第2話 かつての同級生

 昇降口しょうこうぐちの下駄箱。秋人が靴にえようとしたところで、「駿河するがくーん!」と声が飛んできた。


 顔を上げると、少年のようなあどけなさを残した男子生徒が、にっこりと笑顔を近づけてくる。お互いの鼻がくっつきそうだった。……近すぎね?


「やっぱり駿河くんだぁ! ひさりだね!」

「――――っ!?」


 屈託くったくのない笑顔を浮かべ、少年はぴょんぴょんねている。


 お人形さんのような白い肌に、青いひとみ。さらに、めたものではない、地毛の金髪ブロンドが逆光で美しくかがやく。ショートカットの髪型からひょっこりのぞく形の良い耳が印象的だ。線の細い、折れてしまいそうな手脚は長く、全校生徒を公開処刑にしそうないきおいだ。イケメンというより、守りたくなるようなか細い身体は、男子の制服を来ていなかったら、女の子と見間違えてしまうだろう。


 ――まるで北欧ほくおう妖精ようせいだ。実際、すれ違う女子生徒が「イケメンじゃね?」とささやき合っている。


「あの……えっと……」


 秋人は困惑こんわく気味にほほをかく。


 そんな秋人を心底心配するように、少年はまゆをひそめ、やわらかい手で積極的にボディタッチしてくる。


「記憶障害、だったっけ? ウワサは本当だったんだね……」

「…………っ!」


 男にベタベタ触られているのに、不思議と悪い気はしなかった。小動物とたわむれているような感覚。思わずナデナデしたくなる感じとでも言うのか。


 しかし、昇降口を通りかかる女子たちが、「えっ」「何、何!?」と興奮しているので、さすがに気まずくなった。秋人はあたふたと少年の肩をつかむと、飛びねるようにして距離を取った。 


「ああ……すまん! 正直……君のことも覚えてないんだ……っ!」


 秋人はあわててその言葉をいた。


「ううん、全然大丈夫! まったく問題ナシだよ!」


 少年はニッと笑い、青いひとみで見つめ返してきた。同じ男なのに、なんだかドギマギしてくる。


「ボクは――藤堂・クロエ・モーショヴィッツ」

「と、藤堂……?」

「クロエって呼んでよ。ボクたち、同じクラスだったんだよ?」


 クロエの声はんでいて、まるで女性のようだ。無邪気に笑いながら、秋人の腕に抱きついてくる。


「……、まで?」


 クロエの言葉を繰り返し、秋人は頭に浮かんだ疑問をそのまま口にした。


「中二までってことは……?」

「うん。ボク……引っ越しちゃったからさ……」


 クロエは顔を伏せ、モジモジしながら言った。か、かわいい……って、イカンイカン、男だった。秋人は顔をブンブンと振った。


 外見と名前から察するに、両親の仕事の都合で海外に行っていたのだろう。そういえば、さきほどからさわやかな笑顔には、地中海の香りが感じられる……ような気がする。


「ねえ、ひさりに……どうかな?」


 クロエは学生カバンから、プラスティック製の箱を取り出した。箱を軽く振ると、カードの束らしきものがれるゴソッゴソッという音が廊下に響いた。


「トーナメントセンター、行ってみない?」

「――ッ!?」


 クロエの誘いに、秋人はビクリと肩を震わせた。

 

 トーナメントセンター。カードの束を収めたプラスティックの箱。クロエが誘っているのが、カードゲームショップらしいことは大体わかった。


 だが――秋人の脳裏には、今朝、優子先生と交わした会話が浮かんでいた。


 ――忘れたほうがいいことも、人にはある。


 頭の片隅かたすみには、しこりのように確かにあった〝カードゲーム〟という存在。秋人はこれまで意図的にけてきた。もしかしたら、嫌なことを思い出すかもしれないからだ。それは、かつての自分が記憶を失うほどのもので……。そんな過去の真実を知ることに、自分ははたしてえられるだろうか。そんな不思議な戸惑いが、秋人の内にはあった。


 逡巡しゅんじゅんし、なかなか返事をしない秋人に、クロエは何かを察したらしかった。


「あ! そっか! ごめん……ボク、無責任なこと言っちゃったよね……やっぱけてるの? カードゲームは?」

「いや、何というか……」


 さっきの勝美とは真逆まぎゃくで、クロエは何だか話しやすい。秋人も優子先生以外の、同年代の話し相手にえていたというのも、たぶん、ある。


 遠慮えんりょがちに秋人は、「俺、記憶失くしてから、一度もカードに触れてないんだ」と告白した。


「カードゲームのプロプレイヤーだったらしいのに、俺の部屋にはカードが一枚もなかったんだ。もしかしたら、親が売り払っちまったのかもしれない。あるいは……」

「――自分で売っちゃった?」


 秋人の複雑な事情に共感するというように、クロエはうるんだ青いひとみで見つめ返してくる。


「ってーわけで、一度は〝引退〟しちまったみたいなんだ……物理的にも、精神的にもさ。カードもないし記憶もない。だから……クロエの対戦相手にはなれないと思うんだ」


 クロエは首を横に振った。


「ううん、ボクの方こそごめんなさい……駿河くんとは、カードゲーム以外でも遊べるもんね?」


 言葉とは裏腹に、カバンにカードの束をしまおうとするクロエはどことなく元気がない。


 何だか申し訳ない気がしてきた……。さっきまでコロコロ笑顔だったクロエから、元気を奪ってしまったような、罪悪感が胸中に広がっていく。

 

 俺は何をしてるんだ、と秋人は自分に言い聞かせた。高校初日――ボッチになったらどうしようと怯える学生生活の立ち上がりにおいて、クロエはせっかく声をかけてきてくれた。そんな友達を拒絶してしまった自分が、情けない。カードゲームぐらい、いいじゃないか。もしかしたら、記憶を思い出すかもしれない。それはつらい記憶かもしれない。だが――少なくとも、記憶が戻れば、成績の面では不安はなくなる。

 

 そんな打算も働かせた秋人は、「あの……さ」と言葉をつむいだ。

 秋人が何を話そうとしているのか、クロエが待っている。


「もしよかったら……教えてくれないか? 俺に。カードゲーム」

「す、駿河くん!?」


 クロエはくもっていた表情をパアッと明るくした。わかりやすいやつだ。


「うん! やったあ! 駿河くんとカードゲームできる!」


 秋人と手のひらを組み合わせ、クロエはその場でびょんぴょんんだ。


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