくその通り、相違無くってよ」

 始末屋とボニー・パーカーがそう言って言葉を交わし合っていると、最後に入室した郭文雄グォ・ウェンションがいつの間にか彼女ら二人の背後に立っており、薄緑色の光でもって照らし出されたガラスの筒を見上げながら口を開く。

「過去に何度か、私も風の噂に聞いた事があります。ホァン財閥の医薬品研究所や生物工学系の研究機関は黄金龍ホァン・ジンロン会長直々の社命により、人類の恒常的な延命、また可能ならば不老不死を実現するための研究を、極秘裏に行っていたらしいのです」

「それが、この標本と何か関係があると?」

 トレンチコートに身を包んだ始末屋が尋ねれば、郭文雄グォ・ウェンションは自信無さげに眼を逸らし、ぽりぽりと頭を掻いた。

「それは……果たして如何なものでしょうか。はっきりと断定は出来ませんし、正直言って、私には判断致しかねます。しかし関係あるか無いかのいずれにせよ、社員であった私が言うのもなんですが、ホァン財閥が公にする事も憚られるような研究に手を染めていた事は事実です」

「成程。まあ何にせよ、こんなグロテスクな標本が今の今まで保存されていたと言う事は、ボニーが言っていた通りクライドがホァン財閥によって作り出されたのは間違いなさそうだな」

 始末屋がそう言えば、今度はボニー・パーカーが決意を新たにする。

「ええ、ええ、全くもって相違無いのではないかしら? ですからあたくしことボニー・パーカーは黄金龍ホァン・ジンロン会長を直接問い質し、その口から真相を聞き出さなければなりませんの。それこそが、クライドのパートナーとしてのあたくしの使命でしてよ」

 静かな声で淡々と、しかしながら言葉の一つ一つからも意思の固さが見て取れるような口調でもってそう言ったボニー・パーカーは、彼女の隣に座ったままのクライドに眼を向けた。するとクライドもまたこちらを向き、自らの命の恩人であり、また同時に彼のパートナーでもあるボニーと視線を絡め合う。

「よし、寄り道はここまでだ。先を急ぐぞ」

 すると始末屋はそう言って踵を返し、ボニーがBAR自動小銃によって電子ロックを破壊した扉へと足を向けた。

「そうね、始末屋。いつまでもこんな所でぐずぐずしてないで、先を急ぐ事にしましょうか。そして黄金龍ホァン・ジンロン会長を問い質し、事の真相を聞き出して差し上げる事が先決じゃないかしら?」

 そう言ったボニー・パーカーも始末屋の後に続き、彼女のパートナーであるクライドと郭文雄グォ・ウェンションもまた彼女らの背中を追って踵を返す。そして始末屋が扉を蹴り開け、最上階へと続く階段を探そうと廊下に足を踏み入れた次の瞬間、鼓膜を蹂躙するかのような連続した銃声がその廊下に響き渡った。

「敵襲でして?」

 銃声を耳にしたボニー・パーカーがそう言って警戒する間も無く、彼女より先んじて廊下に身を置いていた始末屋が数多の自動小銃から射出された銃弾の雨に襲われ、一瞬にして蜂の巣となる。

「始末屋!」

 ボニーは彼女の身を案じるが、そこは百戦錬磨を誇る始末屋。銃撃される寸前にトレンチコートの懐から引き抜いた手斧の斧腹でもって急所を保護し、銃弾の雨をその全身に浴びながらも、結果として彼女は無傷であった。さすがは殺し屋評価サイト『ヘッドショット』の月間獲得報酬ランキング第四位、トップクラスの執行人エグゼキューターとしての面目躍如と言ったところである。

「誰だ?」

 一旦銃撃が止んだその隙を見計らい、左右一振りずつの手斧を構えた始末屋はそう言いながら眼を細め、薄暗い廊下の様子をつぶさに窺った。すると廊下の端々の柱の陰や曲がり角に身を隠しつつ、都市型迷彩服と防弾仕様のタクティカル装備に身を包み、ヘルメットとガスマスクによって頭部を隙間無く覆ったホァン財閥の私設軍隊の兵士達の姿が見て取れる。

