第20話3-5これくらいにしておきますか

 さらに翌日、心夢は男を呼び出しました。男は再びの自分が呼ばれる立場に少しばかり困惑していました。自分が追い詰めているはずなのに追いつめられているような気持ちの中、いつもの喫茶店で心夢と会話していました。


「単刀直入に言います。自白してください」

「何を自白するのよ?」


 心夢は刀で切りつけられたけれどもものともしない武人のようにどっしりと構えていました。男は不意をつかれて呼び出された腹いせに不意をついたつもりでしたが、無駄な努力に終わりました。表情がなくて心が読めない人間は怖いものですので、男は逃げたくなりましたが退路を断ちました。


「あなたが殺したということです」

「その話なら解決しました」

「解決?」


 男は背水から水をぶっかけられたかのような気分でした。熱を帯びた頭は急に冷やされ、温度差のあまりひび割れそうでした。予想は出来たはずなのに、急に自信満々に言われたら予想を裏切られたような気持ちになります。


「私は殺していません。あれは事故です」

「まだ言うのですか? 私は実際に見たのですよ」


 男は自信を取り戻すために過去に再三言った自分の主張を再び言いました。これは相手ではなく自分に向かって言ったところがあるものです。言霊というわけではないですが、言葉に力を借りたいのです。


「その件に関してですが、あなたも自分で言っていましたが証拠がないのでしょ?それに、それは本当に私だったのですか? 雨と暗闇で見分けが付かないでしょ?」

「あの時、きちんとあなたの後を追いかけたら、あなたの家にたどり着きました」

「それならたしかに私かもしれないけど……では、本当に事故ではなかったの?殺意を持って殺そうとしていたのは見間違いではないの?」

「いえ、それも確実です」


 心夢は自分への疑いを晴らそうと反証を次から次へとベルトコンベアのように機械的に口から運んでいました。男の方はそれに対する答えの記憶を頭の中でUFOキャッチャーのように取り出していました。互いに思考に気を取られて、体が自分のものではない気持ちになり、その体の震えに冷蔵庫の震えを思い出しました。


「それなら私の記憶と食い違うわ。わたしからしたらあなたが間違っているとしか思えないわ」

「僕が嘘をついているとでも?」

「それもあるけど、私は記憶違いだと思うわ。あなたも言っていたけど、記憶ってあやふやなものだと思うわ」

「それはそうですが、あなたもそうでは?」


 そう言いながら男は自分の体が震えているのを感じました。自分の揺れる視界の先で、心夢が揺れているように見えましたが、それは男が揺れているだけで心夢は揺れをすでに収めていました。心夢は覚悟したように目に炎を輝かせてどっしりとした土台のように体を落ち着かせていました。


「この問答には飽きたわ。単刀直入に言いますけど、私は妹ともに事故の方で話を決直つけました。あなたが何を言っても無駄です」


 その言葉は男にとって前頭部をハンマーで殴られたようなものでした。予想していないものなら後頭部からの不意打ちのようなものでしたが、十分に予想ができたものでした。わからないことが怖いと言われていますが、わかっていることも怖いものです。


「――妹さんを抱き込んだのですね」

「そう思ってもらっても構わないわ。でも、あなたに抱き込まれるくらいなら、私が抱き込んでやるわ」


 心夢はカエルやトカゲで実験をしようとする魔女のような不気味さを放っていました。深淵のように深いシワを作る彼女の顔面が男の目に焼きついていました。顔は笑っていますが目が笑っていない、そんな不気味さでした。


「――本性を出しましたね」

「本性も何に、もとからこんなものよ。そういう風に挑発して口を滑らせようとしているのでしょ? いつもの手口で」

「そうですけど、そうではないかもしれないです」

「そういうもったいぶった言い方をしながら、次の手を考えているのでしょ?」

「バレましたか?」


 男は、先ほどの心夢のおぞましい笑顔が蜃気楼だったかのように消えて真顔で言葉を詰めてくる状況に困惑して喉をゴクリと言わせました。精神的なものからくる視覚バイアスだったのかもしれないと納得しながらも、その魔女のような笑顔が頭から離れません。そんな男のことを知らないと言わんばかりに、心夢は会話を仏頂面で続けました。


