第17話3-2自白したはずです
翌日、久しぶりに曇っていました。イオンの例の喫茶店に行くと、男が手を挙げていました。心夢は男の前の席につきました。
心夢と男が会話。
「妹と話したわ」
「なんと言っていました」
「あれは事故だったと言っていたわ」
「それはそうですよね」
互いに思ったより冷静に話をすることができていました。心夢は男に対して秘密を妹へばらされたことを息巻いても普通なのに、男は心夢に対して秘密を白状しないことに鼻息荒くなっても普通なのに、そうはなりませんでした。おそらく、時間が空いたことによって熱が冷めてしまったのでしょう。
「というか、こういうふうに会っても意味ないでしょ」
「そんなことないですよ。人と会って話をするだけでも意味はありますよ」
心夢が冷たく対応しようとしたが、男は冷笑しながら冷静に対応しました。喫茶店の中は冷房が効いており、手元のお冷の氷もなかなか溶けませんでした。冷め切った態度の2人の関係もなかなかとけ込めませんでした。
「人をひきこもりみたいに言わないでよ」
「でも、ひきこもりみたいなものですよね、話を聞いている限り」
「それはそうだけど」
心夢は何も言い返せませんでした。漫画とかで働かない人を馬鹿にして笑ってきた彼女にはそれが悪いことだと理解していました。その気持ちがバレないように少し気恥ずかしそうに笑ってごまかそうとしていました。
「サラリーマンでもなく、バイトもしていない。劇団に入っているけど仕事がない。普段は家で何をしているのですか?」
「特に何もしていないわ。テレビを見たり、ぼんやりしたり、発声練習したり」
「――親が泣きますよ」
「――うるさいわね」
男のまっとうな意見に心夢は少し唇を尖らせました。ゴミを見る目までとはいかないまでも捨てるかどうかを選別するかのような冷めた目でした。または、シロかクロかを冷静に見定めているようでした。
「親に感謝しています?」
「してるわよ」
心夢は心を込めずに言葉を述べるだけでした。劇団の周りの人等から言われて渋々言っていますが、家から出たことのない彼女には実感としては理解できませんでした。あくまでも一般常識として理解しているだけでした。
「していないですね。あなた、家から出たこともないんでしたっけ?一度でもひとり暮らしをしてみたら親のありがたみがわかりますよ」
「あなたもそういう事を言うの?」
「家族にも言われました?」
「それもあるし、劇団の人にも言われたわ」
男はなるほどなぁという納得で満足したように口角を上げました。初めて目の前のこの女に対して納得できる発言を引き出せたからです。物事をはっきりさせることが好きなことというのは確実のようです。
「そういえば、ほかの劇団の人は普段何をしているのですか?」
「バイトらしいわ」
「他の人も実家暮らしですか?」
「ひとり暮らしよ」
「ふーん。あなた、嫌われてます?」
「どうしてそうなるの?」
男はついにゴミを見るような目に変わっていました。心夢はゴミを漁っている犬が周りの人から奇異な目で見られていることを理解していないような反応でした。これは教育が必要です。
「ほかの人がバイトやひとり暮らしで苦労しているさなか、ひとりだけそういう苦労をせずにのほほーんと暮らしていたら嫌われますよ」
「そんなものなの?」
「誰も表立っては言わないと思いますが、心の中では思っていますよ」
「それもそうね。わたしも自分の役がないことを心の中ではブチギレているわ」
心夢は頭では理解できているのです。しかし、気持ちとしては理解していないのです。これはなかなか難しいものでして、矯正できないものです。
「そういうことです。家族も頑張らずに家にいつまでもいるあなたのことを心の中でブチギレているでしょう」
「ちなみに、わたしもあなたにブチギレているわ」
心夢は自分が不利になるこの会話は苦手なので、すぐに会話を変えるようにするのが劇団の人などと話す時の常なのです。こういうふうにして自分の悪いところから避け続けて、今のダメ人間が出来上がっていくのです。自分ひとりで帰結すればいいのですが、その時に周りを巻き込む癖があるのが難点です。
「どうしてですか?」
「こんなわけのわからない話し合いを設けられたブチギレそうになるわよ」
