第22話 師匠

「……何でそんなとこに突っ立ってんだ」

「見て分かんねーのか、体がぴくりともしねーんだよ」


 ヒマリ達が去った後、すぐに紗希が家に帰ってきた。


 その間、俺はウサギにかけられた魔法によって不自然な格好でリビングに立ち尽くす事を余儀なくされていた。


「バカな事言ってんじゃねーよ」


 紗希はそんな俺を見て微笑を浮かべ、肩をぽんと叩いた。


「いやほんとに動かな――あれ?」


 魔法の効果が切れたのか、俺の体は自由を取り戻した。試しに肩を回してみるが、どこにも異常はないようだ。


「ちゃんと動くじゃねーか」

「さっきまでは動かなかったんだよ! ったく、今日も呑気にギャンブルでもしてたのか?」

「今日は調子が良くてな。大勝ちしちまったぜ~」

「紗希は気楽でいいよな」


 少し語気に苛立ちが籠もる。別に紗希には何も落ち度はないが、ヒマリに言われた事を思い出し、胸の中にもやもやとした不透明な感情が広がっていく。


「虫の居所でも悪りぃのか? それとも、何かあったのかよ」


 意外と察しの良い紗希はそんな俺の態度に違和感を感じたらしい。


 俺は一連の流れを紗希に説明する。


 普段はおちゃらけながら人の話を聞く彼女は、今日は珍しく俺が話し終えるまで、数回相づちを挟むだけだった。


「――話は分かった。覚醒個体ねぇ……確かに、ありゃ今のお前じゃ敵わないな」

「戦った事があるのか?」

「昔に一度だけな。あの時は生きた心地がしなかったな」


 紗希の強さは数年間彼女に修行をつけてもらう中で嫌というほど実感している。


 手心を加えてもらっても俺は到底紗希には敵わない。性格にやや問題はあるが、実力だけは確かだ。


 その彼女が生きた心地がしないと言うのだから、やっぱり覚醒個体の力は相当なものなんだろう。


「それで、お前はどうしたいんだよ」

「……」

「友達を止めたいのか?」


 即答出来ると思っていた。でも、言葉は喉から絞りだそうとしても出てこない。


 それは自分の弱さをこれでもかと痛感したから。


 きっと、ニコを止めに行っても本当に足手まといになるだけだろう。さっきだって、ウサギの魔法一つで俺は動く事すら儘ならなくなった。


 魔法を使えるヒマリ達と俺には大きな差がある。


 足を引っ張って野垂れ死ぬのがいいとこだ。


「……ダサいな、俺」

「あ?」

「口ではニコを止めるとか言っても、その力が俺には無い。多分、ヒマリ達と行っても、おんぶにだっこで逆に二人を危険な目に遭わせちまう……俺は弱いんだよ……」

「確かに弱ぇな、ほんでダセェ」

「……ああ、だから俺は関わらない方が……」

「でも、一番ダサいのはそのまま逃げちまう事なんじゃねーのか」


 紗希はそう言いながら、俺の頭に優しく手を置いた。


 その手からは柔らかな暖かさと包み込むような優しさが伝わってくる


「……え?」

「弱さを知るのは悪い事じゃ無い。自分の現在地が分かるからな。そうすりゃ、やるべき事も進むべき道も見えてくる。でも、ただ無力さに打ちひしがれてるだけなら、何にも変わんねーよ。弱い自分のままだ」


 諦めかけていた俺に紗希の真っ直ぐな瞳が訴えかけてくる。


「いいのかよ。このまま、諦めちまって。ヒマリは強いかもしれねーが、覚醒個体――ニコの強さはそれ以上かも知れないんだ。あいつが傷つくのをお前は放っておくのか? そんな薄情な男に育てた覚えはねーぞ」

「……ヒマリもニコも、こんな俺が分かり合えるかもしれないって思えた奴らなんだ。放っておける訳ねーよ……でも俺の力じゃ……」

「その為に〝師匠〟がいるんだろーが!!」


 紗希は両手で俺の顔を挟みこんだ。そして、ぐいっと顔を近づけてくる。


「ちょっ――」

「師匠は弟子が正しい道に進めるように導くもんなんだ。お前が強くなりたいんなら、私を頼ればいい。気の済むまで強くしてやるからよ」

「ッ!」


 それを聞いた俺は心がすっと軽くなり、もやもやと胸の奥に留まっていた迷いが消えていく。


 よく考えてみれば単純な事だった。


 俺には〝最強のししょう〟がすぐ傍にいる。


 迷う事なんて一つも無い。


「強くなりてぇよ……あいつらを助けられるくらいに、俺は強くなりたい」


 俺は紗希の思いに答えるように真っ直ぐに彼女に目を据える。


「――吹っ切れたようだな。んじゃ、善は急げだ。行くぞ、紡」

「行くって、どこにだよ」

「道場に決まってんだろ。良い機会だし、お前にをくれてやる」


 そう言って背を向ける紗希の背中はいつもよりも大きく見えた。

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