第17話 ウサギとクレア
紡たちがクレアの日記を取りに家を出たあと、ウサギは魔界へと戻っていた。
ウサギは、晴風町の近況報告をするために王都ヴィーネにある
途中、サンリリア通りに寄り、クレアのお気に入りの甘味を購入した。
人間界では〝プリン〟と呼ばれるその甘味は、最近ヴィーネでプチ流行中で、こちらでは、〝カスタ〟と呼ばれている。
(クレア様……喜んでくれるかな)
ウサギは高揚する気持ちを抑えながら、軽い足取りでサンリリア通りを抜ける。
時刻は六時過ぎ。日はもうほとんど落ちてしまい、街灯がポツポツと点灯し始める。
この街灯も魔装具の一種で、火炎心象魔法の文字式を使用したものである。
カルディアでは、こういった魔法を生活の為に応用した技術が根付いている。
窓がいつも開けっ放しになっていることを知っているウサギは、そのままひょいっと部屋の中へと着地し、机に向かい資料を整理しているクレアへと一目散に抱きついた。
「ただいま戻りました。クレア様」
クレアは突然抱きついてきたウサギに少々驚きながらも、ゆっくりと彼女の頭を撫でた。
「よしよし。お帰りウサギ。でも窓から入ってくるのは止めなさいって、いつも言ってるだろう? 行儀が悪いよ」
「エントランスから
「それはそうだけど……」
「私は一秒でも早く、クレア様に甘えたいのです」
まるで反省する様子のないウサギに、クレアは少し呆れたような表情をするが、どうにも愛おしさが勝ってしまうウサギの愛嬌に負け、それ以上言及することを止める。
「ウサギは甘えん坊だな~」
「私が甘えるのはクレア様だけです。私に触れて良いのはクレア様だけですから。一ヶ月も会えなかったんですから、これくらい甘えてもいいと思います」
「もうそんなに立つのか――手紙もライグ経由で渡してたし、私も最近は出払っていることが多かったから、本当に久しぶりだね。サービスでもっと撫でてあげよう。うりうり~」
クレアにこれでもかと撫でられながら、ウサギは普段他の者には見せることのない穏やかな笑顔で、クレアの胸へと顔を
その最中、ふとある光景がウサギの脳内に浮かび上がった。
それは今朝、人間界で紡に頭を撫でられた時の光景だった。
なぜそれを思い出したのかはウサギには皆目見当のつくことではなかったが、
(別に嫌じゃなかったな)
と、不思議に思うのだった。
「さっ。そろそろ晴風町のことを報告してくれるかい? 今は色々と忙しくてね。目を通さなきゃいけない報告書やら申請書が沢山あるんだ。手短に頼むよ」
クレアはウサギをひょいっと抱き上げると自信の前にそっと立たせる。どことなく、ウサギは不満そうな表情を浮かべるが、すぐにいつもの調子で喋り出す。
「むぅ~……まず、紡さんについてですが、戦闘力、精神力共に申し分ない実力を有しています。機関の上級魔人と遜色ないでしょう。すぐにでも機関の戦力になると思いますよ。ヒマリさんに関しては言わずもがなですね。相変わらず、火力の高さは魔女の中でも随一。パラサイトに遅れを取っている場面も見られましたが、無事乗り超えたようです」
「そうかい。それは嬉しいことだね。ヒマリは優秀な魔女だけど、精神面で弱い部分は学院でも多々見られたからね。成長してくれたなら何よりだ。紡は――そうだね、流石、紗希が鍛えただけはある。彼女に任せて正解だったよ。それで、例の件はどうだった?」
クレアは机の上に積まれた資料の中から、一枚紙を取り出し、怪訝な表情でそれに目を通す。
「ここ半年ほど、特異点であるはずの晴風町では他の特異点に比べて
「はい。その件なのですが、少し異常な現象に何度か遭遇しました」
「異常な現象?」
クレアは資料越しにウサギへと視線を移した。
「晴風町に滞在している間、紡さん達が討伐した
「ヒマリ達は気付いていたのかい?」
