力を求めて3

「ファラーシャ殿は少々このご自分のお立場を軽んじておられますな。賊に攫われた神官長がまさか黒の民ドゥーランの国で密偵をしているなど、誰が予想したでしょう。おかげでこの三年間、王宮は混乱しました。と思えば、王の容態もあわや、というときに、逃げたジンと世継ぎを連れて帰ってきなさる。英雄譚もかくあらん。あなたもジャミール殿下も、私の想像をはるかにこえなさる」


『ふん……私の留守の間、国を好き放題したのはそちらだろうに』


「けれど、いくら庶民の間で人気の義賊王であっても、しかるべき手順で早々に立太子させねば宮殿内で反感を買いますぞ。現王の容態は不安定。このまま王が眠られることになれば……どうなさるおつもりかな」


 ファラーシャは再び舌打ちをした。


『わかっておるわ、この狸ジジイめ。口出しするくらいならさっさと貴様が書に印を押せばいいのだ』


 ファラーシャは神官服の袖口を口に当てて目を伏す。女性じみた優美な仕草だが、腹の中は真っ黒。恐ろしい化かしあいだ。


「となると、北の宮の姫はあなたにとって都合が良いでしょうなぁ。やる気のないジャミール王子も、ナディア妃がいる限りここを出ていこうとはしないでしょうし」


 ナディアはぎゅっと手を握りしめた。


(ファラーシャは人質として私を連れてきた)


 短い付き合いだけど彼のことは嫌いじゃなかったのに。ジャミールに頼られる彼になりたいとすら思ったのに。


 ──否定してよ、ファラーシャ。

 これ以上、ファラーシャを憎みたくない。人の打算や、損得なんて知りたくない。

 けれどきっとナディアの思いは、睨み合う男たちには届かない。


「しかしご注意されよ、北の宮という場は呪われておるやもしれませんぞ」


 宰相は声を落として言う。


「先代の北の宮──アマーナ妃の最期は今でも王宮に暗い影を落としている……王がおかしくなられたのも、あれからだ」


(アマーナ……?)


 どくんと心臓が鳴る。


「黒の妃の子が王子であれば、国が滅びる……でしたな。神託を授けたのは先代の神官長。あなたもきっと疑問に思い、調べたのではないですか? あれは本当に神託だったのか、と」


『神託を疑えば、国が乱れる』

 通訳の神官は苛立ちを隠さないファラーシャに驚いて口をつぐんだ。それ幸いと、宰相は口撃を止めない。


「あなたの立場で言えば、そうでしょうな。我々には神の声など聞こえぬ。神託が真実か、もしくは政治的なものであったのか、どちらにせよ、黒の妃は命と引き換えにしてジャミール殿下を産んだ。最愛の妃を失った王の嘆きは深かった……そしてあの王ですら、実の子を殺すことはできなかったのだ」


『ジャミール様は、王の慈悲で生かされた』


「左様。せめてもと奴隷の身分に落とし、二度と王宮に関わりのないように、遠くオアシスの都市まで送り届けた。当時の王の苦悩を、若いあなたも殿下も知らない。知っていれば今更この王宮に現れまいよ。王はアマーナ妃亡き後、思い出の庭を埋められた。そこには涙でできた川がある。あの方は元来、慈悲深いお方なのだ」


 あたりはしんと静まり返った。当時を思い出したのか、すすり泣く者すらいる。末の王子の悲劇と呪いの話は、まだ色褪せていないらしい。


「そうして王が守ってきた国だというのに。ジャミール王子はやはり国を滅ぼしにきたのではないか? 彼は本当に、王になるつもりがあるのか? 神官長、そなたにはどこまで未来が視えている?」


『…………。』


「答えがないのであれば、私は、私のやり方で国を守りますぞ」


 これは宣戦布告か。

 宰相にとって邪魔なのは、ジャミールだ。最後の王子さえいなければ国を守れると思っている。


(……ジャミールに、知らせた方が、いいかしら)


 そう思って立ち上がったとき、ビリッと、全身に痺れが走った。


「ところで神官長」


──この痺れは、視線。


「ナディア妃を見張ってなくてよいのかな? どうやら脱走するのがお好きな、元気な姫君のようだが」


 (っ、!!)


