第1話 高校初日

「あのう……俺、別にストレスとかないと思うんですけど?」


 カウンセリングにうんざりして、秋人あきとは言った。


 四月六日、月曜日。

 高校生活最初の日。


 始業式だというのに、秋人は朝から心療しんりょう内科にいる。秋人はカードゲームの世界大会中に解離性健忘かいりせいけんぼうしょう、いわゆる〝記憶喪失〟になった。


 解離性健忘症かいりせいけんぼうしょうは、ストレスなどで一部の記憶が失われる。秋人はここ一、二年の記憶と、カードゲームに関することをぽっかりと欠落させてしまった。生活に支障がないレベルの記憶喪失ではあるが、その空白の期間に自分はなにをしていたのか。謎のまま今日こんにちいたっている。


「中学から高校へ学校が変われば、がらりと駿河さんの周囲の環境も激変する。そうなればストレスも大きくなります」

「そうは言っても優子先生」

檜山ひやまです」


 担当医の檜山優子ひやま・ゆうこが馴れ馴れしい呼び方を訂正ていせいする。


「……檜山先生。始業式に遅れて高校デビューに乗り遅れることのほうが、ストレスだと思うんですよね。だって、クラスの会話に入っていけないし……」

「私に言い返すだけのコミュニケーション能力があれば、その心配もないでしょう」

「俺、内弁慶うちべんけいなんですよ」

「私は別に駿河さんの身内じゃありませんよ」


 秋人の無駄話を受け流した優子医師は、白衣をひるがえして診断書を記入する。


「自己紹介で、『心療内科に寄ってました、記憶喪失です』と言えば、少なくともクラスメイトの覚えはいいのでは?」

「いや、絶対引かれるでしょう、それ。本気で言ってます?」

「ぷっ」

「あ、今笑いました? ね、笑いました?」


 コホンとせきばらいし、優子はクールな表情を取り戻した。


「音楽療法の方は?」

「えーっと、昔の自分のプレイリストを聞いてみるってやつでしたっけ?」

「認知症のリハビリにも音楽療法は効果が認められています」

「一応、聞いてはいるんですが……」


 秋人は優子の勧めで好きだったアニメやゲームのサントラや楽曲を聞いてみたが、特に記憶は戻らなかった。失っているのはカードに関することなので、カードを触ってみればあるいは――とも思ったが、目覚めた俺の部屋には一枚もカードがなかったのだ。


 親が売り払ったのか?

 それとも……自分で?


 いったい自分はどんなつもりだったのか。まったく思い出せなかった。


「ま、気長にいきましょう。失っている記憶は生活に支障がないようですし。何より――」


 優子先生は寂しそうな表情で言った。


「忘れたほうがいいことも、人にはありますから」

「…………」


 それは秋人も考えていたことだった。記憶をなくした秋人は、嫌な思い出をリセットしたかったのではないか。だったら今って、ハッピーな状態なわけで――。


「受付カウンターでお薬もらっていってください。お大事に、駿河秋人さん」



    ◆ ◆ ◆

 


 学校に着くころには、始業式は終わっていた。秋人が教室に入るとクラスの自己紹介も、明日からのオリエンテーションの説明も済んだあとだった。担任も「話は聞いている」と、遅刻してきた秋人を最前列の右端に座らせた。


(普通、高校の男の子っていうのは、窓際の座席で舞い散るさくらながめて先生に注意されたり、ヒロインと目合ったりするもんじゃないんですかねえ?)


 心のなかで愚痴ぐちをこぼしながら、秋人は椅子に腰を落ち着ける。


 クラスの連中も特に俺に気をめることなく、ホームルームは終了。帰り支度したくをはじめる。まだよそよそしい雰囲気で、言葉を交わすこともない。どうやら高校デビューに出遅れるかもというのは、秋人の杞憂きゆうだったようだ。


 そのとき、妙な視線を感じて秋人は振り返った。


「――――?」


 後ろの席の女子が、キッと睨みつけるようなするどい視線を送っていた。


「…………っ!?」


 大きなアーモンド型のひとみは細められ、整った顔立ちは眉間のしわが台無しにしていた。はっきりした眉はキツそうな性格をより強調して見え、黒いリボンを巻きつけたラビットスタイルのツインテールは、こころなしか震えていている。もしかして怒ってる? と秋人は困惑こんわくした。何に怒ってるというんだ?