「いえ。ヒマリさん達の感知能力では……私も最初は気のせいかと勘違いしてましたが、余りにも多かったもので……」
「そうか……ヒマリ達以外の誰かが、討伐したという線は?」
「それは考え辛いですね。出現してから気配が消失するまでの時間が短すぎます。そんな芸当が可能なのは、クレア様の魔法くらいですよ」
「それもそうだね」
クレアは苦笑しながら資料を机へと戻し、椅子から立ち上がる。そのまま、ウサギが跳び込んできた窓へ向かい、そこからの景色を一望する。
そして、ウサギに背を向けたまま言葉を続ける。
「あと考えられる可能性としては、覚醒個体の仕業かな」
「――もしそうだとしたら、今すぐにでも救援を送るべきですよ。とても今のお二人が
ウサギは傍に歩み寄り、彼女と一緒に窓の外を眺める。
完全に日が落ちたヴィーネは暗闇に包まれ、その中で点々と光る街灯は夜空に輝く星のようで、幻想的な光景だった。
「そうしてあげたい所だけど、如何せん、機関も人手不足でね。覚醒個体と渡り合える機関員は皆、他の任務にあたっているんだ――でも、きっと大丈夫。彼等には、紗希がついている。彼女はとても信頼できる
「はい。肌身離さず持っているように念を押しておきました」
「いざとなれば、私が絶対に彼等を守る。決して、命を落とすようなことにはさせないよ」
絶対に彼等を守る――クレアの口から強く言い放たれたその言葉は、ウサギがこの世界で最も信じられるものだった。
ウサギは納得した様子で、クレアの横顔を見つめる。
窓から差し込む月の光はより一層クレアの美しさを際立ていた。
「そういえば、何で紡さんたちに日記なんて取りに行かせたんですか?
というより、何故そんなものが人間界に……」
「それは――」
クレアはウサギの方へと振り返り、意味深そうに口元へと手を当て、目を伏せる。
「何か重要なことでも?」
「――恥ずかしいからだよ」
「は?」
ウサギの頭の上に?マークが三つほど飛び出る。クレアは頬を赤らめながら、それを両の手で覆い隠した。
「だって、日記とか誰かに見られたくないじゃないか。他の機関員に見つかる前に回収して置きたかったんだよ。あれは、私が数年前、晴風町に滞在している時に書いたものでね。あ~、思い出すだけで恥ずかしい。あれには私の若気の至りが沢山詰まっているんだよ」
「はぁ……そんなに大事なら自分で取りに行けばいいじゃないですが。クレア様なら一瞬でしょうに」
「やだよ面倒くさい」
「さっきの頼りがいは一体どこへ……あっ、忘れてましたが、クレア様にお土産です。どうぞ」
ウサギは腰につけたポーチから、通りで購入したカスタをクレアに渡した。
「おぉ! ここの所、頭を使う仕事が多かったからね。糖分が丁度欲しいと思っていたんだ。ありがとう、ウサギ」
嬉しそうなクレアを見て、ウサギは満足気に笑う。
「いえ。それでは、私はこれで失礼しますね」
「うん。ゆっくりお休み」
部屋をあとにしようとしたウサギだったが、一つ聞き忘れていたことを思い出し、ドアの前で歩みをとめ、振り返る。
「そういえば、紡さんに本当のことをお伝えしなくてもいいのですか?」
それを聞いたクレアはスプーンを探すため食器棚を物色していた手を止めた。
「まだ、早いかな。今の彼には重荷になってしまうよ。それに、その時はもうすぐ来るよ。物語はもう始まってるんだ。それはいつだって少年と少女の運命的な出会いからって、昔から相場は決まっているんだ」
「……そうですか。では、お休みなさい」
ウサギはそのまま執務室を後にし、部屋に残ったクレアはカスタを口にする。
そして、口の中に広がるまろやかな甘みに舌鼓を打ちながら、どことなく不敵な笑みを浮かべるのだった。
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