 ナディアは逃げた。歯を食いしばって、走る。


 南の宮から離れても、誰かに見られている気配がある。助けを呼ぼうにも、見知った人の気配がどこにもない。

 逃げ隠れようとした西の宮には見知らぬ宦官たちがいる。宰相派の可能性があると思うと気軽に姿を見せることもできない。


(だ、大丈夫。少し姿を見られたくらいでは見つからないわ。今は変装しているもの……! このまま庭木に隠れながら北の宮まで帰ろう。カミリヤたちに謝って……それからさっきの話を相談するんだ)


 けれど、北の宮の様子もおかしかった。

 やけに人が多く、騒然としている。


(な、なに!? どうなっているの!?)


 邸館の前にずらりと並ぶ宦官たち。そのうちの一人が、広げた書状を手にずいと前に出た。


「ナディア妃をお呼びなさい。妃は重婚の疑いがある。場合によっては、処罰が下る」

「はぁ!?」


 ザハルたちの姿もある。ホッとするのもつかの間、宦官たちは館の中をあらためようと、女官たちに退くよう命令し始めた。


(ザハル、危ない!)


 宦官の手がザハルに伸びる。それをひらりひらりと踊るようにかわし前に出ると、彼女はキッと目尻を吊り上げ叫んだ。


「触れるでないわ、無礼者! そなたたち誰の許可を得て後宮を荒らすというのですか。王子殿下? 神官長? それとも宰相閣下でしょうか?」


「我々は法に基づいて行動を起こした。報告によるとナディア妃は、ジャミール王子との婚姻の前にオアシスの太守と婚儀を行っている。つまり重婚にあたり、我が国の法において女子の重婚は死罪に相当する」


「証拠を持ってきなさいよ! 婚姻の事実があれば、あるでしょう、届けとかそういうのが! それにナディア様は今、体調が悪くて寝ていらっしゃるの! あなた、この騒ぎでナディア様のお身体に障るようなことがあったら、責任取れるのね!?」


「な、なに? ま、まさか妃にご懐妊の兆し、ということか……?」


 宦官らにどよめきが伝播する。


(えっ、懐妊??)


 ナディアも思わず自分の腹に手を当てた。いやいやそんなはずはなくて。

 勝手に勘違いして慌てている宦官らを見て、ザハルはしめた、と思ったらしい。


「お妃様は今日ずっと寝てらっしゃるの。そういうことかもしれなくてよ!」

「な、ならば早急に医者を呼ぼう」

「結構ですわ。女の身体のなんたるかはわたくしたちのほうがよぉっ……く、存じておりますから。後宮内での出来事に、あなた方の手出しは無用にございます」


 鼻であしらわれた宦官は、顔を真っ赤にして去って行った。ひとまずほっと胸をなでおろす。ザハルも侍女たちも、身代わりにしてしまったラーイも無事でよかった。


(宰相は私を排して、ジャミールの心を折るつもりなのね……かつてのアマーナ妃と、王のように?)


 ナディアの命は、彼らの手にあるということだ。そしてナディアという人質がいる限り、ジャミールは宰相だろうと神職だろうと従わざるを得ない。


(ここに居てはだめだ。宰相派に捕まって好き勝手にされる前に、逃げないと……けど、街まで抜けるには宮殿の中を通らないといけないし……)


 ぎり、と歯噛みしたそのとき。


「なら、こちらへいらっしゃい」


  どこかで水が弾ける音がした。


「えっ……? あ、あつい………!?」


 手の甲を彩るジン除けの紋様が、赤く輝いている。慌てて抱え込んでうずくまるけれど、火であぶられるように熱い。

 息も絶え絶え、転がるようにして水路にたどり着く。

 躊躇なく腕を水に突っ込んで、ナディアは悲鳴をあげた。

 水がナディアの腕をからめとって、引きずり込もうと渦を巻き始めたのだ。


「こちらへ、ドゥーヤの乙女」


 荒れ狂う水面にうつる、女性の影。


(アマーナ……違う、カーラ……!?)


 水はナディアの腕をのみこむ。肩、そして首まで。


「いっ、やめて! いやっ……ファラーシャっ……ジャミ」


 助けを呼ぶ声は、ごぽりと泡になり、水面で弾けて消えた。

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