第14話2-4誘導
別の日のことです。心夢は男との会話を思い出していました。すると、ラインに男から連絡が来ていました。
心夢は急な出来事にケータイを二度見しました。そこには『うみのたいち』とはっきりくっきり書かれていました。心夢の記憶がはっきり正しかったら、それは自分の周りを嗅ぎまわっているあの男である。
心夢はラインに文字を打ち込みました。パソコンのタイピングと違ってケータイのタイプはすごく遅かったです。そのせいで文章作成中に向こうから新たな文章が届くという、普段ケータイをあまり使わない人間の宿命が起きました。
心夢は男とイオンの喫茶店で再開しました。
「久しぶりね。えーと、太一さんでしたっけ?」
「よく名前を覚えていましたね」
「そうね。だって珍しいもの」
「そんなに珍しい名前ではないと思いますが」
「いいえ、人に会うことが」
「そちらでしたか」
男は向かいに座っている心夢に対して半笑いでした。そこまで親しいわけではないのにボケてくるのは土地柄のせいなのかと思っていました。そして、姉と妹で性格が違うとも思っていました。
「そうよ、私、引きこもり気味であまり人と会わないもの」
「外には出たほうが」
「うるさいわね。そんなことを言うために来たの?」
「そうでした。あのことで話をするんでした」
男は待ってましたと言わんばかりに肘をついて不自然に口角が上がった笑顔を心夢に近づけました。肘の近くにはアイスココアの入ったグラスがあり、あごの下にはバナナセーキが入ったグラスが男のあご下の産毛を映していました。そんな男に心夢は引きつった笑顔なまま後ずさりしました。
「それにしても、普通に話かけてくれれば良かったのに」
「たしかにあの出会い方は珍しかったですね。」
「とんだ人見知りね。普通に話しかけることができないからといって家の周りをうろついたり、すぐにいなくなったりして。そうかと思ったら、私の親にはきちんと話をして家に入ることを承諾してもらったり」
「面目ない」
男は顔をはじめとした上半身を後ろに引っ張りました。彼女は目の前にあった鬱陶しい顔がなくなったことに安堵していました。しかし、本番はここからだと思い気を引き絞りました。
「そもそも、ラインに名前が書いていたでしょ?」
「そういえばそうでした」
「あなたは天然なの?」
「面目ない面目ない」
男はあまり謝っているふうには見えない素振りだった。社交辞令というものであろう。心夢はその素振りを流した。
「それにしても、変に行動力があるわね」
「でも、それはあなたもでしょ?」
「だーかーら、私はじいちゃんを殺していないって。あれは事故よ、じ・こ!」
心夢は面倒くさそうに言いました。女性が化粧をしながら適当に対応しているような言い方でした。でも、彼女はいい年した女性なのに化粧をしていませんでした。
「前に会った時と同じですね」
「そりゃそうでしょ。私は何も悪くないのだから」
「普通、もう少し怯えるものではないのですか? 良心の呵責に苛まされる、みたいな」
「それはどこのラスコーリニコフかしら?」
「わかりにくい例えですね」
男は呆れたように乾いた声を出していました。こういうところでこういう普通の人がわからない例えを出すところがコミュニケーション能力のなさを感じていました。こういうものは普段人と接しない人にはわからないものです。
「あら、あなたはどこのラスコーリニコフかわかるのかしら?」
「『罪と罰』しかないですよね」
「わからないわよ。ロシアではよくあるかもね」
心夢はいたずらな言い方でした。女子高生が若い男の先生をからかうような言い方でした。青春の1ページみたいです。
「――君、そんな人間でしたっけ?」
「そうよ。何か変?」
「この前話をしたときは、もっと静かというか、礼儀正しいというか、おどおどとしていたというか」
「あぁ、人見知りだからね」
「どういうこと?」
男はディスコミュニケーションに苦しんでいました。男性と女性は分かり合えないものだと言いますが、そういう問題でもありませんでした。男はやばい女を捕まえてしまったものだと心の中で頭を抱えていました。
「基本的には人と話すのができないが、1度仲良くなったらなんでも話せるのよ」
「いや、人との距離感がおかしいでしょ」
