第13話2-3ミルクセーキとアイスココア

 翌日、晴美は大学に向かうために家を出ました。駅に向かう途中の十字路でのことです。マスクをしている晴美はマスクをしている男に話しかけられました。

その場では晴美も適当に話を合わせていただけで、警戒しながら聞き流していました。しかし、男があることを言った瞬間に耳を傾けました。そして、そのまま2人は近くのイオンまで歩いて向かいました。

 時間や場所や状況次第では、何かしらの怪しい仕事への勧誘と受け止められそうな出来事でしたが、そういうことではありませんでした。傍から見たら家族が散歩しているように見える微笑ましい光景でした。妹が兄から少し距離を取っているあたりが年頃の兄妹のように見えました。

 2人はコロナの影響で閑散としている喫茶店に入りました。モーニングセットで、晴美はミルクセーキと食パンとスクランブルエッグ、男はアイスココアと食パンとゆで卵でした。男と晴美は話をしました。


「『五等分の花嫁』も『鬼滅の刃』も終わりましたね」


 男は店に入った時に入口付近の木の棚に置いてあった『少年ジャンプ』と『少年マガジン』に目がいったのか、席でそう呟きました。晴美は『鬼滅の刃』はブームになっているので存在は知っていましたが、『五等分の花嫁』は知りませんでした。そして、今のこの状況でそんな話は知ったことかという心情でした。


「そんな話をするために来たのではないと思いますが」


 晴美は目の前の飲食物に手を出さずに、まっすぐな瞳で見つめました。男は窓側の席に座ったこともあり窓の外を眺めていましたが、その発言で晴美の方に目を流しました。しかし、すぐに外のイオンの内装を眺めていました。


「いきなり本題に入らなくてもいいじゃないですか。そういえば知っています? あそこのユニクロの店員がコロナにかかったらしいですよ」


 素知らぬ顔で男は外を見ていた。冷え切ったカップルのようにも見えるその2人だったが、女性が話を再び始めました。


「あなたは誰なのですか?」

「私はあなたたちの遠い親戚です。海野太一といいます」


 男はやれやれといった感じに頭を振って、晴美の方を向きました。


「知らないわ。本当なのですか?」

「ええ、本当です。といっても、僕も最近まで知りませんでしたが」


 晴美の疑いに対して男はもったいぶった言い方でした。


「そうなの?」

「ええ。実際、あなたの祖父の兄弟から枝分かれしていたら、会うことなんてほとんどないですから、知らなくて当然です」

「そうですね」


 葬式に行ったら知らない親戚がたくさんいると言われているように、親戚に会うことはほとんどないものである。そして、今回の祖父の死は家族や近い親戚の要望で密葬ということになり、さらにコロナを配慮した結果親戚はほとんど来なかったのである。だから遠い親戚は知らなくて当然なのです。


「まぁ、僕の祖父とあなたの祖父とはたまに会っていたらしいですけど、そこに僕が付きそうことはありませんでした。僕の父ですらそうでしたから、なおさらです」

「私も親戚付き合いには熱心ではありませんでした」


 晴美はミルクセーニをストローで吸い込みました。喉元を潤いながら頭を久したいという欲望から体が動いたのである。男はアイスココアのグラスに手を伸ばしたが、握っただけで飲むことはしませんでした。


「飲まないのですか?」

「いえ、飲みますよ」


 そう言うと、男は急かされたかのようにココアをストローで吸い上げました。そして、むせました。男は手で口を塞ぎながら咳き込みますが、指の間からは茶色の液体が少しばかり流れていました。


「大丈夫ですか?」


 晴美は店の白いおてふきを差し出しました。


「大丈夫です」


 男はそれを受け取らずに自分のところのおてふきを使いました。手を拭き口を吹き、汚れたところを隠すように折りたたんで机に置きました。男の目は少し涙ぐんでいました。


「器官に入ったのでしょうか?」

「どうやら飲み物が肺に入ったようです。このご時世、コロナと間違えられそうで怖いですけどね。でもまぁ、コロナではないですよ」


 男は周りの人に聞こえるように少し大きめの声で説明口調でした。事実店員などの周りの数人は横目でバレないように見ていたりあからさまに首を伸ばして見ていたりしました。晴美も周りの反応に気づいていました。