「雑兵か」

 ふんと鼻を鳴らしながらそう言った始末屋はフェルト地のカーペットが敷かれた廊下の床を蹴り、常人離れした膂力と跳躍力でもって、私設軍隊の兵士達に襲い掛かった。

「ふん!」

 まずは手近な柱の陰に身を隠していた複数の兵士の内の一人の頭部を、丹念に研ぎ上げられた手斧の切っ先でもってヘルメットやガスマスクごと叩き割ったかと思えば、そのまま身体を一回転させた際の遠心力を利用して二人目に切り掛かる。

「動くな! 動くと撃つぞ!」

 二人目の兵士はそう言って警告しながら自動小銃を構え直し、始末屋の腹部に照準を合わせると、躊躇無く引き金を引き絞った。耳をつんざく銃声を廊下に反響させ、眩いマズルフラッシュを伴いながら射出される数多の銃弾。しかしながら素早く身を翻した始末屋はそれらの銃弾のことごとくを巧みに回避しつつ、兵士の両腕を手斧の一振りでもって切断する。

「ぎゃあああぁぁぁっ!」

 両腕を骨ごと切断された二人目の兵士が、真っ赤な鮮血に濡れる自らの腕の断面を凝視しつつ、身体欠損による喪失感と絶望感を含んだ苦悶の声を上げた。しかしその声も、そう長くは続かない。何故なら彼の悲鳴が最高潮に達するその前に、始末屋の手斧の切っ先が薄暗い廊下の空気を切り裂いたかと思えば、彼の素っ首をね落としてしまったからだ。そしてそのまま返す刀でもって、三人目、四人目の兵士と、その場に居合わせた兵士達が始末屋の手によって次々に屠られる。

「始末屋! 加勢して差し上げましてよ!」

 すると赤毛の髪を二つ結いにしたそばかす面のボニー・パーカーもまたそう言って廊下に躍り出るや否や、背負っていた楽器ケースの中からBAR自動小銃を取り出すと、最前線で戦う始末屋を手助けすべく援護射撃を開始した。彼女の愛銃の銃口から射出された口径7.62㎜の小銃弾が宙を舞い、それらを回避しようと兵士達が曲がり角に身を隠せば、今度は始末屋の手斧が彼らを屠る。所詮はホァン財閥に雇われた私設軍隊の一介の兵士に過ぎない彼らは一方的に屠殺されるばかりで、裏稼業のならず者達を統率する非合法組織『大隊ザ・バタリオン』の執行人エグゼキューター達を前にしては手も足も出ず、もはや始末屋の凶刃とボニーの凶弾から逃れる術は無い。

「ひいいいぃぃぃっ!」

 やがて十人余りの兵士達のほぼ全員が鏖殺の憂き目に遭ったかと思えば、最後の一人となった兵士がその場からの逃走を開始し、恐慌状態に陥ると同時に屠殺場に送られる豚の様な悲鳴を上げながら廊下を駆け出した。少しでも身軽なろうとした彼が放り捨てた自動小銃が床を転がり、その衝撃でもって撃鉄ハンマーが落ちて、薬室チャンバーに装填されていた銃弾が暴発する。しかしながら始末屋はこの機を逃さず、素早く、だが慎重に狙いを定めて振りかぶると、こちらに背を向けながら逃走する兵士目掛けて手斧を投擲した。

「ぎゃっ!」

 始末屋の常人離れした膂力でもって投擲された手斧は兵士の背中に命中し、硬く分厚い肩甲骨と肋骨を易々と突き破れば、早鐘を打つ心臓を真っ二つに切り裂くほどの威力を発揮して憚らない。そしてそのまま兵士の胸部を貫通したかと思えば廊下の壁に深々と突き刺さり、真っ赤な鮮血にまみれながらようやくその動きを止めると、ホァン財閥本社ビルの薄暗い廊下は一瞬の静寂に包まれる。

