第9話 ブレイン・サウンド


 クラスでは、異様に周囲の視線を集めた。羨望せんぼう嫉妬しっとの入りじった目だ。勝美だけがわかりやすく「チッ」と舌打ちしていたが。

 

 秋人は「ちがう」と心のなかでうったえていた。


(俺は、勉強なんかしてないし、今も授業の内容はさっぱりだ……)


 頭がいいことを誇りに思うより、まるで、自分がもうひとりいて、そいつが勝手にテストの問題を解いたような不気味さや薄気味の悪さしかない。


 休み時間に秋人は改めて『ブレイン・サウンド』についてスマホで鬼検索した。結果、自己啓発やスピリチュアルなものしか出てこなかった。


 大抵の作業用BGMがうたっているのはあくまで集中力を高めたり、睡眠誘導するってことだ。


(俺の聞いている『ブレイン・サウンド』ってなんなんだよ……)


 検索するなかで秋人は、芹沢博士による脳機能研究の紹介記事を見つけた。脳機能工学の権威である芹沢博士は、聞くだけで身長が高くなったり、胸が大きくなったりする『ブレインサウンド』を開発していた、とあった。


 事故で手足を失っても、切断してないはずの四肢の痛みを感じることがある。ゴーストペイン、幻視痛というものだ。他にもプラシーボ効果が有名だ。ビタミン剤を薬と言われて飲み続けると本当に病気を直すことがある。


 人間の脳は、自分自身が信じ込んだことで騙せる。脳に勘違いをさせる――それが、『ブレイン・サウンド』だとしたら? 人間の潜在意識――脳機能に働きかけ、聞くだけで身長が高くなり、巨乳になれる……。


(バカバカしい……)


 秋人はスマホを閉じた。どう考えてもいかがわしい。


 いっぽうで、秋人はこの数日、離れていたカードゲーム『メイジ・ノワール』にものすごい勢いで復帰した。どうすれば勝てるのか? 勝美の知りたがっていた現環境の解決策ソリューションを、一夜で導き出せた。


 それが――秋人の才能などではなく。『ブレインサウンド』のおかげだったとしたら……?


 秋人がいつも聞いているスマホの音楽プレイヤーは、ハイレゾ音源対応のアプリだった。ハイレゾとは、高音質音源のこと。それを専用のヘッドフォンで再生することで、従来のデジタル音源ではカットされていた、可聴域を超えた音が流れる仕組みだ。


 秋人は眼を閉じて思索しさくにふけった。


 記憶を失う以前。秋人はこのスマホに脳機能をいじくりまわす特殊な音源を入れた。だとすれば、秋人がカードゲームの強豪だったのは、音源のおかげだっただけで。自分の実力などではなかったということになる。


 だからなのか、と秋人は考えを進める。

 のだろうか……?

 


    ◆ ◆ ◆



 放課後。演劇部の一同で、平日大会に出場することになった。いきなし勝手のわからない大型大会に出ても、雰囲気に飲まれて実力が出せなかったら困る。場馴れは必要だ。


 勝美はバイトで出場できない(というか、同じ店にいる)ので、宮下部長、東・北原先輩、そして秋人の男どもだけで参戦することになった。


 それに、そろそろ秋人は『メイジ・ノワール』のカードを買わなければならかなった。


 欲しいカードが出続けるまでブースターパックを買うのは、効率がいいとは言い難い。そこで、カードショップには、シングルカード販売――欲しいカードだけバラ売りをしている。


 それまでプロキシカードでプレイしていたが、ある程度、強さが保証されたので、買っても損はない。


 秋人はトーナメントセンターでカードを買いそろえ、スリーブを装着した。


 週末の大型大会に向け、調整しようというプレイヤーが多いのか、金曜夜のトーナメントセンターは人で賑わっていた。


 平日大会の参加費を支払い、登録する。対戦の組み合わせ(ペアリング)発表はアプリで通知される仕組みになっている。


「今日こそは三連勝したいもんですね……」


 北原先輩がつぶやいた。


 平日大会の試合数は、一九時からの三時間、三試合。三連勝したら、トーナメントセンターで使用できるポイントをゲットできる。大会参加費の三倍のポイント。賞金の代わりというわけだ。


「先輩たちは、三連勝したことないんですか?」

「お恥ずかしながら……」


 東先輩も苦笑いする。


「部長は何度か三連勝、ありましたよね?」

「ああ……運が良かった」


 眼鏡を押し上げ、宮下部長が言った。

 秋人たちは試合開始まで、デュエルスペースの隅で最終調整を始めた。


「北原先輩……」

「ん? どうしたの、駿河くん?」

「ちょっとお願いがありまして……」


 秋人はハイレゾ対応のヘッドフォンを取り出した。


「ハイレゾ音源買ってみたんですけど、音の違いがあんまりわからなくて……北原先輩、イヤホンにこだわりありましたよね?」


 北原はアニソンを高音質で聞くために、高額なイヤホンを持っている。音にこだわる人だから、ということを口実に、秋人は試してみようと考えた。


『ブレイン・サウンド』の効果を。


「……何、駿河くん、これ音楽じゃなくて……環境音じゃないの?」


 滝の水しぶきを聞かされて、北原先輩は怪訝な顔をした。


「まあ、最後まで聞いてみてくださいよ……」


『ブレイン・サウンド』に痩せる音源があれば、北原先輩にそれを聞かせたのだが、いまは手っ取り早く効果を測定するために、脳機能をブーストさせる音源を聞き流してもらった。


 三連勝の経験のない北原先輩が、平日大会でいい戦績を残せたら、本物だ。

 聞き終わるのを待っていると、秋人たちの方に赤髪の男が近づいてきた。


「ほう……? アグロデッキできたか」


 秋人たちのテーブルを、赤髪の男は首を伸ばして覗いてくる。


 髪は短く、ツンツンしている。目元はつり上がっていて、鋭い。かなり威圧的……というかロックだ。面長の顔に、細身の高身長が秋人を見下ろす。身につけている黒いパーカーには白抜きの文字で、ゲーミングパソコンの企業名がプリントされていた。


「駿河秋人です。以前、どこかで……」

「おう、そうか、記憶を失くしたという噂だったな……Risesライゼズだ」


 YO! と言うように、ヒップホップ調にポーズを決められた。

 ――なんだ、この痛いイキリ野郎は? っていうか苗字はどうした?