「本当にそうだったの?」

「カマをかけたのですね」

「結果的にはそうなったわね。あなたもしたのだからおわいこ様でしょ?」

「その言葉を久しぶりに聞きましたよ」


 男の言葉がちくりと刺さり、心夢は眉をぴくりと動かしました。自分からしたら当たり前の発言を馬鹿にされたことに対する困惑と恥ずかしさと怒りが混ざり合って、言葉が眉毛にひっかかって出てこないのです。それでも男に舐められないためには何かしらの言葉を出さないといけないと思いまして、言葉をチューブのように絞り出しました。


「とにかく、私たちの考えは変わらないわ。警察にでも相談に行く?」


 心夢は言い終わると静かに体全体で空気を吸いました。それにより空気が薄くなって気温が下がったのか、男は寒気がしました。その震えを悟らせないように机の下で貧乏ゆすりをしましたが、グラスが揺れていました。


「――いいえ。それはしません。親戚間での問題を作りたくないですし、こんなことを言うのも何ですが、といっても既に言いましたが、僕も自信がないのです。だから、あなたたちでそういう結論が出たのなら、受け入れます」

「えらいあっさりね」

「そうですね。僕としても、はっきりと結論がついたことには興味がないのです。わからないことが怖いのであり面白いのであり興味があるのです」

「それはわかるけど」


 心夢は思ったよりあっけなく問題が解決したことにより、気が緩んでいました。本題と全く関係のない話題となったことにより気が緩んでいました。その結果、考えなしで何となく同調したのです。


「本当にわかっていますか? わからないというのがどんなことなのかを?」

「え?」


 思わぬ食いかかりに、心夢は巨大な魚に海の中に引っ張られそうな釣り人のように手が慌ただしくなりました。グラスに手が当たり水がこぼれて、波しぶきを受けたように手が濡れていました。その動揺からなのか氷水の冷たさからなのか、心夢の手は震えていましたが、男は自分の言葉の世界に入っていました。


「それはとても恐ろしいことなのですよ。古来より、わからないことは無理やり理解したフリをして怖さから逃げてきたのですよ。死後の世界しかり幽霊しかり、わからないものをわかったふりするために作られてきたのですよ」

「そういう考えもあるわね」

「そうですよ。それで、僕の場合もそうですよ。あの日、人が殺されたところを目撃してしまったのですよ。僕の日常生活にはなかったことですよ」

「だから……」

「すみません。事故でしたね。でも、どっちみち僕からしたら日常生活になかったわからないことなんです」

「普通はないでしょうね」

「そうなのですよ。わからないことが起こって怖いから理解したいのです。それだけなのです」


 男は雷雨のように勢いよく目を光らせ唾を飛ばしていました。心夢はふきんでこぼした水を拭きながら、その威圧感に耐えていました。台風が過ぎ去るのを待って恵みの雨だと祈る農家のようなものでした。


「僕はね、かっこいいヒーローになりたかったのかもしれません」

「それを言ったら、わたしも劇団で夢見ているわよ」

「ええ。立派だと思います。僕はそういう根性がなかったのです。劇団とかに入ることもなくプラプラとしています」

「わたしもプラプラしているわ」

「そうかもしれませんが、劇団に入った上での、何かをした上でもプラプラですよね」

「同じことよ」

「違うんですよ。似て非なるものなんですよ。眩しいのですよ」


 男はその目をさらに輝かせていました。心夢はその眩しいまっすぐな目から視線を逸らし窓の外をなんとなく見ていると、晴れに照らされた地面が少しずつ雲の陰りで侵食されていました。さっきまで晴れていたことにたった今気づいたのです。


