Bluerose

 青い薔薇。花言葉は「存在しない」。

 そんな人いるわけないと、僕も思っていた。いつの間にか自分よりも他人を優先するようになって。誰かのためばかりを思って行動するようになって。そのうち自分の本当の望みさえも分からなくなってしまった、そんな毎日に。退屈で擦り切れた僕の人生に、新鮮さや驚きをもたらしてくれる人が、救世主のように現れるわけないんだと思っていた。

 佳穂に出会うまでは。


『なに、わたしと一緒に居てもつまんない?』

いつものようにその場のノリと勢いだけの会話の中で、聞き流してしまいそうな一瞬に、佳穂はそう言って笑った。こんな感じのやり取りは毎度のことで、だから佳穂にとっても僕にとっても、それは何気ないからかいの一つに過ぎなかった。ううん、そのはずだった。

 ほんとだよ、と軽口で返そうとして僕は、でも出来なかった。ここで佳穂の言葉を肯定したら、本当は楽しいと思っていた今までの思い出にまで、『つまらなかった』という嘘をラベリングしてしまうことになる気がした。帰り支度をする後ろ姿を見ると心の奥が寂しそうに疼く。もう少し話していようよという言葉を、ぐっと飲み込んでしまう。佳穂と一緒に過ごした、そんな時間すべてに嘘をつくことが僕にはできなかった。

 僕なんかじゃ君に釣り合わないかもしれないけれど。

 それでもこの気持ちに嘘はつかないと、そのとき決めた。

 相変わらず嘘の多い僕だけど、それでも一歩踏み出してみたいと思えたんだ。どんなときも自分と向き合うことから逃げない佳穂の姿は、僕に小さな勇気をくれたから。


 休日に本を買いに来たショッピングモールで僕はふと足を止めていた。偶然見つけたそれは、とても佳穂に似合いそうな気がしたのだ。

「誕生日でも何でもないんだけどな」

少し誰かに言い訳するように呟きながら、僕は彼女にプレゼントをしようと思った。


 青い薔薇。花言葉は「不可能」。

 誰にもできっこないと、私も思っていた。作り笑いと嘘ばっかりが上手になって。誰かが望む私を演じるようになって。誰からも可愛がってもらえる代わりに、誰にも本当の私が見えなくなって。そんな私の仮面を剝がすことも、裏に隠した泣き虫な私を誰かに受け止めてもらえることも、もうないんだと思っていた。

 浩也に出会うまで。


『そんなにがむしゃらに頑張らなくても、僕は佳穂のこと十分すげえと思ってるよ』

その一言は衝撃的だった。多分彼にとってはいつもの会話の何気ない一言に過ぎなくて。でも私はまるで冷水を浴びせられたように心臓が止まる気がした。頑張ってるね、えらいね、真面目だね、って言われたことは少なくないけれど、私のやり方を『がむしゃら』と評したのは浩也が初めてだった。自信なんか何にもなくて、だから出来ることを手当たり次第にやるしかないって、そんな風に思いつめていた私の心を見透かしたように。しかもさらりと、『頑張らなくて"も"すごいと思ってる』なんて付け加えて。

 だから期待してしまったのだ。

 彼だけは、本当の私に気づいても、がっかりしないでいてくれるんじゃないかって。

 今でも時々怖くなる。浩也も実は本当の私になんか知らなくて、いつかは幻滅されて終わるだけかもしれないって。でも私といるときの、お前のことなんかお見通しだよと言わんばかりのあの笑顔は、きっと嘘じゃないから。


 休日の昼下がり、ふと思い立って近くのショッピングモールに足を運ぶ。何かのお祝いでもないけれど、浩也にプレゼントをあげたくなった。

「何をあげたら使ってくれるかな、浩也」

こんな私の相手をしてくれている。ささやかな感謝の気持ちを込めて、私は一つのプレゼントを選び取った。


「あ、」

「あっ」

お互いに気付いたのは全く同じタイミングだった。

「偶然だね。どうしたの、お買い物?」

「あ、うん。えっと……」

誤魔化そうかと思ったけれど、せっかく会ったんだしここで渡すのも悪くない。

「実は、佳穂にちょっとしたプレゼントを、と思って」

浩也は簡単に包装してもらった袋を差し出す。

「青い薔薇のついたシュシュなんだけど。佳穂はいつもポニーテールにしてるから、似合うかなと思って」

それを見て佳穂はくすくすと笑った。

「本当に偶然。実は私も、浩也にプレゼントを探してたの」

鞄から取り出したのは細長い袋。

「青い薔薇をあしらったボールペン。いつもペンを胸ポケットに入れてるでしょ」

それはまるで短編小説の一節のような出来事。

「少し時間ある?良かったらお茶でも」

「じゃあ3階のカフェでどう?ケーキが美味しいって聞いたことあるの」

たどり着いた店の名前は『Bluerose』。扉の前に置かれた黒板に、青いチョークで書かれた言葉。




青い薔薇。

―――花言葉は、「奇跡」。


【了】



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星街すいせい『Bluerose』に敬意を込めて

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