つなぎとめたもの

 何もかもが完璧だった。

 過去を変えることは簡単だった。僕は”一般人A”として、歴史の矯正力に邪魔されることもなく過去改変を重ねていった。


 そして今晩。後は人身事故に巻き込まれた電車に乗るはずだった人を、早い電車に乗せるだけ。それもほとんど成功したも同然だ。僕らがいるホームの時計は予定の30分前を指していた。


 そわそわとホームを歩き回る少女は、本当に恋する乙女そのままだった。


「母さんにも、こんな顔をする時代があったんだな」


僕は若き日の母に見つからないよう、階段の陰に隠れながら思わずそう呟いていた。




『過去に戻れるとしたらお前は何を望むか』


謎の声が聞こえたとき、僕はとうとう自分の頭がおかしくなったのだと思った。その神か悪魔かも分からない謎の声は、ただひたすらにその質問を繰り返した。


 裕福な家庭に生まれたかった。

 もう一度自分の人生をやり直したかった。

 葵と一緒に生きたかった。


過去に戻れるなら取り戻したいことはいくらでも思いついた。そして、それらが矢のように脳裏を過ぎ去った後で、僕は一言呟いていた。


「母さんの結婚をやり直したい」


瞬きの次の瞬間に、僕は25年前の世界にタイムスリップしていた。


 母さんには父と結婚する前に、好きになった人がいる一度だけ聞いたことがあった。その人とは結局それ以上の関係になることはなかった。それなら、その人と母さんが結婚するように誘導すれば、父との結婚はなかったことになる。


 母さんは苦労しなくて済むようになる。


 僕がアニメの主人公よろしく的確に過去を改変していく度に、頭の中で小さな針がカチリと鳴った。多分本来の世界から少しずつレールが外れていく音だ。そして僕の死刑宣告でもある。


 思ったよりも自分の命に未練はなかった。どうせ誰の役に立った人生でもないし、僕がいなくなったところで困る人もいない。いや、過去改変してしまえばそもそも僕の存在自体がなかったことになるのだから、悲しむどころか誰の記憶からも消えてしまえるのだ。


 ……葵くらいには、ちょっと悲しんで欲しかったかも知れない。


 この期に及んで、アイツに何かを期待するなんて僕も本当に甘えた人間だな。


 それ以上悩むのはやめた。僕の人生と引き換えに、少し幸せに生きられる人がいるのなら喜んでこんな無意味な命は捨ててしまおう。


 勝負はこの駅のホーム。会うべきだった時間に大幅に遅れてしまったことが、母さんとその人とがすれ違う決定的なきっかけだったと直感でわかった。この分岐を切り替えれば、改変は確実になるはずだ。


 ふと母さんとは反対側に、小さな女の子が見えた。膝には擦り傷、周りに大人もおらず、途方に暮れたように泣きながらホームに立っていた。さっと母さんに目をやると、同じタイミングで気づいたらしい。その子に声をかけるべきか悩んでいる様子だった。


 ここでこの子に構っていたら元の木阿弥だ。僕はその子に声をかけようと走り寄ろうとした。


 ドン、と頭を鈍器で殴られたような衝撃が走った。思わず頭を抱えてその場にうずくまる。目の前がぼやけていく。幸い僕が倒れた場所は、母さんからは死角になる場所だ。女の子を、と思って辛うじて目線を上げると、若い女の人が声をかけにいくのが見えた。そうか、この人が声をかけてくれるから、母さんは乗り遅れずにすむ。過去改変が確定し、僕が消えるってことなんだ。


 これで良かったんだ。もう一度心のなかでそう呟いて、僕は意識を失った。




―――声がする……。


「……きなさいよ。ほら、いつまで寝てるの?」


その声に僕は飛び起きる。自分のアパートのベッド、傍で葵が僕を叩き起こしていた。


「ほら、出かけるよ」


わけも分からず手元のスマホを掴む。日付は確かに僕がタイムスリップした日、電話帳の父の名前は僕の知っている名前。何もかもが元通りだった。


葵は呆れて部屋を出ていく。僕は呆然としながら、でも過去改変が失敗したのだということだけ理解した。歴史の矯正力だろうか。それともあれは夢だったんだろうか。頭が鈍く痛んだ。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


部屋のドアを後ろ手に閉めながら、葵はぼろぼろと声を出さずに泣き始めた。


「ごめんね……ごめんね、翔……」


25年前の駅のホーム、翔が何をしようとしていたか葵は瞬時に悟った。ここで彼をとめなければ歴史が変わり、彼は消えてしまう。そう思った瞬間、葵はとっさに翔を殴り倒していた。


 翔の願いを踏みにじった罪は一生だって引き受ける。

 それでも葵は、誰の人生と引き換えにしたとしても、翔を失いたくなかったのだ。


「葵!何で泣いてるんだよ」


泣きじゃくる葵を見つけ驚く翔に、葵は返事もできずに泣き続けていた。

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