「そうなの?」

「例えば『罪と罰』の話をしましたよね。僕は例えるならば検事だと、検事だっけ?」

「覚えているわ。立派じゃない。あれが検事だったかは覚えていないけど」

「でも、よく考えたら全く違うんですよ。僕はロシア人でも検事でも優秀な人間でもないのです」

「当たり前でしょ」


 心夢はせせら笑いました。1人だけ笑いました。相手の男が全く笑っていないのを確認してバツが悪くなり、咳き込みながら真顔に戻しました。


「そうじゃないんです、僕の言いたいことは。僕は検事でもないし主人公の元学生でもないし殺された高利貸の老婆でもないのです。所謂、名ありの登場人物じゃないのです」

「つまり、通行人は嫌だと?」

「それどころか、通行人ですらないのです。根本的にその世界にいないのです。関係のない人間なのです」

「それは劇団に入っても同じよ。出番がなくて溢れている人なんて星の数いるわ」

「それはわかります。でも、僕はそれ以前の問題なのです。出番がないという問題じゃないのです」

「うーん。わからないわ」


 心夢は正直に言うとどうでもいい話を早く切り上げたい気持ちでいっぱいでした。しかし、話の切り上げ方がわからないといいましょうか、話を続けたほうが後腐れがなくなるといいましょうか、相手にはしていました。男は頬を赤くしながら演説のように力を入れて語りを続けていました。


「もう1度言いますと、劇団員のあなたと僕とでは違うのです。劇団員のあなたは役がないと言いましたが、それはラスコーリニコフであったり検事であったり通行人であったりする場合もあるということですよね?」

「そういう役を貰えたらね」

「ところが僕の場合は、その可能性がないのですよ。ただの観客なんですよ。どこまで行っても舞台に上がれないのです」

「だったら、劇団員になるしか……」

「だから、それをする根性がないのです。僕に出来ることは、近づくことだけで、自分がなろうという根性はないのです」

「私たちに近づく根性はあるのに? これの方がよっぽど根性が要るわよ」


 心夢は理論戦や心理戦に持ち込むわけでなく、単純に思ったことを率直に言いました。自分の進退に関わらないことはこんなにも気が楽で率直に聞けるものかと安堵しながら驚いてのことでした。一方の男はタコの生き殺しのようにたいへん苦しそうに悶えながら眉間にシワを寄せていました。


「これはまた違うんです。なんというか、自分の生活の延長線上のことでしたので、まだ覚悟なくすることができました」

「そんなものかしら? 人の死はまた違うのでは?」

「でも、墓参りだとかで日常に感じますよ。そもそも、ニュースで人の死を毎日知らされている昨今、何1つ珍しくないですよ」

「人の死は非日常と言っていなかった?」

「あぁ、そうですね、そうなんですけど、ちょっと待ってください。僕が言いたいことは、日常生活の延長線上にあるかどうかなのです」

「ややこしいわね」


 心夢も眉間にシワを寄せて苦しんでいました。彼女の場合は自分自身の苦しみではなく目の前の男の苦しみに対しての苦しみでした。何を言っているのかわからないしいつまで相手にしなければならいかもわからない苦しみでした。


「劇や小説は日常生活とは関係ないところで始まっているじゃないですか。そういう初めから違うものへは僕は飛び込む根性がないのです。そして、その世界での人の死もそうです、近づこうという根性がないのです」

「そうですか」

「一方で、日常生活の中で起きた人の死というものは、身の回りのことなので僕からしたら飛び込むことができることなのです。だから、あなたたちに近づくことができたのです」

「勝手な考え方ね」

「そうだ!話しながら頭の整理ができました。僕が今回の謎に引っかかったのは、日常の中なのに分からなかったからです。これが劇や小説の中のことならここまで気にならなかったのです」


 男は自分よがりな話し方だと理解しながらも止まらなくて申し訳ない目で相手を見ていました。心夢は適当に相槌を打つ能力を得る修行とばかりに、聞き流していました。彼女の記憶が正しければ、上手な相槌の打ち方とは2,3回に一度は大きくリアクションして質問することらしいです。


「どういうこと?」

「作品の謎はそういうものだと割り切ることができるのです。わからなくても、作品の中の出来事だから仕方がないと、自分に関係がないからどうでもいいと思ってしまうのです。しかし、自分の目の前に実際に起きたことはそう割り切ることができないので、理解したくて仕方がないのです」