「…………?」

「プロゲーマーの方ですよ」


 宮下部長が補足してくれる。


「はじめまして。駿河氏の友人の――」

「ザコに興味はねえ」


 ライゼズ、と名乗った男は宮下部長には一瞥もくれず、秋人を見下ろした。冷静で柔和な宮下部長とは、正反対といった印象だ。


「どーゆーつもりかしらねーが、ここは俺のシマだ」

「シマ……?」


 ビシッと壁を指差す。そこには「神決定戦」と題された大型大会優勝者の写真が貼り出されている。ライゼズの写真ばかりだ。


「世界の強豪だったからって、なめくさってんじゃねーぞ」

「おかしいな……『正しいプレイと紳士的な振る舞い』は、ルール適用度一般の大会においては常識のはずだぜ?」


 昨夜、読んだ公式サイトのルール文書を思い起こしながら、秋人は続けた。


「ジャッジ・キル(審判の違反違反による敗北)されたくなければ、みんなで仲良く楽しもーぜ?」

「……クソが」 


 ライゼズは捨て台詞をいて去っていった。


「なんだ、あいつ?」

「ライゼズ――企業にスポンサードされたプロプレイヤーですよ」


 冷静沈着な宮下部長の頬も引きつっている。


「おいおい、プロプレイヤーがあんな態度はマズイんじゃねーか?」


 宮下部長はフッと苦笑いをこぼした。


「頭にきますよね、あんな態度をされたら?」

「当たり前ですよ」

「でも――彼には勝てない」

「……?」

「彼の使用するカードはすべて箔押しの限定フォイルカード。使用しているスリーブも高級なものです」

箔押しの限定フォイルカードだと、なんかカードの強さが変わるのか? ようするに、キラカードってだけじゃないんですか?」

「その通りです。しかし、箔押しの限定フォイルカードは大会優勝者にしか配られないものなのです」


 つまり、その箔押しの限定フォイルを何枚も持っているということは、お金で手に入れたか。あるいは何度も優勝しているかのどちらかということで――。アルバイトしていても、一枚数万円のカードを何十枚も高校生では手が出せない。


「対戦したときのプレッシャーが違うんですよ」

「よくわかんないですねえ……」

「演劇部でリラックスして楽しくプレイしているときとは、環境がちがう。緊張を強いられる中で、相手のプレッシャーは、ときにミスプレイや判断ミスを誘発ゆうはつする」 

「ってか、成金自慢と調子ぶっこいた態度で対戦相手を萎縮いしゅくさせてるってことでしょう? どんだけうつわ小せえんだよ……」


 遠くの席で取り巻きに囲まれたライザが「ああ!?」とにらみをかせている。いけね、と秋人たちは声を低め、背を向けた。


「彼はああ見えて、コミュニティに貢献こうけんしているんです。彼の配下はトーナメントセンターの常連ばかりで、平日大会で全勝者を何人も排出しています」


 秋人はなるほど、と思った。口には出さないが、ライザは宮下部長の「なりたかった自分」なのかもしれないと思った。


 彼も演劇部で部員に布教活動をしてコミュニティを広げようとしているが、イチ高校生にできることは限られている。若くして企業にスポンサードされ、やりたいことをやれている彼に、一種、複雑な心持ちを抱いているのだろう。


「気にしないほうがいいですよ、宮下部長。俺たちはしっかりここまで練習してきたんですから」

「はは……ですな。いやいや、駿河氏のおっしゃるとおり。」


 スマホの通知が鳴った。ペアリングが発表されたのだ。

 平日大会が、始まった。

 

 試合結果は、


 宮下部長は二勝一敗。

 東先輩は一勝二敗。


 そして秋人は――。


 全敗。


 対して北原先輩は、三連勝だった。



    ◆ ◆ ◆



 試合後、北原先輩は自分の使用したデッキのカードをデッキ登録用紙に書き写していた。平日大会全勝デッキは、トーナメントセンターの公式サイトで公開されるのだ。


「よかったですなあ、北原くん」

「はい……デッキリスト、はじめて提出しました……」


 宮下部長のねぎらいに、北原先輩は涙目だった。


「僕も次こそは全勝したいな……」


 東先輩も北原の全勝をうらやましがっていた。


『ブレイン・サウンド』は本物だった。

 あの音源には、脳機能をブーストさせる力があるのだ。


 いっぽうで――秋人の実力は皆無かいむだった。


 全敗。勝美にわかったように指摘していたくせに、いざ試合本番となったら結果も出せない。得意になってみんなの前で披露ひろうしてきた分析は、すべて『ブレイン・サウンド』のおかげだったのだ。


「駿河氏、あまり落ち込まないように」

「ええ……ありがとうございます」


 それから、明日の大型大会出場のための待ち合わせ時間を確認し、その場で解散となった。

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