「これで、全員片付いたのかしら?」

「ああ、どうやらそうらしい。しかしこんな所でぐずぐずしていては、すぐに敵の増援が来る。先を急ごう」

 始末屋はそう言ってボニー・パーカーの疑問に答えると、最後の一人となった兵士が逃走しようとした方角へと足を向けた。そして廊下の突き当たりの扉を開けた彼女らの眼前に、上階へと続く非常階段がその姿を現す。

「行くぞ」

 そう言った始末屋を先頭に、彼女ら三人と一頭は黄俊明ホァン・ジュンミンが囚われている筈の最上階、つまりホァン財閥本社ビルの八十八階を目指して非常階段を駆け上がり始めた。途中、再びの私設軍隊による襲撃に何度か遭遇しながらも、それらを力尽くでもって排除しつつ始末屋らは前進し続ける。

「し……始末屋さん……今……何階でしょうか……? 最上階には……未だ到着しないんでしょうか……?」

 何度目かの私設軍隊による襲撃を難無く排除し終えた頃、ぜえぜえと呼吸を荒げながら汗をびっしょりと掻いた郭文雄グォ・ウェンションが膝から崩れ落ち、先頭を歩く始末屋に尋ねた。一見すると、まるで瀕死の重病人かと見紛う程の疲弊し切った姿を見せる郭文雄グォ・ウェンションだったが、彼は決して私設軍隊の襲撃によって負傷した訳ではない。エレベーターを降りた六十九階から十数階分もの非常階段を駆け上がった結果として、単に疲れ果ててしまっているだけである。

「たった今、八十二階に辿り着いたところだ。どうしたグォ? 貴様、もうバテたのか?」

「ええ……その……どうも、申し訳ありません。なにぶん私は、一介の医者に過ぎないものですから……お二方の様に鍛えてはいないものでして……ここで少し、休ませてはいただけないでしょうか……」

 始末屋の問い掛けに、郭文雄グォ・ウェンションは息も絶え絶えな様子でもって答えると、非常階段の踊り場で壁に背中を預けながらしゃがみ込んでしまった。

「まったく、いい歳して軟弱な男ですこと。普段から汗を掻いて運動し、もっと心身を鍛えるべきなのではなくて?」

 そう言って呆れ返るボニー・パーカーは汗一つ掻かず、呼吸一つ荒げずに平静を保っており、それは彼女が連れているクライドも始末屋も同様であった。普段から命の遣り取りを生業とする彼女ら執行人エグゼキューターにとって、この程度の階段の上り下りは準備運動にもならないのである。

「立て、グォ。貴様もそろそろ歩けるだろう」

 やがて数分間ばかりの小休止の後に、非情にもそう言った始末屋が黒光りする革靴の爪先でもって、しゃがみ込んだまま微動だにしない郭文雄グォ・ウェンションの脚を小突いた。

「ああ……はい……分かりました……立ちます……」

 未だ回復し切っていない郭文雄グォ・ウェンションは意を決し、鉛の様に重い脚に力を込めながらどうにかこうにか立ち上がりはしたものの、がたがたと震えるばかりの彼の膝では階段を駆け上がれるとは思えない。

「本当に仕方が無い奴だな、貴様は」

 すると溜息交じりにそう言った始末屋が、生まれたての小鹿の様に膝を震わせる郭文雄グォ・ウェンションの腰に背後から腕を回し、その身体を片手でもってひょいと持ち上げた。そして近所に届け物をする際の手荷物さながらに彼を小脇に抱えたまま、改めて非常階段を駆け上がり始める。