「そういうものかしら」

「そういうものです。少なくとも、僕にはそういうものです。だから、日常生活で起きた謎を理解したいために動いたのです」


 心夢はこの男のことを少し理解したような気になりましたが、それでもやはりわかりませんでした。初めから理解する気がないと言ってしまえばそれまでですが、理解する気でこの状況ならそうとう腹立つと思いました。そして、男から見ての自分はそういう腹立つ存在だったのだろうと考えたら、同情したくなりました。


「――それで、動いてみてどうだったの?」

「結局何もわかりませんでした。動いたところで意味はなかったのです。所詮僕は、虚構の世界でも現実の世界でも何もできない人間なのでしょう」

「そこまで自分のことを悪く言わなくても」

「いいえ、結局僕は作品の登場人物になれないチンケな人間なんです。少しいいところを見せられると思って動いたところで、所詮は作品になることのないつまらない事で終わるのです。僕みたいな人間がいるからこそ、作品という事件が起きてカッコイイことをする登場人物が光るのです」

「みんなそう思っているの。私だって自分なら1流の役者になれると夢見たけど、全く慣れていないわ。あなただけじゃないわよ」

「だから、僕とあなたは違うのです。あなたはまだ可能性はあります。ご自身では無理だと思っているかもしれませんが、わずかばかりでも可能性はあるのです」

「それはあなたもよ。今からでも遅くないから、何か活動したらいいじゃないの?」

「提案してくれるところ悪いですが、僕には活動する根性がないのです。自分でも不思議なくらい根性はなくて、口だけの人間になってしまうのです。僕は普通の人間として夢をみるだけにして普通に生きていきます」

「あなたがそれでいいのならいいですけど」


 男は感情的に、時には拳の小指をテーブルにつつきながら我慢ができない様子でした。心夢はそれに対して理性的に手を膝の上に落ち着かせて我慢して話に付き合っていました。介護という言葉が心夢の頭によぎりました。


「ええ、今回のことで、自分の身の丈はわかりました。僕は決して『罪と罰』の検事のように行動を起こすことはできませんし、主人公のように行動を起こして悩む人間にもなれませんし、主人公が憧れたナポレオンなどの偉人のように行動を起こすことはできません。そうです、僕は行動を起こすことができないのです」

「行動……それなら、今回起こしたでしょ?」

「その結果が、自分には合わないということを実感するということでした。そうですよ、ラスコーリニコフが自分は偉人とは違うとチンケな人間だと実感して良心の呵責に苛まされていたようなものですよ。そして僕は、偉人どころかそのラスコーリニコフにすら及ばないチンケすぎる人間だと実感して打ちひしがれているのです」

「そんな悲しいことを言わないで。あなたは行動を起こしたじゃない」

「行動を起こしたうちに入りませんよ。それを言うためには、せめて殺人を起こすくらいじゃないと。あの作品を読んで殺人を犯す人はたまにいますが、彼らは立派なものだと思いますよ、本当に」

「人殺しはダメよ。それに、あの作品を読んだらなおさらダメだと思うわよ」

「たしかにそういう風に作られていますが、しかし、こうは思いませんか?小説などの創作物は現実と違うことが書かれるのであり、そこで悪いと言われたことが現実では重要である、と。作品の中で人殺しが悪いと書かれたということは現実では人殺しは必要でありする必要があるのです」

「あなた、もしかして」


 心夢は少し腰を浮かせました。太ももは椅子に当たり、膝はテーブルに当たり、足の裏は床に当たらなくて空を蹴りました。それを見て男は開いた手を落ち着いてと言わんがばかりのジェスチャーでした。


「おおっと、勘違いしないしないでください。僕はあなたを殺すつもりはありません。もちろん他の人もです」

「本当に?」

「ええ。まぁ、そう言っても信じないと思いますが」

「そういう言い方をする人は本当っぽいわ」

「まぁ、論より証拠といいましょうか、口よりも行動の方が信じられますよね。僕は行動を起こす根性がないのは知っていますよね。僕は人殺しをする根性も行動力もないのですので、安心してください」