「そうね、よく言われるわ。でも、あなたも人との距離感おかしいわよ」
「どこがですか?」
「天然なの? 自分で言っていたけど、話しかけられずに家の周りをウロウロしていたかと思ったら、いきなり家の中に上がり込む人が言えること?」
男は冷静になって自分のしてきた行いを思い返していました。自分のディスコミュニケーションぶりに頭を抱えたい気持ちになりました。頬が熱くなってきましたので、アイスココアを口に頬張って冷やしました。
「あぁ、そういえばそうですね。僕も天然ですね」
「天然っぽい言い方ね」
「あと、人見知りです」
小悪魔みたいに言う心夢に翻弄される後輩男子みたいに縮こまった男は、照れくさそうでした。他人のふり見て我がふり直せといいますので、自分はどうしたら真人間になるのだろうかと思案していました。そして、よく考えた結果、そんなことよりも事故か事件かの方が大切だと考えついたのです。
「――それで、昨日も言ったけど、私は無実なの。正当防衛の事故なの」
偶然にも心夢が求める会話をし始めました。男はこれはありがたいと思い、会話に乗ることにしました。これぞコミュにケーションと言わんが心持ちでした。
「そういえば、この前、妹さんの会ったのですが、同じこと言っていましたよ」
心夢は顔から血の気が引きました。
「どうして妹と会ったの?」
男の発言に心夢は興味を引きました。心臓が引き裂かれそうな痛みを覚えていました。でも、今更引き返せません。
「今回の件を伺ったんですよ」
「どうして妹に聞きに行くのよ!?」
心夢は聞きます。
「妹さん以外にも、母親にも伺いましたよ」
「だからどうして?」
心夢は聞きます。
「きちんと理由を言わないと、協力しれくれないじゃないですか」
「それはそうだけど」
心夢は聞くのを止めました。
「まぁ、あなたの母親は全く信じていなかった。でも、遠い親戚がうるさいから手伝うふりをしているだけだと思います」
「追い返せばいいのに」
ボソリと窓に呟きました。
「まぁ、人間関係があるから無下にはできないということだと思うよ。おそらく、僕の親のところに苦情に行っていると思います」
「あなたの親も大変ね」
ため息混じりにバナナセーキを飲んでいました。
「まぁね。でも、それくらい大事なことです。人が1人死んでいるのだから」
「そして、それに関して妄想している危ない人か、犯行を起こしている危ない人か、それを見極めないといけないしね」
両手を頭の後ろに組んでやる気を出していました。
「親たちはそうやって泳がしているのかもしれないですね。できる限り警察とかには言わずに親族だけで手を打ちたいのでしょう」
「そういうのは、外部の人間を入れないと骨肉の争いになるのに」
「じゃあ、警察に行きますか?」
男はいたずらっぽく歯を見せました。心夢はいたずらっぽく呆れながら笑っていました。互いに小さな子供のように面白い秘密を見つけたような顔でした。
「それは嫌だわ。他人と会いたくないの」
「親たちもそう思っているのでしょう」
ワルガキたちは、自分たちだけでかたをつけようと悪い遊び感覚でした。そういう悪ふざけをするタイミングではないのですが、変にテンションが高くなって笑っていました。互いに倫理観がなくなってきていました。
「それで、妹は何か言っていた?」
「ええ。あなたが祖父を殺すわけがないと言っていました」
「そう」
「その理由が、どうも身内びいきのような気がしました」
「まぁ、家族ならそうでしょうね」
「たしかにそうですね。祖父をわざと落としたようには見えなかったと言っていましたが、色眼鏡をかけていますね」
「ちょっと待ってください。何を言っているのですか?」
心夢はふと我に返りました。その瞳孔が開いた眼球には男の姿が魚眼レンズのように写っていました。彼女は息を潜めました。
「ですから、妹さんがあなたを身内びいきしていると……」
「妹が見ていたと言わなかった?」
男が言い終わる前に心夢は言い寄りました。男は少し圧倒されて口を結びました。少し咳き込んでから冷静を装って話を再開しました。
「そうですよ。私と同じようにあの日に祖父が川に落ちたのを見たのですよ」
「妹が……見た?……」