「これは……その……私としては、少々恥ずかしいのですが……」

 大の大人、しかも自立した社会人が手荷物の様に運搬される事に対して羞恥の念を抱いた郭文雄グォ・ウェンションが、抗議の声を上げた。

「黙れ。強がっている場合か、この軟弱者が」

 しかしながら始末屋はそう言って彼の主張を一蹴し、鰾膠にべも無い。

「さあ、行くぞ」

 再びそう言った始末屋ら三人と一頭が非常階段を駆け上がり始めたが、意外にも私設軍隊による襲撃も無いままに、一行は八十五階へと辿り着いた。するとこの階層でもって階段は途切れ、最後の踊り場に足を踏み入れた彼女らの前には行き止まりとなる壁が立ちはだかり、そこには一枚の鉄扉が見て取れる。

「どうやらここから先は、また別のルートでもって最上階を目指さなければならないようね?」

 鉄扉を前にしたボニー・パーカーがそう言えば、彼女の隣に立つ始末屋が一歩前に出るなり片足を上げ、その鉄扉を無言のまま蹴り開けた。すると蹴り開けられた鉄扉を潜った三人と一頭の眼前に、広壮なる空間がその全貌を現す。

「あら? またホールかしら?」

 そう言ったボニーの言葉通り、その広壮な部屋は一見すると、何らかの式典などを開催するためのホールか何かかと思われた。しかしながらこのホァン財閥本社ビルの五十階のレセプションホールよりはずっと小規模で、一般的なホールには付き物のステージや放送設備などは見当たらず、どちらかと言えばもっとプライベートな空間の雰囲気が漂う。

「いや、違う。これはやたらと広いだけの、只のリビングだ」

 駱駝色のトレンチコートに身を包み、郭文雄グォ・ウェンションを小脇に抱えた始末屋がそう言いながらこうべを巡らせ、彼女が只のリビングだと看破した室内をぐるりと見渡した。分厚いペルシャ絨毯が敷かれた部屋の中央には何故だか分からないが噴水が設置されており、東洋の昇り龍をかたどった銅像の口から絶え間無く溢れ出る水の中に眼を向ければ、そこには色鮮やかな数尾の錦鯉が揺蕩うように優雅に泳ぎ回っている。そして非常階段から続く鉄扉の反対側の壁際の暖炉と、その前に置かれた数脚のソファとローテーブルによる豪奢な応接セットだけが、その部屋がホァン財閥の創業者の血縁たるホァン一族が一堂に会するためのリビングである事を如実に物語っていた。

「それで、これからどうしまして?」

「取り敢えず、最上階へと向かうための階段を探そう」

 始末屋がそう言ってボニー・パーカーの疑問に答えた次の瞬間、不意に暖炉の上の壁面に設置されていた大型液晶ディスプレイに火が灯り、何者かのご尊顔が厳かに映し出される。

黄金龍ホァン・ジンロン会長……」

 思わずそう言った郭文雄グォ・ウェンションの言葉通り、そこに映し出された人物は、ホァン財閥の現会長たる黄金龍ホァン・ジンロンその人であった。

「如何にも、わし黄金龍ホァン・ジンロンだ」

 液晶画面の向こうでベッドに横たわり、人工呼吸器を装着したままそう名乗った黄金龍ホァン・ジンロンに、始末屋が要求する。

「彼からの依頼を完遂すべく、俊明ジュンミンをこちらに引き渡してもらおうか、黄金龍ホァン・ジンロン会長」

 やはりぶっきらぼうな口調でもって始末屋はそう言うが、当然の事ながら黄金龍ホァン・ジンロンはそれに応じない。

「馬鹿な事を言うでない。俊明ジュンミンわしの大事な大事な生きた分身であり、また同時に、その内臓はわしが未来永劫生き永らえるための頼みの綱だ。それをどうして、お前の様な社会不適応者のならず者などに引き渡さなければならないのか、理解に苦しむ」

「成程。つまり力尽くでもって貴様の呪縛から俊明ジュンミンを解放する以外に、依頼を完遂する術は無いと言う事だな?」

「ああ、その通りだ。出来るものなら、やってみせるがよい」

 真っ白な頭髪と顎髭を生やした黄金龍ホァン・ジンロンはそう言って、液晶画面越しに始末屋を挑発した。するとそんな二人の間に、BAR自動小銃を手にしたボニー・パーカーが割って入る。