「そうですか。でも、それは僕もそうです」
「どうして?」
「あなたが祖父を殺したことを認めないからです」
話が急に本題へと戻りました。算数で負×負=正になるように、話の脱線の脱線は本題になるようです。心夢は不意に難題を突きつけられて頭をくらくらさせましたが我慢をしてシュバシュバと瞬きを早めました。
「だから、あれは事故なのよ」
「実は黙っていたのですが、僕は近くで見ていたのです」
心夢の瞬きは止まりました。
「――近くで?」
「そうです。遠くからではなく、近くから見たのです」
心夢は一瞬意識が遠のきました。近くにいる男がバグったピントレンズのように遠くに近くに交互に移動しているように見えていました。今の心夢には男が海の中のようにぼやけて見えていました。
「どうして嘘をついていたの?」
「あなたを泳がせていたのです」
心夢は水泳の時間の息継ぎが下手な生徒のように肺に酸素が足りていない状態でした。男はそれをプールサイドから高みの見物をするかのように余裕の様子でした。2人の心理にはプールの踏み込み台のような敷居で区切られて上下差がありました。
「刑事的なもの?」
「そうです。それでボロが出たら儲け物だなと思いました」
「ボロを出すとは?」
「あなたが祖父を殺したという証拠ですよ」
「またそんなことを言う」
「僕は近くで実際に見たのですよ。あなたが殺意を持って実行したところを」
「そんなわけないでしょ!」
心夢の肺では深く沈んでいた小声状態から飛び出した大声が響きました。響いたといっても、喫茶店全体どころか目の前の男にも気づかれないくらい些細な変化でした。人は変わるためには変わりすぎるくらいでないと周りが気づかないとよく言ったものです。
「そんなことがあるんです。いつまで嘘をついているのですか? それとも、自分で気づいていないのですか?」
「どっちでもないわ」
「前者ならともかく、後者なら自分ではわからないですよ」
「そんな理屈はどうでもいいわ。あなたは私を悪者にしたいだけよ」
男は少し眉をひそめて不審がりました。相手の不審なところを見分けようとしている男の三味線に触れたのでしょう。蜘蛛の糸にひっかかった獲物のように心夢はわずかな振動を発していたようです。
「僕は客観的なことを言っているだけです。あなたは明確な殺意を持っていました」
「どうしてそんなことが分かるの」
「『死ね、このくそじじい!』と叫んでいましたよ。他にももって色々と言っていましたが、基本的には同じ内容です。そんなことを言っている人が殺意を持っていないは無理があると思います」
口から捉える糸を出すかのように男は言葉を長々と吐き出しました。これで相手をがんじがらめにできるか否かの勝負どころだと思ったのでしょう。勢いあまり唾を吐き出しながら男は口攻撃しました。
「そんなこと言っていないわよ」
「いいえ。言っていました。そして、祖父と揉みくちゃになりながら橋から落とそうとしていました。首は絞めていなかったと思いますし、していたら警察が不審に思うでしょう」
「だから、していないわよ」
「まぁ、認めはしないでしょう。だから僕もボロを出すまで言わなかったのです。でも、これ以上秘密にしていても話が進まないと思いまして言いました」
男は可能な限り長々と論理的に話して心夢を追い詰めようとしていました。事実それは心夢を苦しめており、短い言葉を感情的に発散しているのみでした。発作的に何かがボロとして出るのはありえました。
「あなたは嘘をついている」
「いいえ。僕は嘘をついていません。そもそも、僕はあなたが殺人を起こそうがどうでもいいし、あなたが犯人だと分かっても利益はありません」
「いいえ。私が捕まれば祖父の遺産が舞い込んでくるんでしょ?」
心夢は遺産関係のことはよくわからなかったが、男が親戚だとわかった時から頭の片隅にこの内容を置いていました。遺産を巡った骨肉の争いは醜いもので、きちんと書類を読まずにハンコを押したら親戚に家からの立ち退きを食らった人も心夢の知り合いにいるそうです。しかし、心夢の男に対してのこの言葉はそういう真面目な牽制ではなく、ボケとしてのいじりとして蓄えていました。
「そういう考え方もあるのですか。それは心外ですね。そもそも、僕に遺産を受け取る資格があるのでしょうか、あなたが捕まったら舞い込んでくるのでしょうか、その方面は疎いものでしてわかりません」