「いや、あなたが行動を起こさない根性なしかどうかは私にはわからないわ」


 心夢はジト目で気だるそうに否定しました。男はここで賛同を得られなかったことが意外だったらしく、目と口をポカンと無防備に開けていました。それを見て心夢は両目と口を閉じて、話が長くなることを予想して後悔しました。


「あれ? 信じてくれないのですか、僕の今までの行動を?」

「あなたの行動と言ったら、私からしたら行動的だと見えてしまうわ。見知らぬ私たちに近づいてきたり話しかけたり、とても行動的だわ。あなたが行動を起こせない根性なしというのは、あなたの口からしか判断できない情報だわ」

「そうでしたっけ?」

「あなたのことを昔から知っていたのならあなたの人となりを行動から判断できるけど、つい数日前に出会ったばかりで少し会話するだけでわかるわけないでしょ?」


 心夢は説明のために少し長めに言葉を話して、どうしてそんなことを説明しているのだろうと自分の境遇がバカらしくなってため息をつきました。ちらりと男の方を見たら、今度は目と口を閉じて熟考していました。それを見て心夢が再びため息をついていた途中に、男は息を大きく吸いながら姿勢を伸ばして目と口を開きました。


「――そう言われたらそうですね」

「でも、人殺しをしないことは信じましょう。そこを疑ったらやっていけないわ」

「まぁ、人殺しをしないことを前提で物事は進んでいますからね」

「私たちは恵まれていますね」

「確かにそうですけど、今はそういう話ではありません。僕は人殺しを起こす根性がない人間であり、作品の登場人物になれない人間であり……ただの人間なのです」


 男の自分に苦しんでいるような楽しんでいるような酔っているような様子を見て、心夢は自分もこういう風だったのかぁと過去に思いを馳せていました。自分の祖父を殺した疑惑は晴れたが、この男の気持ちは晴れていないのだと理解すると、気持ちが曇ってきました。心夢はそよ風のようにやさしい顔を努めました。


「別にいいじゃない。ただの人間も大変よ」

「小説とかでよく聞く言葉ですね。ところで、先程から僕の話に耳を傾けてくれていますけど、僕の話はよくわからんと耳に蓋をされることが常なので珍しいなと思っています。もしかして、僕の言っていることはあなたの耳にも痛いのでないのですか?」

「まぁ、少しはね」

「同じ穴の狢というわけではないですが、あなたも作品の登場人物になりたい人間ですかね? そうか、そうですよね、劇団に入る人は基本的にそうですよね。劇団に入るという行動をとっているだけでも僕と違っていると話しましたよね」

「そうね、何回も」

「今自分で話して思ったのですが、僕以上に行動的なあなたなら、人殺しをしてもおかしくないと思います。実際はどうなのですか?」

「もういいでしょ。その話は」


 女神のような慈愛に満ちた対応をしようとしたら、いきなり過去のトラウマを掘り起こされたことにより、心夢の笑顔が引き攣りました。慈愛の精神を引きちぎり、少しヒステリックぎみに突き放しました。すると男は、理解しきれない子供のような幼い顔になり、指をこすって遊ばせていました。


「そうですね……えぇと、何の話でしたっけ?」

「行動を起こす人間なのかとか、人殺しがどうだとか、哲学的な話かしらね」

「そうか、そうでしたね。そういう話は好きなのですが、それでは食っていけませんね。そういえば、コロナによる給付金はどうでした?」

「なるようにしかならないわ」

「そうですね。では、これくらいにしておきますか」


 男はオズオズと何かに怯えたように上目遣いになっていました。心夢は思うに、自分もこういうふうに怯えていたのかと他人事ではありませんでした。そういう点では、近いものを感じていました。


「急にコロナの給付金の話題を初めてしたと思ったら、それで終わり?」

「そういうものですよ。終わりは呆気ないものです。ヒッチコックの『めまい』もそうでしょ?」

「それは知らないわ」

「面白いですよ。見てみることをおすすめします」

「気が向いたらね」

「では、さようなら」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る