「ちょっとよろしいかしら、黄金龍ホァン・ジンロン会長? あたくしの顔を覚えておいででして?」

 ボニー・パーカーがそう言って問い掛ければ、黄金龍ホァン・ジンロンはそんな彼女の顔をじろじろと睨め回すものの、どうにも小首を傾げざるを得ない。

「……誰だ、お前は?」

 そう言って小首を傾げるばかりの黄金龍ホァン・ジンロンに、ボニーは自らの素性を語り始める。

「あたくしの名前は、ボニー・パーカー。あなたが黄俊明ホァン・ジュンミンの救出を依頼した『大隊ザ・バタリオン』に所属し、殺し屋評価サイト『ヘッドショット』の月間獲得報酬ランキング第十二位の、業界内ではそれなりに名の知れた執行人エグゼキューターでしてよ?」

「……ほう? それで、その執行人エグゼキューターとやらが、このわしに一体何の用だと言うのかね?」

「ええ、そうね。あなたに用があるのはあたくし自身ではなく、こちらに居るこの子でしてよ? ……さあクライド、こちらにいらっしゃい?」

 そう言って、ボニー・パーカーは正体不明の獣であるクライドの名を呼んだ。すると今は大型犬サイズにまで収縮したクライドが彼女の背後からその姿を現し、暖炉の前で鎮座すると、そんな彼を液晶画面の向こうの黄金龍ホァン・ジンロンが凝視する。

「どうかしら、黄金龍ホァン・ジンロン? この子に見覚えはなくて?」

 ボニー・パーカーはそう言うが、黄金龍ホァン・ジンロンは皺だらけの顔の眉間に更に深い縦皺を寄せながら、小首を傾げるばかりだ。

「いいや、知らんな。そんな薄汚い野良犬が、このわしと何の関係があると言うのだ?」

「でしたら、こちらの恰好ではどうかしら?」

 重ねて問い掛けるような口調でもってそう言ったボニー・パーカーがぱちんと指を打ち鳴らせば、彼女の隣で鎮座していたクライドの肉体が見る間に膨張し始める。そして身の丈四mにも達する、象か恐竜かそれに類する何かかと見紛うほどの筋骨隆々とした巨大な獣へと変貌したかと思えば、暖炉の上の大型液晶ディスプレイに向かってごうごうと吠え立てた。

「ほう?」

 巨大な獣へと変貌したクライドの姿に、黄金龍ホァン・ジンロンは興味を示す。

「その怪獣の様な異形の姿、どこかで見た覚えがあるぞ? 確かあれは……そう……もう二十年近くも昔の話だな。部下に命じて不老不死の研究のために、わしの生きた細胞を他の動物の細胞と融合させる実験を行っていた際の、細胞の増殖が止まらなくなった失敗作と全く同じ姿だ。一時期は生物兵器として転用する事も検討されていたので、今でもよく覚えているぞ」

 黄金龍ホァン・ジンロンのこの言葉を耳にしたボニー・パーカーは、驚きを隠せない。

「あなたの細胞を融合させる実験ですって? だとしたら、ここに居るクライドもまた俊明ジュンミンと同じように、あなたのクローンの一種だと言うの?」

「ああ、ああ、そうだとも。俊明ジュンミンもそこに居る怪獣もどきの化け物も、どちらもわしの細胞から作られたわしの分身、言うなればわしの身体の一部だ。だからこそどちらの分身も、本来の主人であるべきわしの好き勝手にしてしまっても構うまい。そうだろう?」

「なんて勝手な理屈を……」

 黄金龍ホァン・ジンロンの言い分に、ボニー・パーカーはホオジロザメを髣髴とさせる真っ白なギザ歯を剥きながら、怒りを露にした。

「たとえあなたの細胞から作られた複製体や実験体だとしても、俊明ジュンミンもクライドも確固とした意志と人格、それに魂を持った一人の人間ではなくて? それをあなた個人の我儘でもって勝手にしても構わないだなんて、決して許す事の出来ない傲慢さでしてよ!」