「――コロナじゃないのはわかったけど、気をつけてくださいね」

「はい、気をつけます」


 男は舌の根が乾かないうちに同じふうにココアを飲みました。晴美は少しまぶたを下げながら見ていました。グラスから水滴が垂れていました。


「――ところで、本題に入ってもいいですか?」

「はい。どうぞ」

「姉のことについて話って、何なのですか?」

「そうですね。よくついて来てくれたと思いましたよ」

「そもそも、いつ私たちのことを知るようになったのですか?」


 晴美は緊張で下がカサカサでした。唇がカサカサになることは経験有りましたが、舌が根元から乾き切ることは経験がなかったのです。口臭を気にする人のように月の中に下を当て続けて唾液を分泌していました。


「あなたの祖父がお亡くなりになった日です」

「それは、葬式の日? でも、コロナということもあってほとんどの親戚にも伝えていなかったと聞いたわ」

「いいえ、あの雨の日です」

「……」

「あなたの祖父が姉によって川に落とされた日です」


 男は今までと同じように淡々とした口調でしたが、晴美には死刑宣告をされたような重々しさがありました。一気に血の気が引いて愕然としていました。実は十字路でも同じことを言われたのですが、その時よりその言葉が重く感じていました。


「さっきも言っていましたけど、本当なのですか?」

「ええ、さっきも言いましたけど、あなたの姉ともその話をしましたよ」


 晴美は姉が急にいなくなったと思ったら帰ってきたことに合点がいったことで1つの謎が解決して安心していました。しかし、新しい謎が発生してそれが晴美の心の安静を脅かしています。男と姉が何の話をしたのか、姉が本当に祖父を落としたのか、自分が何で話しかけられたのか、晴美は心臓バクバクでした。


「姉さんとなんの話をしましたか?」

「あなたたちの祖父を川に落としたことについてですよ」

「姉さんは何と言っていましたか?」

「あれは事故だったと、殺すつもりはなかったと、正当防衛だと言っていましたよ」

「なら、そのとおりではないですか?」

「いや、身内に甘いですね。嘘をついているかもしれないでしょ?」


 刑事と被告との問答というより、刑事と被告の家族との会話みたいなものが続きました。二人共食べ物には目もくれず、喉を潤すばかりでした。マスクをしていた時は保湿していたから乾かなかったのかも知らないです。


「でも、あれは事故です」

「どうしてわかるのですか?」

「わたしはその様子を見ていたのです」


 男の表情が険しくなりました。今までは自分のペースで事が運んでいたことによる余裕で淡々と話していたのですが、予想外の言葉に眉をひそめていました。今度は晴海の方が淡々と話していきました。


「どういうことですか?」

「わたしはあの日、2人の跡をつけたのです。そして、祖父が橋から落ちるのを見たのですが、あれは事故に見えました」

「そう見えたのですか?」

「はい。見えました」


 男は腕を組んで体を背もたれにもたげました。一から考え方を構築しなければならないのでリラックスしなければならないのでした。男にとってのリラックスのポーズがそれであり、足の指を激しく貧乏ゆるりしながら頭をフル回転させていました。


「失礼ですが、どこから見ていたのですか?」


 男は搾り出しました。


「坂を登ってすぐのところです。橋の手前の」

「ちなみに、どこから落ちていましたか?」

「橋の真ん中あたりです」

「なるほど」


 男は頭をたらしながらふくらはぎがフルフル揺れるくらい足を貧乏ゆすりしました。地震であるかのように自分自身を揺らしますが、机や椅子は全く動かないので人間の力は小さいものであります。心理的な立場が入れ変わった晴美は隠せないくらい揺れている男を見て、余裕を持ちながらドンと構えていました。


「何か納得していない様子ですが」

「いえね、実は僕も同じくらいのところから2人を見ていたのです」

「え?」


 晴美の心は揺れました。


「といっても、それは偶然でしたけどね」

「偶然って?」


 晴美はグラスを持つ手が震えていました。バニラセーキがゆっくりに揺れるのとは対比して、小刻みに揺れていました。


「本当に偶然なんですよ。バイト帰りにたまたま近くを通っただけなんですよ」

「本当にですか?」


 晴美は揺れる声帯を震わせていました。動揺するとしても、程度が大きいものでした。それくらい衝撃的だったのでしょう。


「本当ですよ。そこって、そんなに疑うところですか? それに、そのときはあなたたちのことを知らなかったから、ストーカーもしませんよ」


 暗にそれ以降はストーカーをしていたことをバラシてしまう男でした。それに気づかないくらい男も動揺しているのでしょう。その動揺の様子を見て晴美は少し落ち着きを見せるようになりました。


