第18話 理由

 ウサギからクレア様の日記の回収を依頼された俺とヒマリは、日記が置いてあるという機関の施設に向かう為、道なき道を歩いていた。


「ねえ、紡。本当にこっちであってるの? この辺をうろつき始めて、結構経つよ?」

「んなこと言われたって、俺もこの辺に来るのは初めてなんだよ。そもそも、この地図アバウト過ぎだろ」


 ウサギから貰った施設の位置を示す地図は、町の特徴を捉えているものの、肝心の目的地は大雑把に描かれていて、手当たり次第にそれらしい場所を探すしかなかった。


 家を出たのは昼過ぎくらいだったはずだが、日はもう落ちかけていて、あと一時間もすれば、辺りは暗闇に包まれるだろう。


 そうなる前には撤収したいとこだけど、このペースで行けば今日中に見つかるって事すら怪しい。


「つーか、何で俺たちがわざわざクレア様の日記なんか取りに行かなきゃならねーんだよ」

「うーん……よっぽど大事なものなんじゃないかな?」

「だったら自分で取りに行ってくれよ……」

「アハハ……クレア様は忙しいからね。実質、クレア様一人でカルディア王国の安全は保たれてる訳だし」

「そんなに凄い人なのか?」

「凄いなんてものじゃないよ。あの人がいなかったら、どれだけの人が犠牲になってるか……」


 そう話すヒマリの目は、ウサギがクレア様の事を話す時と同じだった。


 俺が知っているクレア様は、あの手紙の中だけのちゃらんぽらんなイメージしかないけれど、根が真面目なヒマリがこれだけ信頼しているという事は、それだけの実力がある事を窺わせていた。


 草木を掻き分けながら、山道を進む。


 整備された道路から大きく外れたこの獣道は、足元をくすぐる長く生え育ってる草や顔の辺りまで垂れ下がっている木々の枝のせいで、かなり歩き辛い。


 ヒマリは段々と疲れが溜まってきたようで、呼吸は荒くなり歩幅も小さくなってきている。


 ここらで一休みした方が良いかもしれない。


「ヒマリ、一旦休憩しよう。その方が効率もいいだろ」

「それもそうだね」


 そう言うと、ヒマリは待ってましたと言わんばかりに近くの木にもたれながら座り込む。


「あ~! 疲れた! もう足パンパンだよ~」

「もうかれこれ三時間は歩きっぱなしだからな。そりゃ疲れるよ」


 俺もヒマリの横に座り、休息を取る。普段から鍛えているとはいえ、流石にこの獣道は体に堪える。終わりが見えない事もさらに精神を疲弊させていた。


 地面に座り込みながらぼーっと木々の間から茜色に染まりつつある空を見つめる。


 徐々に大気から温度が失われていく夕暮れ時は夏が通り過ぎていくのを予感させた。


 もうすぐ終わる夏休み。きっと、ヒマリもいつまでも人間界にいる訳ではないだろう。


「そういや、ヒマリはいつ向こうに帰るんだ?」


 ふと、横に座るヒマリに尋ねてみる。


「ん~。多分、そろそろ帰還命令が出ると思うけど……本部セントラルも万年人手不足だからね。いつまでも人間界ここにはいれないよ」

「そっか……」

「残念だね、紡。結構寂しかったりするんじゃない?」

「なわけあるか。やっと、うるせー居候がいなくなると思うと清々するわ」

「ちぇー。つまんないの」


 ヒマリはいじけるようにそっぽを向いた。


 本心で言えば寂しくない……事もないかもしれない。


 こいつと過ごしたこの一ヶ月間はそれなりに楽しかった。元々、友達の少ない俺は普段から誰かと過ごすことはない。夕にしたって毎日一緒にいる訳じゃない。


 人と違った道を歩んできた俺は、どうにも普通に生きる皆とは繋がりを持てる気がしなかった。


 別に嫌っている訳ではないし、羨んでいる訳でもない。


 ただ、何となく。きっと分かり合える事はないんだろうと、勝手に決めつけてしまっているだけだ。


 でも、こいつ――ヒマリには不思議と繋がりを感じた。それは、魔獣シャドウと戦うものとしての共通点もあるけれど、もっと深い何か、言葉で言い表せないような感情だ。


 やっと分かり合えそうな奴に会えた。俗な言い方をすれば、運命の出会いなのかもしれない。


 そんな事を口にすれば、心底引かれるだろうけどな。


 紗希が俺の世界を変えてくれるって言ったのはそういう事だろう。


「まあでも、悪くはなかったぜ」


 精一杯の照れ隠しをしながら、俺なりに気持ちを伝える。


 もちろん、顔を見て言えるほどの胆力は俺には無い。


 静かな時間が二人を包み込む。蝉の鳴き声もすっかり止んでいた。


 暫くの間、俺はヒマリの応答をソワソワしながら待っていた。


 しかし、一向に返事が帰ってくる気配はない。え、もしかしてシカトされた!? そんな事ある!?


