第18話3-3殺人犯にしたい

 翌日、喫茶店に晴美が男を呼び出しました。男は初めて自分が呼ばれる立場になって、不思議な気分でした。呼び出す方は連絡を送るまでが不安で、呼び出される相手の気持ちは会うまでが不安なのだとしみじみ思いながら、晴美と男が会話を始めました。


「あなた、姉さんに何を言ったの?」

「何か言っていました?」


 晴美は苛立ちながら中指で机を突いていました。トントントンと空気をみじん切りをしているようにリズムを取っていました。男は自分が料理される前の野菜なのか肉なのか魚なのかと選択している自分に心の中で笑っていました。


「私が祖父の橋から落ちたのを見たこと言ったでしょ?」

「あぁ、そのことですか」

「なによ、その態度」

「いえ。それで、どうしたのですか?」


 男は追い詰められる側の気持ちを新鮮に感じていました。昨日もそうでしたが、男は相手を追い詰める立場ばかりでしたので気づかなかったのですが、追い詰められる側は思考停止に短い言葉を出すしか能がなくなってしまうのです。誘導尋問ではないですが、追い詰める側が上手に言葉を引き出さないといけないと反省していました。


「姉妹の関係が危なくなるところだったのよ」

「でも、大丈夫だったのでしょう?その言い方なら」

「そうですけど、立派な言い方ですね」


 嫌味を込めた敬語でした。褒めているかのような言い方で貶す本場の京女ほどではないストレートなイヤミなのです。女性は笑顔になりながら机の下で膝が青くなるくらい蹴り合うものなので、それに比べたら男性的と言えるかもしれません。


「それはすみません。僕は別に2人の仲違いをさせようと思ったわけではないのです」

「どうして言ったのですか?」

「思わず口が滑ってしまったのです。これは僕の失態です」

「そうなのですか?」

「はい。それに彼女はあまり気にしていませんでしたよ」

「それは良かったですが、気をつけてくださいね」

「はい。でも、まぁ、そのときは口がすべることを期待したのですがね」


 男は主導権を取ろうと黒い笑顔で言いました。晴美は言葉のジャブを気持ちよく打っていたところにカウンターで顎をくらったかのように口を開けて脳が揺れました。男の言葉を聞き脳が波打ち、その顔を見ると心臓の脈が波打ちました。


「――何か、聞こえてはいけない言葉が聞こえた気がしましたが」

「いえ、これは別に聞こえてもいいのです。わざと言いましたから」

「わざと……ですか」


 晴美は言葉を発することにより脳を整理し、息をすることで脈を整理しました。彼女はコップから机に流れている水を中指で伸ばしながら自分のリズムを作ろうとしていました。その水は5cm位伸びて、切れました。


「そうです。僕はあなたのお姉さんと違い、あなたのことは信用しているので正直に言うのです。これはわざと言いました」


 短い沈黙が切れました。沈黙といっても晴美の体感が勝手に思っていただけで、客観的に見たら会話の前の息継ぎくらいでした。事実、男は普通に話の続きをしているだけのつもりであり、晴海のことを奇妙とも何とも思っていませんでした。


「ちょっと待って。姉さんと違ってってどういうこと?」

「言いませんでしたっけ?僕は彼女を殺人犯だと思っているのです」


 晴美は重い口調でしたが男は軽い口調で返しました。晴美は水で濡れた指を手のひらに当てて握り締めていました。そして、胸の中に握り締めていた考えを男に向かって水滴のように投げ飛ばしました。


「でも、姉さんは事故だと」

「それは嘘か、はたまた記憶違いだと思っています」

「それはあなたが思っているだけでしょ?」

「ええ。だから、動揺して証拠を口走ってくれることを期待したのです」

「そんなフィクションみたいなこと」


 その言葉を聞いて男は不意にスイッチが入りました。それは本当に不意のことでした。晴美は何となく言っただけなのにと後悔しそうな予兆を感じました。


「ええ、そんなフィクションみたいなことを僕は求めていたのです。推理小説で探偵が犯人を追い詰めるように、引っ掛けて自白させるように、主人公のようになることを求めていたのです」

「現実はそんなに上手くいかないのでは?」

「そうですよ。僕は夢見ているのです。作品の人物のようにかっこいい人物であることを、選ばれた人間であることを」

「夢を見ているのですね」

「そうですよ。でも、それはあなたもそうでしょ?あなたのお姉さんもそうでしょ?」

「たしかに夢見ることはあるわ。姉が殺人犯でないということを」

「ちょっと待ってください。僕が今言いたいことはそっちではないのです。かっこよく犯人を追い詰める主人公などのヒーローやヒロインの話です」

「そんな話はどうでもいいです。話を戻してください」


 男の意気揚々とした物腰とは対照的に、晴美は心底どうでもよさそうでした。夢見がちな放蕩息子に対して我慢の限界である母親のように怒っていました。それで正気に戻ったのか一時しのぎとして言う事を聞いたのか、男は話を戻しました。


「……そういえば、あなたの姉さんにも言ったのですが、実は僕、姉さんの殺害場面を見たのです」

「どういうこと?」


 急な話題転換が本当に起きたこととその内容の驚きとのダブルパンチで、晴美は純粋に思ったことを口に出しました。それは男が意図したことではなく、予想外の影響を晴海に与えました。それは、男が心夢に昨日受けたようなものです。