「――仮にそうだとして、何を言いたのですか?」

「そうですね、話を戻しましょう。僕はあのときに橋を渡ろうと思っていたのです。すると、橋の上では何者かが争っていたのです」

「それが祖父と姉さん?」

「そうなりますね。その橋の向こう側にはあなたがいたのかもしれませんが、それは確認していません」


 互いに必要な確認をしました。1つ1つ確認をすることは1つ1つ安心させる働きがあります。2人とも揺れが引きました。


「それでは、あなたも事故現場を見たのですか?」

「見たには見ましたよ。ただね、事故かどうかはわかりません」

「どうしてですか?」

「どうしてって、あの距離からはわからないでしょ? それにあんな天候ですよ。暗くて雨も邪魔だったし、わかるわけないでしょ?」


 男はお落ち着きを払いながら当たり前のことを当たり前のように話しているつもりでいました。しかし、それは晴美からしたら当たり前ではありませんでした。彼女はすぐに言い返しました。


「いいえ。あれは事故です」

「それはあなたがそう思いたいからでしょ? 自分の姉さんが悪いことをしないと思いたいからでしょ? でも、何もわからなかった僕のフラットな視点から見たら、事件とも事故ともどちらともとれる場面でしたよ」

「あれは事件ではありません」

「もちろんそうかもしれません。でも、それは僕たちにはわからないのです」

「どうしてそんなことを言うのですか?姉さんに恨みでもあるのですか?」


 晴美は尖った口調でした。一般的に、人は自分の仲良しが悪く言われることを嫌悪します。ですので、晴美からしたら、自分の姉が疑われていることにいい気持ちをしないのは当然のことでしょう。


「――すみません。そんなつもりはないのです。僕はあなたのお姉さんを殺人犯にしたいわけではないのです」

「では、どうして?」


 男は反省の色が見えました。晴美は柔らかい言い方になりました。周りの人には痴話喧嘩に思われました。


「目覚めが悪いのですよ。目の前で人が死ぬところを見てしまったのですから。だから、はっきりさせたいのです」

「何をはっきりさせたいのですか?」

「あれが事故だったか事件だったかですよ」

「どっちでもいいでしょ?」


 晴美はどっちでもよさそうな言い方ではありませんでした。事故だと主張したい言い方でした。そういう言い方でした。


「それなら、どうしてあなたは事故だと固執するのですか?」

「それは……」

「あなたもはっきりさせたいのでしょ? あれが事故だったか事件だったかを」


 そういう考え方もありました。事故だと信じたいではなく、はっきりさせたいというところからくる言い方だと。そういう言い方かもしれません。


「だから、事故ってことでいいじゃないですか?」

「あなたはそうかもしれませんが、私は……どっちでもいいのですが、そのー」

「歯切れが悪いですね」

「いえね、そう言われたらたしかに僕も気にする必要がないなぁ、と思ったのです。別に刑事というわけでもないですし、遠いとはいえ親戚ですから、犯罪者はいて欲しくないのですよ」


 硬い肉を噛み切れないような歯切れの悪さが男には目立っていました。どう料理しようか考えていたら何を作ればいいのか忘れてしまうようなものです。一方で晴美はお客さんのようにのんきになっていました。


「だったらいいじゃないですか?」

「そうなんですよ。でも、違うのですよ。なんていうか、僕はただ単に真実を知ってスッキリしたいだけなのです」

「モヤモヤして気持ちわるいのですか?」

「そうなんです。別にあなたのお姉さんを捕まえたいわけではないので、真実さえ知ってしまえば口裏を合わせますよ。あれは事件ではなく事故だったって」


 再び事件か事故かと悩んでいました。そして、それは晴美の地雷であります。知らない間にその人の地雷を踏んでしまうことはよくあることです。


「まるで事件だということを前提にしたような言い方ですね」

「そう聞こえましたか?そういうつもりではなかったのですが……」

「ええ、そう聞こえました!」

「怒らしてしまったようで、すみません。ただ、僕はまだ結論を出していませんよ」


 その後2人は沈黙しながらモーニングを平らげました。


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