しかし、男はボケと取らずに真面目に受け取りました。それは、話の流れや心夢が凄く苦しそうに息絶えそうに汗を首に流していたところから来るものでした。事実、心夢は言う意図はなくポロリと出てしまったものであり、所謂ボロが出たというものでした。
「うるさい。黙りなさい」
虫の息の彼女は暖かい息を冷房の効いた部屋の中で白く出しました。そのまま机に頭を垂らして髪の毛で拭き掃除しているかのように頭を振っていました。男はそれを見て、ボロボロになるようにひと押ししようと目に力を入れました。
「まぁまぁ、冷静になってください。それよりも、後者の場合を考えましょう」
「後者?」
心夢は力のない目を男の方に上げました。同じ机の上なのに目線には明確な上下関係が続いていました。男は心夢を足で頭を踏みつけるような覚悟で話していました。
「ええ。あなたが嘘をついているのではなく、気づいていない場合です」
「気づかない場合とかあるの?」
「あるでしょう。事実、あなたは僕の存在に気づいていなかった。それは祖父が死んだ日のことだけじゃないですよ。公園で話したあとに僕だと思い出せなかったんでしょ?」
「それはそうだけど」
人は自分の実体験をフラッシュバックすると納得してしまいます。彼女はそうらしいと男から説明されたところしか思い出せないのですが、刷り込まれて公園での記憶が捏造され始めました。それはどういうことかというと、つまり。
「人は嫌な思い出を忘れようとする場合があるのです。または、別の記憶に置き換えることがあるのです」
「親のセックスを見た子供が、狼と勘違いするように?」
どこかで聞いたようなことがある問答でした。この問答は明確にあったのですが、無かったのではないかとぼんやりになってきました。事実と妄想との境界線が曖昧模糊です。
「そうです。まさにそれです。それと同じように、殺したのに事故と勘違いすることがあるのです」
「仮にそうだとしても、どうやって証明するの?」
「それは専門家ではないからわかりません。精神分析してもらうとかじゃないですか? 自分で言っても、精神不安定とかで証拠として不十分だと思いますけど」
「じゃあ、どうしようもないじゃない」
心夢は頭が不安なあまり、子供の質問みたいな簡単なことしか言えなくなっていました。しかし、子供の質問は心理を突くように、それが功を奏して心理を突いてしまいました。たしかにどうしようもないのです。
「そうなんです。だから、僕としては嘘だと自白して欲しいのです。それ以外では確実にあなたが犯人だという証拠がないのです」
男は策士策に溺れるように、打つ手がなくなっていくのです。心夢が精神的に安定して策で勝負してきたらボロが出たかもしれませんが、本当のことしか言わなくてってきました。男は額に汗が1つ。
「――ちょっと待って。さっきから私が祖父を殺したという方向で話を進めているこど、私は殺していないわよ」
心夢は脇の下に大量の汗を貯めながら、それを解放するかのように脇を広げて机の上に肘をつきました。白いtシャツの脇の部分が急に湿った加湿器状態の脇部分を見える角度に男は落としていました。しかし、見ていませんでした。
「そうなんです。あなたはどこまでそう言うのです。だから話が進まないのです」
「それはあなたも同じでしょ?」
「証拠がない限り、自白がない限り、僕は話をするしかないのです」
「あなたはそうかもしれないけど……」
男が心夢の顔を見ようと顔を上げている途中に、心夢の濡れた脇の下に目が止まりました。言葉が止まりました。女性なら脇汗はかかないという幻想を男は持っていませんでしたが、予想を超えて頭がパンクしました。
「ところで話は変わりますが、『罪と罰』は読んだことはありますか?」
「……読みましたよ」
「あれと状況が似ていますね。あなたは主人公に似た状況に陥っているのかもしれません。そうなると、僕は主人公を追い詰める判事といったところですか」
「あの判事って、悪い人ではなかったのよね」
「そして主人公は、自分の犯行を自白したはずです」
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