 ボニー・パーカーはそう言うが、液晶画面の向こうの黄金龍ホァン・ジンロンは歯牙にも掛けない。

「馬鹿を抜かせ、この小便臭い毛唐の小娘が。お前が何と言おうと、わしの内臓取りのためのクローンである俊明ジュンミンは我が手に落ちたし、お前の隣に居るその化け物はわしの利益になり損ねた失敗作に過ぎないのだ。その事実は、決して揺るがない」

黄金龍ホァン・ジンロン! あなた、決して許されないあたくしの逆鱗に触れました事を、地獄で後悔なさい!」

 怒髪天を衝く勢いでもってそう言ったボニー・パーカーはBAR自動小銃を構え直し、黄金龍ホァン・ジンロンの皺だらけのあばた面が映し出されている大型液晶ディスプレイに照準を合わせると、躊躇無く引き金を引き絞った。小柄なボニーでも扱い易いように短く切り詰められた銃身と、その銃身に切られたライフリングを通過した口径7.62㎜の小銃弾が旋回しつつ、耳を劈く銃声と眩いマズルフラッシュを伴いながら銃口から射出される。そしてそれらの小銃弾を浴びた大型液晶ディスプレイがあっと今に蜂の巣になったかと思えば、偏光フィルターとガラス基板、それに液晶層とが粉々に砕け散って、画面は暗転した。

「……決して許されない逆鱗に触れた、だと? 小便臭い毛唐の小娘のくせに、大口を叩きよる」

 ところが粉々に砕け散った液晶画面が暗転してしまっているにもかかわらず、音声の入力端子とスピーカー周りの機器は未だ生きているのか、大型液晶ディスプレイからは黄金龍ホァン・ジンロンの声だけが聞こえて来る。

「このわしに仇為す者が果たしてどんな目に遭って来たのか、その事実を身をもって知るが良い! 地獄で後悔するのはお前らの方だ!」

 大型液晶ディスプレイのスピーカー越しに黄金龍ホァン・ジンロンがそう言い放った直後、常人離れした五感と第六感を誇る始末屋とボニー・パーカー、それに野生の勘に優れたクライドの二人と一頭は、自分達の頭上から迫り来る新たなる脅威の気配を瞬時に感じ取った。

「!」

 只ならぬ気配を感じ取った二人と一頭は散り散りになって飛び退り、それぞれがそれぞれのやり方でもって、迫り来る脅威から距離を取る事に尽力する。ちなみに気配を感じ取る事が出来なかった郭文雄グォ・ウェンションは、未だに始末屋の小脇に抱えられたままなので、結果的に彼女と一緒に飛び退る事によって難を逃れた。そして一拍の間の後にその新たなる脅威、つまり筋骨隆々かつ強靭無比な肉体をぼろぼろになるまで着潰した空手の道着に包んだ一人の大男が、始末屋らの頭上からペルシャ絨毯が敷かれた床へと降り立つと同時に啖呵を切る。

「ふはははははは! 遠からん者は音に聞け! 近くば寄って眼にも見よ! 我こそは地上最強として知られる暗黒闇空手の使い手、その名を世に轟かせた『空手百段』と言えばこのわしの事、天下無双のマスター大山様よ! いざ尋常に、勝負! 勝負! 勝負!」

 マスター大山を名乗る空手着の大男の出現に、一度は飛び退って彼から距離を取った始末屋は郭文雄グォ・ウェンションを壁際に退避させると、トレンチコートの懐から取り出した左右一振りずつの手斧を構えた。

「マスター大山、貴様、生きていたのか?」

 そう言った始末屋の瞳は輝き、生死を賭して戦うべき好敵手を前にした誇り高き戦士の色を湛える。

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