マカロニグラタン

 淡いピンク色のワンピースを纏った女性は、息子の横ですっと頭を下げる。

「美味しいお夕飯までご馳走になってしまって。今日は本当にありがとうございました」

「いいのよ、またいつでも二人で遊びにいらっしゃい。何なら諒太は置いて絢音ちゃんだけで来ても。そしたら美味しいケーキでも食べに行きましょうよ」

この場で一番はしゃいでいる妻に向けて

「こら、あんまりがっつくんじゃない。絢音さんも困ってるだろう」

と崇裕は白髪が混じり始めた頭を掻きながら諌めた。

「あら、ごめんなさいね」

「いえ、諒ちゃ……じゃなくて諒太さんに、今度は内緒で来ますね」

恵美に合わせて悪戯っぽく笑う絢音さん。

「諒太、ちゃんと送ってあげなさい」

「分かってるよ親父。車借りてくけどいい?」

「ああ、鍵はいつもの引き出しだ。安全運転でな」

「もちろん」

肩に軽く手を置いて玄関へ促す諒太は、まだ不器用ながらも一人前の雰囲気も感じさせて、崇裕はどことなく照れくさい気持ちになった。

 二人を玄関先で見送ってから、崇裕と恵美は食卓に戻る。残ったおかずにラップをかけたり皿を運んだりしたあと、手早く皿を洗う恵美の横で、崇裕は二人分のコーヒーカップを出す。やかんが笛を鳴らし始めた頃にちょうど、恵美は最後の皿を食器かごに入れ終えたところだった。

「少し濃い目がいいな」

「ああ、分かってるよ」

一足先にテーブルについていた恵美の前に、崇裕はコーヒーカップをそっと置いて自分も向かいの席に座った。

「今日のマカロニグラタン、美味しかったな」

コーヒーを一口飲んでから、崇裕はそう言った。

「ほんと?良かったわ。我ながらよく出来たと思ったのよ」

恵美は得意げな顔をしてみせる。それから柔らかく微笑むと、ねえ、と崇裕の方を見た。

「いい子だったわね、絢音さん」

「ああ。諒太にはもったいない女の人だ」

「またそんなこと言って」

「おかしな苦労でもかけてみろ、向こうのご両親に顔向けできないぞ」

「そんな子じゃないことくらい、あなたが一番知ってるでしょう」

「お前が育ててくれた息子だ、もちろん信頼してるさ。でも男なんてどんなアホをやらかすか」

「あなたの息子でもあるのよ?」

一言で鋭く切り替えされて、崇裕は気まずそうに笑った。

「私も緊張したなあ、初めてご両親にあったとき」

「やっぱり思い出してたんだな」

「あなたもなの?そうね、懐かしいなって」

「ああ、あれから30年近くだ。早いもんだな」

「そうよ、今度は亜衣が彼氏を連れてくる日もすぐ来るわよ」

「そうなんだよなあ、亜衣もそろそろ結婚とか言い出しそうだよな」

「ホントにダメージ受けてるんだから」

恵美は少し呆れながら、楽しそうにくすくすと笑った。


 二人のコーヒーが半分ほどなくなった頃、恵美はおもむろに口を開いた。

「あの二人、私達の前だから呼び方気をつけてたみたいだけど、時折『絢音』『諒ちゃん』って呼んでたわね。無意識かな」

「おんなじことが気になってたのか」

崇裕は持っていたカップをテーブルに置いた。

「子どもの前じゃ昔みたいに呼ばなくなったからな」

両手で頬杖をついた恵美が少し上目遣いに崇裕を見上げる。

「タカくん」

「……ほっぺた、真っ赤だぞ」

「だから隠してるの!」

ぺしっと恵美は崇裕の腕を叩いた。

「照れ屋なのは変わらないな、みーちゃんは」

「そうだった、みーちゃんって呼ばれたりしてたね」

「ふざけたときだけな。僕は恵美って呼ぶほうが好きだったから」

「私はタカくんばっかりだったね」

「そう呼ぶの恵美だけだったな」

思い出を噛みしめるように崇裕はもう一口コーヒーを飲んだ。


「なあ、諒太が帰ってくるまでまだ時間あるだろ」

「割と遠いから、1時間以上かかるんじゃない?」

「2人で散歩しないか?」

「えー、こんな真冬の夜に?」

そう言いながらも恵美は嬉しそうだった。


 コートを羽織って玄関を出ると、思ったほどは冷え込んでいなかった。家の前の砂利道を2人で並んで踏みしめる。夜空はどこまでも透き通って、星灯りが煌めく光の粒のように満天を照らしていた。

 立ち並ぶ家々。細い路地道。時折走る車の音。何もかも見慣れた風景で、かつては代わり映えのしない退屈な風景だと思っていた頃もあった。けれど人生も折返しの今になって、見飽きたはずの風景はどこか懐かしくて、温かくて、ここが今自分の生きる世界なんだと、そんな風に思えていた。

 崇裕は恵美の左手を掴んだ。

「……久しぶりね」

向かいから若いカップルが歩いてくるのが見える。思わず小さく動いた恵美の手を、崇裕はさっきより少しだけ強く、ぎゅっと握って離さなかった。


 道の端でふと立ち止まる。恵美は崇裕をじっと見つめた。

「夢、叶ったなあ」

その意味が崇裕には痛いほど伝わった。

「いや、まだまだ途中だよ」

照れる恵美の頭を、初めてそうしたときのように崇裕は優しく撫でていた。

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2000字の物語 シャルロット @charlotte5338

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