とびきりの本番(エチュード)
ったく、どこ行ったんだ沙羅の奴!
悠真は心のなかで舌打ちをしながら、校舎の中を走り回っていた。右手の中で、既に原稿はクシャクシャになりかけている。それでも体中に入った力は逃げ場を失ったまま、半ばがむしゃらに沙羅を探していた。廊下を血のように赤い太陽の光が、舐めるように広がっていた。
事の発端は1時間前。演劇部の脚本担当である悠真は、今度の劇で主演を務める沙羅に、提出したばかりの脚本を目の前で突き返されていた。
「何が気に入らねえんだよ」
沙羅に対しては、無意識に対応や言葉遣いが雑になる。原稿をひったくりながら、悠真はつっけんどんに聞いた。
「だって、アンタの書く話に出てくるのってみんな一緒。おとなしくて、真面目で、清楚な女の子ばっかり!」
「んな文句言われてもな」
「そんないい子ちゃん演じても面白くないじゃない」
俺の対応も褒められたものではないが、コイツの俺に対する態度も大概失礼だ、と悠真は思う。と同時に、痛いとこを突かれた自覚はあった。悠真の脚本は、物語の構成や面白さについては部員からの信頼も篤い。だが出てくる女子が自然と似たような性格になるのは悠真自身も気づいていたことだった。
「お前みたいな女出したら、脚本が成立しねえからな」
混ぜっ返すように言った勢いで、いらない一言が付け加わる。
「そこまで言うなら、自分で書いてみろよ」
悠真は持っていた原稿用紙をもう一度沙羅に突き出した。そこまで怒ると思っていなかったのだろう、沙羅の顔は一瞬ひるんだが、さっと元の顔に戻ると、
「いいわよ!」
と言ってその喧嘩を買ったのだった。
どうせ30分もすれば音を上げるだろう。そう思って悠真は部室に沙羅を置いてきた。でも何分経とうと沙羅から連絡はない。自分も言い過ぎたと後悔し始めた悠真は、謝るつもりで部室へ戻った。でもそこには彼女の姿はなかった。その代わりに机の上に残された原稿には、書きかけの脚本と、そして最後に短い走り書き。
『私にはこの先は書けない』
考えるより先に、体が部室を飛び出していた。
使われてない教室、屋上への階段、中庭の倉庫。あちこち探しても沙羅はいなかった。
「どこだよ、アイツ……」
胸の中をざわざわと居心地の悪い感覚が走る。あんなの普段の口喧嘩の延長だろ?頼むから変なこと考えてくれるな。
『悠真のお気に入りの場所、教えてもらっちゃった』
唐突に、とある日の沙羅の言葉が頭をよぎる。悠真が脚本を書くときに使う、学校裏の公園の四阿。そこだと直感した。
「いた……」
つぶやいたその声が聞こえたのか、沙羅は目を上げる。そして悠真を一瞥するとまた目を伏せた。すう、と息を吐く音がする。それから不意に顔を上げると、悠真をまっすぐに見据えた。
「分かったんだ、私がいるところ」
「ああ、一応な」
「好きなタイプとは真逆の私のことでも、それくらいは分かるんだね」
思わず悠真は顔を反らす。いつになくしおらしい態度と、それでいて自分の心の奥を一突きにしてくる言葉。
「ずりい女だな、お前」
「お互い様よ」
手に持っていたクシャクシャの原稿を、ゆっくりと沙羅の前の机に乗せる。脚本とも呼べないそれには、忘れたふりで、気づかないふりで、でも忘れられるはずのない沙羅との思い出の会話が、書き散らされていた。
自分なんかと一緒にいるより、沙羅はもっと幸せになれる。それを言い訳に意図して直視しなかった、好きという気持ちを、沙羅はこれでもかというほど突きつけてきたのだ。
抱きしめる勇気はないけれど、どうしても沙羅に触れたくて、悠真はそっと彼女の頭を撫でた。
「なに?」
不機嫌に答えながらも、沙羅はその手を払いのけようとはしなかった。
「違ってたらバカみたいだけど、その、傷つけて悪かったな」
「……なによ」
「俺の言葉で傷つくほど、お前が俺に価値を見出してくれてるとは思ってなかったんだ」
それを聞いて沙羅は初めて笑った。
「バカもそこまでいけば大したもんだわ」
「そうだな」
つられた悠真は小さく、でもきちんと伝わるように言った。
「好きだ」
『私にはこの先は書けない』
「この先の物語に、俺も入れてくれるのか」
沙羅は黙って頷いた。そしていきなり悠真を見上げる。その顔は本当に晴れやかで、まるで渾身の悪戯が成功した子供のようだった。その目に涙が浮かんでいたこと以外は。
「私の脚本、完璧だったでしょ?」
……やられた。
沙羅は悠真の手を頭に乗せたまま、少し悪戯っぽく上目遣いに微笑んで見せた。
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