心夢は目の焦点があっていませんでした。周りの風景が海の中のようにぼやけていました。混乱するとたまに起きる発作的なものでした。
「そうですよ。あれ? 聞いてないですか?」
「見られていた?」
心夢は聞いていませんでした。鼓膜の調整がうまくいっていない状況でした。空を見つめるような様子を見て、男は心配になりました。
「もしかして、これって言ってはいけなかった?」
「それで、妹は何て言っていたの?」
話が噛み合っていません。心夢は自分の気になったことを聞いたのみです。男は仕方ないようなため息をついて、着ていない背広を正すような姿勢になりました。
「だから、あなたは祖父を殺していないと言っていました。あれは事故であり、正当防衛だと言っていました」
「そうですか」
心夢は息を吐き落ち着いたような外見になりました。しかし、内心では何一つ落ち着いていない状況で、外見に意識が行かなくて停止しているだけです。男はそのことを重々承知して間を空けるためにミルクココアを何回も口に運びました。
「――落ち着いていないところすみませんが、話を続かせていただきます。あなたやその妹さんは事故だと言いますが、どれもこれも確証がありません。あなたが殺した可能性はどこまでいってもあると思います」
「では、どうしたらいいのですか?」
少し震えていましたが、それは少しの余裕が生まれた証拠でした。全く余裕がなければ先ほどのように全く動かなくなるのです。男は晴れやすい商品を運ぶように慎重に心夢との会話を運んでいました。
「それは僕にもわかりません。僕はその方面のプロではないので。ポワロもほとんど見たことがありません」
「世代が違いますからね。わたしもほとんど見たことはありません。母さんは好だと言っていたわ」
「まぁ、古畑任三郎は見ていましたけどね」
「十分でしょ。同じようなものでしょ」
「へへ。冗談ですよ。気は和みましたか?」
「わからないわ。でも、イラっとした気がする」
怒りというものは、ほかの感情や理性を支配することができるものである。今までの混乱は怒りによって吹き飛んでしましました。男は笑いという感情でそれを実行しようとしましたが、違う形で成功しました。
「それは怖い。僕は殺さないでくださいね」
「笑えない冗談ね」
「僕は人との距離感がわからないものでして。すみません」
「まぁ、いいけど」
心夢は愛想笑いをしていました。男は表面上の笑いだと理解しながらも安心しました。嘘でも安心することはあるのです。
「それですね、そういうものを見てきただけなのできちんとしたことはわからないのですが、一番重要視されることは物証ですね」
「たしかにそうね。それはあるの?」
「ある訳無いでしょ?あったらもうカタはついていますよ」
「それもそうか」
互いに冷静になっていました。相手に対する腹の探り合いということでしょうか。論より証拠といいますが、証拠がない以上は論が大切です。
「仮に指紋の鑑識を頼むとしても、何を調べてもらったらいいのですか?橋なんか意味ないでしょ、時間も立ちすぎましたし。あなたたちの祖父の服も川の水で綺麗になっているだろうし、そもそもそう処分しているでしょ?」
「そうね」
「だから、状況証拠しかないのですよ」
「それで私たちに聞いているのでしょ?」
「そうですよ。でも、何も事件の証拠になりそうなものはないのですよ。あなたは事故だと言うし、私以外の目撃者である妹さんも事故だと言うし」
男は冷静な中にも苛立ちを隠すことができませんでした。いや、苛立ちというよりは焦りに近いものでした。足の指を貧乏ゆすりしていました。
「そのようね」
「でもね、話を聞いている限り、あなたが祖父を殺す動機はあると思うのです。いじめられていたのでしょ?」
「そうですね。それは否定しないわ。でも、殺していないわ」
「仮に殺していたとしても、正当防衛が成り立ちそうですね」
悲痛に聞こえる男の言葉を聞いて、心夢は少し考えました。ぼーっと何にも考えていないようなのっぺりした顔になりましたが、頭の中はフル回転でした。何をそんなに考えさせたのかというと。
「どうして誘導しようとするの?」
「失礼。そういうつもりはなかったのです」
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