 俺は恐る恐る振り返り、ヒマリの方を見る。


「――ヒマリ?」


 てっきり、無視を決め込んでいるか、居眠りでもしてるのかと勘違いしていた俺は、物憂げな表情で空を見つめていた彼女に思わず面を喰らってしまった。


「……ん? ごめん何か言った? ちょっと考え事してた」


 名前を呼ばれた事に気が付いたヒマリは、俺の方へ顔を向けいつも通りの純心な笑顔をこちらに向けた。


 もう見慣れたはずのその笑顔に顔が熱くなる。


「い、いや。別に……なんでもない」

「え~、ホントかなぁ~。『悪くはなかったぜ』って格好つけてたじゃん」

「聞こえてんじゃねーか!」

「アハハ」


 前言撤回。やっぱりこいつはムカつく。


「――ねえ、紡はさ、どうして魔獣シャドウと戦う事を決めたの?」

「急にどうしたんだよ」

「何となくね、ずっと聞いてみたいなって思ってたの」

「そうだな……正直、あんまり考えた事は無かったな」


 ヒマリに尋ねられ、改めて考えてみると、案外ちゃんとした理由は思い付かない。


 紗希に突然この非日常に放り込まれ、ずるずると続けてきた魔獣シャドウとの戦いに明確な目的があるわけじゃなかった。


 今となっては、夕の事を守りたいだとか、それなりに住み心地の良い晴風町の平和を守りたいだとか。戦い続けるモチベーションはある。


 でも、何故戦う事を決めたのか。これについては、ぼんやりとしか思い出せない。


「何でなんだろうな。修行は辛いし、疲れるし。前にも言ったけど、魔獣シャドウと戦うのは怖い。でも、きっと――って思ったんだよ」

「そっか――それは多分ね、紡の心が優しかったから――そんな自分の心を紡が信じたからだよ」

「え?」


 ヒマリは立ち上がり、俺に背を向けたまま再び空を見上げた。


「心にはね、その人の全てが刻まれてるんだよ。だから、紡は戦う事を決めたんじゃないかな? 他の誰かを、この世界を守るためにさ」

「……そんな出来た人間じゃねーよ、俺は」

「フフッ……確かにそうかもね」

「おい。そこはフォローを入れるとこだろ」


 無邪気に笑いながら、ヒマリは俺の前にしゃがみ込む。急に距離を縮められた事に動揺し、俺は顔を逸らした。


「機関ではさ、魔人と魔女が二人組で戦う事が多いんだよ。理由は単純。お互いに足りないとこを補うため。紡と出会って、短い間に沢山、私はあなたの心の優しさや暖かさ、強さに触れてきた。だから——」


 ヒマリは俺の手を取り、優しく握りしめた。初めて触れたヒマリの手は見た目に違わず小さくて柔らかかった。


「そのパートナーが紡だったら——あなたが隣にいてくれたらって心から思うよ」


 そう言ってヒマリは、はにかみながらも真っ直ぐな瞳で俺を見つめる。


 真紅色の綺麗な瞳が夕陽に照らされて、より一層煌びやかに輝いている。


 ヒマリの言葉の真意を全て汲み取れるほど、俺は空気の読める人間ではない。


 素直な気持ちをぶつけられた俺は返す言葉に困ってしまった。

 

「さっ! 休憩終わり! そろそろ行こっか!」


 俺の返答を待たずにヒマリは勢いよく立ち上がると、くるっと踵を返しそのまま歩きだした。


 その後を追うように俺も立ち上がり、ヒマリについていく。


 本心を伝えるのはまた今度にするとしよう。


「……寂しがってるのは私の方かもね」

「ん? 何か言ったか?」

「なんでもないよ。早く行こ!」


 そう言ってヒマリは、ほんの少し歩調を早めた。


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