「――駿河秋人」


 ツインテールの女子が低く名前をばわった。初日からクラスメイトの男子に威圧いあつ感を与える少女のご機嫌をうかがうように、秋人は低姿勢で答える。


「え、と……何かご用で――」


 しかし、秋人の言葉は席を立った女子の椅子の音にかき消された。


「マジなの?」

「……は?」


 下手に出てかえちにされ、怪訝けげんそうに問い返す秋人に「フンッ!」と少女が鼻を鳴らす。


「とぼけないで。記憶喪失って……マジなの?」


 腰に手を当て、俺を見下ろすツインテールの女子が問うてくる。絵に描いたような勝ち気な少女だ。


 名前を呼んだということは、自分のことを知っていた人なのだろうか。秋人はリアクションに悩みながらもうなずいて、「まあ……」とあいまいに答えた。


「じゃあ……アタシのことも当然、覚えてないわけね?」


 気の強そうな少女の顔に、一瞬、影が差して見える。何だか申し訳ない気がして、必死に頭をひねったが、秋人は少女を思い出すことはできなかった。


「俺……君と知り合いだった?」


 少女はやれやれと大きなため息をついた。気まずい沈黙がつかの流れる。


「…………」

「…………」


 秋人は彼女をなだめるようと言葉を続けた。


「じゃあ、まあ……高校は高校で、よろしくな? 席も後ろだし」

「はあ? 明日から席替えだっつーの。今は成績順に並んでるだけ」


 知らねーし! 俺途中から来たし!

 ……と言い返そうとして、秋人はしばしのあいだ思案しあんめぐらせる。


 初期設定の座席って、入試の成績順だったりするのだろうか? しかも自分のクラスは『一年A組』。一年の、一番最初の席。つまり……。


「相変わらずイヤミなヤツ。成績が自分のほうが上だとでもマウントしたいわけ?」


 敵対心をむき出しにした少女の声に、秋人は我に返る。


「べ、別にそういうつもりじゃ……」


 秋人が入学した高校は都内の進学校だった。記憶を失くしたのが、高校入試を終えたあとで助かった。過去の自分に「よくやった、俺」と感謝を表明しつつ、何を言っても怒らせてしまうなと秋人は困ったように頭をかいた。


 そんな沈黙をどう受け取ったのか、ツインテールの女子はさらに半眼を作りながら言ってきた。


「記憶喪失になって、生まれ変わったようなつもりでいるのかもしれないけれど、アタシはアンタを許さない」


 言われて、秋人はたまらず疑問を声に出す。


「な……俺が何かした……んだよな? いったい……」

「アタシは今度こそアンタに勝つから」


 女子は学生カバンを手に、嵐のように教室を飛び出していった。去り際、フンッ!と鼻を鳴らすのも忘れなかった。


「何なんだよ、ったく……」


 理不尽に怒りを向けられ、秋人は腹立たしかった。机の上に配られていた、クラス名簿を確認する。座席からして、あの不機嫌を絵に描いたような彼女の名前は――。


 角倉勝美かどくら・かつみ


 秋人の成績が一位なら、彼女は二位だったことになる。


 ライバル視しなくとも、記憶を失い、秋人の学力はオチていることだろう。むしろ、記憶もないのに進学校に入学して……勉強追いつくのか、と不安がずしりと秋人にのしかかってきた。初日から、秋人の内心は暗かった。


 それにしても、いったいどんな因縁があるというのか。思わせぶりなことだけ言って去っていって、動揺どうようさせるだけさせられて。気になるじゃないか! と秋人は叫びたかった。

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