「殺意を持って殺そうとしているところを近くで見ていたのです」

「うそよ」

「はい。嘘をついていました。実際は近くで決定的なところを見たのです」

「うそよ」

「それはうそではないのです」

「うそよ」


 思考停止の晴美は同じ言葉の一点張りでした。その目は物事を信じられない猫のような疑いの目をギロリとしていました。男は犬が飼い主に見せるようなまっすぐな目で警官のように正々堂々と話を続けました。


「ただね、僕の目撃証言にはそこまで証拠としての力はないと思うのです。いや、もしかしたらあるのかな?僕は専門家ではないからよくわからないのです」

「そんなこと、わたしにもわからないわよ」

「でもね、あなたもそういう目撃をしていたら、証拠として十分だと思うのです。2人もいて、しかもその1人が実の妹ですし」

「私は事故だと思っているわ」

「それをもう一度思い直してほしいのです。別に殺人だと思ってくれというわけではないのです。ただ、あの時の光景をもう少しはっきり思い出して欲しいのです」

「でも、よく見えなかったわ。遠くだったし、暗かったし、雨だし。何が起きていたのかがわからなかったのよ」


 晴美の言葉を聞いて、男は言葉を止めて息を大きく吸いました。腕を組み天井を見上げ、大きく息を吐きました。それを見ながら晴美はミルクセーキのためにストローに口を運んでいました。


「――ということは、事故というのも確証がないのですね」

「そうですけど」

「あなたは、姉を守るために無意識に事故と思い込んでいたのですよ。僕にはそうとしか思えません。だって、僕は殺人現場をこの目ではっきりと見たのですよ?」

「でも、それこそがあなたの勝手に思っているだけでは」

「そうですよ。でも、そうではないという根拠はありますか?」

「あったら突きつけていましたよ」


 男はこの言葉を令状のように目の前に突きつけられた気持ちでした。そうなのです、結局のところはそこに行き着くのです。証拠がないという崖を渡る橋を造ることはいつまでたってもできずに、崖の周りを回るのみでした。


「そうなんです。僕もそういう気持ちなんです。でも、根拠がないのです」

「じゃあ、もういいでしょ」

「よくはないです。何か気になることはありませんでしたか、身の回りで?」

「そんなものはないわ」

「些細なことでもいいのです。なんでもいいのです。あなたの姉さんが犯人と思われる、怪しいことは身に覚えありませんか?」

「だから、姉さんは犯人ではないわ」

「でも、万が一ということがあります。殺人の証拠を」

「しつこいわよ」

「では、事故だという証拠は他にはないのですか?」

「姉さんの小説にも事故と書いてあったわ」


 晴美は会話の勢いのままポロリと言いました。それは晴美にとっては普通のことであり、特にいう必要のない忘れていたことでした。しかし、男には不意に冷静に言葉を止めるような新発見でした。


「――小説? なんですかそれは?」

「姉さんは小説を書いているのよ。その中で、今回のことを書いたところがあったわ。そこでも事故ということになっているわ」

「なるほど、自作の小説のことは知りませんでした。そんなものがあったのですね」


 男は手で口を覆いながら机に目を下ろしました。食べ物を虎視眈々と狙う乞食のような姿勢でした。晴美は熱くなった額を指の腹で冷やしながら、その熱くなったところをおしぼりに持って行きました。


「そうよ。知らなかったでしょ」

「ちなみに、どんな内容が書かれていましたか」

「そんなこと言わなくてもいいでしょ」

「いいえ。もしかしたら、なにか重要なことが書かれていたかもしれないです」

「でも……」

「お願いします」

「きちんとは覚えていませんが――」


 ――話し中――


「――お話、ありがとうございます」

「とんでもないです」


 男は再び手で口を覆いました。晴美は喉を潤すためにストローで液体を吸引しました。コロナの影響で、店は静かでした。


「どれもこれも聞いたことがある話ばかりです」

「そんなこと言われても」

「まぁ、彼女が言ったことを整理出来たと思えば上出来でしょ」


 男は手をどけた口をにやけさせていました。それはすぐに消えてなくなり、晴美には見えていませんでした。晴美は晴美で指の腹に水を濡らして、それを額に置いて遅ぶことをしていました。


「とりあえず、小説の内容からでも事故なのよ」

「いや、それは証拠にはなりません」

「どうして?」


 晴美の額からは水滴が流れてきました。それは目と鼻の間を通り口の横を通り過ぎました。良くも引っかからないものだといったところでした。


「当たり前じゃないですか。それは事実を書いたことではなくて、空想上の産物ですよ。悪い言い方をすれば、嘘をつき放題なんですよ」

「でも、わざわざ小説で嘘を書きます?」

「いや、むしろ書くのですよ。自分を肯定するために現実と反対のことを書くのです。そうやって現実逃避するのです」

「それはあなたの考えですよね」

「そうですよ。ただ、むやみに信じないほうがいいですよ。もしかしたら見られることを考慮して、わざと自分に有利なことを書いたのかもしれません」


 男は晴美が引っかからなかった部分に引っかかったというのか、引っかかったところに引っかからなかったというのか、考えが合いませんでした。男は今までのことも考慮して粛々と確実に言葉で攻めていこうとしました。一方で、晴美は今までの積み重ねで突発的に怒っていました。


「どうしても姉さんを殺人犯にしたいようですね!」

「そういうつもりではないのです」

「もういいわ。帰らせていただきます!」


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