願いごと

 間も無く日付が変わろうとする頃。私は疲れた体を引きずるようにして、一人夜道を歩いていた。


 このところ残業続きで曜日感覚も薄れていたが、気づけば今日は週末。明日は絶対寝溜めするんだと決意しながら、駅から十五分程の自宅を目指す。


 と、突然ポケットの中のスマホが震えた。見れば遠距離恋愛中の彼氏−シュウジだ。慌てて少しかじかんだ手でスマホを耳に当てる。


「どうしたの?」

「何か急にミユキの声が聞きたくなった。まだ仕事?」

「今帰り。シュウジは?」

「うーん、あと一仕事かな」

「お疲れ様。大変だね」

「お互い様だろ。そっちこそ大丈夫?」

「あ…うん…いや、ちょっとダメかも」


 メールでは連絡していたけれど、声を聞くのはいつぶりだろう。少し懐かしくさえ思う低い声に、思わず弱音を吐いてしまう。自分はそこまで弱い人間じゃないけれど、この声は反則だ。


 そうかと呟いてしばらくすると、シュウジが突然小さく声を上げた。


「流れ星だ!」

「え、本当?」


 思わず空を見上げて、すぐにそんな自分が恥ずかしくなる。遠く離れているのに何をしてるんだか。

 自分が見上げた空はどこまでも暗くて、星の姿なんて一つも見えなかった。こんな空じゃ、願いなんて叶うはずがない。


「いいなぁ、私も見たかった」

「じゃ、俺の代わりに願いごといいなよ」

「え?何言って…」

「空はつながってるんだから、俺が見たならミユキの願いもきっと叶うよ。ほら、早く」


 心地よいその声に急かされて、頭の中をぐるぐると色々な言葉が回る。


「どこか遠くへ行きたい…てのもいいけど」

「うん」

「美味しいもの食べまくるとか、買い物三昧とかも楽しそうだけど…何か違うなぁ」

「うんうん」

「……」

「…もしもし?」

「会いたい」

「……」

「シュウジに会いたいよ。それだけでいい」

「ミユキ」


 やっぱりこの声は反則だ。とても本音を隠しておけない。


「ごめんな、寂しい思いさせて。…でも週末は大事な予定が入ってて」

「あ、ううん、気にしないで。冗談だって」


 慌てて、言ったばかりの自分の言葉を誤魔化す。いい歳をして重い女にはなりたくないし、自分は大丈夫なはずなんだから。


「本当ごめんな。今度必ず会−」


 シュウジの言葉が突然不自然に切れた。

 いや、切れたのは通話そのもので、プープーという機械音が鳴っている。

 間違えて通話終了ボタンを押したのか。もしそうならば、すぐにかかってくるだろうと思ったが、しばらく待ってもスマホは静かなまま。逆にこちらからかけてみても、呼び出し音が続くだけで応答が無い。


 流石に少し不安になり始めた時だった。


「もしもし、そこのお嬢さん。あなた先程、流れ星に願いをかけましたね」

「!!」


 突然かけられた声に驚いて顔を上げる。


「毎日頑張っているあなたのために、星があなたに力をお貸ししましょう。お望みのものを、あなたに」


 そう言って差し出された手。


「…本当に?」

「星の力を信じなさい」

「…だって仕事は」

「解決済みです。星の力は偉大ですから」

「…だから、こんなの反則だってば。どうして」

「さあ、難しいことは俺にも分からないよ。すべては星の力…いや、敢えて言うなら、願いごとをしたミユキの力なんだから」


 そう言って笑ってみせたシュウジの腕の中に、たまらず飛び込む。


「願い事が金とか物じゃなくて心底安心したよ。もしそうだったら俺、そっとこのまま黙って帰ろうと思ってた」

「馬鹿」


 そう言って笑ったつもりだけど、泣き声だったからちゃんと聞こえたかどうか。


 懐かしい腕は、いつから外にいたのか少し冷たかったし、その中で見上げた夜空も相変わらず暗いままだ。

 でも、例え誰の目にも見えなくても、今度こそ私には長い尾を引く流れ星が見えた。

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